第1回弘前城リレーマラソン冬の陣に参加してきました。

今月に入ってから、投稿の機会を逸していました。いつも2月はこんな感じなんです。仕事が繁忙期となるため、ブログは閑散期。ま、仕方ないですよね。

今年度はちょっと大変な仕事を抱えておりまして、簡単に言えば権限委譲を中でやる、みたいな感じでしょうかね。まあ、言うのは簡単だけどやるのは大変でして、気苦労が絶えないわけですよ。

今年の1月2月は例年以上の積雪量でして、弘前市でも一時期積雪が140センチまで達しました。
週末に身も心も休めようと思っても、なかなか休めずじまいで、結構ボロボロになりつつあるんですよね、実は。

さて、そんなボロボロの中、外を走る機会もなかなかないわけですが、2月11日に行われた「弘前城リレーマラソン冬の陣」に参加してきました。
会場となったのは、弘前公園西側にある西堀付近。コースは、青森県護国神社前をスタートし、西堀に架かる春陽橋を渡り、西堀沿いを走り、ボート乗り場の前を通って桜のトンネルを駆け抜け、再び神社前に戻ってくるという1周約1.3キロ弱。このコースを、3時間で何周できるかを50チームで競うというものでした。実際にエントリーしたのは48チームだったかな?400人以上の方が参加されたそうです。
弘前公園ランニングクラブでも5名1組で2チームがエントリー。走力は人それぞれですので、記録や入賞を目指すというより楽しく走るという方に主眼を置いてみんなで走りました。

…実は僕、大きな勘違いをしていまして、大会がてっきり8日の日曜日だと思い込んでいたのです。前の日の土曜日に一人意気揚々とコースを試走し、その模様をFacebookにアップしたところ「大会は明日ではなく11日ですよ!」という主催者からのご指摘が。
…危うく日曜日、一人リレーマラソンをやっているところでした。

さてさて、時節柄2月は降雪量も多く、冷え込む時期であります。日中が氷点下となる真冬日は当たり前、吹雪となることだってしばしば。
実際9日から10日に掛けては天気が大荒れとなり、こんな中で走るのはちょっとイヤだな…と思っていたのですが。

11日は、なぜか朝から快晴。自宅から荷物を背負って弘前公園まで走って向かったのですが、約2キロちょっとを走っただけで汗ばむぐらい暖かな陽気となりました。
11時スタートということではありましたが、10時過ぎに会場に到着すると、既にクラブのメンバー数名が到着していました。
日曜日にも走ったとはいえ、その後の雪でコースの状況は変わっているはず。また、この日のためにスポネット弘前と弘前市の尽力で、コースも整備されたと聞いていましたので、まずは軽めに試走してみました。

1練習

1月に行われた試走の際に「危ない」といわれていた春陽橋の上に盛り上がった雪はかなり切り下げられており、走りやすくなっていました。日曜日に試走した際に滑って転びそうになった西堀のバックストレート(笑)も、10時過ぎの時点ではまだ大丈夫。でも、気温が上がりそうなので、このあときっと走りにくくなるんだろうなあ、といった感じ。ボート乗り場前を駆け抜け、春はピンク色に染まるさくらのトンネルへ。今はまだ、一面を白い雪が覆っています。ちょうど雪灯籠まつりが行われている関係で、一般の方々の通行の邪魔にならないよう、赤いコーンが置かれていました。

ちなみに僕らは、冬の降雪や積雪時でも走ることのできる雪道専用のランニングシューズ(靴底の凸凹が凄いのです)を履いて走っていたのですが、中には普通のランニングシューズを履いて走る方(ただし転倒覚悟で走らなければなりません)や、長靴を履いて走る人も。

いよいよ日差しが出るようになり、暖かさが増してきました。あとで知ったのですが、この日の最高気温は3月上旬並みだったそうです。10時30分に開会セレモニーが行われ、11時の号砲を待ちます。仮装をする人、ランニングシャツに短パン姿の人、どう見ても普通の格好の人、見るからに速そうな人、そして小学生の子どもたちなど、チームの構成もバラバラで特徴的。

