リア王と晴子

先週から高村薫の『新リア王(上)』を読み始めています。
この作品は、青森県を舞台に繰り広げられる政治小説です。政治家として青森県内で絶大なる勢力を誇った福澤家の父・榮から、仏道の道を究めようとする妾腹との(榮の兄の妻であった晴子との間に出来た)息子・彰之に語られる保守王国の崩壊劇は、フィクションでありながら同じ青森県に生活する者にとって魂を研ぎ澄まされるような思いに駆られます。そしてそれは、福澤榮という実在の政治家がいてもおかしくないような、非常に現実味を帯びた展開が繰り広げられていて、陰で囁かれている「モデルの存在」というのもあながちウソでないような、そんな気分にさせられます。
ご存じの方も多いと思いますが、この作品は日経紙朝刊(いわゆる「愛ルケ」の前)に連載されていた内容に大幅加筆されたものです。挿絵の著作権の問題やらなにやら色んな事情があって、突如連載打ち切りとなってしまったのですが、待ちに待ったこの本の出版にどれだけ心躍らされたことでしょう…。


しかし、上下巻で約4,000円という出費に思わず躊躇し、当面様子見を決め込んでいたのですが、先日遂に我慢の限界に達し、上下巻とも購入してしまいました。時同じくして、筆者の高村薫氏が来青し、講演会ならびに三村青森県知事との対談を行っています(ちなみに三村知事は、この作品の制作協力者の一人)。残念ながらこれを観に行く機会を逸してしまい、この期に及んで激しい後悔の念が胸を渦巻いているのですが、過ぎた時間を取り戻すことも出来ず、今となっては色んな思いを馳せながら読み進めています。

新リア王 上 新リア王 上
高村 薫

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読み進めていくうちにハタと気が付いたことがあります。それは、この作品の前に出版されている『晴子情歌』との関連です。実は『新リア王』の冒頭に福澤家の家系図があったのですが、その中に発見した「晴子」という名前がちょっと気になったのです。
ひょっとしてこれは、何か関係があるのでは…。
僕の素朴な疑問は、愚問でした。今回の『新リア王(上)(下)』は、言わばこの『晴子情歌(上)(下)』の続編的な要素を持っていたのです!
さまざまなレビューを拝読する限りでは、『新リア王(上)(下)』だけでも十二分に楽しめる内容だといいます。しかし、ひょっとしたら『新リア王(上)(下)』を読み終えたあとで『晴子情歌(上)(下)』を読むのでは、楽しみが半減してしまうのではないか…そう思った途端、読み進むスピードが急激に遅くなっていきました。

晴子情歌 上 晴子情歌 上
高村 薫

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しかもこれ、聞くところでは三部作らしく、更に続編が待ち受けているらしいです…ハイ。
『新リア王』では、(青森県内の政治家を除いて)国会で活躍した(する)議員が実名で登場するなど非常に生々しくもある一方で、政治的な背景を深くえぐった(僕にとっては)実に興味のある内容となっています。ちなみに現時点で上巻の5分の1程度(全体の1割程度か?)をようやく読破。それまでは、雪害で電車が遅延することに対し、ぶつけどころのない怒りを幾度となく感じていたのですが、今はこの本を読んでいるお陰でむしろ遅延も歓迎ムードとなっています。といっても通常45分で到達できる距離に1時間10分も要するようでは、さすがに腹が立ちますが(笑)。
実は先日、高村薫原作の映画『レディ・ジョーカー』をようやく見終えたばかり。というのも、高村薫という作者に触れるのは今回が初めてだったため、『レディ・ジョーカー』と『新リア王』との共通点が何なのかというのを模索してみたのです。そして、一つの結論としてたどり着いたのが、作者はいわゆる社会的な「負」の部分、「マイナー」な部分にスポットを当てるのがうまいな、ということ。
決して青森が「負」だとは認めたくないのですが、例えば下北半島における大規模開発の失敗と、「原子力船むつ」の受け入れやその後の原子力関連施設の設置などを考えると、その対価(代償)として与えられているものがあまりに低く、そしてそれが現在の青森県に深い傷として今もなお根強く息づいているということに、改めて気づかされます。
そして、残念なことではありますが、政治的なしがらみも『新リア王』で語られているような内容そのままではないかなぁ、という気がします(いわゆる「足フパリ」が大勢登場します)。
まぁ、そんなわけでまだ読みかけということもあって大したレビューも書くことが出来ず、今回はハタと気づいたことを綴ってみたわけで…。それにしても2冊で4,000円相当というに相応しい、実に読み応えのある作品であることには間違いないでしょう。
青森県の政治的な歴史や背景を紐解くとともに、今日の青森県の姿を垣間見るという意味でも、非常に貴重な作品。一気に読破しないと、内容がぶっ飛んでしまいそうな感じです。
ひょっとしたら、高村薫の作品として最初に触れるべき作品ではなかったかも…。
しかしながらスイッチに手を掛けてしまった以上、もう後戻りはできません。語弊のある言い方ではありますが、読み終えたあとにとんでもないメルトダウンが自分の中で沸き起こりそうな、そんな予感がします。ひょっとしたら、自分自身の中にある政治的な考え方や今の国策に対する見方が変わるような、大きな転機を迎えるかも知れません。

リア王と晴子」への3件のフィードバック

  1. じゃん子

    本を買う前に、ほぼ必ず「アマゾン」でユーズド価格をチェックしてしまう貧乏人です・・。まだ利用したことないけど。。
    4,000円とはリッチだな(笑)。面白かったら勧めてくださいw

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  2. shuqoo

    おっ、実は青森が舞台だということでかなり気になってました。
    でもあのボリュームに二の足を踏んでました。
    京極夏彦を読めるのに、あのボリュームにへこたれるなんて・・・
    まずは「晴子」から始めよ・・・ですな。

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  3. nonvey

    >>じゃん子
    俺もアマゾンのユーズドはチェックします。実は今回もチェックしました。でも、あんまり価格差がなかったんだよね。だったら、新品で手にした方がいいかな?なんてしょうもないことが頭を駆けめぐり、結果的に新品を購入したという…。ま、自分自身へのプレゼント、みたいな(笑)。ちなみにまだ読みかけですが、お勧め出来る段階まで理解できていません(笑)
    >>shuqooさん
    そうなんですよ。あのボリューム、結構来ますよ(笑)。電車で読んでいますが、持ち運ぶのも結構不便です。「晴子情歌」も文庫本になっているなら購入を…と思ったら、まだ文庫化されてませんでした。そういう事情もあって、まだ「晴子」には手を掛けていないという状況です。恐らく、図書館で探すことになりそうな予感です。
    そう、補足するならば、政治と仏道という全く何の脈絡もなさそうな二つの話が交互に語られていっており、現在は「仏道」の話を読み進めています。が、しかし!これメチャクチャ難解キャンディーズです。ちょっとちょっとしずちゃ?ん。同じところまた読んじゃったじゃない?って感じで、先に進めでいません…。

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