お岩木山

青森県、とりわけ津軽地方に住んでいる人たちは、岩木山に対する思い入れをそれぞれ持っていて、特に、自分の住んでいる場所から見える岩木山こそが一番だという自負を抱いている。

岩木山は言わば山岳信仰の典型である。旧暦の八月朔日に岩木山頂の奥宮に参拝する「お山参詣」のように、岩木山を崇拝する行事が未だ受け継がれているし、「お山参詣」の時期に合わせて、一般の方々でも気軽に参加できる「レッツウォークお山参詣」といった、口に出すのも恥ずかしい最悪なネーミングの体験型ツアーも企画されている。

そういえば「岩木山(いわきさん)」は、「お岩木山(おいわきやま)」と呼称するケースが結構あるように思われる。
青森県には岩木山の他に、八甲田山や釜臥山、階上岳など数多くの山があるが、「お」を冠して呼ばれる山は、岩木山以外にほとんどないような気がする。
日本一の山と言われる富士山についても、尊敬の意を込めて「お富士山」と呼ぶ人は滅多にいないはずだ(群馬県に「お富士山古墳」なるものはあるらしいが)。

それだけ岩木山は信仰色の強い山なのかも知れないし、津軽の人たちが、岩木山に対する畏敬の念を強く抱いているといっても過言ではないだろう。


ちなみに、どこから見る岩木山が一番美しいかという議論は、津軽を訪れた時には絶対にすべきではない。なぜなら前述の通り、津軽の人たちは自分の目に焼き付いている岩木山こそが一番美しいという絶対の自負を密かに持っているからだ。だから、○○から見た岩木山こそが一番美しい、なんて口にしたら、○○の地域とは疎遠な人たちから猛バッシングを食らうハズだし、ちょっと間違えれば険悪な雰囲気にもなりかねないので、本当に気をつけた方がいい(弘前公園のさくらより××の方が綺麗だ、と言われた方がまだマシかも知れない)。

ただ、新築したお宅に招かれた時には、「立派な建物ですね」や「素晴らしいお庭ですね」などと歯の浮いたような褒め言葉をぶつけるよりも、「ここから見える岩木山はホント綺麗ですね」というのが、実は最高の褒め言葉ではないかと思う。もっとも、岩木山が望めるということが最低条件ではあるが、建物そのものよりも岩木山が見える景色を褒めた方が、建て主が喜ぶ、というのはまんざらウソではないと勝手に思っている。

ここ数年で我が家の周りも建物がどんどん壊され、気がつくと家から県道へと抜ける通路の途中から、全景ではないものの岩木山が望めるようになった。岩木山の中腹あたりに電線は走っているものの、禅林街の木々の奥に鎮座する岩木山の姿は、それなりに綺麗だと思っている。

数ヶ月前、確か雪が降る直前だったと記憶しているが、空が白み始めた早朝に家から出て岩木山を見てみたら、朝日に照らされて全体がオレンジ色に輝いていた。更に、その北側には間もなく西の空に沈もうとする白い月。

雲一つない冷え込んだ朝、まだ灰色がかった空色の中に鎮座するオレンジ色の岩木山と白い月の姿に、思わず息を飲んだ。

恐らく、これまでの日常生活の中で見てきた岩木山の中で、一番印象に残る姿であり、一番美しい姿であった。

あの時シャッターを切らなかったことを、僕は未だに強く後悔している。

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