そして、スポネット弘前の鹿内代表の号砲で、いよいよ大会が始まりました。いくら何でも雪道ですので、1.3キロであればどれだけ速い人でも5分ちょっとぐらいで戻ってくるんだろうか、と思っていたら、一番速い人は何と5分を切って1周を終えて来ました。いくら何でも速過ぎるんじゃない!?
ちなみにうちのチームは、一人2周ずつ周回することとしました、あとで実測してみると大体2.5キロ。
僕は5人中3番目ということで、チームのみんなが走る姿に声援を送りつつ、持って来たカメラで勇姿を撮影していました。
いよいよ自分の番が近づき、ちょっとだけ緊張してきました。何に緊張しているのかというと、ふと頭をよぎった、走っている途中で転ばないだろうかという警戒感。
また転んで何かやらかした、となれば笑い話じゃ済まされませんからね…。
赤い襷を受け取り、ゆっくりと走り出します。今日は本気レースではないので、無理をする必要はないのです。でも、僕の中ではインターバルトレーニングの一つなんだと位置づけ、徐々にペースを上げていきました。…でも、橋の上は努めて慎重に。

1回目

時計にはほとんど目をくれず、誰かを抜いても、誰かに抜かれても気にしない。無意識を意識しながら走る…そんな感じでした。
2周を終え、改めて時計を見ると、キロ4分30秒で走っていました。
…これは、もう少し上げられるかな?
5人で走っていましたので、大体1時間に1回は走る計算に。つまり、恐らくあと2度走る機会がやってくるはず。息を弾ませながら、他のランナーに声援を送り、カメラを構えます。
気温が上がってきた上に、多くのランナーが同じコースを駆け抜けることでコースが踏み固められ、路面が滑るようになってきました。転倒者も続出し、コース上に砂が撒かれました。

でも、転倒しながらも皆さん笑っているんですよね。速いチームも遅いチームも、みんなホントに楽しそう!

さてさて2周目(正確には3周目)。1周目はコースの感覚を掴む感じでしたので、ちょっと早めのペースでスタート。…4周目に入り、橋を渡って西堀に入ると、速いチームの二人が相次いで僕の横を駆け抜けて行きました。
「ここだ。」
二人に食らいつこうとペースアップ。もちろん追いつくことはできませんが、かなりペースを上げたつもり。
次のランナーへ襷を渡し、時計を見ると…。
おお!キロ4分15秒で走れた!

気持ち良く走れました!ありがとうございます!

その後もカメラを構え、チームのメンバーの走りを撮影。
いやあ、皆さんホント楽しそうに走ってるわ…。

しばらく撮影に興じていた時、あることに気がつきました。
あれ?そういえばOくん、3周目なんじゃない?

「ちょっとOくん、3周目じゃない!?」
「…つ、次マカナエさんの番ですよ…。」

何と撮影に夢中になりすぎて、自分の走る順番がきていたことに気がつかなかったという大チョンボ。

3回目

疲労困憊で戻ってきたOくんに詫びを入れながら襷を受け取り、3度目のラン。しかし、申し訳ないと思いつつ走り始めたのですが、自分のやらかしたチョンボがあまりに酷すぎ(可笑しすぎ)て、腹に力が入りません。

3回目2

結局3周目(5~6周目)はキロ4分18秒で駆け抜け、無事に次走の方へ襷を渡して本日のラン終了。

午後2時にレース終了の号砲が鳴らされ、最後のランナーが続々ゴール。
一番速いチームは40周したそうです。凄い!僕の参加していたチームは30周、もう1チームは31周でした。ま、今回は記録じゃないからね。

ということで、大きなトラブルもなく天気にも恵まれた大会が終了。
いやあ、初夏のリレーマラソンも楽しいけど、冬のリレーマラソンも楽しいですね!
もっとも、今回は天気がよかったことが全てと言っていいでしょうね。関係者の皆さん、開催までのご尽力本当にお疲れさまでした!

