JRの事故で思ったこと

前から思っていたことを今日は綴ります。文面がちょっと感情的になっているかも知れませんが、あらかじめご容赦を。
事故発生直後のボーリング大会。「30人分の予約をキャンセルしにくかった」とは幹部の釈明。ああ、この人達はどこまでも利己主義なのだなぁといった印象を強く強く持ちました。人間としての価値観が、根本的に違うのでしょうね。107名の命より30人分のキャンセル料に、もったいなさや愛おしさを感じてしまうのですから。
「ほころび」という言葉でに一括りにするのはあまりに不謹慎ですが、ホントにまぁ次から次へと叩けば出てくるものだと呆れる反面、今回JR西日本の社員の人たちが取った一連の行動というのは、うちの職場だって決して「あり得ない」とは言えないような気がして、とても複雑な思いで一連の報道を見ていました。


思うのですが、JR西日本の体質というのは、国鉄時代からの「親方日の丸的」意識(←もはや死語の仲間だ)が払拭されぬ一方で、他社との競争に打ち勝つために、なりふり構わずどんな手段でも使うといった、利潤追求の風潮が伺えます。競争に打ち勝つことばかりが念頭に置かれることとなり、「安全第一」といった、運送業を営むうえで当たり前の概念が抜けていたのかも知れません。さらに、下から上への進言は御法度、常に上意下達の風潮があるのでしょう。そのくせ中身は自身のセクション外のことについては我関せずといった「縦割り」で、自分のエリアや管轄外での出来事は、まるで関係がないといった感じがして、この辺りに、うちの職場も対岸の火事とは言っていられないんじゃないか、という気がしたのです。
でもよく考えてみると、うちもそうですが、あれほどの大企業であれば、どこで誰が何をしているかなんてことを、いちいち把握し管理する方が無理なワケで、そう考えるとマスコミの「JR西日本こそ諸悪の根源」とまくし立て、国民感情に訴えかけ同意を求めようとする報道のあり方にも疑問を呈さざるを得ません。次から次へと発覚する「不祥事」ではありますが、あれは本当にマスコミの言うような「不祥事」なのでしょうか。社内規則などで定められている年次休暇を適正に申請し、それが認められ、ゴルフやボーリングに出かけたというのを「不祥事」というのでしょうか。確かに、事態が事態だけに「不謹慎」であることは否めないでしょう。しかし、だからといってそれが「不祥事」だと断言するのは、ちょっと違うような気がするのです。それともマスコミは、JR西日本の社員全員があの現場に赴き、救出作業を行うのが当然だ、とも言いたいのでしょうか。その方が余程非常識だと思うのですが。
結局、あの時点でボーリングやゴルフをやめて会社に戻ったとしても、恐らくマスコミはバッシングの標的にしたことでしょう。マスコミというのは所詮そんなものなんですから。
この期に及んで、次から次へと小ネタを引っ張り出し、JR西日本の企業体質を断罪しようとするマスコミ。そのことがむしろ、被害者感情を逆撫でし、単に不信感を煽ることに繋がっているのではないかという気がしてなりません。恐らく今後、遺族側とJRとの話し合い(あるいは訴訟)が行われることでしょう。その過程においてもマスコミは、こぞってJR西日本の「ほころび」を探し、そしてまるで鬼の首を取ったような報道を繰り広げることでしょう。
このままでは、今回の事故でお亡くなりになった107名以外にも、マスコミからバッシングの連続に疲れ果て、今度は社内から犠牲者が出るような、そんなイヤな予感がしてなりません。マスコミはもっと中立的な立場で報道に臨むべきです。

4 thoughts on “JRの事故で思ったこと

  1. mayte

    nonveyさん、さすがです。
    ごもっともです、全てにおいて。
    私自身が数字のつく集合掲示板で晒し行為を受けたときも感じたんですけども
    人間の集団パニック状態って言うのは、もう何を言っても、何をもってしても悪くとってしまい
    またそれ自身によっていいように煽られて
    更に状況が悪化して、まさに『祭り』と化してしまうこと。
    あれはすごくいやですし、見ていて嫌悪感が走るものです。
    例えば私はディズニー映画が好きですが
    ひとつだけ、大嫌いな作品があるんです。
    それは『ノートルダムの鐘』です。
    そのなかに、まさにその、集団パニックの状態が良い場合も悪い場合も出てきて
    いずれも、とても見るに耐えないからなんです。
    人間の中の良心とか、モラルを利用して
    集団パニックに油を注ぐようなマスコミ報道や、ウェブ上の考えなしの書き込みなどは、
    言葉にしがたい憤りを覚えます。
    自分のことを省みる勇気と想像力があれば
    そう言う余計な部分までつついて穿り出したり
    とても出来ないはずなのに。
    JR西日本の体制は確かに問題あったかもしれない。
    だからこそ起きてしまった、あの事件なのだとも思う。
    2度とあってはならないからこそ、追求し、出来るだけ早く改善していかねばならない部分も多いのだろうと思う。
    けれども面白がっているようにすら見える報道の様子は
    JR西日本のそれよりもずっと醜く見えます、私には。

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  2. nonvey

    コメントありがとうございます。
    非常にデリケートな問題なので、こんなことを書いてもいいかなぁと思いつつ、でも何だか一連の報道(特にワイドショー系)がとても理不尽というか、偏った報道の仕方をしているような気がしたのでネタにしてみました。
    mayteさんもおっしゃるように私も、あの事故というのは、起きるべくして起きたような気がします。1分も遅れようものならイライラを始める日本人。この狭い日本の中で、1分1秒の時間を惜しむ日本人の気質。そんな根幹には触れることなく、(もちろんJR西日本の体質にも問題はありますが)JRのアラばかり探し、それを取り上げては大騒ぎする報道の気質に、大いに問題があるような気がするのです。
    あの事件後、JRの運転手や職員が、利用者から嫌がらせや暴行を受けているそうです。利用者と事件にどういった関係があり、そしてそのことが、果たして何の解決に繋がるのか。利用者の方に是非とも聞いてみたいものです。

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  3. shuqoo

    心の奥で思ってたことをnonveyさんが書いてくれました。(結局自分でも書いたけど)
    役所勤めをするようになってから、マスコミの報道のあり方に違和感を感じるようになりました。政治的な報道には各社の意図が反映されても仕方ないなあと思いますが、事故や災害の報道はニュートラルに伝えてほしいものです。ワイドショーでの取り上げ方とコメンテーターのコメントはいただけないものばかりですね。

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  4. nonvey

    >shuqooさん
    私もこの仕事に就いてから、マスコミや報道に違和感(時には抵抗)を感じています。
    もし、被害者加害者をマスコミが勝手にすみ分けし、単にはけ口を求めるというのであれば、それは報道する側が最も「やってはいけないこと」ではないか、という気がします。
    特にワイドショーなどで、因果関係がハッキリしない中で、悪者を仕立て上げ、マスコミが被害者(あるいは弱者)の味方よろしくコメンテーターや司会者が善人ぶる態度だけは、私は許せません。

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