「みちのく津軽ジャーニーラン」は、猛者の集まりだった。

青森県内で開催されるフルマラソンの大会は、「弘前・白神アップルマラソン」のみです。日本陸連の公認を受けていない大会であるため、本県のフルマラソン完走者割合は、全国のそれと比較すると平均をかなり下回っているらしいです。県内でももう一つぐらいフルマラソンの大会があってもいいのにね、そんなことを思っている中、海の日の三連休にとんでもない大会が開催されました。

「第1回みちのく津軽ジャーニーラン200キロ」

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はい。その名の通り、弘前駅前を出発し、同じく弘前市高崎にある「さくら野百貨店弘前店」まで、普通に行けば3キロもないこの間を、何と自分の脚だけで津軽地方の10市町村を通過し、200キロを踏破するというものです。

弘前公園RCでもこの大会をサポートすることとなり、私もその一人として手を挙げ、スタート地点から第1チェックポイントとなる岩木山の百沢スキー場までの約16キロをガイドランナーとして走ってきました。

16日には参加者全員参加必須のミーティングが開催され、注意点などが説明されたとのこと。翌17日早朝4時半、集合場所となっている弘前駅前公園広場に向かうと、全国各地から集まった変人…いや猛者がいるわいるわ。
聞いたところでは200名を越える方々がエントリーしているとのことで、もはやそばに近寄るのも恐ろしいぐらいのオーラが漲った方々で、広場は溢れかえっていました。

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DSC_0739(猛者を取り囲んで出陣式を行っているような光景です。)

我々RCのサポートメンバーには、弘前駅前公園広場から弘前市土手町~弘前公園内を駆け抜け、岩木川に架かる岩木橋までの約5キロをガイドランナーとして走るという役割の他、チェックポイントでの給水、補給食の提供などの役割が与えられており、それぞれの使命を担ってこの大会に臨んでいました。この他にも、私設エイドの設置を自発的に行ったメンバーもいました。もちろん、数名の仲間は実際にエントリーもしていたわけで。
さてさて、RCからはこの日の朝、ガイドランナーとして約10名が集まりました。
選手の皆さんには、前日のミーティングで交通法規は絶対遵守(信号無視は御法度)、1キロ6キロペースで走る、そして、岩木橋までの5キロまでは先頭を走るガイドランナーを抜いた時点で失格、という注意が伝えられていたそうです。
で、誰が先頭を引っ張る(抑える)かということになったのですが、結局アップルマラソンでペースランナーを務めたこともあるキャプテンと僕が先頭を走ることとなりました。

DSC_0741(大会に出場するラン仲間と、サポートメンバーと。双方ともに気合いが漲っています。)

スタート直前(スタート直前の集合写真。すっかり調子に乗っています。)

午前5時、いよいよスタート。

スタート後

すぐにキロ6分のペースを掴みましたが、何せ市街地で信号が多い区間であったため、赤信号のたびにどんどん選手の皆さんはばらけていきました。まあ、よく考えてみるとこれから200キロ走るうちのたった1キロしか進んでいないので、そんなのはお構いなしなんですけどね。
弘前公園内に入る時点では、我々の後ろには既に10名ほどしかいませんでした。
「どちらからいらしたんですか?」「鹿児島から来ました。」「か、鹿児島!!!」
こちらがビックリするような、本当の猛者ばかり集まっていたんですね。
園内の説明をしながら、公園内を駆け抜けます。
この日はスタート直前から弱雨が降り始め、走っている間は結局ずーっと雨でした。
なので、岩木山も見えずじまい。まあでも、結果的に陽射しがない分、選手の皆さんにとって走りやすい環境ではあったようです。
本来であれば岩木橋で我々の任務は終了の予定でしたが、僕は当初から百沢スキー場まで走ると決めていましたので、キロ6分を保ったまま、走り続けました。この間「私のガイドランナーの役割は終わりましたので、先行されても構わないんですよ。」と声を掛けても、結局誰一人として前に出るランナーはいませんでした。結果的にはそのまま、第1チェックポイントまでランナーの皆さんを引っ張っていくこととなりました。

田園風景が徐々に広がり始める岩木地区。スタートから約7キロ、丸一石油商会で最初の私設エイドが登場、ランニング仲間3名が給水を行っていました。実はこの直前でウルッと来るようなやり取りがあったんですが、まあ、それは僕の心に秘めておきます。ここでキャプテンと別れ、この先は僕一人がランナーの先導を行うこととなります。