集合

ただの中年のオッサンとは呼ばれたくないのである。

44歳の誕生日を迎えました。
何かもう44歳になっちゃったかぁ、って感じです。40歳を過ぎてから、1年1年のスピードがだんだん速くなっています。だったら脚もこれぐらい速くなればいいのに、とか思ったり。

ここ数年、誕生日を迎える前後に必ず欠かさずやっていることが一つあります。
それは、1年前の自分のブログの記事を読み返すこと。
別に大した内容ではないのですが、どちらかといえば自分に向けた内容にしているため、ああ、1年前はこんなことを考えていたのか、1年間でそれはどうなったのかな、なんてことを思い返すわけでして。

振り返って見ると43歳は、比較的浮き沈みの激しい1年間でした。端的に言えば、頭から足まで故障と怪我に泣かされた一年でした。

「人生は帳尻が合うようになっている。」
…まあ、僕の中での座右の銘みたいなものなのですが、43歳はまさにその帳尻が合う1年間、といっても過言ではなかったかも知れません。

出来過ぎた内容に浮かれていると、落とし穴が待っています。
でも、我慢を続けていれば、いつか花は開くものです。
しかしながら花が開いたからといって狂喜乱舞していると、花はすぐに散ってしまいます。

43歳は、そんな浮き沈みを、身をもって経験した貴重な一年でした。でもその一方では、最初から最後までどこか浮き足だった一年だった、といってもいいでしょう。
色んなことに手を出し過ぎ、とも言われました。
何事もなく平穏無事に…と密かに願った43歳。蓋を開けてみれば、色んなことがありすぎた1年でした。

44歳を迎えるにあたって、もう一度原点に立ち返る、というわけではありませんが、もう少し足下を見つめ直そう、と。…そもそも原点が埃や砂に埋もれてしまったため、どこにあるのかどころか、その原点が何だったのかすら分からなくなりつつあるのも事実なので。

44歳は、外面ばかりではなく少し内面を磨くことに力を注ごうかと考えています。他人の一挙手一投足や言動に振り回されることなく、大きな懐を持って自己を確立したいものです。言うなれば、自我の目覚めと認識です。

ついでに言うならば、年齢的には充分過ぎるほどオッサンの領域ではありますが、まだオッサンと呼ばれたくないのであります。例えオッサンであっても、どこにでもいそうな、スウェットの似合うオッサンにはなりたくないのであります。どうせなら、Tシャツと29インチのジーンズ(Gパンではありません。ジーンズです。ここ重要。)が似合う、格好いいオッサンになりたいのであります。

…ということで44歳、今年目指すのはアンチエイジングです(笑)。
ウソウソ。

閑話休題。
僕が見据える先にあるのは、退化でも老化でもなく、進化です。進化しながら自我を探る。単なるエゴかも知れませんがこれ、一生かかっても終わらない作業でしょうね。

でも、また調子に乗って浮き足立っていると、すぐに足下を掬われます。
だから、自分から転ばないように、そして転ばされないように、地にしっかりと足を据えて行動しようと思います。
心にも身体にも「柔軟性」を、そして行動には「アソビ」を持たないとね。

その先にある進化を目指して、慎重かつ大胆に、獅子奮迅。
シシだけに44、ということで。

…あ、シシはシシでも僕、亥(いのシシ)年生まれでした。

何事も空回りして猪突猛進にならぬよう気をつけます、ハイ。

これまでも、地球規模で自然環境を保護し、人間の生活との共存を目指すエコロジーが叫ばれているところです。僕としては、僕自身を含む周囲の環境を保護しつつ、社会生活との共存を図るエゴロジーから始めようと思います。もっとも行き着く先は、エロジジーかも知れませんが…。
さてと。まずは転ばぬ先の杖を買わないとね。

now44

自分の長所を考える。

例えば就職活動を行っている(あるいはこれから行おうとしている)学生や転職しようとしている皆さんが履歴書を書く時に、自分の「長所」を記載しなければならないってことがあると思うのですが、皆さんはあの欄に一体どんなことを書いているのかな、なんてことをふと思いまして。

