「違和感」との戦い - 第2回さいたま国際マラソン(中編)

前編に引き続き、第2回さいたま国際マラソンの模様をお届けします。何と今日が「中編」ということで、三部作決定。今日はスタートから30キロ手前ぐらいあたりまでのお話。いやはや、参った。

→前編はこちら。

dsc_1038(ここから一つ先にある跨道橋の下まで移動しました。ゲートはその向こうにあります)

9時40分、いよいよスタートの号砲が打ち鳴らされました。予想通り30秒にも満たないロスタイムでゲートをくぐり、いよいよ42.195キロの旅が始まりました。テレビ中継では一般マラソンの部のスタートシーンも放映されたらしく、画面に我々の姿もしっかり映っていたようです。

実は今回初めて、スタートからゴールまで一切自分の時計を見ずに走ったので、どの程度のペースで走っていたのかは後で確認しようと思ったのですが、どうやら腕に巻いていたGARMINが誤作動(3キロ毎のラップを確認する予定だったのに、反応したのが4キロ地点だった他、走行ルートも反映されず。)を起こしていたようです。ただ、スタートから一気に飛び出すのかと思いきやそうでもなく、皆さん比較的慎重でした。最初の3キロは周囲に流されながら、1キロ5分程度のかなりゆっくりとしたペースで始まったような感じ、しかもそれが、旧中山道に別れを告げる6キロ地点の左折まで延々と続いたことは走りながら感じていました。5キロの給水を難なく終え(コップが明らかに足りないといったような前回のようなストレスは全くありませんでした。)、6キロ地点、旧中山道を左折するとすぐに待っていたのは、やむを得ぬ事情により今回DNSとなったMさんの姿。No AppleのTシャツを高く掲げ、太鼓を叩きながら声援を送っています。すぐにその姿に気づき手を挙げると、「36キロで待っているから!」と声を掛けられます。
36キロ地点では、妹がお世話になったHさんも手製の看板を掲げて応援してくださるとのこと。よし!頑張るぞ!

気合いを漲らせ、ここからじわりじわりとペースアップを図っていたのですが、実はスタートした直後から、僕はある「違和感」に気がついていたのです。

今回のシューズは、adidasの「takumi ren boost2」。前回の田沢湖(フル)、その後のきみまち二ツ井(ハーフ)でも結果を出したシューズですが、底がかなりすり減ってしまったため、同じモデルの色違いを履きました。何度か試走してみて、一番違和感がなかったからです。

img_20161113_060601(ピンクで揃えてみました。)

ところが、走り出してすぐに気づいた違和感。それは、やたらと足音がうるさい、ということでした。どうやら、前日にシューズの紐を少し緩めすぎたようで、靴の中で両足が少し遊んでいる感じなのです。というのも、以前NAHAマラソンに出場したとき、シューズの紐をきつく締めすぎて、足の甲を痛めて走るのもままならなくなった、という苦い経験があったため、ほんの気持ち程度にシューズの紐を緩めたのです。が、結果としてそれが仇となりました。

足音を聞きながら、もしかして足だけで走ってるのかなあと思い、フォームをチェックしながら走りますが、最初はパタパタと聞こえていた音が、やがてバタバタに変わっていきます。シューズの中で足が踊っている、といえば大げさかも知れません。サイズはぴったりのはずなのですが、どうやら履き下ろしから脚にしっくりとなじむまでの試走が不足していたようです。シューズとソックスが噛み合わないまま小刻みなズレを引き起こしている、そんな感覚でした。10キロを通過、この時点でタイムは45分台。
まずまず想定内ではあったものの、この頃から既に足裏に痛みが生じ始めていることを感じていました。水ぶくれか血豆ができはじめているサイン。まだ10キロしか進んでいないのに?先は長いぞ!けどなあ…ううむ、これはちょっとヤバいかも。…ほんの少しだけペースを落とすと、あっという間に後続のランナーが次から次へと僕を追い越していきます。その中には、金色の全身タイツに身を包んだ人や、にんじんの被り物をした人なども。すげぇ…オレ、宇宙人とかニンジンに負けちゃうんだ…。

12キロ付近、4キロあたりで一度追い抜いたAさんが、今度は「ハッ」と気合いの一声を発して僕の横を追い抜いて行きました。ここはひとまずAさんの背中を見ながら走ろう。既に先行するSくんの背中は小さく遙か彼方にあり、とても追いつける距離ではなくなりつつありました。しかしこの後、何とも数奇な展開が待ち受けているとは、この時誰にも想像できなかったことでしょう。(この話は、また改めて。)

