Monthly Archives: 6月 2008

今週末の予定

今週末は、アントニオ猪木を捜しに行きます。
生キャラメルの行列に並びます。

朝市で丼喰って、昼からビール飲んで、路面電車に乗って、五稜郭でカツカレー喰って、トラピスチヌ修道院で修道女の姿を探し求めて…ハァハァ…

というわけで、ひょんな事から函館に行くことになりました。ひょんな事といっておりますが、仕事ではございません。完全なるプライベートです。で、何故アントニオ猪木かって?いや、映画撮影と猪木主催の興行で、函館に出没しているらしいので…。
青函高速フェリーの「ナッチャンRera」での移動も考えましたが、財政難の折、JRのパックで移動・宿泊です。
多分、喰って飲んで喰って飲んで喰って飲んで。そうやって2日間が終わることでしょう。
恐らく函館山の夜景は、霧に包まれると見た。そして何より、大雨女と一緒なので、天気が心配です…。

地震!!!その時私は…。

先週金曜日は、隣町で竜巻が発生したり、雹(ひょう)が降ったり、集中的に豪雨に見舞われたり、落雷が相次いだりと、大変な一日でした。

土曜日は早朝から釣行に出かけ、魚がクーラーから溢れるぐらい爆釣…の予定だったのですが、仕事の関係で木曜日あたりから日程調整の雲行きが怪しくなったため、早々に見切りをつけてやむなくキャンセル(タガシ先生、ゴメン)。

結局金曜日は、大雨による電車の遅延もあって帰りが遅くなったため、仮にそのまま早朝4時に出発していたら、睡眠時間の確保もままならず、恐らく船上でグロッキーになっていたことでしょう。
そういう点では、結果オーライ、ということで。

しかし先週は、猛烈に忙しかったという訳ではないにせよ、何だか細々とした仕事が重なり、気忙しい時間を過ごした結果、終末になってドッと疲れが出ました。このため、土曜日は珍しく朝8時近くまで寝ていました。
モゾモゾと起きてパパッと朝食を済ませ、居間の掃除を始めた、その時でした。まだ眠りから覚めていないのか、何だかフラフラ…あれ?これって目眩かも…ん?

「ちょっと!地震!地震!」

妻と母が叫びます。そのそばでは、犬が寝惚けていました。
何と僕は、最初それが地震だということに気づかずに、掃除機を動かしていたのでした。

グラグラと長く続く揺れ。地震だと知った途端、僕は明らかに狼狽し、しばしその場から動けなくなりました(日本海中部沖地震、三陸はるか沖地震のことがトラウマになっているらしい…)。

「ちょっと!これだけ揺れてるのに地震だって気づかなかったの!?信じられない!!」

いや、信じられないって言うけど、まさかヘタレで動けなくなったとも言えないし…ねぇ。
結局弘前市の震度は3ということでしたが、体感的にはもっと凄い揺れのようにも思えました。

初動から数十秒にわたって増幅するような揺れ具合。これまでの経験上、「この地震はかなり強い」と直感的に確信しました。

テレビのスイッチを入れると…。
あとは報道されているとおりでした。

釣りに行かなかったことが良かったのかどうなのかはわかりません(釣果も聞いていません)。
しかし、釣りに出かけていれば、地震のことなどわからずに釣りに興じていた可能性が高かったことでしょう。なぜなら、釣りの間はラジオはほとんどつけないのです。

それにしても、中国四川省の地震も相当なもの(マグニチュード7.9)でしたが、マグニチュード7.2という今回の地震も、思った以上に凄い被害でした。山岳部、それも浅いところが震源となったため、直接的に建物が倒壊するといった被害よりも、地震により発生した土石流や山崩れといった間接的な災害による死者・行方不明者が多いのも特徴的。都市部の直下型地震でなかったことが、不幸中の幸いといったところでしょうか。それにしても衝撃的だったのは、沢に釣りに出かけた人で行方不明になっている人が複数名いることでした。山の形状が大きく変わり、山が山でなくなっている状態がテレビで放映されていましたが、さすがにあの画面を観た時は、身震いにも近い感覚を覚えました。