僕、自分の長所がなんなのか正直言ってよくわからんのですよ。要するに、未だに自己分析ができていないんですね。だから、学生時代(といってももう20年以上も前の話ですけど)、この履歴書の長所になんて書いていたかといえば、確か「明るい。」とか、そんな当たり障りのないことしか書いていなかったような気がします。
で、あれから20年以上が経ち、もうすぐ44歳になっちゃうわけですが、改めて自分の長所って何だろう…って考えてみたわけです。正直、短所は口を突いていっぱい出てくるんですよね。
短気で怒りっぽい、諦めが早い、口が悪い、初対面の人が苦手、性格が天の邪鬼、飽きやすい、せっかち、…あ、それから足、などなど枚挙に暇がない〈苦笑)。
まあ、それもこれも自分のひねくれた性格のなせる態と諦めていたところもあったのですが、自分って本当に「明るい」だけの人間なのだろうか、と。
「明るい」っていうのは実は、自分の短所を隠すための虚像で、ホントは根暗でとてつもなく内向的なんじゃないかと、とことん自分を卑下し始めたわけですよ。

見てくれはA型だけど、接してみると典型的なO型タイプといわれ続けて30年。後先考えず突っ走ってしまう猪突猛進型だし(なので衝動買いが多い)、そのくせ他人と争うことを極力嫌う人間。

ちょっと待てよ。こんな俺にだって何か長所があるだろうと、半歩、イヤ1歩、さらに10歩ぐらい下がって自分を客観的に見てみたワケですよ、じーっと。
いやいや、皆さんもやってご覧なさいって。
自分の長所を見つけ、自分を褒め称えるって、ホントに難しいんだから。
で、じーーっと見つめた結果、朧気ながら見えたたった一つの長所。これが長所と言えるかどうかは別として。

「結構世話好きです。」

これ、長所って言っていいんですかね?そういえば、約15年前に高校の同期会を始めたのも自分が言い出しっぺだったし、あの時言い出しっぺが会長になったら動けなくなるってことで今でも事務局を仰せつかっているし、それも決してイヤイヤじゃなくて自分自身も楽しんでやっているんですよね。そういう「和」が好きなんです。争いごとより楽しいことが好きなんです。そうそう、楽しいことで思い出しましたが、去年の今頃は「津軽クエスト」で盛り上がってましたね…(遠い目)。

20140117

「金貸してくれ」とか、「異性を紹介して」とか、他人の生活や自分の生活にも影響を及ぼすような頼まれ事は引き受けないけど、例えば何かの仕切り役とか、サポートとかはほとんど苦にならないという…まあ、これこそまさに世話好きが高じてのことなんでしょうけれど。

…ということで、自分の長所が何なのかさえわからず震えている43の夜。
来週44歳になるんですけど、その暁には僕の長所が何なのか教えてください。何せO型、褒められて伸びるタイプですので。よろしく(笑)

「弘前・青森パックリマラソン」開催を妄想中

秋の「弘前・白神アップルマラソン」に対抗して、春の「弘前・青森パックリマラソン」(弘前市役所スタート、青森市役所ゴール)の開催を妄想しています。

…いや、妄想していますとは言いつつ、実は結構本気で考えています。というのも、青森市役所と弘前市役所の間が、(ルートにもよりますが)ほぼフルマラソンと同じぐらいの距離(約42.1キロ)があることを知り、何とかこの間を走れないかな、と考え始めたのが一つのきっかけ。

実は青森市内にあるランニング同好会の「焼鳥えん×みゅうRC」が、これと同じ内容の「ギックリマラソン」という企画を秋に行っているのですが、僕が額を割ったというのが、まさにその「焼鳥えん×みゅうRC」の忘年会の後だったのです。しかも、「ギックリマラソン」の名前の由来となったY川さんが1月に県外へ転勤することを知ったその日、まるでネタ振りのように額を割り、その後から「パックリマラソン」の開催を悶々と考えるようになった、というのが経緯です。

