佐橋佳幸の仕事 1983‐2015 Time Passes On

久しぶりに音楽ネタを。
80年代から90年代にかけての邦楽は、めまぐるしく変遷を辿った時期だったと思う。
Niagara、アルファ、フォーライフ、Epic、Fitzbeat、Moonなどといった大手レコード会社傘下のレーベルの台頭、アイドルからアーティスト指向への変化、女性ボーカルバンドの出現、自主制作盤(インディーズレーベル)の躍進、外国資本系レコードショップの進出、レコードからCD、CDからMDへと変化し続けた音楽媒体、イカ天、ビーイング、ビジュアル系といった相次ぐムーヴメントにバンドブーム、渋谷系ミュージックや和製ラップブームの到来、洋楽カバーからセルフカバー、70年代以降のアーティストの再評価など、枚挙に暇がない。

とにかくあの頃(ちょうど僕が中学生から大学生にかけての頃だ)は、耳に入る音楽は何でもかんでも聴いてみよう、といった勢いで、ちょっとでも気になる音楽が現れようものならば、すぐに市中心部にあったレコード屋やレンタルショップに走ったものだった。

…やがて、なけなしの小遣いを貯めて、ライブやコンサートにも足を運ぶようになった。

初めて自分のお金で足を運んだコンサート(弘前市民会館で行われた小比類巻かほるのライブ)から30年近く。これまで国内外さまざまなアーティストを観てきたが、国内アーティストのライブ、コンサートを観てきた中で、ダントツの数でバイプレーヤーを務めていたのが佐橋佳幸。そういう意味では、僕がライブ、コンサートで一番多く観てきたミュージシャンこそが佐橋佳幸だと言っても決して誇張した表現ではない。
高校の時に初めて観た渡辺美里を皮切りに、鈴木雅之、佐野元春、山下達郎など、彼がステージ上でギターを奏でる姿を何度見たことか。12年前に開催されたエピック・ソニーの25周年のライブ(LIVE EPIC 25)、今思い返しても凄いメンバーが出演したステージだったけれど、大阪城ホールで観たあの時のバンマスも彼が務めていた。
佐橋佳幸の名前を初めて目にしたのは渡辺美里のアルバム。その後シングル・ヒットとなった「センチメンタル・カンガルー」の作曲を手掛け、それ以降頻繁に彼の名前を目にすることとなった。

彼と初めて遭遇したのは青森で観た渡辺美里のコンサート。確かその時にも彼はバンマスを務めていたが、二人が高校の先輩後輩だという情報は織込み済みで、下世話な言い方をするならば、僕はこの二人はきっと「デキている」のだろうと信じて疑わなかった。
こう言っては失礼だが、決して大きくない背格好でありながら、ステージ上では圧倒的な存在感。何度も息を飲むような演奏を目の当たりにし、その都度「おお…佐橋すげえ!」と心の中で感嘆していたものだった。
そして今回、そんな佐橋佳幸の30年にも及ぶキャリアを総括した作品が発表された。

その名も、佐橋佳幸の仕事(1983-2015) 〜Time Passes On〜
「演奏、作編曲、プロデュース、ボーカルにコーラス…佐橋佳幸のお仕事あれこれ、音楽生活32年ぶんをみっちり詰め込んだ前代未聞のコンピレーション。」と、触れ込みが凄い。

先日さいたまを訪れた際に、たまたま浦和パルコ内にあるタワーレコードでこの作品を見つけたのだが、あまりにも凄すぎる収録曲に驚愕し、さらに3枚組45曲というそのボリュームにも驚愕し、これは絶対に購入しよう!と即決したのだった…ちなみにその場で購入しなかったのは、少しでも帰りの荷物を減らしておきたいという思惑があったから。その割には他の余計なもの…いやいや、優先順位からどうしても必要だったものは何の迷いもなく購入してしまったのだけど。
何せこの作品、店頭ではタワーレコードのみ、通販もタワーレコードとソニーミュージックショップでしか販売されていない代物。しかし、複数のレコード会社、レーベルの垣根を越えた作品てあり、更には山下達郎と大瀧詠一の未発表曲が収録されているという、これだけでも充分マストアイテムなのだ。
50ページ以上にも及ぶライナーノーツ。ここでその内容を明らかにすることはできないが、それぞれの楽曲解説に綴られた「裏話」が、非常に興味深い。これを読むだけでも、日本の音楽業界、とりわけその当時売れに売れまくっていた楽曲にどれだけこのサハシのエッセンスが吹き込まれていたのかがわかる。というか、このライナーノーツだけでもホント凄いんですわ。

