Category Archives: おすすめ音楽

ブラック・ミュージックがもたらす妄想の世界

懐古主義といわれても仕方がないのだが、50代を過ぎた今も聴いている音楽は、80年代から90年代に掛けての曲がメインだ。つまり、四半世紀以上前の曲に未だに夢中になり、没頭している、ということ。
とりわけ最近は、いわゆる「ブラック・ミュージック」と言われていた音楽を好んで聴いている。
ブラック・コンテンポラリー、R&B、Rap、New Jack Swing…さまざまなジャンルへと派生されていったブラック・ミュージックの数々。

そんな中、最近どっぷりと嵌ってしまったのが、2020年11月から段階的にタワーレコード限定で発売されている「Midnight Love – SMOOTH R&B ESSENTIALS」のシリーズ3部作。ソニー、ワーナー、ユニバーサル、それぞれのレーベルに属していたアーティストの珠玉の名曲が、これでもかと言わんばかりに収録されている。32曲、32曲、48曲なので、計112曲。これだけ収録されていれば、もはや初めて耳にした曲だって気にならないし、逆に新しい発見があったりもするというものだ。
それぞれのアルバムの解説を務めるのは、ブラック・ミュージック研究の第一人者、JAM氏で、歌詞も付されているほか、最新のマスタリングが施された音源となっている(よって、全ての楽曲は一定の音圧で聴くことができる)。

のんべ
のんべ
画像をクリックすると、タワーレコードの各ページへ飛びます。ちなみにタワーレコード限定販売です。

しかし、若かりし頃、何でこんな曲ばかり聴いていたかということを考えてみたが、単なる「大人ムード」への憧れであり、その先にある官能的な世界の妄想に利用していただけだったのかも知れない。早い話が、スケベ心を掻き立てる一助となっていた、ということだろうか。
まだ「大人エレベーター」に乗るほどの段階ではなく、「大人への階段」の踊り場で、独りティッシュ片手にムニャムニャ…例えるならばそんな感じ。
今になって改めてこれらの楽曲を聴いてみると、新鮮な気持ちと当時の(いろんな意味で)モヤモヤした気持ち、感情が複雑に入り交じっていた当時のことを思い出し、ちょっと照れくさくもなる。

当時、FM雑誌に掲載されていた(ちなみに私は、1998年に休刊となった「FM STATION」派でした)チャートを眺めながら、一生懸命カセットテープを編集して(いつやってくるのかもわからない)ドライブに備えていたが、結局そのテープは自室でのBGMと化し、本来の出番を迎えることはなかった、なんてことを思い出した。

いわゆる「一発屋」の方々が多く収録されているのも特徴的で、これもまた当時の音楽業界が群雄割拠の状況だったことを示す一つの象徴なのだろうか、と思ってしまう。ちなみに、私がこよなく愛しているPrinceや、R&Bとは完全に一線を画することとなったMichael Jacksonはこれらの作品に登場しないが、Princeのカバー曲(Do Me Babyが収録されていたり、関連アーティストが数名登場しているのは、ちょっと嬉しい。

更に、このシリーズ第1作目が発表されるちょうど2年前、ユニバーサルミュージックから「NEW JACK SWING the Best Collection」なる3枚組50曲を収録したコンピレーションアルバムが発売されていたことを知る。このジャンルを確立させた人物と言われるGuyのメンバーでもあるプロデューサーのTeddy Riley、そして、歌い手の立場からそのジャンルを確立させていったBobby Brownをはじめ、一世を風靡したアーティストがてんこ盛り。内ジャケットには、収録曲のジャケットカバーが掲載されているのだが、その風貌がまた何とも当時を思い起こさせるいで立ちばかりで、これだけでも結構ニヤリとさせられる。レーベルを越えた日本独自の編集盤となっているほか、初CD化の音源も多数収録されており、これだけでも「買い」の要素は十分。

のんべ
のんべ
こちらはAmazonでも販売。安価なのは、Amazonかな。

個人的には、この4作品があれば、80年代から90年代にかけてのブラック・ミュージックの潮流を結構押さえることができるんじゃないかと思っている。

とはいえ、ラップやクラブミュージック、DJなど様々なジャンルの音楽がこの頃はひしめき合っていたのも事実なので、裏を返せばこんなのは氷山の一角、と言えるのかも知れないが。

昭和の時代に戻るならば、これらはいわゆる懐メロ、ムード歌謡といったジャンルに分類されても不思議ではない。
そして、何よりも強調しておきたいことが一つ。
収録されているアーティストの大半は、「あの人は今」に登場しそうなクラスの方々で占められておりますので、念のため。

アナログ時代への回帰

僕にとって、音楽はなくてはならないもの。音楽を聴くことは、癒やしだったり、カンフル剤だったり、もっと突き詰めれば、服飾のようなものだ。
通勤時間はイヤフォンを欠かすことができないし、家にいる時も、ランニングに勤しむ時も、肌見離さず身につけている、そんな感じ。

