同期のサクラ

大学卒業後に今の仕事に就いて、早いもので13年の月日が経とうとしています。
部署を変わるたびに全く異なる仕事に就くことになるため、異動直後は日々是勉強の毎日。苦労しながらようやく仕事を覚えたと思えば、また異動が待っています。今年もそんな異動の時期が近づいてきました。変わるかな♪変わらないのかな♪
僕の年代は、団塊の世代ジュニアの世代と言われていて、採用人数が非常に大勢でした。全部で100人を超えていたんじゃないかな?恐らくあと3?4年遅れてこの世に生を受けていれば、今の仕事に就くことはなかっただろう、そんな気がしています。
そんな平成5年の同期組。ある人に言わせると、非常に個性的なメンバーが揃っていると言います。裏を返せば、「変わり者が多い」ということなのでしょう。
僕より数十倍我が儘なヤツ。一度決めたら言を左右にして絶対譲らないヤツ。口先だけで出世階段を登るヤツ。休み癖が抜けないヤツ。とかく、自己主張の激しい連中が多いことは、自分も含めて何となく否定できない事実であるような気がします。


さて。
そんな同期の中でも、比較的仲の良いO君。「君」付けしていますが、年齢は僕の一つ上で、高校の先輩に当たります。しかも彼は高校の時に硬式野球部に在籍、一方の僕は応援団員だったということもあり、その頃から顔見知りの存在でした。大学では学部は違うけれど同期、新採用研修も一緒、中堅職員研修も一緒と、何かと縁のある人です。決定的な違いは、彼が技術畑、僕が事務畑ということかな。
昨晩は、そんな彼を囲んで飲み会が行われました。
待ちに待った祝賀会。
ちょうど僕が三十路に突入、大学院の修士課程に進んだ時、彼も同じ大学の博士課程に進みました。彼のような存在は当時は珍しく、ちょっとだけ新聞にも掲載されました。
どちらも「派遣」の身分でありながら、僕は「完全移籍」で大学院に籍を置いていましたが、彼は「働きながら」の身分で大学院に籍を置いていました。
在籍中は、大学の図書館でたまに会うこともありました。しかしそのほとんどは夜遅くなってから。彼は通常の勤務を終えてから、大学図書館に足繁く通っていたわけです。
通常の修士課程は2年で修了、一方の博士課程は3年の期間を要します。結局彼は勤務と勉学との両立に苦慮し、論文をまとめることができず、3年間で博士課程を取得することができなかったのです…。
それまでの3年間は「派遣」という身分でしたので、職場からの金銭的な負担がありました。しかしながら、結局4年目は自費で通学。しかも残された期間は今年1年のみ。今年論文が仕上がらずに博士号を取得できなければ、全ては水泡に帰す、そんな崖っぷちの状態でした。
論文が何とかまとまったことは人づてに聞いていたのですが、昨日になって結果発表があり、4年越しで無事博士課程の修了が決まったとのこと。要するに、博士号取得というワケ。
目標は異なれど、同じ道を歩んだ者として大変嬉しい知らせでした。
で、昨日はそのお祝いというわけで彼を囲んだワケ。
それにしても彼の言動を見ていると、とても「博士号」を取得したとは思えぬユーモアぶり。彼の周りには常に笑いが絶えません。
彼の巧みな話術や笑いを取る間合い、それでいて周囲の人に対する気配りは、見ていて本当に見倣いたくなります。
「○○さん、博士号落ちればいいと思ったでしょ。」
「ああ。それネタにすればあと3回は飲める。」
「ワハハ」
「○○さん、お宅の小屋ってサティアンみたいですよね。」
「まぁな。パナウェーブ集めて漬け物作ってるからな。」
「それ言うならスカラー波でしょ。」
「ワハハ」
活字にすると実に他愛のない下らない会話ですが、こんな感じで2時間ぶっ通し。放送コードギリギリの話なんかも飛び出したと思いきや、真っ白で濃厚でフルーティーな自家製ダグ(密造○)まで登場、危うく腰が立たなくなりそうでした。あんたたち、職場じゃ絶対こんな話してないでしょ!
とにかくずっと笑いっぱなしで、あごが疲れました。それにしても、彼のことを思って祝賀会を開いてくれる、これも彼の人柄なんでしょうなぁ。
博士になっても白紙になっても俺の中では3本の指に入る「誇れる同期」。一気に将来の部長候補に浮上。俺、一生ついていきますから!!(笑)
ところで。
余談ではありますがこの地元大学院への派遣制度、彼と僕の派遣を最後に「打ち切り」となりましたとさ。
前例主義撲滅バンザイ!ワハハ….(汗)。

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