生きてることが辛いなら

生きてることが辛いなら いっそ小さく死ねばいい
恋人と親は悲しむが 三日と経てば元通り

森山直太朗が歌った表題の楽曲は、歌詞の内容が自殺を助長するのではないかと賛否両論を巻き起こした。
ところがこの騒動は、冒頭の歌詞が過激だっただけに起こったものだが、一方でこれを大々的に報じたマスコミも、曲の全容を捉えないままにこの内容を取り上げたため、結果的には騒動に火に油を注ぐ格好となってしまった。
個人的には、昔BOOWYが歌っていた「MORAL」という曲の歌詞の方がよほど過激だと思うのだが、何せ時代が時代だけに、こういう歌詞にはみんな敏感にならざるを得ないのだろう。

…なんてことを他人事のように冷静に語っている僕って、何なんだ(苦笑)。

だけど僕はこの曲が好きだ。歌詞を断片的に拾って批評することが簡単なのであれば、僕はこの断片を拾って、これからも精一杯生きようと思う。

生きてることが辛いなら 悲しみをとくと見るがいい
悲しみはいつか一片の お花みたいに咲くという


さて、5月8日はこの楽曲を歌う森山直太朗のコンサートだった。
いきなりセットリストから。

森山直太朗コンサートツアー2009「どこまで細部になれるだろう」
(09.05.08 青森市民ホール)

(オープニング)
故郷(新曲)
君は五番目の季節
生きとし生ける物へ
明けない夜がないってことを明けない夜に考えていた

夏の終わり

(屋根の上の弾き語りコーナー)
青い瞳の恋人さん
平凡ぶる~す

高校3年生
愛し君へ
涙(新曲)
太陽
風曜日
Q・O・L
今が人生
生きてることが辛いなら

(アンコール)
グングルパーニャ(新曲)
さくら
(セットリストは、てのりのり店長さんのブログ「てのりのり店長のことだま」から拝借

18時35分に始まって、アンコールを含むすべての公演が終わったのが21時05分。
18曲という演奏曲数も、コンサートそのものの長さも、他のコンサートと比べれば決して多い方ではない。実際MCの時間も比較的長かったのだが、むしろ観客を楽しませるような一芝居もあったりして、観ている側にしてみると、全然退屈しなかった。
ただ、いきなり知らない曲から始まったので、ほとんど予習をしていなかった我々(夫婦)は冒頭から面食らってしまった。(僕らが唯一予習に使った)直近のアルバム『諸君!』よりも、その前のアルバム『風待ち交差点』に収録された楽曲の方が多く演奏されていたようだ。ベスト盤『傑作撰』に収録されていた曲も多く演奏されていたことが幸いし、「聴いたことがある」楽曲が多く演奏されたような気分になったのだろう。

約900人を収容する会場はほぼ満員で、客層は男女比が2対8、あるいは1.5対8.5ぐらいの割合で、圧倒的に女性が多かった。年齢層は本当にバラバラだったのだが、平均年齢は結構高そうな感じだった。客層の前列には、FC経由でチケットを入手したと思しきかなりコアなファンが陣取っていたようで、その他にもかつて森山直太朗のライブを観たことがあるという人が2割ぐらいいたようだった。
僕らの席は前から12列目の右端だった。が、会場はかなりこぢんまりとしており、オペラグラスや双眼鏡といったものは全く不要だった。
ただ、右端ということもあってスピーカーからの音をまともに受ける位置にあり、これまで聴いたどのコンサートと比較しても、音に関してはちょっと閉口せざるを得なかった。
大がかりなセットがあるわけでもなく、ステージを構成するメンバーも森山を含めて5名しかいない。ウッドベースを弾く人、どこかで見たことのある人だなぁと思ったら、PONTA BOXにも参加していたバカボン鈴木さんだった。この人、お坊さんなんだよね、確か(笑)。それはともかく、スピーカーが正面にあるということもあり、ベースの音がズンズンと腹の底に響いてくる。

そもそもこのコンサートを観たいと言い出したのは妻だったのだが、実のところ僕自身も「さくら(独唱)」そして「生きてることが辛いなら」といったナンバーを生で聴くことができるということに異論はなく、むしろ僕の方が楽しみにしていたといっても過言ではないかもしれない。

てっきり何度か青森での公演を行っていたと思っていたのだけれど、実は今回が初めてのコンサートだという。そういえば「さくら(独唱)」の時に青森にやってきたと思っていたのは、コンサートではなくプロモーションを兼ねた路上ライブだったようだ。

コンサートが中盤から終盤に進むにつれて、徐々に盛り上がる会場を見て「さすが祭りどころ!」と納得の表情を浮かべていた。
個人的には、「さくら(独唱)」と「生きてることが辛いなら」、この2曲を生唄で聴けるだけでいいと思っていたが、中孝介に提供した「花」や、「夏の終わり」「生きとし生ける物へ」「今が人生」といった曲を生で聴くことができ、大満足。
とりわけ、本編ラストナンバーとなった「生きてることが辛いなら」が始まったときは、身震いするような言いようのない感情がウワッとこみ上げ、いろんな思いが去来したこともあって、涙をこらえるのが結構大変だった。
そしてアンコールの最後を締めくくった「さくら(独唱)」。
僕はこの曲のピアノの前奏を聴いただけでウルッと来てしまうのだが、それを生で聴いていることが何だかとても不思議で、本当に胸が熱くなった。たぶん、「生きてることが辛いなら」と「さくら(独唱)」を立て続けに演奏されていたら、僕の涙腺は確実に決壊していたことだろう。

彼の楽曲は決してネガティヴではないと思う。むしろ人間の「生死」というものに対して真摯に向き合っている内容であり、共作に名を連ねる御徒町凧(おかちまち・かいと)氏による歌詞は、どことなく哲学的でもある。その歌詞を丁寧に唄い上げる姿には、まだ33歳という若さにもかかわらず、時折深い重みを感じる。

本編が終わる頃、彼は「来年また会いましょう!」なんて言っていた。来年また青森にやってくる、ということなのだろうか。
でも、願わくは今度は弘前で、桜の花が咲く時期にこの曲を生で聴いてみたい、なんていうのは贅沢すぎる願望かも知れない。意外と八戸公演というオチが待っていそうだけど(笑)

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