余震への不安も燻っています。気象庁では、1週間程度は余震に対する警戒が必要、ということでしたが、1ヶ月程度は警戒が必要だと思います。というか、ヘタレな僕は、実はいつ余震が来るのかと、戦々恐々としています。

亡くなられた方々に対し、衷心から哀悼の意を表するとともに、行方のわからない方々の一刻も早い発見救出と、被災された皆様へのお見舞いを申し上げます。

タバコの煙が目にしみる

ここ最近、ようやく暑いなあと思えるようになってきました。ガソリン高騰の折、経費節減のため、ここ最近は朝の清々しい空気を吸いながら自転車通勤です。しかも、これまで駐輪させて貰っていた場所を移動し、弘前駅城東口にある青空駐輪場に停めています。うちからだと10分ぐらいかな?それまで停めていたところよりも、かなり時間短縮されているような気がします。しかし、タイヤの空気をパンパンにして3日目、早くもタイヤの空気が抜け始めています。って、いきなりパンクか?おい!

ところで、家から弘前駅まで自転車で走っていても青森駅から職場まで歩いていても思うこと。

愛煙家の皆さん、怒らないで下さいね。

家から弘前駅まで自転車で走っていても青森駅から職場まで歩いていても思うこと。

私、タバコをやめて15年近くになるのですが、最近あの「歩きタバコ」というのが無性に気になって仕方がありません。

以前と比べると、その数は劇的に減っているものと思われますが、ホントに好きな人は場所と時間を選びません(というか、ホントの愛煙家ならば、マナーを 知っているはずだ)。すれ違いざま、あるいは追い抜きざまに安いタバコから飛んでくる煙と灰。吸っている本人は吸い殻だけポイ捨てしなければいいと思って いるのかも知れませんが、朝からあの煙と灰を思い切り被ると、ハッキリ言って物凄く不愉快になります。

地域によっては歩きタバコを禁止しているところもありますが、人口密度の極めて低いこの田舎で極度の規制をすることは、単に反発を生むだけなので、歩きタ バコを禁止しろ、とは言いません。ただ、周囲への配慮はして頂きたいものです。また、愛煙者も心地よく街を歩けるように、街の中に分煙スポットを設けるな どして嫌煙家と愛煙家を棲み分けする、といった方策でもいいのではないか、とホントに最近思います。例えば、以前街のあちこちにあった「公衆電話ボック ス」を一人用の分煙スポットにしてしまう、とか。

公衆電話ボックスを分煙ボックスにすればいい、という意見はYahoo!知恵袋にも投稿されていたようです。taspoに金をかける時間と余裕があったら、そっちの方に力を入れればよかったのに…とか思ったりして。

やりきれない事件

秋葉原で起きた凄惨な通り魔事件。
事件の衝撃はもちろんのこと、犯人が青森県に本籍を置く人間で、青森高校卒業だということを知った時、何か心に棘を刺されたような、空しく重い気分になった。

何の関係のない人、それも7名もの命を奪った犯人に対する怒りは、ぶつけどころがない。
歩行者天国にトラックで突っ込んだ後、ナイフで次々と人を刺すという猟奇性はもとより、犯行予告を掲示板に書き込むなど、明確な殺意を持って犯行に及んだことは明らかであり、早い段階での動機の解明と厳罰を望むところだ。

最近、秋葉原を巡っては、無秩序かつ傍若無人で、勝手な素行を繰り返す一部の人たちへの警鐘が鳴らされていたところである。今回のこの事件は、そのこととは何の関係もないと思いたいところではあるが、犯人は秋葉原で歩行者天国が行われていることを承知の上で、静岡県から高速道を利用して、トラックのレンタカーでわざわざ乗り付けたらしく、ひょっとしたらこの事件が発端となって、歩行者天国自体の見直しも図られるのかも知れない。

そんな推測はともかく、亡くなった人たち、そして残された家族の無念さを思うと、察するに余りあるところである。

しかし、こんな歴史上にも稀に見る凶悪な事件が起こっていながら、速報を流すにとどめ、エコ番組を延々と流し続けたテレビ局(番組が、一過性のパフォーマンスで終わらないことを切に願う。個人的にはこの類の番組は、タレントの偽善っぽさが目についてダメ。苦手)。こんな凶悪な事件が起きたのに、現場のすぐそばで行われていたアイドルのイベントやら水着撮影会等、事件との関連性を匂わせながら、全く無縁な記事を掲載したスポーツ各紙(というか、イベント自体を中止にすることなく、時間をずらしてもイベントを普通に行ったというその無神経さを疑いたくなる)。不謹慎とまでは行かないのかも知れないが、本当に伝えなければならない情報、ニュースとは一体何なのだろう。