四季菜館前(先頭集団を牽引中。)

やがてジワリジワリと上りの区間に差し掛かり、それまで会話の弾んでいたランナーの皆さんも口数がどんどん減っていきます。しかし、皆さんの会話を聞いていると、とても僕には真似できるような芸当ではありません。日本国内の大会では飽き足らず、世界各地の100キロ(以上を踏破する)マラソン大会に出場している話だとか、間もなく国内で開催されている100キロ以上のマラソン大会の(50レースではなく)50大会に出場することとなる話だとか、聞いていても完全に別次元。
ふと、ランナーの方から話しかけられました。
「ところでこの辺だとあれですか、秋田内陸とかいわて銀河とか…(いずれも100キロマラソン大会の名称)。」
「そうですね、あとはサロマに行かれる方だとか…。」
「どちらかの大会には行かれるのですか?」
「いやいやいやいや!私はとてもとても…。」
…と、走りながら思わず苦笑い。
聞き耳を立てていると、140キロがどうしたとか200キロの大会は他ではどうだとか、もはや会話の内容が完全に別次元の話。一言で200キロ言いますけどね、弘前市からだと東北道を利用して岩手県の北上市まで行ってもまだ足りないわけですよ。皆さん、その距離を御自身の脚で走られるわけですよ。やっぱり変態だ…。

さてさて、そんなことを思いながらも最初の難関とも言うべき県道弘前岳鰺ヶ沢線宮地バイパスの上り坂を終え、いよいよ岩木山神社まで約1キロ。僕は先が見えてきましたが、皆さんはまだ全体の10パーセントにも達していないワケでして、そう考えるとやっぱり200キロを走るって尋常ではない…というか、自動車の運転でも200キロなんて面倒くさいですよね。
岩木山神社にたどり着き、参道を上ると、そこから約1キロはトレイルコース。一気に標高差100メートルを駆け上がります。この間もずっと雨が降り続いていましたが、視界が開け、最後きつめの坂を上りきったところで、いよいよチェックポイントとなる百沢スキー場が見えてきます。ヤマザクラがキレイに咲き誇る桜林を抜けて、ようやくチェックポイント到着。信号待ちを除くと、ここまでで1時間40分弱でしたので、キロ6分は少し越えてしまいましたが、概ね想定のペースは守ったことに…。(ただしあとでラップを見たら、ムラが酷かった。すいませんでした。)

DSC_0745(この桜林を上りきると、第一チェックポイントがあります。)

まあ、5キロ過ぎた時点でキロ6分の設定は解除となっているので、速かろうが遅かろうがもはやどうでもいいのでしょうけれど。(ちなみに5キロ通過は30分44秒。ちょっと遅かった。)

僕の後ろを最後まで走ってこられた2人の方とガッチリと握手を交わし、道中の安全を祈りながらお見送り。
そしてその後も続々とやってくる全ての選手(しかも最後の二人はラン仲間のKくんとHさんだった!)を見送り、8時頃に下山開始。結局家に帰宅したのは9時過ぎのことでした。
これで御役御免…のハズだったのですが。

18日、雨は上がり何とか天気は持ちこたえそうな感じ。ふと、昨日見送った選手の皆さんが、今いったいどこを走っているのか思いを馳せます。この日は午前午後と野暮用があったので、中途半端に大会に関わっても仕方がないから応援に行くのはやめよう、と思っていたのですが、どうも気になって仕方がないのです。程なく、出場した仲間の数名が制限時間やその他の事情でリタイアしたこと、一方で現在も数名がどこかを走って(歩いて)いることを知ります。
午後2時頃、この日最後の用事であった墓参りを終えた私、居ても立ってもいられなくなり、ゴール地点であるさくら野百貨店弘前店に行ってみることにしました。いや、行ったところで何ができるワケじゃないのです。でも、何だかわからない妙な焦燥感というか義務感に駆られて、行かなきゃならない、ゴールを見届けなければならない、という思いばかりがどんどん強くなっていきました。
墓参りに行く時点で既にランニングできる服装に着替え、弘前市撫牛子にあるお寺から走って田舎館村豊蒔を経由、県道弘前田舎館黒石線へ。ここはゴールに向かう最後の区間といってもいいのですが、右を見ても左を見ても選手の姿はありませんでした。ここから約1.7キロ西へ向かうとさくら野百貨店弘前店があり、ペースを緩めながら走っていると、何人かの選手と遭遇しました。
でも、「頑張って下さい!」なんてことは絶対に言えません。
だって、これまでどれほど頑張ってきたのか、我々の想像の域を遙かに越えているからです。ですから選手の皆さんには、「お疲れさまです!」とだけ声を掛けて、ゴール地点を目指しました。
ゴール地点に到着すると、スポネット弘前の方やスポーツエイド・ジャパンなど、大会関係者の皆さんが選手のゴールを待ち構えていました。

