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世襲批判をかわす公募

gremz 砂漠化
衆院が解散し、いよいよ8月30日の投開票に向けて動き始めた。
ということで、衆院選公示前の最後の政治ネタにしたい。

日曜日の地元新聞は、自民党の税制会長で党第二派閥のドン、衆院青森一区の津島雄二議員が不出馬の意向を固めたという記事一色で飾られていた。

もう何年も前のことなのですっかり記憶から薄れているのだが、父の生前、何があったのかは忘れたけれど、一度津島氏が我が家にやってきて、父の後援会幹部を前に弁をふるったのを見たことがある。しかしその後、父は自民党の政治に嫌気がさして党員を脱退し、以降無党派の風来坊を貫いた。

津島氏は、見かけは温厚っぽいけど、メロスではなかった。やっていることは結局シラクスの暴君ディオニスと一緒だった。最後の最後は自分の政治生命も「斜陽」を迎え、迷走。いっそのこと、私は政治家としては「人間失格」でした、ぐらい放言してほしかった。

義父の太宰治も草葉の陰で「こんなはずじゃなかったのに」って泣いてるかも。

青森市長選で自ら陣頭指揮を執り、党を挙げて支援した候補が大差で破れたことを考えると、この時点で求心力の低下が露呈したことは否めず、仮に衆院選に出馬したところで、多選高齢批判をかわすことはできなかったはずだ(つまりそれは、敗北を意味する)。
そのような伏線もあり、恐らく今回の衆院選に出馬しないことは、相当前から決まっていたのだろう。ただ、党第二派閥のドンが選挙で敗れることが、派閥のみならず党にどれだけの打撃を食らわせるか、本人はそのことを深く承知していたはずだ。
全国版のニュースでは、今回の不出馬について驚きを持って報じられていたが、むしろ「やっぱりそうだったか」といった感じで、そんなに驚くことではないと思う(「えーっ?今頃になって言い出すか!?」とは思ったけれど)。

しかし、敢えてここまで不出馬の意向を示さなかったのは、党内の他の候補が出馬に意欲を出さないよう牽制し、自分の秘書である長男の世襲を暗に既定路線とするための戦略だということは、県内有権者の誰もが感じているようだ。それとも、敵前逃亡といわれようとも、敢えてこの時期に引退を表明したのは、彼なりの政治美学、信念に基づくものなのだろうか。だとしたら、随分自分本位で身勝手な美学だが。

自民党では候補者は公募で決めるとしているけれど、水面下では、津島氏以後の候補者選びは、ほぼ固まりつつあるような情勢のようだ。事実、津島氏の意中の人も、「その人」であるらしい。

現在のところ、前回の参院選で民主党の新人に惨敗した元参院議員が出馬の意向を示している他、おそらく津島氏の秘書を務める長男、すなわち前述の「その人」も、遅かれ早かれ出馬の意向を示すことだろう。

まあ、今更候補者を公募したところで、既に始まっているといってもいいであろう選挙戦に誰が名乗りを上げても、正直勝算を見いだすのは困難ではないか、という気がする。それとも、劇場型政治よろしくお涙頂戴の選挙戦に打って出るか、あるいはタレント候補を担ぎ出すか…。もっとも、都議選のように公示2日前に出馬を決めて当選した人もいるぐらいだから、こればかりはどうなるかわからない。
ただ、今の青森県内でそんな神風が吹くとは到底考えにくい。

最終的には県連の判断に委ねられるようだが、ここは津島氏の長男を次期候補者に立てる、ということに落ち着きそうな気がする。

もっとも、仮に誰かに禅譲するとしても、確実に勝てる候補でなければそういったこともあり得ないだろう。裏を返せば、それだけ自民党にとって青森一区(いや、県内全域か)の情勢は厳しく、思った以上に逆風が強くなっている、ということだと思う。ここまで迷走するのならいっそのこと、やたらと衆院選に色気を出していた某県知事を無理矢理青森から担ぎ出すというのも一考かもしれない。あ、それとも「美人過ぎる何某」も選択肢ですか?