さすがに知らない楽曲も幾つかあるけれど、きっと我々同世代にしてみれば、まさに青春の多感な時代に、実はどれだけ佐橋ミュージックのお世話になっていたかを垣間見ることのできる作品集。
一ギタリストと言ってしまえばそれまでだが、収録されているミュージシャンの顔ぶれを見ただけでも、彼がいかにこの業界で必要とされ、そしてそれに応えていたか、ほんの一部であるが彼の音楽ヒストリーを辿ることができる。
さまざまな楽曲の中で奏でられる彼のギターの音を聴きながら、この作品を単なるコンピレーションアルバムという括りで片付けるのはあまりにももったいなさ過ぎる。

クインシー・ジョーンズやジャム&ルイス、ベイビーフェイス(LA &フェイス)など、敏腕プロデューサは海外にたくさんいるし、国内にも古賀政男を筆頭に阿久悠や松本隆といった素晴らしい作詞家作曲家がたくさんいるけれど、僕が知る限りでは、バイプレーヤーでここまで称賛されるのは、村上”ポンタ”秀一かこの佐橋佳幸ぐらいじゃないだろうか、と思った次第。

百聞は一見にしかず、ではなく百見は一聞にしかず。
同年代の邦楽好きの皆さん、これはマストバイですぞ!

sahashi

2015年11月13日発売
品番:MHC7-30038
価格:¥4,630+税

CD3枚組 三方背ボックス入りデジパック仕様 Blu-spec CD2
タワーレコード、Sony Music Shop限定販売

【収録曲:DISC-1】
1. UGUISS / Sweet Revenge (1983)
2. NOBUYUKI, PONTA UNIT / Digi Voo (1985)
3. 藤井康一 / LITTLE BIT LOUDER (1986)
4. EPO / 12月の雨 (1987)
5. 岡村靖幸 / 不良少女 (1988)
6. 大江千里 / ROLLING BOYS IN TOWN (1988)
7. 渡辺美里 / センチメンタル カンガルー (1988)
8. 宮原学 / WITHOUT YOU (1988)
9. Peter Gallway / BOSTON IS BURNING (1989)
10. 鈴木祥子 / ステイション ワゴン (1989)
11. 佐橋佳幸 / 僕にはわからない (1989)
12. 杉真理 / Wonderful Life〜君がいたから〜 (1990)
13. 桐島かれん / TRAVELING GIRL (1990)
14. 矢野顕子 / 湖のふもとでねこと暮らしている (1991)
15. 小田和正 / ラブ・ストーリーは突然に (1991)

【収録曲:DISC-2】
1. 槇原敬之 / もう恋なんてしない (1992)
2. ROTTEN HATS / ALWAYS (1992)
3. 藤井フミヤ / TRUE LOVE (1993)
4. 佐橋佳幸 / Zócalo (1994)
5. 佐橋佳幸 / Time Passes On (1994)
6. 鈴木雅之 / 夢のまた夢 (1994)
7. 氷室京介 / 魂を抱いてくれ (1995)
8. GEISHA GIRLS / 少年 (1995)
9. 福山雅治 / HELLO (1995)
10. 山下久美子 / TOKYO FANTASIA (1996)
11. 佐野元春 and The Hobo King Band / 風の手のひらの上 (1997)
12. 川本真琴 / 1/2 (1997)
13. 坂本龍一 featuring Sister M / The Other Side Of Love (1997)
14. 山下達郎 / 氷のマニキュア (2015REMIX) (1998)
15. SOY / 約束 (1998)
16. 山弦 / SONG FOR JAMES (1998)