DSC_0753(ゴール地点では、皆さんが選手の到着を待ち構えています。)

そしてふと横を見ると…そこには、たった今200キロを踏破したばかりの勇者が、文字通り精根尽き果てたような様相でへたり込んでいました。大体にして200キロを踏破し終えた選手の姿なんぞ、これまで見たことがないのですよ。その姿に、僕は思わず息を飲んでしまいました。その後も、かなり間隔を置きますが、少しずつ選手の方がゴールテープを切ります。そう、それは僕がここにたどり着く直前に声を掛けた選手の皆さんでした。
そういえば、ラン仲間の皆さんはどうされたのでしょう…。聞いたところでは、残り7キロの地点を過ぎた方がこちらを目指しているとのこと。
一旦ゴール地点を離れた僕は、さっきと逆の方向に向けてゆっくりと走り出しました。この間も、睡魔と戦っているのか、一歩間違えればゾンビのような姿で歩く方や、疲れも見せずニコニコ談笑しながらやってくるカップルなど、数名の選手とすれ違いました。僕はといえば、皆さんに対して敬意を表して一旦立ち止まり、「お疲れさまでした!残り●●メートルですよ!」と声を掛けます。

すると、ほとんどの皆さんが同じ対応をされるのです。
辛くて苦しいはずなのに、ニコッと微笑んで「ありがとうございます!」と言葉を返してくるのです。中には「ありがとうございました。本当にお世話になりました。」とおっしゃる方も数名いました。
オレ、別に大したことしてないし…。
選手を労っているつもりなのに、こちらが労われている…。そう考えたら、何だかこちらの胸が熱くなりました。

さて、気づいたらゴール地点から約3キロも逆走してきました。ようやくここで、ラン仲間1号を発見。両膝にはテーピングが施され、かなり辛そうな感じでしたが、単独ではなくお二人で歩いていましたので、それだけで気分転換にはなっていたようです。
道中で起きたお話をいろいろ聞きながら、再びゴールを目指します。いわば、これもガイドランナーみたいなものですね。でも、実はお話をするのも辛そうなぐらい声が細くなっていたので、これ以上疲労を蓄積させてはいけないと、僕は少し距離を離れて先導することにしました。いや、ここまで来たらもはや先導する必要なんてないのでしょうけれど、昨年の田沢湖マラソンでこの方から2度も檄を飛ばされた立場としては、余計なお世話と思いつつも、せめてもの恩返しをしたい、と考えたのです。
結局お二人は、午後5時を少し回ったところでゴールしました。そして、ゴール地点には「居ても立ってもいられず」やって来た僕のことを知ってなのかは定かではありませんが、たくさんのラン仲間が集まって最後の声援を送っていました。

やむにやまれぬ事情があったため、僕は17時30分過ぎにゴール地点をあとにしたのですが、その後も続々と選手の皆さんはゴールされたようです。

無事ゴールされた皆さん、本当におめでとうございます。拍手!
残念ながらゴールすることができなかった皆さん、そのチャレンジ精神に、同じぐらいの拍手!

僕はガイドランナーとしてほんのちょっと並走させて頂いただけですが、皆さん本当に輝いていました。

僕、冒頭で「自分の脚だけで200キロ踏破」と言いましたが、これ、違うんですよね。脚だけではなく、頭のてっぺんからつま先まで、そして脳もフィジカルもメンタルも全て駆使して踏破する、そういうことなんですよね。

今回のこの大会に少しだけ携わっていく中で、一つだけ確信したこと、ハッキリ言えることがあります。
僕はフルマラソン以上の距離は絶対走りません。そう腹を括ることができました。

全国各地からいらした選手の皆さんもスタッフの皆さんも、本当にお疲れさまでした。
僕自身、本当に素晴らしいものを見せて頂くことができ、励みにもなりました。ありがとうございました。

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