一日人材力活性化研究会 in 青森

約10年前のことになるが、弘前市内のNPOやボランティア団体と行政との協働を考えるフォーラムに参加したことがある。ちょうどその頃僕は、大学院派遣研修ということで弘大大学院に在籍しており、県職員としての身分は置いたままではあったが、「大学院生」であることが「本業」となっていた。

会場には50人以上はいたのではないだろうか、NPOや住民団体関係者が多数集まっていたのだが、どうやら旧知の仲の方ばかりだったらしく、むしろ僕はその中にあっては明らかに浮いていた。

グループで討論を行うことになり、8人ぐらいのチームが編成され、それぞれ自己紹介。僕も大学院生の身分ではあるが、実は県の職員であること等を自己紹介した後、とある女性の番に回った時だった。

「蒔苗さんでしたっけ?貴方には申し訳ないけど、私、県とか市とか全然信用してないの。行政って、大嫌いなの!」

あまりにも突然すぎるその言葉に、ただただ唖然とするしかなかった。
この人は何を言っているんだ?
僕個人に敵対心を抱いているのではないことだけはわかった。ただ、行政に携わる者の一人としてノコノコとやってきたことが気に入らないのか、それとも、何か伏線があったのか…。とにかく、行政側の人間であるということだけで、露骨に嫌悪感をあらわにしていた。

さて、この後僕が取った行動はどれでしょう。

(1)その女性に対し、行政の何が悪いのか説明しろと詰問した。
(2)黙りを決め込み、その後一切発言しなかった。
(3)怒りの表情のまま、すぐ会場を後にした。
(4)徹底的にその人を無視してグループ討論を続けた。

答えは(2)。ああ、こういうことを言われてしまっては、僕が何を言ったところで否定されるだけ。何が協働だ?笑わせるな。こんなの形式だけの不毛な討論じゃねえか、ということを心の中で感じながら、身振り手振りを交えて「協働とはさもありなん」と持論を展開する方々を横目にすっかり興醒め、一切発言することをやめた。

その後も、その女性を幾度となく新聞記事で目にすることがあったが、その日以降、どうもNPOや住民団体に対するアレルギーというか(嫌悪感にも似た)抵抗感というか、そういったものが芽生えるようになってしまった。

協働なんて、結局自己満足なんじゃねえの?
大学院の修士論文のテーマも「行政との協働」について書いていたのだが、この一件があってからすっかり思考が停止し、他人に見せるのも恥ずかしいぐらい散々な内容になってしまったことは、今だから告白しよう。

あれから10年が経ち、東日本大震災が発生、NPOやボランティア組織が精力的に活動する様を目の当たりにした。実際僕自身、わずか4日間ではあったが宮古市でお手伝いさせて頂いた時も、盛岡市のボランティアセンターに登録をしてやってきたボランティアの方々が大勢いたし、先日もテレビを観ていたら、震災直後に行政が対応を躊躇している中、NPOがその代役として、率先して行動を取っていたことを改めて知った。

こういう見聞が、僕自身の中ではちょっとした変化に繋がったようで、気がついたらNPOやボランティア組織に対するアレルギーはほとんどなくなっていた。

10年前のその女性が、今どこで何をしているのかは知らないし、別に知ろうとも思わないが、とにかく、そういう考えを持っている(いた)のは、むしろほんの一握りなんだろうと考えるようになった。

震災後、地域のあり方や人と人との繋がりがクローズアップされるようになり、その中にあって、地域や組織をまとめ上げるリーダー役の存在が、大なり小なり影響を与えている。
地域の活性化や再生に欠かせないのは、言うまでもなく人の力。
僕は、1年以上前からFacebookを通じてそれまで全く接する機会のなかった地元の大勢の方々といろんなご縁を頂くことになり、「人の力」というのを実感している。

そして、将来の地域を支えて行くであろう人々がこのFacebook上に溢れかえっていること、そして、そういった方々と繋がりを持てたことに、大きな期待感を抱いている。

そんな中、総務省が主催する「一日人材力活性化研究会 in 青森」が開催されることを知った。
これは行かねばならないでしょう!という使命感を覚え、24日午後から休暇(代休)を取って、青森市の「ワ・ラッセ」へと向かった。

