還暦親父、一喜一憂

実は、ここしばらく日記投稿を控えていたのには、非常に大きな理由がある。
というか、これが一番の理由だったといっても良いだろう。
結果も出たことだし、今日はそのことに触れよう。長文駄文失礼。

単刀直入に種明かしをするならば、その理由というのは「統一地方選挙」である。
この件に関しては一切黙りのつもりだったが、愚息の「しるし」としてここに残しておこうと思う。
かなり生々しい記録ではあるが(笑)。


何を隠そう父は、弘前市の市議を2期務めたあと(ちなみに諸般の事情により、いずれも任期を全うしたことがない)、何を血迷ったのか突然県議への鞍替えを模索し始め、家族の猛反対を押し切って出馬したものの、ものの見事に落選の憂き目に遭ったという経験を持つ。

今からちょうど4年前、県議選投開票日の翌日。我が家は水を打ったような静けさであった。時折かかってくる電話に応対する母からは嗚咽が漏れ、まるで誰かが亡くなったのだろうか、というくらい重苦しく悲しい空気に包まれていた。
父は「もう政治の世界からは足を洗う」と事実上の引退宣言。
そして、我が家はあの日から辛酸を舐め続けるという日々が続いたが、徐々に心の痛みも和らいでいった。このまま、ごく普通の生活に戻るんだろうと思っていたら…。

昨年暮れ辺りから、父の不穏な動きが再び見え隠れし始めた。足を洗ったはずの政治の世界に、父がまた足を踏み入れようとしている。容易にそれを悟った家族の足並みはまた乱れ初め、各々のベクトルが全く別次元を向き始めていた。何をしたいのか口を割ろうとしない父の真意を測りかね、イライラが募る。辛らつな言葉をぶつけ合う日々が続いた。
ところが、ひょんなことをきっかけにベクトルは再び同じ方向を向き始め、2月中旬には、いよいよ父を何とかしなければならない、という空気が我が家の中にも漂い始めた。
しかし、ようやく家族が意を決した時は既に3月。その間、父は地味に選挙に向けた運動を続けていたとはいえ、そのスタートはあまりに鈍く、現職からは大きく後れを取っていた。いくら「前回県議選に出馬した知名度がある(某氏・談)」とはいえ、市町村合併を経た在任特例期間満了後の市議選に出馬するというのは、ある意味相当な「賭け」であったともいえよう。なぜなら、合併により選挙エリアは2倍近くに広がるとともに、旧町村議の鬼気迫る旧市部への食い込みは、もの凄い激しさを増していたからだ。しかも、父が市議選に出馬するのは8年ぶりのこと。世代交代も始まり、しかもかつての盟友を政敵に回した父の戦いが盤石でないことは、愚息にでさえ容易に想像できた。

そして4月14日告示。遂に1週間の長い戦いに突入。34の議席を44人で争うという激戦が始まった。
当然公僕である愚息は何もすることができず、ただその活動を遠目に見聞きすることしかできないという、実に歯痒い1週間であった。

「もう大丈夫だ。」「いや、当落線上だ。」「どうやら危ない。」
いろいろな情報が伝わってくる。

しかし、一瞬流れた「もう大丈夫だ。」という空気が、不吉な予感を漂わせていた。前回も同じ様な雰囲気から気が緩み、フタを開けてみるとぶっちぎりの最下位だったという「実績」があるからだ。

そんな父は、選挙期間中の18日に還暦を迎えた。
事務所へ出向くことすら出来ない愚息らは、還暦のお祝いにと、共同出資で赤いネクタイを送った。
その日の運動を終え帰宅した父は、恥ずかしそうな笑みを浮かべながら一言「サンキュー」。

あとは、22日に花を咲かせてくれれば何も言うことはないのだが…。

そして、長く辛く苦しい1週間を終え、迎えた22日。
思った以上に有権者の関心が今ひとつだったこともあり出足は鈍く、旧町村部では相当投票率が上がったものの、旧市部では相変わらず伸び悩み、結果的に最終投票率は60%を割り込んだという。
ざっと計算したところ、ボーダーラインは約2,000票。
とりあえず2,000票確保できれば…。

そこから長い夜が始まった。
第一報は開票作業を見つめる支持者からだった。
「出足は順調。まもなく1,500票の山を作る。今のところ4?5番手に付けている模様。」
吉報を待つ家族に、安堵の空気が流れる。これなら早い段階で当確の報が届きそうだ。

