派遣労働と出稼ぎ労働

先日、総務政務官が年越し派遣村(そもそもこの言い方にも違和感がある)に集まった人たちについて、「本当にまじめに働こうとしている人たちが集まってきているのか」とを発したことについて騒動になった。結局本人が発言を撤回し、収拾を図ろうとしたが、一度口から出てしまったものを撤回することは、そう容易いことではないようだ。

職を失い、家を失った派遣労働者たちにとって、年越し派遣村は数少ない拠り所であったのだが、本当にそのような派遣労働者だけが集まっていたのかといえば、
総務政務官の言うとおりちょっと疑問なところもある。もはやホームレスであることを生業としている人たちや、騒動に便乗したエセ派遣労働者も多く含まれていたことだろう。

かつて津軽地方では、冬期間になると関東や中部、関西地方への出稼ぎ労働者が多数いた。今でこそ労働の需要と供給のバランスから、出稼ぎ労働者の数は激減しているようだが、昨今の派遣労働の仕組みは、短期集中雇用という点では、出稼ぎ労働者の雇用形態ときわめて近いような気がする。というか、出稼ぎ労働に変わって登場した一つの労働体系が、派遣労働なのだと思う。

両者が異なるのは、出稼ぎ労働者は春になると地元に戻り、リンゴの受粉や田植えに精を出すが、今の派遣労働者には戻る場所がないし戻るお金もない、ということだろうか。そしてもう一つ大きく異なる点は、出稼ぎ労働者は肉体労働に精を出し、多額の収入を得ることができたが、今の派遣労働者はその日暮らし程度の収入しか得られないということだろう。
ただ、出稼ぎ労働については、儲けたいという思いから出稼ぎに行くのではなく、家族を養うため、生活を守るための手段だったはずだ。要するに出稼ぎも一つの生業だったということだ。一方の派遣労働に目を向けてみると、その雇用形態や労働者の生活状況を見る限りでは、生業と呼ぶにはほど遠いような気がする。

ところであの政務官の発言は、本当に失言だったのだろうか。
このことを巡ってはネット上でも多くの議論が飛び交っているようで、タバコを燻らしながら炊き出しに向かう派遣労働者(なのかホントに?)の姿が放映されていたこともあり、政務官の失言(発言)を支持する声も多いようだ。

確かに、彼らが本来の意味からするところの「失業者」なのかといえば違うような気がする。
失業とは、仕事を失うことおよび働く意思も能力もあるのに仕事に就けない状態を指す。(出典:Wikipedia)

政務官が言わんとしたことは、「仕事を失ったのに働く意志もなく年越し派遣村に集まっているような連中は、失業者とは言えないし、生きるための自立心をしっかりと持ってほしい。」ということなのだろう。本質的に「失業」の意味を捉えるならば、今回の政務官の発言は必ずしも「失言」ではないような気がする。ただ、残念ながらマスコミは、断片的な部分を報道するが、全体像を報道しない。なので、派遣村でタバコを燻らしながら炊き出しに群がる人も職探しをしない人もごく少数だったのかもしれないが、そういったマイノリティばかりに注目が集まってしまった結果、「何もしない派遣労働者め…」的な敵対心を抱かれてしまったことにも、本気で職探しをしている派遣労働者にとっては歯痒いところではないだろうか。


昨年夏に、地元の中小企業10社ほどを回り、社長から直接お話を聞く機会があった。その際多くの社長がお話ししていたのが、「今の若者は仕事が長続きしない。何故なら、あまりにも楽をしてお金を稼ごうとか、自分の理想論ばかりを振りかざし、汗をかいてお金を稼ぐという現場主義的な考えを拒絶するから。」ということだった。そして、「そういう甘い意識を植え付ける温床を作っているのは今の教育制度であり、教育現場は、働いてお金を得ることの重要性や、汗を流して働き、対価を得ることの喜びを生徒や学生たちにきちんと指導すべきだ。」という声を数多く聞いた。

今も昔も変わらず、なぜ人間が働くのか、なぜ仕事をして稼ぐのかといえば、最低限の生活を送るため、という根本的な目的があるはずだ。
僕は、教育現場こそ諸悪の根元だとは思わない。生活環境や社会構造の変化により、フリーターや派遣労働が容認されていったという背景もある。その結果として、「派遣労働者でも何とかなる」という風潮が生まれたような気がする。

話を元に戻すと、一部の派遣労働者の人たちが「派遣切り」の名の下にあぐらをかき、積極的に仕事を探すこともせずに派遣村に集まり、こうなったのは国や社会が悪いから何とかしろ、というのは、完全に他力本願だと思うのだが、いかがだろうか。
ハッキリ言って、社会に責任転嫁することほど楽なことはない一方で、これほど無責任なこともない。

何となく彼らには、本気で働いていくこと以前の問題として、国や自治体に頼りすぎて、自立して生活しようという気がないのでは、と思えてしまうのだ。その場しのぎの宿泊施設や食料を用意するぐらいなら、彼らが自立し、汗をかいて働き、そして最低限の生活を送るための方法を指南すべきだと思う(恐らく支援者は、就労斡旋もしているとは思うけれど)。派遣村は派遣労働者の自立支援に特化すべきであり、安住の地、依存の場であってはならないのだ。

そんな中、農水省が農産漁村への人材派遣を検討しているという。

<農水省>農山漁村に人材派遣 失業者受け皿にも
農林水産省は、農山漁村で働く人材を都市から地方へ派遣する事業を08年度中から始める。派遣の期間は最大1年間だが、若者や失業者に地域の新たな担い手となってもらい、その中から農林水産業の後継者を発掘したいという狙いがある。雇用情勢が悪化する中、失業者に就業機会を提供する側面もある。旅費や手当の助成に、08年度2次補正予算案と09年度当初予算案に計12億円を計上している。


このニュースを見たとき、これは逆の出稼ぎ労働だと思った。
もちろん向き不向きや資質の問題もあるだろう。ただ、国内の食糧自給率の低下、離農、後継者不足にあって、失業者の受け皿として農業従事を推す声はこれまでも数多くあったが、今回農水省が打ち出したこの事業は、労働の需要と供給バランスに見事にマッチングする可能性がある、といったところだろうか。
ここは、本気で自分の生活を確立したいと思っている人たちの意気込みに、ちょっとだけ期待を寄せてみたい。と同時に、逆出稼ぎという新たな労働形態として、今後の動向に注視したい。そのためにも農水省には、この事業を是非とも軌道に乗せてほしいものだ。

※どうでもいい出稼ぎを巡る一つの小咄
トッチャが出稼ぎに出発する日の朝、子供が泣きながら「トッチャもカッチャも行かないで」とすがってきた。
カッチャが「あれ、どうしたの?カッチャは行かないよ。」と子供に話しかけると、子供がこう答えたそうだ。
「だって昨日の晩カッチャ、トッチャの部屋で何回も「オラも行く、行く」って叫んでらっキャ。」

 

 

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