破壊と、創造と。~それぞれの3.11~


形あるもの、いつかは壊れる。

平成23年3月11日14時46分、まるで地面の底から誰かが揺さぶるような長く不気味な揺れがしばらく続いた。

そして、先人が築き上げ、長年にわたって守り続けられてきた歴史や文化、その他様々なものが破壊され、多くの命が奪われた。

あの日から10日が経って、まるで備忘録のように書き殴り、投稿した記事がある。

そして、10日以上が過ぎた。

だけど、この記事を投稿した翌日に僕は、ラーメンの記事を投稿していた。
結局のところ完全に他人事、遠くの地で起きた大変なこと、ぐらいな認識しかしていなかったということなのだろう。そう、阪神淡路大震災の時のように。
…ただし、この直後、宮古市に足を運ぶまでは。

宮古市・災害派遣レポート

この時の経験と見聞は、僕の価値観や色んなものを根底から覆すことになった。

自分の最期を考える

しかし、その時から数年間、被災地に足を運ぶことはなかった。…いや、もしかしたら何かのきっかけがなければ、ずっと足を運ぶことはなかったかもしれない。それぐらい僕にとって宮古市での経験は、ショッキングだった、ということは今だから明かそうと思う。

そして、何の因果なのか震災から4年後の平成27年から、復興関連の業務を行う所属に配置換えとなり、その年の4月に再び宮古市を訪れ、復興の現状を自分の目で肌でしっかりと確認することになった。

その後毎年のように繰り返される組織改編に巻き込まれることとなったが、宮古市以外にも岩手県北地域や仙台市にも何度も足を運ぶ機会を得た。

気がつくと今年で復興関連の業務に携わって3年目となった。とはいえ業務への関与はかなり薄れてきており、そろそろ僕自身がこの関連の業務担当から外れるんじゃないかと考えているところ。

破壊されたものは、再び創造される。
スクラップ・アンド・ビルド。

岩手、宮城、福島の3県に比べたら被害の規模は大したことはないとはいうものの、青森県でも3名の方が亡くなり、1名の方が行方不明となったほか、建物の全半壊は約1000棟に上った。

青森県は単なる復興にとどまらない、創造的復興の実現を掲げ、今も様々な事業や業務に取り組んでいる。

創造的復興の実現に向けて、着実に歩みを進めているが、この日までに創造的復興が実現される、ということが示されることはないだろう。
なぜなら、数字だけでは語ることのできない、心に傷を負った方々が未知数おり、心の復興がいつ実現されるかは、誰にもわからないから。

平成30年3月11日、青森県知事からのメッセージ


3.11ばかりが特別な日ではないのかも知れないけれど、せめてこの日ぐらいは、震災当日に自分がどんな行動を取ったのか検証してみませんか。そして、その行動は本当に正しい選択だったのか、どんな行動をすべきだったのか、実は自分には何か他にできることがなかったのか、考えてみませんか。

その一つ一つの考察が、たくさんの命を救うことになるかも知れません。
その一つ一つの検証が、これからの防災や減災に必ず役に立つはずです。

残念ながら僕たちは、過去という日に戻ることはできません。だからこそ今できることを、これからできるかも知れないことに想いを巡らせる。

僕にとっての3.11は、そんな一日です。


投稿者: のんべ

1971(昭和46)年 青森県生まれ。弘前市在住の青森県職員。 プリンスとビールと豆腐とラーメンを愛する。安い一眼レフカメラでいかに安っぽくない写真を撮影するかに興味あり。 ブログの内容の多くは、いつの間にか趣味となった「走ること」がメインです。

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