県連としては、これはあくまで公募によるものであって、世襲ではない、と突っぱねるだろうが、誰がどう見ても世襲でしかない。まぁ、長男以外の方を次期候補者にするというのであれば、これらの書き込み内容はすべて撤回させていただくしかないワケだが…。

ただ、青森一区への注目度がこれで一気に上がるとともに、候補者が乱立しそうな現状を考えると、情勢が混沌としてきたということは間違いないだろう(前回比例で復活当選した民主党候補への信任、とはすんなり行きそうにもなさそうな気配)。

あれほど東北新幹線の全線開業に心血を注ぎ込み、いよいよ来年に開業を迎えるこのタイミングで、敢えて全線開業のテープカットのハサミを次代に譲ろうとする津島氏の真意は計りかねるところが大いにあるものの、いずれにせよ、多選高齢批判を受けたまま落選し、そのまま過去の人になるよりは、無敗のまま引退した方が自分の政治生命には傷が付かないだろう、という打算があってのことなのだろうか。
それとも、自分や長男を犠牲にしてまで自民党愛を貫き通したいという意思表示の表れなのだろうか。

もっとも、今回は敗北もやむを得ないが、次回の選挙を見越した布石だとするならば、それはそれでしたたかだとは思うけど。

生誕百周年を迎えた太宰治の「孫」が衆院選に出馬。話題性としては十分あり、マスコミは食らいついて来る、かも?

しかし、どこを見ても、そこまでして血縁者を後継にしたいということは、「政治家」という職業はそれだけオイシイ職業なのでしょうな…。

なお、私の住んでいるところは青森四区が選挙区ですので、青森一区の候補が誰になろうとも、自分の投票行動とは全く関係ないことを念のため申し添えます。

自民が東国原知事に出馬要請

gremz オゾン層破壊
これで今晩か明朝、左側の木に変化が起きる、とか?

さて、昨晩のニュースでは、ほとんどすべてでトップ扱いされていたこのネタを今日は取り上げようと思う。

自民が東国原知事に出馬要請(毎日新聞 – 06月23日)

自民党の古賀誠選対委員長は23日、宮崎県庁を訪ね、東国原知事と会談し、衆院選に党公認候補として立候補するよう要請した。これに対し、東国原知事は「私を次の自民党総裁候補として、衆院選を戦うお覚悟があるのか」などと、逆に条件を突きつけ、結論は出なかった。

東国原知事はこのほか、国と地方の税源配分を5対5にするなどの全国知事会の要望を次期衆院選の党政権公約(マニフェスト)に盛り込むよう逆提案。古賀氏は明確な回答をしなかったという。会談後、東国原知事は県庁内で「党の体質を変えていただかないと、国民の支持は得られない」と記者団に述べた。

自民党は昨秋、政界引退を表明した中山成彬前国土交通相の後継候補として、衆院宮崎1区からの出馬を東国原知事に打診し、同知事が断った経緯がある。内閣支持率や党支持率の低迷を受け、自民党内では知名度の高い東国原知事への期待が再燃。党内には「自民党の顔」として、比例東京ブロックへの擁立案も浮上している。

古賀選対委員長は「毎年6月23日は必ず沖縄・糸満市を訪れ、沖縄戦没者の慰霊祭に出席するのだが、今日は東国原知事に会えるということで、わざわざ予定をキャンセルして宮崎を訪れた。」と、ご丁寧にも何とも恩着せがましい説明を伝えていた。

東国原知事としてはその場での即答を避けたが、今すぐにでも国政に打って出たくて出たくて仕方がない、というのが本音なのだろう。実際、既に国政選挙に向けて動き始めているようだ、という報道もされていた。

支持率低迷にあえぐ自民党にしてみれば、比例候補として東国原知事に出馬してもらえるのであれば、「党の顔」として格好の起爆剤になる一方、民主党をはじめとする他の党にしてみれば「目の上のたんこぶ」的な存在になりそうな予感。どちらにとっても「台風の目」になりそうな存在ではある。

しかし、自民党も節操がない。宮崎知事選の時、東国原知事を「泡沫候補」と一笑に付していたあれは何だったのか。「手の平返し」は政治の世界ではよくあることだが、一地方の知事にまですがらなくてはならなくなってしまったのかと思うと、と何だか情けなくなる。それとも、次は橋本大阪府知事に白羽の矢を立てる計画なのだろうか。まぁ、千葉県の知事ではちょっと厳しそうだからなぁ…。