【収録曲:DISC-3】
1. 大貫妙子&山弦 / あなたを思うと (2001)
2. 竹内まりや / 毎日がスペシャル (2001)
3. Fayray / I’ll save you (2001)
4. 小坂忠 / 夢を聞かせて (2001)
5. MAMALAID RAG / 目抜き通り (2002)
6. Emi with 森亀橋 / Rembrandt Sky (2005)
7. 松たか子 / 未来になる (2005)
8. スキマスイッチ / ボクノート (2006)
9. GLAY / MILESTONE〜胸いっぱいの憂鬱〜 (2012)
10. 真木よう子 / 幸先坂 (新緑篇) (2013)
11. Darjeeling / 21st. Century Flapper (2014)
12. 渡辺美里 / オーディナリー・ライフ (2015)
13. 佐橋佳幸 / ジヌよさらば メインテーマ (2015)
<ボーナストラック>
14. 大滝詠一 / 陽気に行こうぜ〜恋にしびれて (2015村松2世登場!version) (1997)

第1回さいたま国際マラソンに出場してきました。

ランナーあるある。自分の術中にはまった大会は雄弁に語り、失敗に終わった大会はとっとと忘れようとする。ということで、本日も長文駄文にお付き合いください。

記念すべき第1回さいたま国際マラソン。初心に戻ってランニング勘を取り戻す。皆さんへの感謝の気持ちを忘れずに、最後までしっかりと自分のペースで走りきる。今回立てた、目標の柱2本。今年最後の大会ということで、大会前日に並々ならぬ決意で大宮に乗り込んだ。受付会場のさいたまスーパーアリーナを訪れると、ビックリするぐらい閑散とした雰囲気。たぶん、今までで一番ストレスを感じない受付だった。さいたまスーパーアリーナを訪れるのはこれが3度目。でも、まさかマラソン大会に出場するために来るとは思わなかった。

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そして大会当日。前日から降り続いている雨は、まだ止む気配がなかった。いつものごとく朝から切り餅を食べ続ける。この日は、8個。そしてバナナ1本。OS-1はゼリーで1パック。あとは、アミノバリューを500ml。
8時過ぎに、クラブのメンバーと待ち合わせたアリーナ内へと向かう。中央のアリーナを取り囲むスタンドには、見るからに速そうなランナーの皆さんがずらりと席を陣取っている。
申込みの時の目標タイムを3時間35分としてしまったため、最後方のDブロックからのスタート。
3時間29分としていれば、Cブロックだったらしい。まあでも、一つ学習したのでこれはこれでいい経験になった、とポジティヴに捉える。

9時過ぎにアリーナの外に出ると、まだ小雨が降っている。スタート地点はハッキリ言って狭い。9時10分に日本代表チャレンジャーの部がスタートしており、30分後に一般の部(サブ4)のスタートとなる。僕も20分前にはDブロックに整列したが、かなり後方の方だということはすぐに理解できた。と同時に、周りの人達の走力がサブ4ギリギリなのだということを、会話から悟った。この混雑から、早く抜け出さなければならない。一瞬そう思ったが、下手にペースを乱すことはしない方がいいと、気持ちを落ち着かせた。
スピーカーの向こうでは、さいたま市長と埼玉県知事が、県庁所在地でのフルマラソン、それも国際マラソンの開催ということで、嬉々とした声で今日の喜びを伝えている。しかし第1回大会、何が起こるかわからないぞ…。
スタート時間が近づくにつれてブロックが少しずつ前方へと進んでいく。スタート5分前の時点で、雨はほぼ上がっていた。雨除けと寒さしのぎに被っていたビニール袋をおもむろに破り、ボランティアの方に手渡す。気分はすっかり戦闘モードだ。
9時40分、いよいよスタートの号砲が響いた。遥か遠くに見えるスタートのゲート、Aブロックのランナーから順次スタートラインを越えていく。
僕がスタートラインを踏んだのは、号砲が鳴ってから3分30秒後。この「ハンディキャップ」で、逆に気持ちが落ち着いた。迷いはない、あとはひたすら走ってここに戻ってくるだけなのだ。
設定した目標タイムは3時間25分だが、3時間30分前後でゴールできたら御の字かな、と開き直った。あとで聞いたら、CブロックとDブロックのタイムラグは1分半程度だったそうだ。

ここ最近のレース展開を分析した結果、前半で勢いに乗りすぎて、というか周囲に流されて自分のペース配分を誤り、後半に大失速ということが続いていたので、前半はひたすら我慢、というか飛ばさずに自分の楽なペースで走ることを心掛けた。
もう一つは、あと何キロとかは考えず、5キロを過ぎたら次の5キロ、といった感じで、「引き算」ではなく「足し算」のレースをしていこうと意識していた。結果、4分45秒前後でずーっと押していくこととなった。そしてこの日は、脚ではなく頭を使うマラソンに徹しようと決めていた。
ということでここからは、5キロごとの戦況をお伝えします。