太陽の日差しを遮るものがなく、かなり発汗していたこともわかっていました。ただし、給水は順調だし、10キロから開始した補給も順調。足裏だけが想定外…。
東進する国道の反対車線には、30分前にスタートした代表チャレンジャーの部の先頭を走る選手が3度の折り返しを終えてやってきました。その後も、黒人選手を3名確認しましたが、我々は小刻みなアップダウンを終えて平坦となった15キロ手前で左折したため、後続がどうなったのかはわからずじまいでした。そしてここからいよいよ、右折左折を繰り返しながら2度の折り返しを迎えるエリアへと突入。この時点で、Aさんの背中は約10メートル先にありました。つかず離れずの距離感を保ちながらも、正直ついていくのがやっとなぐらい、左の足裏にズキンズキンと痛みを感じていました。足の痛みに気を取られていた16キロ手前では、この日応援に来てくれていたIさんとNさんの姿に気づかず、「マカナエさん、頑張って!」の声でようやく気づく始末。それでも比較的フォームはまだ崩れていない感じ。

15056469_958673317570860_7219598525083171914_n(前を通り過ぎてから気がつき、手を挙げました。前方には、Aさんの姿も。)

17.5キロ過ぎ、最初の折り返し。ほとんどAさんと差がなく折り返しましたが、ここからAさんがペースを上げたことは明白でした。徐々に遠くなっていくAさんの背中。
18キロの辺りで、BブロックからスタートしたOさんとすれ違います。「A、頑張れ!」という声援にAさんは反応せず、直後に僕がOさんに声をかけたので、Oさんはちょっとビックリしたようです。このやり取りでAさんも僕が背後にいることに気づいたようで、さらにペースアップ。
そして、どんどん痛みが広がる足裏。そしてそれは、左だけではなく、右も…。

「あーあ。もはやこれまでか…」と思ったときに、ふと昨年耳にした女の子の応援を思い出しました。
「あきらめないで!」
そう、諦めたら終わり。両足が痛くなったんだったら、バランスが取れてちょうどいいじゃないか。このまま粘って押していこう。薄ら笑いを浮かべながら走ると、不思議と痛みが徐々に分散されていくような感覚。この後も、キツい、辛いと思ったところでは、薄ら笑いを浮かべて凌ぎました。多分、端から見るととても気味の悪いオッサンだったと思います。どうもすいません。

20キロ過ぎ、第2折り返しを通過。電光掲示板は1時間31分台を指していました。
足裏が痛いといいながらも、まずまずじゃないか。うん、これでいいんだ、これで。
ぶつぶつ口の中で呟きながら、歩を進めます。中間地点を過ぎ、再び国道に入り、越谷方面へ東進。前回それほど応援の人がいないと感じたエリアですが、今年は声援が途切れません。もはやそれだけを頼みの綱として走っている、そんな感じでした。

24キロ過ぎの第3折り返し、30メートルほど離れて先を走るAさんが僕に気合いと鼓舞のガッツポーズ。しかし僕はそれに対して、指で×のサインを作り、脚を指します。何のことなのか察知して頂いたかどうかわかりませんが、一瞬Aさんの表情が曇ったことだけはわかりました。

そしてそこから、Aさんの背中は更に遠くなり、やがて目視することもできなくなってしまいました。嗚呼…。

25キロ地点を通過。時間は見ていません。次に目指すポイントは36キロ。妹がお世話になったHさんと、6キロ地点で声援を送ってくれたMさんが待っているポイントです。まずはそこまで頑張ろう。中間地点まで5キロ毎、その後2.5キロ毎に現れる給水、そして10キロ毎にと計画していた補給は順調でしたが、足裏の痛みは本当に計算外でした。しかも、28キロ過ぎから、またイヤらしいアップダウンが続きます。そしていよいよこの辺りから、歩き始める人が増えてきました。なるべくその「流れ」に引き寄せられないよう、視界に入れないようにしながら、辛いながらも淡々と走り続けます。とにかくここは、我慢…我慢。ここで諦めたら、それで終わり。今日は何が何でも最後まで走りきるって、決めたじゃない?頑張らないけど諦めない、の姿勢でいいじゃん。と、ぶつぶつ独り言を繰り返し、また例のごとく薄ら笑いを浮かべながら走ります。さて、僕の脚は最後まで持ちこたえることができるのでしょうか…。
(つづく)

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