父の一周忌

9月7日は、父の一周忌だった。しかし僕の中では、父と対面したのが翌8日だったということもあって、なんとなく今日の方が一周忌という感覚がある。

この日曜日(6日)に、父の一周忌法要をとり行った。親戚や友人など60名近くの人が集まり、父の在りし日の姿に思いを馳せた。読経が流れる中、ぼんやりと父の遺影を眺めながら、ふすまの横からガニ股の父が、何かはにかんだような表情で、ニヤニヤしながらこちらを覗いているような錯覚にとらわれた。
多分、父の懇意にしていた人たちが大勢集まってくれたことを、父も喜んでいるのだろう。

お寺本堂でのおつとめを終え、ある方が僕にかけてくださった何気ない一言が、ジッと耐えていた僕の心を激しく揺さぶった。不覚にも僕は、その場で大粒の涙を零してしまった。
いや、でもこれは僕の涙ではなく、父の涙なのかも知れない。そう思うと溢れ出る涙を止めることはできなかった。
一年経つと落ち着く。いろんな人から言われてきたことだ。しかし、実際この一年はあまりに早すぎて、まるでついこの間のことのように思えてならない、というのが実情だ。正直言って僕は、全然落ち着いてなんていなかった。

法事を終え、会食の場に席を移し、施主として挨拶を述べさせていただいた。例のごとく何を話したのかはあまり覚えていない。どうやらこの時ばかりは、父が憑依するらしい。

その後、急きょご指名となったK先生の献杯を終え、会食が始まった。この時も僕はK先生の挨拶に耳を傾けながら、涙を流していた。

お礼を兼ねて各席を回ったが、相変わらず父を巡る推測や憶測は一部で燻っているようだ。
だが僕はもうそういった話には一切耳を貸さないことにした。

ここにある真実はただ一つ。それは、誰にも真実はわからないということだ。

それにしても、自分たちで全てをこなそうとするには、あまりにも無理があった。
そりゃそうだ。一周忌法要なんてやったことないんだから。
ある方から、事前に何も相談しなかったことをやんわりと咎められながらも、何とか無事に一連のセレモニーを終えることができた。

父のことを話し出せば多分、一冊の本ができちゃうぐらいの思い出があるし、一冊の本でも足りないぐらいいろんな記憶を残していった人だった。残された僕たちができることは、そういった父を巡る記憶や記録の点と点を繋ぎ合わせていくことで、いつまでも父のことを心にとどめておくことだと思っている。そして、そのことが父にとって最良の供養になると確信している。

また、駆け足の一年が始まった。

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