【スタート~5キロ】
スタート直後は予想通りの混雑。ぶつかって追い抜いていく人も多い。一瞬イラッとするが、ここでの苛立ちは禁物。
徐々にランナーがばらけ始めた3キロ過ぎで、CブロックからスタートしたO先生に声を掛けられる。
こんなに早く追いつくのは想定外だった。ひょっとしてペースが速すぎるか?と慌てて時計をみる。スタート直後の渋滞から早く抜け出そうと、ちょっとペースが上がっていたらしい。ここでの拙速は後半の失速に繋がる。少しペースを落としながら、周囲の状況を見渡す。焦る必要はない。30キロ以降に備え、序盤はゆっくり自分のペースで走ればいいのだ。
しばらくは細かなアップダウンが続く難コースとのこと、確かに緩い上り下りの連続だ。しかし、さほど気にはならなかった。NAHAマラソンの前半のコースにも似た感じ(でも、あちらは上りがメイン)。上りきった頂点で力を抜くのではなく、下りに差し掛かってちょっとしてから力を抜くことを心掛ける。前日O先生とお話をする中で得たセオリーのようなもの。頂点を見ると苦しくなるので、足下を見過ぎない程度に目線を落とす。

5キロを通過。28分34秒。時間がかかりすぎかな?と思ったけれど、3分半の「ハンディキャップ」を思い出す。走り出しにしてはまずまずだろう。

【5キロ~10キロ】
最初の給水ポイントに差し掛かると、コップの数が圧倒的に足りていない。後半はそれなりに解消されたものの、これは改善の余地があるな、などと勝手に大会を評価。7キロ付近で、このコース最大のアップダウンとなる新浦和橋に差し掛かる。周囲の人はここで呼吸を荒くしているが、僕は自信をもってこのアップダウンに臨んでいる。そりゃそうだ、岩木山スカイラインの標高差800メートルを上ったのは、この日の練習と位置付けていたのだから。10キロ手前で左折、最初の折り返しに向かう。この時点で既に先頭集団が折り返しから戻り、15キロ地点を目指すのが見えた。まあ、今日は自分の走りができればいいので…。

10キロ通過。52分33秒。なーに、まだまだ序盤。焦る必要はない。

【10キロ~15キロ】
10キロ過ぎの給水でパワーバー梅を投入。このコースは途中12キロ、21キロ、26キロ手前と3度の折り返しがある。12キロと21キロの折り返しでは、先行するNさんと、12キロを過ぎた辺りではSさんと声を掛け合う。ふと気がつくと、12キロの折り返しを過ぎた時点で、周囲はCとBのゼッケンナンバーを背負った人が増えていた。ちなみに、陸連登録をしているランナーだけ背中にもゼッケンをつけているので、自分が大体どの位置を走っているのかという一つの目安になる。
なーに、レースはこれからなのだ。焦らない焦らない。
12キロの折り返しの直後、右脚裏に違和感を覚えるも、程なく痛みの要因が元の位置にストンと入った感じがして、思わず「あ、入った。」と口走る。
13キロ辺りで、小さな女の子が「諦めないで-!」と叫んでいたのを耳にして、ハッと目が覚める。そうだよ、諦めたら終わりなんだ。その後ゴールまで、その女の子の声援がずーっと脳内で繰り返されていた。15キロ通過。1時間16分21秒。

【15キロ~20キロ】
アミノバリュー粉末を投入。15キロを過ぎた直後、背後から突然声を掛けられる。
「弘前からいらしたんですか!」
「はい。今日、弘前から同じクラブのメンバーが3名出ていますよ。」
「うちの親父が弘前出身なんですよ!」と嬉しそうに話しかけてくる男性。
「うちら、弘前市内で練習していますから、もし弘前にお見えになる機会があったら是非遊びにいらしてください。」
「ありがとうございます。」
ちょっとだけ並走したところで再びその方と離れ、有料道路へとコースは進んでいく。途中の料金所も、もちろんスルー。(大会参加費に「通行料金」は含まれているんですかね?)

