発想の転換

気が付いたら、雪に対する感覚が麻痺しているようで、朝起きた時、5センチ10センチの積雪ではあまり驚かなくなってしまいました。やばいなぁ。
そんなわけでぼちぼちこの話も「ヤメ」にしたいので、今日は、地元の雪問題を、バッサリ斬り捨てたいと思います。
今年に入って直後にこの雪は降り出したわけですが、その時、除雪作業が追いつかず、市役所には苦情が殺到したとのこと。
恐らく、市ではこう返したことでしょう。
「市民のご理解とご協力を」と。


この時期になっても雪は減らず、除排雪の予算が底をついていることくらい、住民は知っています。でも、行政が「理解を」という以上は、行政が何かをやってくれるんだろうという、住民側の一種の行政依存が発生しているのではないでしょうか。
ここは思い切ってこう言ってしまえばいいんですよ。
「市の予算が底をつきました。市民に理解を求めるといいましたが、市としても限界です。ここは市民の、除雪に対するご協力をお願いします。手伝って下さい。」とね。
先日、地元紙には住民から「雪灯籠まつりで自衛隊が雪像造りに励むのもいいが、除雪への協力もお願いできないか。」という投稿が掲載されていました。ごもっともだと思います。
雪との生活は、この地に暮らす以上、切っても切れないことだと思います。ただ、ここ数年は暖冬で、雪に対する危機感や心構えが欠如していたのも事実。しかしながら、いざこういう状況になって、何もできずにただ呆然と降り積もる雪を見ているのも、よく考えると馬鹿馬鹿しい話。ここは一つ、発想の転換を。
黒石市では、町内で雪だるまを作るイベントが定着しつつあります。それを真似ろとはいいませんが、何か雪を目玉にしたイベントを改めて考えてみてはどうでしょう。
毎年2月に開催される「弘前城雪灯籠まつり」なんて、雪山で滑るのを楽しみにしている幼児や小学生、雪像造りに携わった人達だけが楽しんでいる感じがあって、何かあまり「市民のまつり」といった感じがしません。いっそのこと、「弘前市雪灯籠まつり」と称して、市内各所に雪灯籠を作ってみる。市内には、「○○町広場」といった、冬にはほとんど利活用されていない(無駄な)スペースが増えているのですから、ここで小さな雪像を作ることも選択肢に入れてもいいかも知れません。
まぁ、雪像造り自体が、何か札幌雪まつりの模倣といった印象が強くて、正直あまり好きになれないんですがね…(笑)。
雪にうんざりしている、除雪が来ないと嘆いているのであれば、この際自衛隊の協力も仰ぎながら、町内対抗「雪かきまつり」でも開催してみてはいかがでしょうか。開催できる日が特定できない、その年の降雪量によっては開催できないのがネックですが…。
それと、自宅の前のみならずついでに道路まで綺麗に除雪しちゃう人には、「除雪の達人」の称号を与えるといった認証制度を確立してみるとか(基準や判断は相当困難ですが)。
雪かきボランティアは絶対必要では。特に今年は、既に雪の重みで家屋が倒壊するという事故が頻発していますから。一人暮らしのお年寄りは雪かきもままならないわけですから、2月になると長期の休みに入ってしまう大学生を中心に、集中講義よろしくボランティア活動で単位付与…っていうのは無理かな?

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