難易度高めの新コース - #仙台国際ハーフマラソン –

令和元年5月12日(日)。
年号が令和に変わって最初の出場レースが開催される日。

午前4時過ぎに起床、ゼッケンを装着したユニフォームを事前に着用し、出発の準備を整えた。これまではいずれも日帰りだったが、今回は翌日に都内での用務を控えているため、都内へ移動する必要が生じた。結果、仕事用の着替え一式も持参することとなり、荷物が倍以上に増えていた。

5時半前に自宅を出発、弘前駅へと向かう。乗客も疎らな5時59分発青森行きの電車に乗り込み、新青森駅で東北新幹線に乗換え、仙台駅に8時55分到着。この日は、後述する他のミッションが控えており、正直、マラソンよりもそちらに気が向いていた。

事前に把握していた仙台駅構内にあるコインロッカーに出張用の荷物を預け、軽装で会場に向かい始めた。

一つしくじったのは、仙台駅から会場まで約2キロをジョグで流して向かうはずが、運動には全く不向きな格好だったこと。それでも、ミッションに対する期待から会場までの足取りは軽かった。しかし、会場手前の緩い下り坂を、1時間半後には自らの足で逆走しなければならないと気付いた途端、急に足取りが重くなった。

会場に到着すると、既に他のメンバーは支度を終えていた。一人遅れてやってきたことへの申し訳なさと居心地の悪さを感じながら、そそくさと走る準備を整える。といっても、着ているものを脱いで荷物を預けるだけ。そう、走れる体制は弘前から既に準備していたから。

直前になってこの日集まった弘前公園RCのメンバーで集合写真を撮影することができた。

スタート30分前となる9時35分頃には、スタートBブロックに到着。

気持ちいい以上の青空が広がっているが、東寄りの風がやや強く吹いている。そういえば、最後のトイレに行くのを忘れてしまった。風に晒されて身体が冷えて、尿意をもよおすかも知れない、という懸念が頭をよぎったが、極力考えないようにした。

今回からコースが少し変わる。昨年までの20キロ手前、最後の難関であった貨物線の跨線橋は、スタート直後に往復する。むしろ後半のアップダウン、16キロから19キロまでがキモとなりそうだ。

この日の設定をどうするかは、ギリギリまで悩んだ。ペース走で行くか、ビルドアップで行くか…。
いずれにせよ、最低限90分を切ることだけは頭の片隅にあった。
まあ、それも含めてレースをコントロールする練習をしようじゃないか。走りがコンパクトにならないように、萎縮せずに堂々と駆け抜けよう。

10時05分、いよいよ号砲が鳴った。闘牛場に放たれた牛のごとく、ランナーが一斉に走り出す。…が、すぐに車道の一部が狭められ、渋滞が発生。仙台国際ハーフマラソンは毎回、スタート直後のランナー渋滞に悩まされる。
左折してすぐに、最初のアップダウンとなる貨物線の跨線橋が姿を見せる。既に大勢のランナーが道路幅一杯に拡がっている。
思ったように前に進むことができず、スタートから最初の1キロ通過までに4分47秒も要した。スタートロス(20秒)を差し引いても、4分半近くかかっていることになる。
遅い!!いくら何でも遅すぎる!!徐々にばらけ始めたランナーの群衆の合間を縫うように、前へ前へと歩を進める。1キロから2キロまでの間は、4分を切るペースで走っていたらしい。今度は逆に飛ばし過ぎた。ひとまず1キロ4分5秒~10秒の間にペースを落ち着かせる。スタート直後は向かい風となったが、最初の折り返しを過ぎた後しばらくは、追い風基調になりそうだ。2キロを過ぎた後にペースが落ち着いたのを時計で確認した後、しばらく時計には目をくれずに走っていた。

5キロの通過が21分31秒。スタート直後の遅れを考えると、もう少しペースを上げてもいいかも知れない。

ところで本日最大のミッション。走り終えた後は、仙台パルコのタワーレコードへ向かい、取り寄せていたプリンスのレコードを受け取らなければならない。
14時には新幹線で東京に移動することも決まっている。
決して時間に余裕があるわけではない、と思っていた。アホみたいな話だが、ペースが落ちかけると「レコード、レコード」と口走りながら、自分を鼓舞していた。

追い風基調も手伝ってか、10キロ通過時で42分30秒までタイムを戻していた。
常禅寺通り付近は一番賑やかで声援が飛び交う区間だ。雀踊りの演者の皆さんに拍手を送りながら、軽く手を振ると、もの凄い勢いで手を振り返してくる。それが間違いなく走る力となっていた。

仙台の大会は、これがあるから楽しいのだ。

その力を糧に、徐々にまたペースが上がっていった。しかし、あまりペースを上げるのも考え物だと冷静になっていた。新しくなったコース、一番キツいところで緩い上りが待ち受けていることが頭をよぎる。

それを打ち消すがのごとく、相変わらず「レコード、レコード」と口走りながら、4分5秒前後のペースで駆け抜ける。

15キロ手前付近だっただろうか、高橋尚子さんがランナーとハイタッチを交わしていた。決して力むことなく、そっと手を出すと、高橋さんのタッチを受けた。背後から聞こえた「やった!やった!」という声は、きっと高橋さんとハイタッチを交わしたランナーだろう。

15キロを通過、1時間3分を経過していた。ここまでは概ね順調だったが、向かい風が吹き付けていたこともあり、さすがに疲労が出始めていた。それでも、4分5秒前後でここまで持ちこたえていた。仙台駅東部の新コースへと入り、例の上り坂へと差し掛かる。

「うわ…マジか。」

急勾配ではないにせよ、緩くダラダラと続く坂。大したことはないはずなのに、かなりキツい坂に感じられる。どんどんペースが落ちていくのがわかる。後で確認したら、4分30秒近くまで一気に落ちていた。当然、続々とランナーが僕の横を駆け抜けていく。レコードがどんどん遠ざかっていく。
そんな中で「頑張れ!」と声を掛けてくれたのは、青森市のランニングチーム『えんみゅう』のSさんだった。しかし、手を挙げる余裕もないぐらい、疲弊しながら走っていた。ようやく折り返し、下り基調となるが、ペースが元に戻らない。
しかしここで心折れたら元も子もないぞ。もう一度あの呪文を口走る。
「レコード、レコード…」

20キロを通過。1時間25分を切っていた。よほどのことがない限り、90分切りは大丈夫だろう。
「よし!」と気合いを入れ直し、最後の力を振り絞る。再び加速を開始、残り約1.1キロ4分前後のハイペースで駆け抜け、ゴールゲートをくぐった。
タイムは、1時間29分06秒。

昨年より1分半も遅いが、大して練習が積めなかった中では良くやれた方だろう。
結果に満足はしていないものの、設定した幾つかの課題はクリアできたし、トイレに行くこともなく、無事に完走することができた。

仙台で今の実力を確認できた意義は、非常に大きかった。レースのコントロールも、それなりにできた。…いや、それも16キロまでか。

…おっと、時間が迫っている。

レースを振り返る間もなく慌てて着替え、本日最大のミッション遂行のため、会場からほど近い宮城野原駅までジョグ。
結局また、ずっと同じことを口走っていた。

「レコード、レコード…」

※レコードの話は、5月14日の投稿で。