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「走れメロスマラソン」と、濁点と。

先日、五所川原市で開催される「走れメロスマラソン」に出場するため、約1年振りに五能線に乗車した。

東能代行きの二両編成の気動車(快速だが、「リゾートしらかみ号」ではない。)は、6時46分に弘前駅を出発すると、二つ先の川部駅で進行方向を変えて五能線に入り、一路五所川原、そして日本海沿岸の鰺ヶ沢、深浦へと進んでいく。

ちなみに僕らが乗車しているうちに通過したのは弘前市、田舎館村、藤崎町、板柳町、鶴田町、五所川原市の6市町村。
それぞれ観光、産業に特色を持つ市町村を通過しながら、7時半頃に五所川原駅に到着した。

ところで、五能線には「陸奥○○」という駅名が多い。陸奥鶴田、陸奥森田、陸奥赤石、陸奥柳田、陸奥沢辺、陸奥岩崎…。他の地区にある同名駅と区別するためらしいが、なぜ「陸奥(むつ)」なのかはわからない。
そしてこの中で、ひとつ気になる駅名がある。

鶴田町にある「陸奥鶴田駅」だ。
鶴田町は、「つるた(TSURUTA)まち」なのに、駅名は陸奥鶴田。読み仮名は「むつ-つるだ(TSURUDA)」と、「た」に濁点が付いているのだ。なぜだ?

そういえば、僕が普段口にする地名にも、余計な濁点が付いていることが多いことに気づいた。濁点の付いていない地名であっても、だ。

先ほど列挙した市町村名を、ひらがなで表記しよう。
ひろさき、いなかだて、ふじさき、いたやなぎ、つるた、ごしょがわら。

これを普段の話し言葉に変換すると、こうなる。

ヒロサギ(フロサギ)、イナガダデ、フンチャギ(フズサギ)、イダヤナギ、ツルタ(ツルダ)、ゴショガヮラ
ここではあえて()内に表記したが、前述の鶴田を「ツルダ」という人は、少なくとも僕の周囲にはあまりいないし、僕も鶴田は「ツルタ」と言う。その一方で、藤崎町に関しては「フンチャギ」と、もはや最初の「ふ」しか合っていないといった状況だ。

そしてこの余計な濁音こそ、津軽の言葉が訛っていると印象づけ、そして、津軽弁がフランス語に似たものがある、と揶揄される要因になっていると勝手に思っている。津軽の言葉が訛っていること、津軽弁が他の都道府県の方々にとっては全く理解不能であること、そして僕自身が訛っていること自体は、否定する余地がないのだけれど。

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難易度高めの新コース - #仙台国際ハーフマラソン –

令和元年5月12日(日)。
年号が令和に変わって最初の出場レースが開催される日。

午前4時過ぎに起床、ゼッケンを装着したユニフォームを事前に着用し、出発の準備を整えた。これまではいずれも日帰りだったが、今回は翌日に都内での用務を控えているため、都内へ移動する必要が生じた。結果、仕事用の着替え一式も持参することとなり、荷物が倍以上に増えていた。

5時半前に自宅を出発、弘前駅へと向かう。乗客も疎らな5時59分発青森行きの電車に乗り込み、新青森駅で東北新幹線に乗換え、仙台駅に8時55分到着。この日は、後述する他のミッションが控えており、正直、マラソンよりもそちらに気が向いていた。

事前に把握していた仙台駅構内にあるコインロッカーに出張用の荷物を預け、軽装で会場に向かい始めた。

一つしくじったのは、仙台駅から会場まで約2キロをジョグで流して向かうはずが、運動には全く不向きな格好だったこと。それでも、ミッションに対する期待から会場までの足取りは軽かった。しかし、会場手前の緩い下り坂を、1時間半後には自らの足で逆走しなければならないと気付いた途端、急に足取りが重くなった。