ただ、どうやら今回は古賀選対委員長や一部の関係者(首相含む)の勇み足で、「党の総意」をもって出馬要請したわけではないらしく、結果的に党内のゴタゴタを露呈する始末となった。所詮自民も民主も一枚岩ではないということの表れ、と受け取ればいいのだろう。一方の東国原知事も本気なのか小馬鹿にしているだけなのかはわからないが、相当理不尽な要求に思える。いや、むしろこれは東国原知事流のウィットに富んだジョークなのだろう。字面だけを追うと、やんわりと出馬を否定しているようにも見える。でも、これだけでは真意が掴めない。

個人的には東国原知事の国政への鞍替えは、まだ時期尚早だと思う。実際知事の任期はまだ1年以上あり、彼が掲げたマニフェストは、まだ達成段階に達していないのだ。
東国原英夫宮崎県知事マニフェスト中間検証-早稲田大学マニフェスト研究所(pdfファイル)

宮崎をどげんかせんといかんと知事に就任したのに、任期途中、それもまだ就任1期目も終わっていない中で、どうでもよかばいと放り出すのは、いかがなものかということだ。

宮崎県内での東国原知事の支持率は、未だ80%を超えるという。裏を返せば、それだけ宮崎県民が東国原知事に県政の舵取りを託している、ということだ。その舵を投げ打ってまで鞍替えするほど、今の国政に魅力があるとは思えない。もちろんあれだけの知名度を誇る候補なので、いくら新人とはいえそれなりの要職を準備するだろうが、出る杭というのはどこにいても不思議と打たれるものだ。
少なくとも、昨日のようなビッグマウスを嫌う老獪議員からは、格好のターゲットとなることだろう。

いずれにせよ、まだ機は熟したとは言えないようか気がする。
まずは知事としての任期を全うし、総括してから国替えを検討すべきではないか。
道筋を付けてから後進に道を譲っても、まだ遅くはないのではないだろう。

それとも、衆院選で落選しそうな候補に県知事の椅子を譲る密約が出来ていたりして!?

景気底打ち宣言

景気底打ち宣言 7カ月ぶり「悪化」削除 政府月例報告
(6月18日8時4分配信 産経新聞)

与謝野馨財務・金融・経済財政担当相は17日の関係閣僚会議に6月の月例経済報告を提出した。景気の基調判断を「厳しい状況にあるものの、一部に持ち直しの動きがみられる」と2カ月連続で上方修正した。昨秋以降の景気悪化の原因となった生産や輸出の持ち直しが顕著になっており、7カ月ぶりに基調判断から「悪化」の表現が消えた。与謝野経財相は会見で「景気は底を打ったと強く推定できる」と述べ、景気の底打ちを事実上宣言した。

政府が底打ちと判断したのは、民間企業の在庫調整が急速に進み、生産活動を示す鉱工業生産指数が2カ月連続で前月比プラスとなったほか、中国景気の持ち直しもあって輸出も急速に改善したためだ。平成19年11月に始まった今回の景気後退局面は、20年9月の米証券大手リーマン・ブラザーズの経営破綻(はたん)以降、急激に悪化したが、約1年半で大きな転換点を迎えた。

個別項目では5月に「下げどまりつつある」としていた生産、輸出が「持ち直し」「持ち直しの動き」にそれぞれ上方修正。定額給付金やエコカー減税など政府の景気対策も一定の効果をあげたとみられ、個人消費も「緩やかに減少」から「一部に下げ止まりの兆し」に上方修正した。

ただ、雇用情勢は「急速に悪化」との見解を変えず、設備投資や住宅建設は「大幅に減少」に下方修正した。雇用などの一段の下ぶれを懸念し、「底打ちはしたが、回復とはいえない」(内閣府幹部)と先行きに慎重な見方を崩していない。

上を見るとキリがないし、下を覗くと底がない、それが今の日本経済だと思う。しかし、政府はこのタイミングで景気の底打ちを「敢えて」宣言した。

タイトルだけ見ると、景気が好転したような印象を受けるが、決してそういうことではない。
海に浮かんでいた船が沈没し、海底まで沈んでしばらくした後、ようやくその船を引き上げる段階に来た、というだけの話であって、船を引き上げるためのワイヤーも老朽化が進んでいるため、持ち堪えられるかわからない。ひょっとしたらワイヤーが切れて、更に深い海底まで沈んでいく可能性だってある。
いくら底を打ったと喜んでも、今の景気動向とは所詮そんな状態なのだろう。

