4年目の9月7日

4年前の9月7日。父はこの世に突然自ら別れを告げ、黄泉の国へと旅立った。

父にとって、こうなることは本意ではなかったのかも知れないが、これも父が選んだ道なのだ。僕はそう言い聞かせながら、ただその現実に直面するしかなかった。一方で、自分の父親に起きたことではなかったかのように。

僕が父と対面したのは翌日、つまり4年前の今日、9月8日だ。突然の父の死に直面して慟哭する母に、僕はそっと手を添えてあげることしかできなかった。

現職市議のセンセーショナルな死というニュースはあっという間にこの弘前市内を駆け巡り、無言の父が帰宅した直後から、報道記者と思しき人たちが家の周りを行ったり来たりするのが見えた。事情を聞かせて欲しいという電話もひっきりなしに鳴り響いた。もっとも、数の中にはこちらの悲痛とはお構いなしにずけずけと家にやってきて「事情をお聞かせ願えませんでしょうか。」なんていう「強者」もいたが。まぁ、どこの記者かはハッキリと覚えているが、あの日以来僕は、無神経なマスコミという存在が心底大嫌いになった。

しかし、あの日も暑かった。9月とは思えぬ暑さだった。いや、思えば今日も続くこの暑さは、あの頃から既に始まっていたような気がする。
あまりにあっという間のことで、あの時何が起きて、そして自分が何をしたのかは、あまり記憶にない。いや、むしろその方がいいのかも知れないが、いずれにせよ、失意と怒りと深い悲しみに暮れながら、何とか父を見送ることはできた、はずだ。

父の命日を迎えるたびに「ああ、今年もこの日が来たか…。」と思うが、もう何年経った、という感覚は微塵もない。むしろ、あの日の鮮烈な記憶が蘇ってくる。父に対して何もしてあげられなかった僕が、そうやって父のことをまた思い出す、9月7日はそんな特別な日だ。

気がつくと厄年を迎え、今年は既にいろんなことがあった。大好きだった祖母や恩師との別れ、妹の結婚…喜怒哀楽色々続いているが、今は、残り4ヶ月弱を無事に過ごすことができればそれでいいと思っている。
国地方問わず昨今の政治のドタバタ劇を傍目で観ながら、「父が今居なくて良かったな…」なんて不謹慎なことを思うこともしばしば。
父はあまりにも人が良すぎた。口や態度は悪かったが、本当に純粋な人間だった。そんな父は、僕にとって今でも誇りだ。

今日9月8日が過ぎると、また気分的に一つ区切りがつくことになるのだろうか。
いや、父が生き抜いた61年という年月に一歩一歩近づくにつれて、むしろ父への思いがますます強くなっていくのだろうか。

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