名前の由来はもちろん、7針縫合した僕の額。そして、幸か不幸かアップルマラソンとパックリマラソン、何となく言い回しが似ているからです(笑)。

…まあ、本当はその時に色々ご迷惑とご心配をお掛けした青森市の「焼鳥えん×みゅうRC」の皆さんや僕が所属している弘前市の「弘前公園RC」の皆さんへのお詫びとご恩返し、という趣旨が一番強いのですが…。
ということで、やるかやらないかは別として、こんな感じの開催要領まで考えてみました。

【開催要領(案)】
●開催日時:私、蒔苗の額と心のパックリ傷が癒えた頃
●コース:弘前市役所前→弘前市東長町→県道3号(弘前モータースクール前経由)→弘前市高崎交差点左折→国道7号(常盤~浪岡BP経由)→県道27号(青森空港有料道路経由)→青森市荒川交差点左折→県道120号(青森中央大橋経由)→柳町交差点右折→青森市役所前 だいたい42.195キロ
●種目:フルマラソン、プチウルトラマラソン(往復)、超ウルトラマラソン(1往復半)
●スタート時刻:できれば早い時間にしたいっすね。
●競技規則:ありません。裏道、ショートカット、何でもアリです。
●制限時間:ありません。ただしゴールした後は適当に解散となります。よって、ゴールでは何時間も待っていませんので、ゴールするかしないかは自己責任でお願いします。
●表彰:ありません。そんなのあるわけがありません。
●参加資格:20歳以上の健康な男女で、何となくフルマラソンが完走できそうな人。ただし、角材や火薬類を持参しての参加はお断りします。また、馬を曳いての参加もできません。
●記録計測:計測しません。ご自身のGPS時計やスマートフォン、腹時計などで適当に計測をお願いします。
●その他
(1)給水所、エイド及びトイレはありません。各自準備するとともに、コンビニや民家、りんご畑などを利用してください。
(2)緊急の連絡のため、携帯電話等の持参を推奨します。連絡先を他の誰かに教えておいてください。
(3)やむを得ず途中でリタイアとなった場合は、公共交通機関(電車や路線バス)の利用やヒッチハイクで勝手に帰って頂いて構いません。
(4)コース途中に歩道のない区間や交通量の激しい区間があります。車道にはみ出したり、事故に巻き込まれないよう、くれぐれも留意してください。(よって、この区間での無理な追い越しや並列ランは禁止とします。)
(5)転んで額を割ったりケツを痛めたり肉離れを起こしたりしても、こちらでは責任を負いません。全ての処理は自己責任でお願いします。
(6)信号や法定速度などの交通ルールは遵守しましょう。特に歩道のない区間は右側通行でお願いします。
(7)ゴール後は各自「青森まちなかおんせん」へ移動し、汗を流すなり腹ごしらえをするなりプハーするなりご自由にどうぞ。(入浴料420円です。)

ルートはこちらから。

…まあ、こんな感じで考えているのですが、ゴールした後の着替えを弘前からどうやって運ぶか、途中のサポートは本当になくてもいいのか、色々悩むところもあります。とはいえ、所詮お遊びの延長みたいなイベントですし、本格的な大会ではないので、これぐらいで勘弁してもらおうか、と…。

でも、ホントにやれたらちょっと楽しそうですね。額の傷は消えないかも知れませんが、5月にはいい加減心の傷も癒えていることでしょう。八戸市のうみねこマラソンと五所川原市の走れメロスマラソンの間の時期で企画しようかな。

pacliman

Xperia Z3 Compactに機種変更

2015年を迎えたのを機に、というわけではないが、スマートフォンの機種を変更した。
2年4か月もの間、苦楽(?)をともにしたXperia SX SO-05Dに別れを告げ、新しい機種が届いたのが日曜日のこと。ちょうどdocomoで機種変更に伴う割引が12日まで行われていたこともあり、木曜日の夜にdocomoのオンラインショップで機種変更の手続きを行い、ポイントや何やらを駆使した結果、実質負担額は1,296円に抑えることができた。そんなことで手に入れたのは、今回もiPhoneではなくXperia。