正直、景気の底打ちを宣言するにはまだ早すぎたような気がする。あるいはまた例のごとく、東名阪に限っては、事態が好転したということだろうか。

少なくとも僕の周りでは、ここ最近景気が上向いてきたと感じている人はいないようだ(景気が上向いてきたと感じる方、是非コメントをお願いします)。

では、なぜこのタイミングで底打ちを宣言したか。
要するに、これまで政府が行ってきた経済対策が、ここに来て一定の効果を生み出しているんだというPRを、解散総選挙の前に打って出たいということなのだろう。選挙対策用に景気の底打ちを喧伝することで、これまでやってきたことが正論だったということを主張したい、という思惑も見え隠れしている。
まあ、与党にしてみれば何かと攻勢に出るための「ネタ」、つまり「売り」のポイントに欠いているだけに、何でもいいので明るい話題を提供したいということなのだろう。

本当に景気が回復したといえるのは、船を海面まで引き上げた後、船の修繕も終わり、再び出航できる状態になってからである。しかし、青森県内に至っては、どうもまだ船が沈んでいる途中のように思えてならない。
底を打っただけであって、決して経済が回復基調にあるわけではないということ、そしてその時期は、決してすぐに訪れるわけではないということを、肝に銘じなければならない。

余談ではあるが、平成5年6月、当時の船田元経済企画庁長官が景気の底打ちを宣言したところ、急激な円高と冷夏により、その後宣言を撤回せざるを得なかった、ということがあった。

本県では依然オホーツク高気圧の勢力が弱まらず、6月とは思えないほど肌寒い日が続いているような気がするのだが、果たして…。

ETCはCO2削減に有用!?

お盆休みの平日、休日扱いのETC割引検討…国交相(読売新聞)

金子国土交通相は14日、土日・祝日に上限1000円に下げた高速道路の普通車料金について、「お盆休み期間中を休日扱いとすることも考えなければならない」と述べ、お盆休み期間の平日への適用を検討する考えを示した。

適用日を増やすのは、今年は8月15、16日が土日で、この2日間に高速道路の利用が集中すれば、ゴールデンウイーク以上の大渋滞が予想されるからだ。

この取組に向け、今年のGWの状況を分析するそうだが、8月までに間に合うのだろうか。
そもそも高速道の通行料金1000円均一は経済対策をメインとしたもので、ETCの助成制度はETCの普及を目的としたものであり、別物だったはず。ちなみにETCの助成について、財団法人高速道路交流推進財団が発表した大義名分はこうだ。

有識者で構成された「サービスエリア等資産譲渡代金の還元策に関する検討委員会」の報告、及び国土交通省からの「保有資産の還元策」についての要請に基づき、検討した結果、ETCの普及促進は渋滞を解消し、CO2の削減に非常に有効な手段であり、公益的な要素が大きいと判断し、当財団の保有資産を活用して、ETC車載器新規導入助成事業を行うことにしたものです。

しかし結果として、全く有効な手段ではなかった。
とりわけGWの高速道は、10キロ以上の渋滞が昨年比で倍増した他、スムーズに流れるはずのETCの料金所までもが混雑した結果、一般料金所の方がスムーズに流れるという皮肉を招いた。
渋滞を解消するはずのETCが大渋滞を招き、結果CO2の排出量も相当増えているはずだ。

金子国交相は「お盆の時期の混雑を緩和するために」高速料金1000円均一の期間を広げる、ということらしいが、だったらいっそのこと、この間はせめて1000円均一の通行料をとりやめ、電車等の輸送手段を利用するように仕向けることができないのかねぇ?
というか、盆や正月、GWといった時期に、どこの交通手段も一切割引なしの通常料金になるのが当たり前のご時世で、なぜ高速道路だけ1000円乗り放題が可能になるのか。
答えは多分、通常料金との差額は埋蔵金をはじめとする国の財源をぶつけることができるため。JRや航空各社には、こういったことで国の財源を投入することはまず考えられないことだし。

数値に表れていないので何ともいえないのだが、おそらくGW期間中のCO2排出量は、かなり増加したはずだ。
だったら、エコポイントの範囲を拡大して、「高速道の渋滞する時期に鉄道会社を利用して帰省や旅行をされる場合は、特別にエコポイントを付与します。」と銘打った方が、何となく聞こえがいいように思いませんか?