朝起きて、朝食を食べて歯磨きして、シャツやネクタイの色を考えながら着替えて、いざ出発。
さて、今日は誰の音楽を聴きながら職場に向かおうかな…。
これが僕の日常だ。とにかく、僕にとっての音楽は、生活の一部ということに尽きる。

なぜか2枚ある12インチレコード。未聴。

この年齢になると何でもかんでも取りあえず聴き漁るということはなく、耳に慣れ親しんだものばかり聴くようになった。
その音楽を提供する媒体はCDであったり、ストリーミング配信であったり、サブスクリプションであったり、ダウンロード購入したデジタル音源であったりさまざまだが、いずれにも共通するのは、場所を問わず聴こうと思えばどこでも音楽を聴くことができる、ということだろうか。

いつどうやって購入したのか思い出せないレコードの一枚。

昨今のアナログ盤ブームは、ちょっと嬉しくもあり複雑な気分でもある。スピーカーをあちこちに配置して四方八方に音を鳴らす、という手法もあるのかも知れないが、レコードを聴くということは、レコードプレーヤーに乗せたレコード盤に針を落とし、じっくりと耳を傾ける、というのが正しい姿勢なのかな、と思っている。ドライブの時にレコードを聴きながら音楽を楽しむ…さすがに難しいことでしょうからねえ。

今までで一番購入するのが恥ずかしかったアルバム

ちなみに何で複雑な気分なのかというと、結構な量のレコード盤を自分の不注意ですべて毀損し、破棄に追い込まれるという大事件があったからだ。
今となれば相当なレア盤もあったはずだし、それなりに価値のある盤もあったはずなんだが…。
まあ、今となってはもう手元にないレコードのことを悔やんでも仕方がない。

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岡村ちゃんと美里さんと私

(今回も長いです。原稿用紙約8枚、そして今回も敬称略ごめんなさい。)

僕が岡村靖幸のファンであることを公言して30年以上が経つ。

当時、岡村靖幸の凄さを同級生をはじめ同期の面々に広めたのは自分だという自負を抱いていたが、今思えば、それは僕の自惚れだったのだろう。

事実、岡村靖幸のデビューにはあまり興味がなかったし、お世辞にも歌唱力が高いとは言えないくせに、唯我独尊的フェミニズム全開の佇まい、斜に構えた気怠さのような雰囲気、そして当時、僕自身が大して興味もなかったプリンスに擬えられることの奇妙感が、デビューアルバムの「yellow」に、全くと言っていいほど食指の動かなかった要因の一つとなった。

しかし、伏線があった。

岡村靖幸がデビューする前、個人的に猛プッシュしていたのが渡辺美里だった。

ケニー・ロギンスのカバー曲「I‘m Free」でデビューを果たした彼女、続けて発表された「GROWIN’ UP」を初めてラジオで聴いた時の衝撃は、相当なものだった。

この曲ですっかりハートを鷲掴みされてしまった僕は、美里ファンを標榜するようになる。

1stアルバム「eyes」の後、満を持して発表されたシングル「My Revolution(ご存じ小室哲哉作曲)」で遂にブレイクを果たし、続く2作目のアルバム「Lovin’ You」は、彼女のオリジナルアルバムとしては、最初で最後の2枚組として発売された。

発売日当日にアルバムを購入した私、予約特典でもらったポスターを部屋の壁に貼り、すっかり意気揚々。クラスメイトに懇願して土曜日朝に「日弘楽器」でコンサートチケットを入手してもらい、初の青森公演にも足を運んだ。(今思えば、この頃から急に活動範囲が広がった気がする。)

そしてこの過程で、実は岡村靖幸がこのアルバムに深く関わっていることに気づく。

何と、20曲中8曲も楽曲提供しているのだ。(ちなみに岡村ちゃんが渡辺美里に提供した楽曲数は、23に上るらしい。)

更に、彼が作曲した楽曲がまた、彼女の作品の中でも名曲揃いなのである。

当時はあまり気にしていなかったのだが、熱狂していた「GROWIN’ UP」が彼の作曲だったということを知った時に初めて、岡村靖幸って実はスゴい人なのかも知れない、と思い始めた。

余談ではあるが、渡辺美里がブレイクしたあと、シングル盤のA面B面の作曲陣は、小室哲哉と岡村靖幸が顔を並べるということが幾度となく繰り返された。今思えば、すげえ贅沢な組み合わせだったんだなあ、と。

閑話休題。

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宮本浩次の行く先は。 #縦横無尽

※本日の投稿は敬称略です。あしからず。
2021年10月13日、宮本浩次のニューアルバム「縦横無尽」が発売された。

2019年から始まった宮本のソロ活動。2020年3月には初のソロアルバムとなる「宮本、独歩。」が、11月には女性アーティストの曲ばかりをカバーしたアルバム「Romance」が発売され、2020年において最も活躍したアーティストの一人といってもいいぐらい、精力的な活動が見られた。

