「死」への意識

祖母は同居していないんだけど、年が明けると卒寿(90歳)になる。最近、周囲のお友達がどんどん先に逝ってしまうことに一抹の寂しさを覚え、すっかり元気がないらしい。
祖母からの「最後のお願い」ということで、6月には東京都内(といっても山奥の方だ)に住む(僕の)従姉(つまり孫)の家に遊びに行くことが決まった。うちの母、そしてもう一人の従姉(こちらも孫)が同行するそうだ。
そういえば4年前に両国国技館で相撲を観た時も、「これでもう東京に来ることはない」みたいなことを言っていたような…。


兎に角、祖母の取っている行動は、まるで先の短い人生を整理しているみたいで、あんまりいい気分はしない。
ただ、自分の年齢を考え、祖母なりに「死」を意識しているのだろう。
だが。
百まで生きろとは言わない。でも祖母には、できるだけ長生きして欲しいというのが僕の願いだ。
ちなみに、先日具合が悪いと病院に行き、医者の診察を受け「どこも悪いところはない」と言われた途端、ピンピンして帰宅したそうだ(翌日「薬が出なかった」と再び落ち込んだそうだが)。
一方の父。ある晩我々と夜釣り(帰宅したのは朝方だった!)をして以降、酒を飲むと持病の喘息が生じるという状況に陥った。病院での検査を勧めても一向に足を向ける気配なし。
先日も、会合から帰ってくると、相当酔っぱらっていながら息も絶え絶えの状況でゼェゼェしながら床に就いた。
以前から父の不養生には目を覆いたくなることばかりで、こっちからああだこうだと言うのもバカらしくなり、最近はほとんど放置状態になっていた。
昨日になり、遂に我慢の限界に達したようで、自分から病院に足を運んだそうだ。聞くと、血圧が200(!)を超えていたらしい。点滴と薬を処方してもらったようだが、酒はおろか夕食も口にすることができず、そのまま床に就いた。
今朝の状況を見る限りでは、まだ相当辛そうだった。
自業自得といえばそれまで。しかし、それを見て見ぬふりをして放置していた我々家族にも大いに原因はあるだろう。
ちなみに父は、僕と二回り離れた亥年生まれ。つまり、2年後60歳になる。でも正直、父は長生きできるタイプではないと思っている。
昨晩の父の姿をみて、初めて父の「死」というものを意識し、背筋に悪寒が走った。
万が一?いや、いくら何でもまだ早すぎるだろう…。
…こんなバカなことを考える愚息を許してくれ。本当にスマン。

「死」への意識」への5件のフィードバック

  1. こう

    なんだか我が家も同じ状態で、驚きです。
    うちの父は、一昨年まで体の調子が悪くても
    酒を浴びるように飲んでました。
    でも、肝臓を悪くして膵炎になってから
    よっぽどの痛みがあったようで、一切口にしなくなりました。
    そうなってからでは遅いのよとは思うけど
    辞めれないようですね。
    祖母も九州に住んでおりますが99歳です。
    いまだに我侭放題で、名古屋に行って万博見るとか言ってるらしいです。
    nonveyさんのおばあさまは、カワイイですね。
    どこも悪くないと言われ喜び、薬が出なくて落ち込むなんて素直ですよね。
    長生きできるといいですね。

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  2. てつ

    僕はあまりにも近親者に先立たれてる経験が多いせいか、常に死を意識しております。
    自分の両親、義父、嫁さん、兄、義姉、ワンコ、そして自分。
    いつ来るか分からぬ別れは非情に辛いものではありますが、先に旅立っていった者への供養は自分が幸せに人生を謳歌できるかどうかと考えております。春になるといつも旅立った人達のことを思い出します。だからいつも春は鬱状態になるんです。
    お父さん、お祖母さんが長生きできますように^^

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  3. nonvey

    ご心配(?)をお掛けしております。ええと、小康状態というほどでもないのですが、思ったほど大したことなかったので、拍子抜けしております。
    >こうさん
    うちの父も、アルコールがないと生きていけない?タイプのようで、毎日アルコール漬け。肝臓はカチンコチンになっているんだろうと思います。酒をやめろ、というのは死ね、というようなものらしいです…。うちの婆は、背もとてつもなく小さいので、文字通りかわいいんです。あの歳で内臓疾患がないというのが、凄いと思います。病は気からですね。
    >てつさん
    僕も相当「死」を意識する方です。もちろん、その中でも自分のことは一番気にかかることです。
    生は偶然、死は必然。
    あー何か考えていると、また例のごとく深く思い詰めそうな気がするので、気楽に考えようと思います。

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