役人による、役人のための会議

土曜日午後から、弘前市内で行われていた「第2回世界自然遺産会議」の分科会に参加した。3分の1呆れ、3分の1情けなく、3分の1怒りを覚えながら帰ってきた。今日はそのことをネタにしようと思う(今から謝っておきます。週末からずっと書きためたものなので、かなりの長文になっています)。
まず、世界自然遺産会議とは何たるや?という話から始めようと思ったが、恐らくこのことを説明するだけでとてつもない労力を要するような気がするので、公式HPをご覧いただきたい。
栄えある第1回の世界自然遺産会議は、平成12年5月、鹿児島県の屋久島を中心に行われた。
アジア太平洋地域の世界自然遺産を有する国々が参加して行われるのに、第2回も日本での開催。なぜ?…実は第2回は、(確か)当初オーストラリアでの開催が予定されていた。ところが、テロ事件が相次いだことから、この会議もテロの標的になるのでは…という懸念から、オーストラリアが開催を取り下げてしまった。そこで名乗りを挙げてしまったのが青森県だった(ハズ)。財政難だとかいいながら、こういうのに名乗りを挙げるのはホント好きなんだよね…。


では今回、このテロに対する懸念はなかった、といえばウソになるだろう。皇族もやってくるということで、金属探知器やら色んなものを用意し、不測の事態を未然に防ぐよう手段を講じていたようだ。実際、参加票には持ち込み出来ないものが羅列され、場合によってはボディチェックも行う、といったことが書かれていた。
さて、分科会会場となった弘前市民会館。あいにくの雨であったが、会場まで約10分の距離なので、僕は徒歩で会場に向かった。会場に着くと、ボディチェックもカバンの中身チェックもなし。何もされぬまま、すんなりと会場に入ることができた。事前に配布されていた受付票を提示し、資料を貰い、大ホールに。受付でもホールでも、複数名の知り合い(元同僚など)と出くわした。後で知ったのだが、午前中の開会式では、秋篠宮ご夫妻が臨席されたこともあり、長蛇の行列が出来るほどの厳しいチェックが行われたそうだ。ところが、秋篠宮ご夫妻が退席された午後になると、そのチェックなんて(悪い言い方をすれば)どうでもよくなってしまったらしい。
ご存じのとおり僕も公人の端くれだが、僕の場合、自ら希望してこの会議への参加を、と思っていたところに、所属からの参加要請があり、諸手を挙げて希望した、という経緯がある。しかし、参加要請があった他の人たちの中には、「わざわざ(休みの)土曜日(あるいは日曜日)を潰してまで、何で参加しなければならないんだ?」…そんな疑問を持ってこの会場にやって来た人も少なくなかったようだ(これも、あとであからさまにわかったのだが)。
僕が参加した分科会は、「世界自然遺産等を活かした地域づくり−地域に密着した良質なエコツーリズムのあり方を考える−」というものだった。特に興味を持っていたのは、観光産業が栄える一方で、例えばそのことが地場産業たる農業漁業に対してどういった影響を与えているのか、それが地域づくりとどう関連してくるのか、といった内容で、知床半島(北海道)と屋久島(鹿児島県)の事例発表に重きを置いていた。
会場のキャパは約1,300人。しかし、ざっと見る限りでは、分科会に参加しているのは恐らく300人程度だろう。特に前列の方には、情けないほど空席が目立つ。売れない歌手のコンサートより酷い。
僕の前列にはオバチャン3人と若い女性が1人。みんな、緑のリボンを胸にしている。どうやら同じチームの人たちらしい。始まる前から観光ガイドを貪るように見ながら、どこに行こうか何を食べようかといった、しょうもない話に花を咲かせている。どうやら分科会など、二の次のようだ。事実、受付で同時通訳機を貰い忘れているあたりから、「心ここにあらず」といった印象が窺える(しかもそのうち一人は、始まる前から居眠りし、休憩時間が来るまでほとんど動かなかった)。
13時25分に開会予告が伝えられると、気怠そうな表情を浮かべた大人や、会議などまるで興味がないといった顔をした高校生が入ってきた。
13時30分、開会。
インドにマレーシア、モンゴル米国日本など、7ヶ国(8名)の代表が、10分という持ち時間で世界自然遺産におけるエコツーリズムに係る取組を発表するというものであった。正直、インドの方の英語はほとんど英語に聞こえなかった。モンゴルの方は、発表の際は英語だったが、その後自国語を話していたので、何を言っていたのか全くわからなかった。もちろん、同時通訳機を介して聞くことができるので、支障はなかったが。蛇足ではあるが、同時通訳していたのは、グラミー賞やアカデミー賞、BS-1のニュースなどで同時通訳をしている人たちだった。