会場に到着すると、既に他のメンバーは支度を終えていた。一人遅れてやってきたことへの申し訳なさと居心地の悪さを感じながら、そそくさと走る準備を整える。といっても、着ているものを脱いで荷物を預けるだけ。そう、走れる体制は弘前から既に準備していたから。

直前になってこの日集まった弘前公園RCのメンバーで集合写真を撮影することができた。

スタート30分前となる9時35分頃には、スタートBブロックに到着。

気持ちいい以上の青空が広がっているが、東寄りの風がやや強く吹いている。そういえば、最後のトイレに行くのを忘れてしまった。風に晒されて身体が冷えて、尿意をもよおすかも知れない、という懸念が頭をよぎったが、極力考えないようにした。

今回からコースが少し変わる。昨年までの20キロ手前、最後の難関であった貨物線の跨線橋は、スタート直後に往復する。むしろ後半のアップダウン、16キロから19キロまでがキモとなりそうだ。

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平成最後の…。 -第7回イーハトーブ花巻ハーフマラソン

2019年度の走り初めは、いつもの「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」から。2月3月と、月間走行距離が100キロ前後にとどまるという状況、いくら相性のいいコース(90分を最初に切ったのがこのコースだった)とはいえ、練習不足は否めない。更に追い打ちをかけるように、昨年末からかなり体重が増えていた(500mlペットボトル約6本分)ため、好走を望めるはずがなかった。

しかし、漫然と走るわけにはいかない。練習不足だからこその課題も色々見つかっている。悶々としながら大会前夜は21時過ぎに就寝、翌朝は4時30分に目が覚めた。

花巻市にある会場の日居城野運動公園は、叔母の家から車で5分とかからない場所にある。
が、今年は前泊することもなく、朝5時過ぎに弘前を出発し、東北道を南下。7時20分頃に会場に到着したところ、駐車場が例年とは打って変わって大混雑。後で知ったのだが、今年は昨年より出場者が300人ほど増えたらしい。車を停めて外に出てみると、まだ朝日が太陽に隠れていて、少し肌寒いぐらいだった。いつもより入念なストレッチと軽めのアップを終えて競技場に入ると、既に開会式が終わろうとしていた。

ラン仲間数名と軽く言葉を交わし、スタートの列に並ぶ。今日の設定タイムは90分。何の迷いもなく、「1時間30分~45分」のプラカードの前に立つ。前にいた方がスタートの混雑からいち早く抜け出せることもわかっていたが、速いだけが好走ではないハズ。設定通り走る好走もあっていいじゃない。そんな開き直りからか、気負いも緊張もなかった。

あっという間にスタートの8時50分を迎えた。
周囲の流れに身を任せるまま、ゆっくりとしたスタートとなった。幸いにして風が穏やかで、気温もまだそれほど上がっていない。
入りの1kmは4分40秒、スタートの混雑を考えればやむを得ない。あとは淡々と、着実に20回ラップを刻めばいいだけだ。花巻東高校の生徒が今年も給水をサポートしているようだ。しかし、皆さん応援に熱が入っているのか、手にしているカップの位置がやや高めにある。幾度かカップを少し下げて、と手で合図を送る。

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自堕落男の憂鬱

久し振りにランニングの話を。

いつの頃からか、2月が28日(閏年は29日)しかないことが恨めしくなってきた。1年365日のうち11か月は30日か31日なのに、なんで2月だけ28日なんだ?と。
とりわけ年度末を迎える3月が繁忙になればなるほど、2月の28日間に他の月から2日を足してこられないものなのかと、どうすることもできない失望感に襲われるようになった。

もうすぐ役目を終える平成。来年からは天皇誕生日が2月になる。今年の天皇誕生日は「平成の天皇誕生日」として祝日のままのようだが、来年からは2月の祝日が2日(建国記念の日と天皇誕生日)になるということを考えると、2月がますますあっという間の1か月になりそうな気がする。