結局、そこまでしてでも高速道路を利用させたいのは、1000円均一の通行料により生じる不足財源を、民営化された道路会社に拠出するための方策なんじゃないのかな?

省エネ家電の購入に際してのエコポイントや、低燃費車などの減税など、一見環境にも配慮しているようだが、おそらく経済対策の各省庁の意思統一はちっとも行われていないはずだ。その中でも、いわゆる縦割り行政の最たるものが、環境にまるで優しくない高速料金1000円均一だろう。

しかもこのETC割引の制度が2年間限定だということは、意外と知られていないような気が…。そう考えると、結局目先のニンジンに踊らされてませんか?

まぁ、かたやエコだ何だと誇っている一方で、CO2の排出を助長するような1000円乗り放題って、やっぱりなんか国の施策が矛盾しているように思えるのは、僕だけだろうか。

派遣労働と出稼ぎ労働

先日、総務政務官が年越し派遣村(そもそもこの言い方にも違和感がある)に集まった人たちについて、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」とを発したことについて騒動になった。結局本人が発言を撤回し、収拾を図ろうとしたが、一度口から出てしまったものを撤回することは、そう容易いことではないようだ。

職を失い、家を失った派遣労働者たちにとって、年越し派遣村は数少ない拠り所であったのだが、本当にそのような派遣労働者だけが集まっていたのかといえば、
総務政務官の言うとおりちょっと疑問なところもある。もはやホームレスであることを生業としている人たちや、騒動に便乗したエセ派遣労働者も多く含まれていたことだろう。

かつて津軽地方では、冬期間になると関東や中部、関西地方への出稼ぎ労働者が多数いた。今でこそ労働の需要と供給のバランスから、出稼ぎ労働者の数は激減しているようだが、昨今の派遣労働の仕組みは、短期集中雇用という点では、出稼ぎ労働者の雇用形態ときわめて近いような気がする。というか、出稼ぎ労働に変わって登場した一つの労働体系が、派遣労働なのだと思う。

両者が異なるのは、出稼ぎ労働者は春になると地元に戻り、リンゴの受粉や田植えに精を出すが、今の派遣労働者には戻る場所がないし戻るお金もない、ということだろうか。そしてもう一つ大きく異なる点は、出稼ぎ労働者は肉体労働に精を出し、多額の収入を得ることができたが、今の派遣労働者はその日暮らし程度の収入しか得られないということだろう。
ただ、出稼ぎ労働については、儲けたいという思いから出稼ぎに行くのではなく、家族を養うため、生活を守るための手段だったはずだ。要するに出稼ぎも一つの生業だったということだ。一方の派遣労働に目を向けてみると、その雇用形態や労働者の生活状況を見る限りでは、生業と呼ぶにはほど遠いような気がする。

ところであの政務官の発言は、本当に失言だったのだろうか。
このことを巡ってはネット上でも多くの議論が飛び交っているようで、タバコを燻らしながら炊き出しに向かう派遣労働者(なのかホントに?)の姿が放映されていたこともあり、政務官の失言(発言)を支持する声も多いようだ。

確かに、彼らが本来の意味からするところの「失業者」なのかといえば違うような気がする。
失業とは、仕事を失うことおよび働く意思も能力もあるのに仕事に就けない状態を指す。(出典:Wikipedia)

政務官が言わんとしたことは、「仕事を失ったのに働く意志もなく年越し派遣村に集まっているような連中は、失業者とは言えないし、生きるための自立心をしっかりと持ってほしい。」ということなのだろう。本質的に「失業」の意味を捉えるならば、今回の政務官の発言は必ずしも「失言」ではないような気がする。ただ、残念ながらマスコミは、断片的な部分を報道するが、全体像を報道しない。なので、派遣村でタバコを燻らしながら炊き出しに群がる人も職探しをしない人もごく少数だったのかもしれないが、そういったマイノリティばかりに注目が集まってしまった結果、「何もしない派遣労働者め…」的な敵対心を抱かれてしまったことにも、本気で職探しをしている派遣労働者にとっては歯痒いところではないだろうか。

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