ところがその直後、信じられない電話が。
「ゴメン、さっきのは隣の候補者だった。まだ500票だ…。」

ただただ唖然としながら、家族の間に緊張感が走る。

更に追い打ちを掛けるような電話が。
「伸び悩んでいる。厳しい。」

そしていよいよ痛恨の一撃。
「どうやら駄目っぽい…。」

父の表情はみるみる曇り、母も明らかに動揺している。
やはりそうか…。また4年前と同じ轍を踏まなければならないのか…。とっさに浮かんだのは、遠方にいる妹の顔だった。一体何と説明すれば良いんだろう…。
とりあえず妹には、「どうやら駄目っぽい」というニュアンスのメールだけ送信する。

その後何度もかかってくる、どうでも良いような内容の電話に気を揉みながらも、苛立ちを隠せない父母。

その直後かかって来た電話に、とうとう父が噛みついた。
「どうやら大丈夫らしい。下に12人いる。」
「どうやら何々らしいとか、多分何々そうだとかいうのはもういらないから、確定してから電話をくれ!」
一瞬鬼のような形相になった父。
それでもまだ可能性は捨てきれないということで、ますます緊張感が漂い始めた。
午後11時。開票所にはいない筈の、別の支援者から電話が。
「マガさんおめでとう!大丈夫だって!34人の枠に入ったよ!」

突然飛び込んだ朗報も、二転三転する情報にすっかり疑心暗鬼となってしまった父と母の耳には届かない。そしてそれは父母だけではなく、愚息も同じだった。

その直後、再び開票所から。
「大丈夫だ。下に14人いる。」
「本当だな。ホントに大丈夫なんだな?」
何度も念を押す父。母は抜け殻のように崩れ落ち、ようやく見えた光に安堵の表情。この一ヶ月間、一番労苦を味わったのは、間違いなく母だろう。やっとその苦しみから解放される、しかもとりあえずいい形で結果が出たことに、本当にホッとした様子だった。

一刻も早く支持者と顔を合わせたい父は、我々が送った赤いネクタイを締めて、支持者の待つ選挙事務所へ出かける準備を整えていた。
春の訪れを待ち続けた小さな花が、ようやく満開になった瞬間だった。

三度「当選確実」の報を受け、それでもまだ訝る父母を送り出し、愚息もようやくホッと一息ついた。
直後、テレビでも当選確実の報が流れた。張りつめた空気から解放され、ドッと疲れが…。

結局、下から5番目で辛うじて当選。
過去の得票数、順位いずれも下回る結果に終わったが、過去において一部の支持者に裏切られ、父も一部の支持者を裏切ったことは否定できない事実だし、そのことが票の伸び悩みに繋がったことは間違いない。しかし、バックアップしてくれる大きな組織もない状況の中、ここまで食い込んだだけでも良しとしなければならない(正直言うと、より上位での当選を祈念していた愚息としては、この結果は心中穏やかではないが…)。

トップでもビリでも当選は当選。しかし、当選と落選では、天国と地獄のような差がある。
身をもってそのことを知っている父にとっては、良い意味で戒めになったことだろう。
もっとも、今回は一度地獄の縁に立たされながら、そこから何とか天国への階段を上り詰めたような気分だが。

あとは、議員としてこれからの4年間をどう過ごすかが、今後の鍵を握ることだろう。
今回の結果を肝に銘じ、驕ることなく任期を全うして欲しい。
それが、愚息からの切実なる願いだ。

4 thoughts on “還暦親父、一喜一憂

  1. ペーズリー

    お父様のご当選、おめでとうございます。
    私もパート先の隣が選挙事務所で(当選されました)、パート先が酒屋のせいか、お祝いの配達はお断りしないとダメ、とか言われたけど、手持ちの方や遠くへ送る分などの御当選御祝の熨斗は書きました。
    でも、お隣でやっているのを少しですが見てて、沢山の熱心なスタッフに支えられていないと出来ない仕事だなぁ、と思いましたよ。
    一番?身近なnonveyさんも、これからしっかり応援してあげて下さいね?。

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  2. ぎらり

    もうハラハラして読みました。
    nonveyさんの心中もさぞやとお察しします。
    お父上様のご当選、おめでとうございます。
    しかし、お父さま、私よりお若いのね、ガーン。

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  3. こう

    当選おめでとうございます。
    選挙は家族にとっては地獄でしょうね。
    色々言われますからね。
    辛いこともあるでしょうけど、がんばってほしいですね。

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  4. ラヴ

    ご当選おめでとうございます!
    お父様には、色々とビジョンがあっての再挑戦なのでしょうし、
    県政の為にご尽力されることと信じています。
    還暦を迎えられ、尚もこのみなぎる気力は素晴らしいですね。

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