毎年のことだが、2月は1年で最も走る距離が短い。決して2月そのものが短いからではない、と思いたい。その中でも今年は、ここ数年で特に短い走行距離に終わりそうだ。国内に目を向けると、マラソンシーズンもそろそろ佳境と言われる時期に差し掛かり、今週末には日本最大のマラソン大会と言っていいであろう東京マラソンが開催を控えている。

そんな中にあってもシーズンオフよろしく、すっかり走ることから離れ、仕事して飲んで喰って寝てのローテーションが、まるで作業工程表のごとく毎日組み込まれている。そのローテーションを変える気にもならないぐらい自堕落な日々を過ごしている、ということなのだろう。

一方で、今の置かれている立場や仕事の内容を鑑みると、平日に走ることは現状ほとんど無理となっている。
決して時間がないわけではない。寸暇を惜しんで走る時間を作ればいいだけの話だし、早朝や夜間に走るという方法もあるのかも知れないが、氷点下の中、暗闇の路面凍結した道路を走るというのは、なかなか難儀なことである。もちろんそれをこなしている人もたくさん知っているが、僕はそこまで走ることに固執している訳ではない。

だからこの時期は、作業工程上のローテーションの合間になると何をすることもなく、まさにRAMBLING状態に陥る。

そしてもう一つ、降雪量の増えるこの時期、朝晩の雪片付けがトレーニングなのだと言い訳をしながら日々を過ごしているのだが、今年はその雪片付けの回数もそれほど多いわけではなかった。

(でも、小屋から落ちてきた屋根雪の量はハンパじゃなかった)

その一方で、連日あれやこれや仕事に私事にと追われることとなり、走る気力はどんどん削がれていった。まだ走る準備が整っていないと言い訳しながら、自らにリミッターを取り付け、なるべく走らないようにしていた、そんな感じだ。

更に2月は、ほぼ毎週のように繰り広げられた飲み会(2月だけで7回!)が追い打ちをかけることとなり、ますます走ることから足が遠のいていた。

そして、とどめの一撃に見舞われることに。

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雪降って脚固まる -第67回勝田全国マラソン-(後篇)

-「前篇」はこちらから-

JRの最初の跨線橋を越え、左折。南寄りの方角へ進路を変えてもなお、冷たい向かい風が収まる気配はなかった。
全く読めない風向きに翻弄される自分。コースマップの見立てを完全に誤ったと、再び狼狽。

実はこの付近から、ある異変が起きていた。

寒さからなのだろうか、頭がボーッとしてきて意識が働かないのだ。完全に思考停止に陥り、まるで寝ながら走っているような感覚にとらわれていた。
今になって振り返っても、この約5キロの記憶がほとんどない。周囲のランナーに流されるまま走っている、そんな感じだった。ハッと意識を戻したのが25キロ手前、二度目となるJRの跨線橋に差し掛かり、係員の人が「2時間○○分経過です!」と大声で告げている声を聞いた時だった。あっ!そういえばオレ走ってるんだった!

25キロの手前で東向きに進路を変えたため、風向きが追い風に変わっていたが、何だか頭がボーッとしている。
更に跨線橋を上りきった直後に、まるで大腿部にダンベルが埋め込まれ始めたような脚の重さを感じた。時計に目をやると、ペースがガクンと落ちていた。
ふと視線を前に送ると、同じ色のシャツを着たTキャプテンの背中が視線に飛び込んで来た。
いつの間に追い抜かれたのかは全くわからないが、つかず離れずの微妙な位置にいる。
申し訳ないが、しばらくペーサーに見立てて走ろう。

しかし、そう思って走ったのも30キロ手前まで。右折左折の連続する区間に突入すると、背中がどんどん遠くなるのがわかった。

その時、ポンと尻を叩いてきたのは、No Appleの黒Tシャツに「絶倫魂」を背負ったケンケンだった。どこで彼を先行したのかも全く覚えていない。
「あ、脚が攣りそう…」と思わず弱音が出る。
「オラもだ!」
力強くそう言い放った黒いTシャツの背中も、どんどん小さくなっていった。


