司法と私情

「量刑の差に不公平感」 「法律をきちんと判断」 3児死亡事故 懲役7年6月判決 「危険運転」見送り賛否

1月9日10時9分配信 西日本新聞

福岡市東区で2006年に起きた飲酒運転3児死亡事故で、8日の福岡地裁判決は、危険運転致死傷罪の適用を見送り、元同市職員今林大(ふとし)被告(23)に対し、業務上過失致死傷と道交法違反(酒気帯び運転など)の罪を適用し、懲役7年6月(求刑懲役25年)を言い渡した。危険運転致死傷罪は立証が難しいとされる中で、今回の裁判所の判断については賛否が割れており、同罪の適用基準の明確化など、議論を呼びそうだ。

■3児死亡判決骨子
◇被告は事故当時、酩酊(めいてい)状態とはいえず、アルコールの影響で正常な運転が困難な状況にあったとは認められない
◇被害者の車を事故直前まで発見できなかったのは、脇見が原因
◇危険運転致死傷罪は成立せず業務上過失致死傷と酒気帯び運転の罪に当たる
◇結果の重大性、悪質性などから業務上過失致死傷罪の併合罪の最高刑に当たる懲役7年6月の実刑で臨むのが相当

危険運転致死傷罪どころか極刑にしろ!という極論まで出ている今回の判決。この判決に関してのブログや日記を見ると、その多くが「判決に疑問」という内容です。

確かに判決の骨子だけを見ると、これじゃ何が酒気帯びで何が飲酒運転なのか?という疑問も湧いてきますし、時速80-100キロで12秒も連続して「脇見運転」しておきながら、これが危険な運転ではないというのであれば、目隠し運転で初めて危険な運転と認定されるのだろうか、なんていう疑問も沸々と。
感情論だけで言うならば、確かに3人の子供を死なせておきながら、僅か7年6月の実刑というのはどうなのよ!というのもごもっとも(実際僕もそう思いました)。亡くなった3人の命を思うと、最低あと200年は刑を追加してもいいぐらい…。


しかし…これが法律の限界であり、この判決が地裁の判断として妥当だというのであれば、あるいは今後高裁や最高裁(恐らくこのままでは最高裁まで争われることになりそうです)で同様の司法判断が下されるというのであれば、僕は判決以前の問題として、そもそも裁く罪が二つも三つもあることや、法律の曖昧さが混乱を招いているのではないか、と思うのです(これは、光市母子殺害事件における少年法でも似たようなことが言えるかも知れません)。

道路交通法には、酒気帯びでの運転を禁ずる規定があります。

道路交通法(抄)
(酒気帯び運転等の禁止)
第六十五条  何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない。
2  何人も、酒気を帯びている者で、前項の規定に違反して車両等を運転することとなるおそれがあるものに対し、車両等を提供してはならない。
3  何人も、第一項の規定に違反して車両等を運転することとなるおそれがある者に対し、酒類を提供し、又は飲酒をすすめてはならない。
4  何人も、車両(トロリーバス及び道路運送法第二条第三項 に規定する旅客自動車運送事業(以下単に「旅客自動車運送事業」という。)の用に供する自動車で当該業務に従事中のものその他の政令で定める自動車を除く。以下この項、第百十七条の二の二第四号及び第百十七条の三の二第二号において同じ。)の運転者が酒気を帯びていることを知りながら、当該運転者に対し、当該車両を運転して自己を運送することを要求し、又は依頼して、当該運転者が第一項の規定に違反して運転する車両に同乗してはならない。

ところが、道路交通法に罰則が二つあるということが、混乱を招いている大きな要因なのではないかと思うのです(呼気・血中アルコール濃度により「酒気帯び運転」「飲酒運転」に分類されることはご存じの通り)。

更にややこしいことに、今回適用が見送られた危険運転致死傷罪は刑法に規定された項目となっています。

刑法(抄)
(危険運転致死傷)
第二〇八条の二 アルコール又は薬物の影響により正常な運転が困難な状態で自動車を走行させ、よって、人を負傷させた者は15年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は1年以上の有期懲役に処する。その進行を制御することが困難な高速度で、又はその進行を制御する技能を有しないで四輪以上の自動車を走行させ、よって人を死傷させた者も、同様とする。
2 人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、前項と同様とする。赤色信号又はこれに相当する信号を殊更に無視し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で四輪以上の自動車を運転し、よって人を死傷させた者も、同様とする。

刑法はより罰が厳しいことは言うまでもありませんが、今回の判決を見る限りでは、飲酒運転か酒気帯び運転かという判断が、直接的に危険運転致死傷罪の適否に結びついているように思えます。つまり、飲酒運転と判断されない限りは、危険運転致死傷罪の適用はあり得ない、ということです。
道交法の厳罰化により飲酒運転の件数は激減したといいます。しかしその一方で、呼気アルコール濃度をごまかすため、大量の水を摂取したり(今回の事件も同様のことが行われているが、この点については骨子で触れられていない)、逆にコンビニに駆け込んで酒を一気飲みする巧妙極まりない(?)馬鹿者も出没しています。

今回の判決内容は、あくまで司法の判断ということで、いくら誰が何を言おうと、遺族がどんなに可哀想でも、これはこれで一度受け入れなければならないというのが現実です。
しかし、法律に詳しい弁護士やその筋の人から見ても賛否両論が渦巻く今回の判決を見ると、やはりこれは法律そのものが混乱を招いているとしか思えません。

そもそもアルコールを摂取して運転すること自体が「危険」であるという認識は、立法の側にあったのでしょうか。
「危険運転致死傷罪」の適用には、指標となるアルコール濃度の基準が全くないため、何をもって「正常な運転が困難」と判断するかは、司法(裁判官)に委ねるしかありません。この点が今回の判決に至った分岐点といえるかも知れませんが、肝心な部分が曖昧なのです。

「危険運転致死傷罪」は、適用が困難な罪状だということだけは、今回の判例で十二分に理解することができました。
しかし、こんな見せしめだけのような法律だけで、本当に飲酒運転は根絶されるのでしょうか。本当にこんな痛ましい事件はなくなるのでしょうか。

徹底して飲酒運転を根絶するというのであれば、道路交通法で言うところの「酒気帯び」は全て「飲酒」と読み替えるぐらいのことをしなければならないのかも知れません。また、隠蔽工作を行った被疑者についても、一律飲酒運転とみなすぐらいの判断も必要になってくるのではないでしょうか(そういう意味では酒を飲んだという事実を隠蔽しようとする連中こそ一番「危険」ではないかと思います)。

司法は公平・公正でなければなりません。私情を挟むのは御法度です。
これから裁判員制度が導入されていきます。仮に皆さんがこの事件を裁く立場に立った時、皆さんならどういう判断を下しますか。

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