この間、エレファントカシマシの名はすっかり影を潜め、宮本の評価は上がるばかり。時として奇行のようにも受け取られそうな宮本の一挙手一投足が、もしも計算ずくでのことだったとしたら恐ろしい。

それはともかく、エレファントカシマシがどのタイミングで再始動するのかが非常に気になるところではあるが、他のメンバーは、宮本のソロ活動にあたり裏方の如く動き回っているらしく、時々その様子が宮本自身のインスタグラムに投稿されているのが微笑ましい。

さて、ソロとして初めての作品となった「宮本、独歩。」は、ソロデビューしてからの活動の集大成のような形の作品となっていたため、てっきり「一過性」のものなのだと思っていた。しかし、プロデューサー小林武史は手を緩めることなく、「宮本、独歩。」を超える売り上げと話題を呼んだ「Romance」、そして今回の「縦横無尽」へと繋げていった。

しかも、それぞれの作品が、いうなれば三者三様のカラーを打ち出しているのは、流石。

「宮本、独歩。」は、「Hi-STANDARD」のギタリスト横山健をフューチャーした「Do You Remember?」のインパクトが強烈過ぎるし。「冬の花」「ハレルヤ」「going my way」「昇る太陽」など、宮本が絶唱する、という印象が強かった。ロックというよりも、パンクにも近い勢い。けれども繊細という、最初のソロアルバムにしてベスト盤といってもいいぐらい、素晴らしい作品だった。

続いて発表された「Romance」は、昭和から平成の時代において華々しい活躍を見せた女性アーティストのカバー集だったが、これが宮本の歌唱力の凄さを見せつけることとなったといっても過言ではないだろう。エレファントカシマシのフロントマンというよりも、宮本浩次というソロアーティストとしての名声を一気に上げた感じ。作品のクオリティも相当高かったので、これまで宮本浩次、エレファントカシマシを知らなかった人たちでも手に取った人は相当多かったんじゃないかと思う。

これでソロ活動は終了、エレファントカシマシの活動へ向けてへシフト…と思ったら、宮本のソロ活動はこれでは終わらなかった。

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プリンスが語る平和的革命 「Welcome 2 America」 #prince #w2a

プリンスがこの世を旅立って5年が経過。
依然としてプリンスロスに陥っている人も多数いる中、何と「新譜」が発売されることがアナウンスされた。海賊盤のようなデモテープ起こしや、過去の未発表曲の寄せ集めなどではなく、正真正銘の「新譜」だという。
2010年に制作されながらお蔵入りとなったそのアルバムのタイトルは、「Welcome 2 America」(W2A) 。11年という月日が流れて、突如スポットライトが当てられることとなった。

プリンスが手掛け、この世に公式に発表されていない楽曲の数は数万曲とも言われており、今回のアルバムがほんの氷山の一角に過ぎないのは事実だが、それでも、これまで聞いたこともない作品が発表されたことは、素直に嬉しい。そして、過去のアルバムのリマスター盤に収録された、未発表作品集とはまた異なる趣、当時の世相や心境を強く反映したような楽曲で構成されている点、しかもそれが、今日においてもなお響いてくるということもまた、何とも心をくすぐる。

ところで、まず最初に思ったことは、なぜこのアルバムがお蔵入りすることになったのか、ということだった。流れからすると、2010年に発表した「20Ten」の次に発売されるかも知れなかったアルバム、ということになるが、プリンスが前作を踏襲した続編的なアルバムを制作することはこれまで一度も見たことがないので、「W2A」も「20Ten」とは全く異なる趣意で制作されたものだろう。ただ、「20Ten」にあったいい意味での軽妙さ(悪い意味でのチープ感)は影を潜め、全く異なる印象を抱く作品だ。
そこで考えたのは、このアルバムが社会的なメッセージをかなり強く打ち出したものとなったため、さまざまな影響(新たな敵を作るかも知れないリスク)を考慮し、お蔵入りにしたのではないか、ということ。あるいは単に、一気に台頭した音楽のデジタル化や、寡占が進む市場や社会に辟易してのことなのかも知れないが、真実は誰にもわからない。(プリンス自身が今は早過ぎると判断した結果、お蔵入りとなった、という説もあるが。)

プリンスは以前からインターネットやGoogle、Apple社などに対する批判を強くしていたが、このアルバムが制作された前後の頃と思しきインタビューでは、批判と皮肉を一層強めている。そして、この頃の音楽市場にうんざりしたプリンスは、レコーディングをしばらく自粛することにした、とも語っている。実際、「20Ten」の次にアルバムが発表されるまで、4年の月日を要することとなった。デジタル化に迎合し始めたレコード会社や音楽業界に対して、とことん嫌気が差したのかもしれない。

そういえば「20Ten」も当初は、レコード会社を通じたものではなく、紙媒体である新聞の付録として世に放たれたんだっけ。(ライブツアーの宣伝に一役買ったのも事実だが。)

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