16キロを過ぎた辺りで、先方から日本代表チャレンジャーの部のトップ選手がやってくるのが見える。周囲のランナーは大声で声援を送っていたが、僕は3人のランナーとすれ違った後に声援を送るのをやめた。ただ単に体力を温存したいと思っただけの話。

細かなアップダウンはなおも続き(とはいうものの、そんなに気にならなかった)、浦和美園駅前を左折。舗装が少し柔らかくなった感じがわかった。この辺りで、だいぶ声援がまばらになり始める。20キロ通過。1時間40分14秒。まずまず、想定の範囲内といっていいだろう。

【20キロ~25キロ】
メダリストエナジージェルを投入。埼玉スタジアムの見える中間地点を、1時間45分で通過。後半の落ち込みを考慮すると、この時点でサブ3.5は厳しいね、ってきっとみんな思っているんだろうな。
不思議なぐらい焦りも気負いもなく、力みも全くと言っていいほどない。呼吸の乱れもほとんどなかったし、何よりも、淡々と自分のペースを刻んでしっかり走り切れていることが実に気持ち良かった。

23キロから、周囲に何もない道路が3キロ近く続く。人影はまばらで声援も少ないが、先方から折り返したランナーがやってくるので、退屈ではない。25キロ通過。2時間04分12秒。

【25キロ~30キロ】
25キロ過ぎでMUSAHI Niを投入。最後の折り返しを過ぎるとほぼ同時に、雲の切れ間から見え始めていた青空が一気に広がり、多少陽射しが出るようになった。が、暑さはあまり感じられず、むしろ心地よい感じ。ここでスッパイマン(乾燥梅)を二つ口に頬張りながら気を紛らわす。今日は、何もかも自分の味方につけるのだ。しかし、この辺りでまたしても足裏の痛みを感じ始めるが、ここで折れたらハイ終わり、と強く言い聞かせ、痛みのことを忘れる。

29キロ過ぎ、左手前方にいちごオ・レの旗が見えてきた。Iさんだ。大きく手を振ると、Iさんも気づいたらしく、カメラを向けてくれる。

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(Iさん撮影。既に泣きそうになっている。)

ありがとうございます!と言って通り過ぎた後に、なぜだかグッと胸にこみ上げるものがあった。

20キロから続いた平坦な区間が終わり、再びアップダウンが現れる。いよいよここからが本番といっても過言ではない。30キロ手前の上り坂、ちょっと辛さを覚えたけれど、多少ペースが落ちるのはやむを得ない。いや、上りがあれば下りもあるコースなのだから、とにかくしっかりと刻んでいこう。30キロ通過。2時間28分13秒。

【30キロ~35キロ】
ふと、この辺りから左脚のふくらはぎがピクピクと疼き始める。痙攣の前兆のようだ。
汗はそれなりに掻いていたが、ここまで水分補給は完璧だし、塩分も不足していないはず。大丈夫大丈夫、と言い聞かせる。この日に限っては、30キロを過ぎても、いわゆる「壁」が現れる気配がなかった。逆算はしたくないがあと12キロしかないんだ。このまま押していこう、と言い聞かせる。

32キロ手前で、先行していたNさんに追いつく。いつもであればこの辺りから失速するというパターンに陥るのがお約束だったが、この日に限っては失速する気がしなかった。むしろ、有料道路を抜ける下り坂で、少し加速した感じ。相変わらず左脚のふくらはぎはピクピクしていたものの、ここまで来たら最後まで押し通せるという根拠のない自信があった。

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(先行していたNさんがなぜか撮影。)

35キロ通過は2時間51分50秒。

【35キロ~40キロ】
Meitan黒を投入。これで補給食はすべて使い切った。35キロを過ぎた時点でさっと逆算をして、このまま持ち堪えられれば、サブ3.5は達成できるはずだと確信に近いものを得る。しかし油断は禁物。ここからが勝負どころだ。

ちなみに自分の時計に視線を送ったのは12キロ過ぎぐらいまでで、その後はほとんど目にしなかった。5キロ毎の通過ポイントに電光掲示板が設置されているが、そこで逆算をすると欲が出てペースが乱れるので、パッと視線を送っておしまい。あとは何も考えない。走れば何とかなる、とにかく最後まで走りきろう。そればかり考えていた。

