意見広告

青森県津軽地方を購読エリアとする陸奥新報に、今朝こんな意見広告が出されていた。広告を出したのは、弘前市内のお医者さんだ。

「政治屋はいらない 政治家はいないのか」

何に対しての嘆きなのか、誰に対しての皮肉なのかは知る由もない。しかし、一面に堂々と掲載されているこの広告は、なかなか過激な印象を受けた。

でも、政治家と政治屋ってどこでどうやって線引きをするのだろう。

自分の仕事の関係や父のお付き合いの関係もあって僕は、今でも政治に携わる方々と接する機会がそれなりにあるのだが、少なくとも僕の周りで「私は政治家です」と公言する人はいなかったし、ましてや「政治屋です」という人もいなかった。ただ、そういう政治に携わる人の周りに、まるでコバンザメのようにまとわりついている「政治屋さん」みたいな人はいたような気がするけど。

今の「政治家」といえば、なんかマスコミによって仕立て上げられているというか、テレビに出て立派なことを言えば政治家面できる、みたいな風潮があるような気がしてならない。政治家といえば何にでも動じない、威風堂々とした印象を持つのだが、少なくとも今の政治を見ていると、なんか軽々しいというか、威厳がない。エンドレスのオセロを興じているような感じだ。
まぁ、僕からすればお笑いタレントを前に、したり顔で持論を展開する彼らこそが「政治屋」の典型だと思っているのだけど。

「政治家」についてWikipediaを参照すると、「政治よりもお金や権力など利権を得ることに熱心と思われる政治家を蔑称して政治屋(せいじや)と呼ぶこともある。日本の政治家の中に、特定の業界の単なる代理人でしかない者や暴力団と深いつながりを持っている者がいることも、こうした揶揄を生む理由となっている。」とある。

今となってみればうちの父は、利権を貪っていたわけではなかったし、僕の知る限りでは権力を欲する人でもなかった。そういう意味では政治屋ではなかったかも知れない。でも、政治家だったかといえば…うーん。ちょっと違うな(笑)

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