「イドウキボウの壁」崩壊

知らぬ間にブログのカウントが1万ヒットを超えていました。日々訪れてくれて下さっている皆さんに改めて感謝です。本当にありがとうございます。
さて、今日から人事評価面談と異動希望に係る個人面談が始まりました。
私、これまで5度の転勤を経験しました。そのうち、自分で希望した部署(所属)への異動が叶ったのは、例の大学院派遣の時だけで、あとはハッキリ言って全く希望もしていないところばかりに転勤しております。


あんまり言うと守秘義務違反だ、みたいなことになりかねませんし、実際取扱い上はマル秘扱いになっているので差し障りのないように説明をしますと、事前に提出する個人調査票には、勤務地の希望や所属の希望を記入する欄が設けられております。
常日頃から口酸っぱく言っているように、私は現在の職場から一刻も早く異動したいと考えております。その思いは、今でも変わりません。仕事云々というより、挨拶もろくにできないような職場の雰囲気に、耐えられなくなっているのです。
その一方で若気の至りといいますか、自分の力量では到底業務を全う出来るとは思えない部署への異動を希望していたのも事実でした。
土日にかけて、自宅にて個人調書を作成しながら、希望の部署を記入する欄にたどり着いた時、ハタと悩んだのであります。
変わりたい変わりたいって言っているけれど、俺が一体異動したいのは、どの部署なんだろう?俺がやりたい仕事って、何なんだろう?
突き詰めれば突き詰めるほど、四方の壁はどんどん狭くなり、気が付いたら僕は、自分で何をしたいのかわからなくなっていました。
妻とはいつも「既に決まっているのは宿命、自分で決めていくのが運命」と話をしております。何かそう考えると、人事異動なんていうのは宿命なのかな、と思い始めるようになりました。しまいには、いちいち自分でどこの所属につきたいか、どんな仕事をしたいのかなどと、いろいろ考えるのがバカらしくなってきました。だって、人事異動は自分でどこに行くかを決められないのですから。
そう考えると、この先どの所属に配置換えされ、どんな仕事に就くのかなんていうのは宿命であって、薄っぺらな一枚か二枚の紙切れで僕という人物を評価されることも、あれやこれやと悩んで美辞麗句を並べるのもあまり意味のないことなのではないか、と思えてきたのです。
もちろん、周囲を納得させられるような内容を記載することで、自分の運命を切り開くということも出来るでしょうけれど、僕にはとてもそんな力量はありません。
結局、所属の希望の欄は、空欄にしました。
ただ、白紙で提出することだけは許されません。一応それなりに成果のあったことは記載し、月曜日に提出しました。
特に僕の業種というのは大きな一括りにされがちですが、実際やってみると多種多様な業務が存在します。もちろんその中には、危険を伴うような業務もありますし、ひょっとしたら一日中ボンヤリと過ごしてしまうような業務もあるかも知れません。
しかしながらこの仕事は、「自由業」ではありません。むしろ、決まりや色んな縛りで雁字搦めにさせられるようなことばかりだと思います。
そんなことを考えていた時に、今の仕事の向き不向きは別として、僕はひたすら「楽すること」を求めていたんだということに気が付きました。
「楽すること」を知らず知らずのうちに追い求めた結果、四方の壁にぶち当たり、身動きが取れなくなっていました。
身動きが取れなくなったということは、裏を返せば何も出来ない、何もしなくてもいいということです。突き詰めていくと、これほど「楽」なことはないでしょう。
しかし今の年齢を考えた時に、楽をするのはまだ早すぎるな、とふと思ったのです。
13年間に渡って僕をジワリジワリと囲んでいた壁をチョンと蹴飛ばしたら、脆くも崩れ落ちました。
今日、課長と面談をしました。
内容はもちろん話すことはできませんが、それなりにいいお話は出来たと思います。
やはり、希望の所属が空欄になっていたことが、ちょっとだけ気になっていたようです。
仕事の量が「普通」だというのも、意外だったようです。
今の業務の話ばかりしていたのですが、最後に「今はまず目の前にある仕事を粛々とこなすだけです。」
そう答えました。
これが僕が導き出した運命。あとは宿命で決まっていることでしょう。
面談が終わって、スッキリしました。久しぶりにパーッと青空が広がったような、そんな気分。
後は野となれ山となれ、です。

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