北海道知床、鹿児島屋久島の発表が立て続けに行われた。ちなみに発表者は、いずれの国も政府機関や道県職員といった「お役人」ばかりである。各国が10分ギリギリで発表を終える中、屋久島の事例発表は10分を超えるものとなった。別に熱弁を振るっていたわけではない。「時間を超えていますが…」と前置きしながら説明を続けていたが、世界各国が参加する会議で、10分という決められた時間が与えられている以上、最低限の決まりは守るべきであろう。後続の発表者への影響があることを考えなければならない。事前に発表までの準備期間があっただろうと思いながら、しかも同時通訳を介さなければならない他国ではなく、同国の人が時間オーバーしているという現実を目前にし、非常に苦々しい思いに駆られた。
全ての発表が終わり、ディスカッション(討論)に入る前に、10分間の休憩を挟んだ。ところが、この10分の休憩の間に、資料を持ってそそくさと会場を後にする人たちの姿が多く見られた。その中には、いわゆる「参加要請」があってやって来た「公僕」の姿も多数あった。
この分科会、興味のない人にしてみれば、何の興味もない話だろう。心情的にはわからないわけではない。しかし、「義理」だけで来るのであれば、最初から「参加要請」に応えず、来なければいいのではないか。「俺は仕方なくやってきたんだ」という顔をしながら、堂々と会場を後にするその中には、ある程度の要職にある人の姿も見受けられただけに、ただ愕然とした。
そしてそれは、そういった「公僕」のみならず、高校生にも見受けられたことには、更に驚き、失望した。同じ制服を着た高校生が大勢いたことも考えれば、義理でやって来た公僕と同じレベルのヤツもいるだろう。しかし彼らは一体、この会議にどういった気持ちで臨んでいるんだろうか。思わず「お前ら何しに来たの?」と声掛けしたくなる気持ちを、グッと飲み込んだ。
結局、約2割ほどが退席したのだろうか。相変わらず時間が押したまま、後半のディスカッションが始まった。
座長が悪いというわけではないが、どうも議論が弾まない。遠慮しているのか、質問の趣旨がわかりにくいのか。沈黙のまま数秒間が過ぎるなどといったことが何度も起こり、議論が噛み合わぬままに時間は刻々と過ぎていった。
会場からの質疑応答は、事前に質問用紙に書いて提出するというものだった。僕の渡された資料の中には、質問用紙すら封入されていなかった。
しかし、僕が聞きたかった内容については、他の方が同様の質問をしていた。ただし、僕が期待していた答えは遠く及ばなかった。
例えば屋久島の場合、離島には珍しく人口増加が続いているが、その根本的な理由というのが明白ではなかった。「自然遺産会議以降、観光業を営むために移住する人が増えたらしい。」などと、自然遺産会議を開催したことがメリットであるかのようなことをさりげなく口にしていたが、従来から農水業に携わる人の数が約半分に減っているのだ。農水業が後退し、観光業が飛躍的に抜きんでるといった屋久島での産業構造の変化が、何故起こったのか、結局わからずじまいであった。
知床の件についても、同様であった。自然遺産と地元住民の共存がどのように図られ、その中で環境観光という分野が、どういった位置づけとなり、また、農水業がどのように推移しているのか、期待されていた回答は全くなし。むしろ、「今後地域と連携をとりつつ…」などと、いかにもお役人らしい常套句ばかりを口にしていた。もっとも、限られた時間の中で、その答えを見出そうという僕の発想自体が無謀であったようだ。
最も象徴的だったのが某国(日本ではない)の方の発言。「ここに集まっているのは、政府や自治レベルの言わば公務に携わっている人たちであり、NGOや民間組織ではない。そういった人たちが一同に会し、議論の場を設けることに意義がある。ありがとう。」
申し訳ないが、議論が噛み合わず、自己主張が繰り広げられている中で、この分科会にどういった意義を見出せばいいのだろうか。
さて、いよいよ佳境である。最終日に提案されるはずの宣言に盛り込む、分科会からの提言がどうまとまるのか。
ところが、ここでも口をあんぐりとする事態が。
「さて、分科会からの提言ということでまとめに入ります。