それも、2014-2015年の冬春モデルだったXperia Z3 Compactを購入。

最近のスマートフォンはちっともスマートじゃなくて、特に、iPadをはじめとするタブレット端末の登場により、スマートフォンとタブレットの中間的な大きさのスマートフォン(この時点でスマートフォンじゃなくデラックスフォン)にシフトしているように思える。男性女性問わず片手で収まりきらないような巨大なスマートフォンを持って電話をしている光景は、ちょっと滑稽でもあるのだが、電車の中で乗客の皆さんがこぞって下を向いてスマートフォンを弄っている姿を見れば、今はむしろ通話以外の機能を重視する傾向が強いのだろう。実際、バッテリーの性能一つをとってみても、連続待受時間が何時間か、ということより、アプリや日常生活で使ってみた後のバッテリーの持ち具合がどうか、ということに主眼が置かれている。
いずれにせよSO-05Dを超える(本当の意味での)スマートフォンの登場に期待が持てなくなった一方、本体の性能やアプリの高度化はどんどん進むこととなり、いよいよSO-05Dでは対応しきれなくなってしまった(8GBというROMが小さすぎたのか、色んな面で即座に反応しなくなった)、というのが今回機種変更に至った本当の理由だ。

ただし、iPhoneだけは最初から機種変更の対象外だった。「おサイフケータイ」がないというのが僕にとっては致命傷だったからだ。なぜそんなに「おサイフケータイ」が必要なのかはここでは説明しないが、一方で、iPhone以外で機種変更をする場合、SO-05Dの大きさで慣れてしまった僕にしてみれば、大きさ重さともに1.5倍にもなるということは許し難いことだった。…となると、必然的に選択肢は狭まることとなり、僕が妥協できるところには1つの機種しかなかった、というわけだ。
z3compact
まあ、実際手にしてみるとiPhone5とほとんど大きさは同じみたいだし、中には「これがホントのiPhone」だなんてワケのわからない評価があったり、比較的高い評価を得ているみたいだ。(スペックや操作性など、総合的な評価はAQUOSの方が高い。)
正直、ベンチマークがどうだとかスペックがどうだとか細かいことはわからないので専門の方に任せるとして、使ってみて思ったこと。

1.当たり前だけど、SO-05Dと比べるとデカくて重い。
2.画面をタッチした時の反応が凄い。
3.「一枚の板みたいなスマートフォン」という表現があったけど、確かに電源、音量、カメラのシャッター以外にほとんど出っ張りがない。板というよりは氷みたいな感じ。正直手にすると滑りやすいし、弾みで落としたら粉々に割れそう。(ということで、慌てて裏表の保護シートとケースを購入しました。結果として、重たくなりました。)
4.当たり前だけど、動作はサクサク。まあ、ROMが倍になったワケだし。ただし、プリインストールされたキャリアアプリが多すぎる。これこそまさに断捨離の対象ですな。
5.音楽再生もなかなか。ただし個人的に利用している音楽系SNS、「Last.fm」のアプリが使えないのは痛い。
6.とにもかくにもバッテリーの持ちが秀逸。充電して丸2日経ったけど、往復2時間の電車内で音楽を再生し、時々ネットに繋ぎ、メールを閲覧しても、まだ約30%残ってる。

ちなみにバッテリーは完全に内蔵型となったため、SO-05Dの時みたいにバッテリーを取っ替え引っ替えすることはできなくなってしまった。
正直、ウェストポーチに入れて走るにはちょっと重たいかな?
あ、そうそう。この機種を手にしてから、とあることを始めたのだけど、それはまた後日改めて…。