(この記事にご出演頂いたお二方と。)

こうなるとどこまで我慢できるか。
ペースが更にガクンと落ちていたことも悟っていたし、今にも痙攣しそうなふくらはぎがビクビク疼き始める。
そして33キロ手前、とうとう右脚のふくらはぎに電流が流れ、脚が止まった。

おっとっとっと!!ヤバいヤバい!一度疼いた脚をさすりながら、まだ先は長いのに、歩いたりジョグに切り替えたり。
更に、太腿部に埋め込まれたダンベルが鉄板となり、脚を前に出すことを完全に抑えにかかっている。
どうやら冷たい風が、脳内だけではなく筋肉まで硬直させてしまったらしい。今回はここまでだったか…ちくしょう!

芍薬甘草湯を口にして少し落ち着きを取り戻したものの、もはやキレた気持ちを取り戻すことはできなかった。
この間、数名のラン仲間に背後から声を掛けられ、後塵を拝した。いや、その後もゴールするまでずっと仲間の後塵を拝し続けた。そしてそれぞれの背中に、「頑張れ…」と小さくエールを送ることしかできなかった。

38キロ手前で伯父家族の姿が見えた。強い寒風の吹く中、今かまだかと待っていたのだろう。こちらから手を挙げて合図を送ると、大声で声援を送ってくる。
無様な姿を晒して本当に情けないと思った。
この寒い中、わざわざ総出で応援に足を運んでくれたのに、ただただ申し訳ない。
昨晩の鰻重のエネルギーを、今回はチカラに変えることができなかった。ごめんなさい。

悔しさと情けなさが胸の中で大きな渦を巻いている。
「ごめん!途中で脚痙った!」

苦笑しながらそう叫んだけれど、本当は自分の不甲斐なさに大泣きしそうだった。

残り1キロを切ってもなお脚が前に出ず、ゴール手前まで歩くといった為体。走る余力というより、気力が完全に萎えていた。
そうだ、それでも最後は笑ってゴールしよう。…もっともその笑いは、自分自身に対する嘲笑だけれど。
卑屈な笑みを浮かべながら、3時間33分22秒でゴール。3.5時間も切れないぐらい、走力が落ちきっていた。
ゴール付近では、伯父一家とラン仲間が待っていた。
正直、みんなに合わせる顔がないと、穴を掘って隠れたいぐらいの気持ちだった。

練習不足、調整不足が露骨にタイムに現れることをつくづく思い知らされた今回の大会。
でも、これが今の実力なのだ。
マラソンにはマグレもなければ、ゴマカシも効かない。
楽しく走るつもりが、苦々しさばかり残る結果となった。
大腿部がダンベルになり、最後は工事中の鉄塔みたいなってしまった。
何かを壊すつもりだったのに、先に脚が壊れ、気持ちが崩れた。
更に、脚が前に出ていかない感覚を久し振りに味わった。北海道の時とはまた異なる辛さだった。

もっとも、これが今の底辺なのだと信じたい。もちろん、底を掘り下げることはいくらでもできるだろう。しかし、底を下げれば下げるほど、這い上がるのが大変になる。だから、底が浅いうちに再浮上するきっかけを早めに掴んでおかないとならない。

といいつつ、ここからしばらく冬眠に突入する。
2018年は色んなことを思い知らされたので、雪が解ける頃までに消えかけた火を熾し、一から叩き直したいと思う


(商標登録されていることに今更気が付いた。)

大会に出場された皆さん、本当にお疲れさまでした。
そして、僕の尻に火をつけてくれてありがとうございました。
何となく、這い上がるきっかけを掴んだような気がします。
それでは雪解けまでごきげんよう。またお目にかかりましょう。では。