今どきの小学生児童の事件に寄せて

こういう事件が起きるたびに、学校が悪い家庭が悪い社会が悪いと、何かに責任を押しつけようとする風潮があるようですが、一番悪いのは切りつけた児童。でも伏線を辿ると切られた児童も悪い。昔ならここで、喧嘩両成敗ということでシャンシャン、と行きたいところですが、如何せん今回は包丁を持ち出して切りつけたっていうんだから、厄介なモノです。
切りつけた児童は、まず十中八九【精神鑑定】が行われることでしょう。問題は、切られた児童。間違いなくPTSDの症状が出ると思われますし、今後の「心のケア」が必要になることでしょう…。
ところでさ…「心のケア」って、何よ。
別にカミングアウトする訳じゃないけど、僕は小学校の時に【いじめられっ子】でした。いや、いじめられっ子というよりは、【からかわれっ子】といった方がいいのかな。でも、毎日毎日学校や放課後「泣かされ」ていたのは事実なんです。というか、くだらないことでメソメソ泣く僕にも非があったわけですが。そう…いろいろ自分のことに当てはめてみると、今回事件を起こした児童の気持ちが全く理解できないというわけでもないんです。「何を言うんだお前。人ひとり死ぬところだったんだぞ。」とお叱りを受けるかも知れません。でも、あの頃確かに僕も、散々からかっていたヤツをとっちめてやりたいって、毎日ぼんやりと考えてましたもん。さすがに包丁持ち出して自分の手で…というところまでは追いつめられていませんでしたが。
で、僕の場合は状況が変わったんです。6年生の後半になると、そういう「からかい」や「いじめ」を主導していたヤツの周りの連中が、反旗を翻したんですね。いわばクーデター。で結局そのいじめっ子が逆の立場になってしまい、ついには不登校気味になってしまったんです。別に僕が何か手を下したというわけではないんですが、今思えばホント苦い思い出です。そういう辛い環境に身を置いていたってことが。これもある意味のPTSDなのかな、とか思ったりして。結局、卒業するまでそんな状態でした。ちなみに当時の担任(今は鬼籍に入られてしまいましたが)は、我々が卒業したときに「頼むから低学年の担任にしてくれ」とお願いしたらしいです。それだけ手の焼けるクラスだったのでしょう。
ちょっと話が逸れました。
今回事件を起こした児童、「親にも友達にも相談できなかった」って言ってるようですが、そういう雰囲気を作り出してしまったのが周りなのか、それともこの児童の単なる思いこみなのか…。
事件を起こしたのは「まだ」小学生なんです。しかも、小学6年といえば、いろいろと多感な時期じゃないですか(多分)。先生や大人は、本当に誰も気づいてやれなかったのかなぁ。単に「腫れ物に触れる」のが怖くて、逃げてるだけなんじゃないかなぁ。あ、別にだからといって大人が悪いとは僕は言いません。多分、事件を起こした児童にしてみれば、そんな単純なことじゃないと思うから。
母は今でも言うんです。「お前って、反抗期らしい反抗期がなかったよね」
そういやあの頃、今回事件を起こした児童と一緒で、オイラも塞ぎ込んでいたかもな…自分のかつての境遇を思い出しながら、「今が反抗期です」と胸張る33歳。大人なんて、所詮そんなもんです。
何か、「心のケア」なんていう上辺だけの言葉で取りあえず誤魔化すような、そんな解決方法はイヤだな、とふと思ってしまいました。
「いのちの大切さ」を解くことも、もちろん必要。でも、何でこういう事件が立て続けに起きたのかということを、もう一度みんなで考え直すことも必要なんではないでしょうか。今の小学生が何を思い、今の中学生がどんなことを考え、今の高校生がどういう夢を持ち、今の大学生がどんな現実を見ているのか、ちょっとだけ知りたくなりました。

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