この2年間を振り返る

歴代の元マネージャーや元同僚、OBの方々から、「多分こんなに忙しいマネージャーもいなかったと思う」と、憐れみなのか慰めなのかわからない声を掛けていただいたこと数知れず。そんな怒涛の2年間が、間もなく終わります。

振り返ること2年前、ちょうど青森県内で初のコロナウイルス感染者が判明した直後に、4年目にして3度目となる同一課内でのグループ間移動、更に初めてグループマネージャーとして業務に臨むこととなりました。

以来、何が起きたのか紐解いてみましたが、結局のところ1年目の大半はコロナ対応に振り回されて終わっていました。幸いだったのは、本県を始め全国的にも風水害による大きな災害が発生しなかったこと。

「ざ」さんからのお届け物に添えられていた付箋紙。泣けた。

でも、不穏な動きや災害はちょこちょこ発生していて、その年の7月には、岩手県北部で降った局地的な大雨が、八戸港へと流れ出る馬淵川を辿って水かさを増し、道路は乾き、晴れているのに、八戸市を中心とする県南地方で洪水警報が1日以上に渡って続くこととなり、夜通し職場で警戒と情報収集に当たる、といったことがありました。

2020年5月、平和を願って岩木山に一礼。

県内外で時々発生する地震(しかもなぜか土曜日の夕方や夜に発生するという)への対応もあり、弘前発の最終電車に飛び乗って職場へ駆けつけたこともあったほか、時には深夜、家族に青森市の職場まで車で送り届けてもらう、といったこともありました。

10月には弘前市の繁華街で大規模クラスターが発生、土日は完全になくなり、休暇も取れず、心身の疲労がピークに。そういう意味でも、家族には本当に迷惑と心配を掛けてしまったな、と思っています。

2020年6月。神にも縋る思いで。

ちなみにその年の8月には伯父が亡くなるという悲しい出来事があり、その2週間後の9月には父の13回忌を迎えるという慌ただしさ。コロナ禍ではありましたが、県外に住む父のきょうだいにも参列してもらいました。あれ以来、親戚の方と顔を合わせる機会がどんどん遠くなっていきました。

また、年を越した途端に猛吹雪、大雪に見舞われ、通勤で利用している奥羽線の電車が数日間にわたり終日運休するという憂き目にも遭い、2日間、青森市内のホテルに宿泊を余儀なくされる、なんてこともありました。こんなこともあろうかと、職場には常に「お泊まりセット」を忍ばせるという日々。

2020年8月。誰でもいいから愚痴を聞いて欲しかった。

そして、冬に起きたことが夏に起きないわけがないし、これからやってくる春から夏にかけての出水期そして夏場への警戒心が少しだけ沸きましたが、結局再びコロナ禍に振り回されることとなり、いつしか忘却の彼方へと消えていったのでした。

そんな感じで、無我夢中で過ごした1年間。あわよくば…の期待も虚しく、マネージャー2年目として残留が決定。以前、同じ課内の同じグループに5年間在籍していた、ということがありましたが、それとは異なる形で、同じ課での在籍5年目を迎えることとなりました。

2020年10月。弘前公園にて黄昏れる。

しかも、2年目になるとさらに業務の重みと対応の濃度が増すこととなり、4月下旬、三沢沖で発見、水揚げされた不発弾が八戸港まで運搬され、その対応に奔走することとなりました。更に同じ頃には、青森市の繁華街でクラスターが多発、急遽飲食店に対する営業時間短縮要請を行うことに。この時も、線引きの内側に入れなかった方々からのハレーションが半端なく、本当に苦労しました。

不発弾爆破処理の模様をYouTubeで見届けた直後の8月、台風第10号から変わった温帯低気圧によって、ついに大きな災害が発生してしまいました。人命に関わる事案でなかったことだけは、せめてもの救いでした。

この災害によって上北そして下北地方に大きな被害をもたらすとともに、八戸港で台風の影響を避けるため停泊していた外国籍の貨物船が座礁、船体が二つに割れて大量の油が流出するといった事案が時同じくして発生、更に新型コロナウイルスの感染者が一気に急増し、急遽、八戸市中心部での営業時間短縮要請と県独自の感染防止対策を打つといったことが重なったりと、全く気が休まることもなく、夏季休暇も取れぬまま対応に当たることとなりました。ちなみに自身2度目のワクチン接種を行ったのは、そんな混乱の真っ只中でした。

県独自の対策については、県内でのワクチン接種が本格化するタイミングと合致したため、終期を迎える頃には、感染者数も相当減りましたが、一方で、災害対応は「誰がこういう状況を招いたか」の追及へと変わることに。まだ被災された方の生活再建も進んでいない中、こういう議論に持ち込まれたことに対する僕自身の憤りは、今だから明かすと何物にも代えがたいぐらい高まっていて、恐らくこの頃からメンタルのバランスが崩れ始めていたような気がします。

2021年6月、青森市の善知鳥神社にて。

12月頃になると平静を取り戻したような新型コロナウイルスでしたが、1月になるとオミクロン株による感染拡大が一気に進むこととなり、県内初となる「まん延防止等重点措置」に踏み切り、結局3月下旬まで引きずることとなりました。このことに関しては、恐らく皆さんと同じぐらい、いやそれ以上に、私自身も思うところがありますが、ここでは敢えて触れずにおきます。

辛いことばかりではありませんでした。高校生、大学生、町内会、その他色んな方々に対して防災にまつわるお話をさせていただく機会もたくさんいただきました。拙い話題提供ではありましたが、興味を持って耳を傾けてくださった方々には、本当に感謝です。「語り部みたいで良かった」というアンケートに、少し誇りと自信を持つことができました。

この他、この2年間に起きた自分を取り巻くキーワードを列挙してみました。決着していないものも含まれています。

新型コロナウイルス感染症、記録的短時間大雨情報、自助・共助・公助、浸水想定区域、大雪、暴風雪、不発弾、台風、温帯低気圧、土砂崩れ、座礁船、道路寸断、孤立、災害派遣要請、生活再建支援、燃料タンク投棄、時短要請、まん延防止等重点措置、津波注意報、応援本部、自主防災組織、十和田火山、弾道ミサイル、氏名等公表…

しかし、よくもまあ次から次へとこれだけのトピックが出てくるものだと、我ながらちょっと…やっぱり何かに取り憑かれていたのでしょうか。 いや、僕じゃなくて他の人が。

今年2月から3月にかけては、メンタル面に大きな支障が生じていたと自負しています。心の赤信号は、無感情や無気力をもたらす一方で、怒りのスイッチが常にオンになっていた状態でした。

悲喜こもごもというよりも、悲哀こもごも、といった感じ。

よくぞこの2年間を耐え忍んだと、少しだけ自分を褒めたいと思います。

さて、4月以降は同じ室内にある隣の課(隣のグループ)へ異動(席替えみたいな感覚です)、ちょっと毛色の違う業務に携わります。

これからは林野火災が発生しやすいシーズンに突入しますので、しばらくは落ち着かない日々が続きそうな予感がしていますが、まずは週休日に休むことができるようになるというだけでも、気分が少しだけ楽になりそうです。ということで、近々3回目のワクチン接種に臨みたいと思います。

色々心配して下さった皆さん、本当にありがとうございました。