多少ペースが上がったことで、呼吸が少し乱れているのがわかる。腕の振りが弱くなっていないか、腰が下がっていないか、まずはフォームを整える。その上で、深呼吸をして呼吸を整える。
37キロを過ぎて右折、旧中山道へと進む。いつになくしっかりとした足取りで、淡々と進んでいく。
ちなみに37キロを過ぎてから41キロ過ぎまで、景色の記憶が全くといっていいほどない。
最後方のブロックからのスタート、ここまで一体何人を抜いたことだろう。そして今もなお、AやBのゼッケンを背負った人を抜き続けている。逆に30キロ以降で僕を抜いていったのは、5人ぐらいしかいなかったんじゃないだろうか。
まさに、Dからの逆襲ですよ。下克上ですよ。超気持ちいい!ですよ。

【40キロ~ゴール】
40キロを通過。タイムは確認していない。ようやくここで距離のカウントダウンをスタート。と同時に、ペースを更に上げる。残り2,000メートルぐらい、1,600メートルぐらい…。しかしなお、時計には全く視線を送っていない。というかここまで来たら、最後まで押し切るしかないでしょうが!あとでチェックしたら、40キロから41キロまでを4分33秒で駆け抜けていたらしい。結局この区間が最速のペースとなった。
41キロを過ぎて、最後の上り下りとなるJRのガードをくぐる。さあ、残り1,000メートルだ。余力を出し切ろう。
500メートル以上の長い直線が続き、信号を左折したところで、ようやくフィニッシュのゲートが見えた。最後の力を出し切らんばかりにスピードを更に上げたつもりだったが、実際はほぼ限界に近い状態だったようだ。
電光掲示板が見えてきた。3時間25分台を指している。思わず、よしっ!と小さく声を発する。
そしてついにフィニッシュ!タイムは3時間25分57秒。ようやく昨年の自己ベストを更新。記録上はたった3分の短縮だけれど、スタートラインを踏んだ時間を考えると、多分5分は縮めることができたんじゃないだろうか。

【ゴール後】
コースに向けて深々と頭を下げた途端、達成感に包まれ、ボロボロと涙がこぼれてきた。何となく不本意だった今年、最後の最後でやっと昨年の自分を越えられた、という思いが胸に去来した。
疲れていないといえばウソになるが、とてつもなく頑張った、という感じでもなかった。むしろ最後まで力まず、心折れることなくしっかり走り切れたことが本当に嬉しかった。もっとも、今日に限っては心が折れる気がしなかった。こうやって走ればいいんだよ、というお手本を自らに示したような気分だった。難コースだというのであれば、そこでPBを更新できたというのも非常に大きい。裏を返せば、これってまだ伸びる余地があるってことですよね?

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(走りきった感たっぷりです。)

久しぶりのネガティヴスプリットも気持ち良かった。目標タイムには1分足りなかったけれど、そんなことはどうでも良かった。何より、自分で想定したとおりの展開、綺麗にラップを刻んで最後まで走ることができたことに、とてつもない充実感が溢れていた。多分、これまでの中で一番納得のいく走りができたような気がする。そう、この快感を得たかったのだ。だからマラソンはやめられない。

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(後半の方がラップが速くなっています。)

最後に、今回の大会の中で幾つか気になった点を備忘録的に。
・スタート時の混雑は致し方ないとは言え、ブロックは目標タイムではなく、持ち時間で振り分けすべきでは。
・完走率の向上。これは参加する側の意識もあるのだろうけれど。
・でも、制限時間と参加人数は、できれば変えて欲しくない。こういうシビアなレースがあってもいいと思う。
・給水の改善を。結構コップが足りていない給水所があった。
・旧中山道の歩行者横断、もう少し手前からお知らせしてくれませんか。
・スタート前、ゴール後の対応は素晴らしかったと思う。

結論からすると、自分で納得のいく、満足のいく走りができた大会は、「いい大会」と位置付けられる。だからこの大会、とてもいい大会です。これ、ランナーあるあるですから。舞い上がっちゃって、どうもすいません。

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(普段の練習でもこんなに綺麗に走ることないですわ。)