会場に入ると、約100名の人たちが集まっていた。どうやら行政職員が半数以上を占めているようだが、必ずしも県の職員ばかりではなかったようだ。

第一部は八王子市にあるNPO法人フュージョン長池の理事長を務める富永一夫氏と、総務省人材力活性化・連携交流室長による対談式の基調講演。

第二部は(株)価値総合研究所の目黒パブリックコンサルティング事業部長をコーディネーターに据え、パネリストとして赤羽消防団副団長の小沢浩子氏、日本マイクロソフト社の松原朋子氏、青森公立大学の佐々木俊介教授、十和田市のNPO法人十和田NPO子どもセンター・ハピたの代表理事の中沢洋子氏、あおもり立志挑戦の会の若井暁会長をパネリストに迎えたパネルディスカッション。コメンテーターは前述の富永理事長。

13時30分から17時30分過ぎまで、10分間の休憩を挟んでみっちり約4時間。非常に有意義なセミナーだった。
青森県には「人づくり戦略チーム」という組織があるのだが、総務省によると、他県ではこのような組織がないとのこと。行政主導で人づくりに力を入れ、しかも重点的に予算配分をしているのは凄い!と富永理事長が驚いていた。

パネルディスカッションで印象的だったのが、あおもり立志挑戦の会の若井会長の発言。
「青森の人に、どこかいいところはないかと聞くと、「ない。」と答える人が多い。もし沖縄で同じことを聞けば、色々出てくるはず。青森にやってきた観光客が同じことを聞いて、「ない。」と答えられると、どんな思いをするか。」
「青森には、ただただ「凄い人」がたくさんいる。」
その発言に頷く人も多数いたが、僕もその一人だった。

富永理事長によれば、青森が人材力の活性化において、国内の先駆的地域になり得る可能性を孕んでおり、遠方ではあるが、協力は惜しまないとのこと。
自分の中でモヤモヤしていた、燻っていたものが、何か吹っ切れたような、そんな晴れ晴れとした気分で会場を後にした。要は、自分がやれることをやればいいんだ。次は、それが何かを探さなければならないのだけれど。

以下、自分用の備忘録。

「リーダー」とは。
・昔の「リーダー」像は、「俺についてこい」という牽引役。しかし、昨今では個々人の求める理想像が多様化し、「俺についてこい」では誰もついてこない。むしろ、お世話役(裏方?)に徹するリーダーが求められている。
・犬を散歩に連れて行く時の紐を「リード」「リーダー」という。牽引する紐、それがリーダー。ところが、リーダーを和訳すると「指導者」。「指」差しで「導」くのが、「リーダー」。引っ張るのではなく、導いてやるのがリーダーの役割では。
・リーダーをサポートする「補佐役」も重要。そしてその補佐役もまた、小さなリーダーである。リーダーのお世話をしつつ、されつつ。アシスタントとリード役、双方を持ち合わせている補佐役。得意技を持っている協力者がリーダーには必要。

【私見】牽引役としてのリーダーではなく、コーディネートをしっかりできるリーダーが求められている。

「人材」について
・よく耳にするのは、「この地域には適当な人材がいない。」→これは間違い。口にはしなくとも、何かやろうとしている人は皆人材である。
・地域とは、個々の個性、パーツの集まり。得意とする分野、適性を持った人たちがパーツとして結びつく。
・その中にあって「ちょっと困った人材」。それ相応の役職にあった人たち。ニュースの受け売り的な知識をひけらかし、それを強要しようとする人。頭でっかちな人。誰かにやらせることが身についてしまった人。自発的に挨拶ができない人。電話が取れない人。
※役所や民間企業で要職にあった人に多い。こういう人たちは、実は地域からは相手にされていないケースが多い。
・地域内で仲良くするためには、まず「そうですね」という相づちYes。その上で、「ところであなたはどう考えますか、どうしますか?」と逆に問う。行動できない人は、そのまま離脱してしまう。

【私見】相手を否定するのではなく、まず相手を認めること。自分自身も人材となりうることをイメージする。

「行政との関わり」について
・職員も一住民の立場。行政の立場だからといって特別視をしない。立場の中でできることを発揮する。
・地域において利害関係を有さず、コーディネートできる立場にあるのが行政。ただし、頼りきることはよくない。
・地域と上手く人間関係を築くためには、相手のことをよく知ること。
・行政も子どもも一緒、褒めなければ育たない。ただし、行政の立場にある相手には失敗をさせないこと。
・行政は、ルールを破るところまでは踏み込めない。できるところまでしかやれない、わからないという
立場を踏まえ、「行政だから」といって強要をしない。
・適正な配慮なくして市民協働はない。よかれよかれと頑張ると、双方が破綻する。

【私見】行政に下駄を預けることは禁物。震災への対応を見てもわかるとおり、行政はオールマイティではない。

総務省の人材力活性化研究会(前述の富永理事長、小沢氏、松原氏もこのメンバーとのこと)の最終成果物が、HP上に掲載されています。何らかの気づきやヒントになれば幸い。

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