そして、カメラ付き携帯電話の普及や、ブログという自己主張の場が増えたことで、「にわか報道記者」が増えたことは、今後議論となっていくことだろう。
当時、懸命に救助活動に参加した若者がいた一方、現場に居合わせた人の一部が、当時の状況を動画や画像に撮影し、ブログや掲示板に投稿していたようだ(これは、報道機関が報じるニュースよりも早い「ニュース」となった)。その中でも、被害者の救助に当たることなく、撮影していたことを「楽しんでいた」という発言が、賛否両論を呼んでいるようだ。
(畏友shinyai先生のサイトで知った。>>>「事件現場を撮影することの是非」

僕も2年前、地下鉄表参道駅の入り口に車が突っ込んだ事故の1週間後、研修で表参道を訪ねた時、わざわざその事故現場を見に行ったという経験がある。誰にでも野次馬根性はあるはずだ。ただ、さすがに携帯電話で画像にまで収めようという気はしなかった(もちろんそれは、事故から1週間も経ってしまった、いわば「事故の新鮮さ」が損なわれたということもあったと思う)。

「野次馬」転じて「俄かマスコミ」となる。
誰もが未だ知り得ていない情報を人より早く入手したい。そしてそれを、誰よりも早く万人に知らしめたい。あるいは「話のネタ」として持ち合わせたい。誰もが経験し得ないようなことを経験することで、そのことを自慢したい、という輩もいるはずだ。野次馬とは、所詮そんなものではないだろうか。
僕なんかは、近くに犯人が逃走している状況の中、しかも周囲で被害者が苦しんでいる中で、よくもまあ撮影なんぞできるものだなあ、と思うが、実際、その後のニュースを観ると、各社が「当時の状況」として利用した画像の多くは、その場に居合わせた通行人が携帯電話で撮影したものと思しきものである。

そういう意味でも、「報道の自由」も含めた総体的な報道のあり方、Webの役割など、この事件によって投げかけられた、クリアすべき「問題」は大きいような気がする。

ひとつ望むことは、残忍な事件を引き起こしたから即死刑にしろ、ということではなく、犯人がこういう精神状態に至るまでの背後関係を検証しなければ、奇しくも8年前の同日に起きた池田小殺傷事件の教訓は生かされないだろう(池田小の事件については、結局ちゃんとした動機の解明もされぬまま、被告の死刑が執行されてしまった。)。

犯人がどういった動機をもって今回の犯行に至ったのか、何故こういった事件を引き起こすような人間が生まれたのか、その背景や要因をしっかりと検証しなければならないのではないかと思う。

改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りします。

「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」限定編集盤

 

HMV 佐野元春インタビュー

「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」限定編集盤の発売にあわせ、佐野元春のインタビューがHMVに掲載されています。
「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」が制作された時の時代背景と、20年経った今の時代背景。バブルが崩壊し、昭和が終わり、時代の大きな転換から20年が経ち、あの頃と比べ、何が変わったでしょう。
一つ大きな転機といえば、我々はパソコンや携帯という媒体を通じて、いろんな情報を簡単に入手することができるようになりました。
しかしその中には、不必要なものも多く含まれています。
かつて、飽食の時代と言われたことがありました。グルメに始まった食文化の大きな潮流は、いろんな食を我々に提供した一方で、度を超した食の追求の結果、考えられないような食文化(マヨラーの登場や、激辛ブーム)も登場したのも事実。

時代は巡り巡って、いろんな情報が氾濫する今日。便利なツールは度を超した結果、簡単に自殺できる方法がネット上で入手できるようになり、闇サイトを通じた犯罪が蔓延しています。

考えられなかったことが当たり前となってしまう現実。殺人事件はどんどん猟奇化しているのに、何度も報じられることで、それも一種「当たり前」に近い出来事のような、そんな錯覚にとらわれてしまうのは、僕だけでしょうか。

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