今回の議論に関して、エコツーリズムのことを皆さんからいろいろ発表頂きましたが、事務局から示されている分科会からの提言案に、全て盛り込まれているようですので、これでまとめたいと思いますが、皆さんいかがでしょう。」
凄いまとめ方である。確かに時間はかなり押していた。しかし、どういった提言案なのか、オブザーバーである我々は知る由がない。
結局、誰も異論を唱えることなく、提言案は採択され、分科会は見事「定時」に終了してしまった。
帰りの足取りが重かった。雨はまだ降り続いていた。疑念ばかりが胸に残った。
あの分科会は、一体何だったんだろう?僕は何のためにこの分科会に足を運んだんだ?とてつもなく空しくなった。
結局のところ今回の「会議」は、何かを発信するといった意味合いのものではなく、単なる「実績作り」といった要素が強いように思われた。
そして、その内容にも大いに疑問がある。
つまり、皇族に気を配ることに全精力を注いだことで、会議そのものが「中落ち」のような状況にはなっていなかっただろうか。
事実、弘前やその周辺住民が、この会議の開催を心待ちにしていたという雰囲気は、どこにもない。
だからこそこれは、ごく一部の層によるごく一部の層のための、「実績作り」のための会議だったのだ。その中にあって分科会は、こういったことをやっていたという「アリバイ」でしかなかったのではないか。
ボランティアの人たちも、多くが「公人」であった。そして、そのボランティアの方の中からも不満が噴出していたそうだ。事前説明もなく、ただ行き当たりばったりで駐車場係に配置されたものの、どういったスケジュールで、どこに行けば昼食が取れるのか、そういったことは何も知らされなかったとのこと。
「臨機応変に」。この一言で済まされてしまったそうだ。
つまりボランティアに対しては、テロ対策はもとより、万が一の対処法すら知らされていなかったのだ。
ハッキリ言わせてもらうが、こんな体制では、今後こういったレベルの会議を開催する資格は、ない。
最終日の今日、会議の総括ともいえる「白神山地宣言」が採択されたそうだ。恐らくこれも事務局が、開催決定直後から昼夜問わず一生懸命に考えた案を、誇らしげに掲げたのだろう。ヨカッタヨカッタ。
今回僕は分科会に参加し、かつその「実態」を垣間見てしまっただけに、この会議そのものが、公人による公人のための、中身のない空虚なものに思えて仕方がなかった。残念だけど、それが現実だった。
大体会議が終わると、「喉元過ぎれば熱さを忘れる」で、結果オーライご苦労さんでシャンシャンと手打ち、である。
他国からやって来た人たちは、今回の会議にどういった評価を下すのだろう。青森県に、どういった印象を抱いたのだろう。運営方法に十分満足したのだろうか。
議論云々といったことだけではなく、運営方法やボランティアのあり方その他全てをひっくるめ、主催者である「青森県」は、いま一度今回の会議の内容を検証した方がいい。
強くそう思った。

4 thoughts on “役人による、役人のための会議

  1. Gunnie Orange

    不毛のうちに終わってしまったようで、残念です。
    うちの母も公人としてこの会議に出席したようですが、
    前列のオバチャンの一人でないことを祈る…。
    ”世界”会議なんだ、という自覚をもって臨まないと。
    p.s.
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  2. nonvey

    開催まで一生懸命頑張ってきた後輩の苦労も知っているだけに、見たくないところばかりが余計に目に付いたのかも知れません。みんながみんな、いい加減な意識で臨んでいるワケじゃないんだけど、僕の周りがあまりにも、ねぇ…。別にあら探ししにいったつもりじゃないんだけどね。
    こうやってたまにぐだめがねば、ストレス溜まってまるじゃ(笑)。

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  3. nonvey

    「動員」依頼ね。まぁ地元だし、やっぱりな。って感じ。でもさ、もっと一般の人が参加してもいいんじゃないかな?ってホント思ったよ。たけぽんは…行くわけないか(笑)。
    そうそう、その翌朝、大原の「さとちょう」にて、晴れ男を伴ったざわざわいっしー一家と出くわしたよ。晴れ男、デカくなったな。キミんとこの奥さんもかなりデカくなったでしょ(笑)。

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