デジタル社会の中で見つけた「共感」

最近思うことがある。
ありとあらゆるものが電子化されている昨今、媒体ツールの統一化は図れないものなのだろうか、と。

交通系ICカードと呼ばれるSuicaやPasmoなどは、相互利用サービスがかなり進んでおり、一つのアプリを登録しておけば全国各地で利用できるということで汎用性が高い一方、電子マネーについてはそれぞれの母体の思惑が見え隠れしていて、かなり複雑な構図となっている。(例えば7ではWが使えないとか、コンビニでも利用できる電子マネーが異なるとか。)

まあ、こればかりは競争原理の働くこの社会にあって、一本化などということを考えること自体がナンセンスなのだろうけれど、何でもかんでもアプリにしてインストールすればいいというものでもなく、利用頻度によってカードとアプリをうまく使い分けしなければならないな、なんてことを思った次第。

電子マネーはさておき、もう一つ何とかならないかな、と思っているのがいわゆる電子書籍。インターネット通販大手のA社もR社もそれぞれ電子書籍を読み込むための独自のリーダーを提供しているほか、それ以外にも電子書籍用のリーダーアプリが色々出されているが、相互の互換性がない電子書籍がたくさんあるようだ。

最近、出版業界では不況が続いているだとか、本が売れずに困っているだとか、関係者の皆さまはお嘆きのようだが、実は、発行部数は年々増加の傾向を辿っている。その一方で売上げが低下しているという現状を、どう評価すればいいだろうか。

僕は思う。要するに出版業界が、「売れない書籍」を発刊し続けているだけの話ではないだろうか。

僕は学生時代から新書を好んで読んでいたけれど、最近では読む気も失せるような軽々しい「新書」が増え過ぎている。ウソだと思うなら書店に足を運んでみて、「新書」コーナーを覗いてみればいい。「よくもまあこんな内容で新書にして発刊するものだな」と思わず目を疑うようなタイトルの書籍が、時々平積みになって置かれているから。正直申し上げて、そんな書籍こそ、紙ではなく電子書籍化すべきなのではないかと思う。

先程申し上げた発行部数の増加に関し、集計上は電子書籍が含まれていないため、恐らくとてつもない数の「書籍」が毎年発刊され続けていることになるのだろう。

CDが売れないと先鞭をつけた音楽業界も、抜本的な構造の変化に気づいているかどうかは知らないが、CCCDの発売やレンタルへの締め付けなど色々やらかしておきながら、未だにCDの売上げ向上に躍起になっているようにも見て取れる。いや、それを全否定するつもりは毛頭ない。ただ、デジタルミュージックが席巻する今日、質感が失われたデジタル化の波は、何とは言えないがゴミにもならないようなチープな生産物を、これから先も吐き出し続けて行くのだろうか。そしてその後塵を拝していることに、出版業界は気づいているのだろうか。(一時期話題になった「自炊」なんていうのは、出版業界と購読者のギャップを示した最たるもののような気がするのですが。)

プリンスは今年のグラミー賞の壇上でこんなメッセージを残した。
Albums, Remember Those? Albums still matter. Like books and black lives, albums still matter.
アルバムって知っているか?アルバムは大事だ。本や黒人の命のように、アルバムは大事なんだ。

もっとマテリアルな、質的な部分を大切にしよう。黒人の命同様、書籍やアルバム(CD)は軽々しく扱われるものではないという彼のメッセージは、深い含蓄のある発言として話題になった。

…なーんていつになくちょっとマジメ論調で書き綴ってみたが、そんなデジタル社会の中で、面白い電子書籍を発見。って、オラもどっちだんずや。

いや、またランニング関係のネタで申し訳ない。日本経済新聞の記者が御自身のランニング体験を綴った「ランナー集まれ」という書籍。
不定期コラムとしてHPにも掲載されており、ご覧になった方も多いのではないかと思う。ところが、A社のKストアでは配信されておらず、たまたまインストールされていた別のリーダーアプリ内で販売されているのを発見、折しも1,000円分の無料クーポンがあったということで、続編として配信されているシリーズ3までをまとめて購入、電車の中で読み耽っている。

何が面白いかというと、著者自身がランナーであること(ただしエリートランナーとかではなく、サブ3.5ランナー)、そして、大会に出場する際のその目線や分析が、何となく僕自身がレースを終えた後に投稿する内容と似ていて、同じ匂いを感じること(ただし、走行距離や持ちタイム、そのストイックさは、僕とは格段に違います。)。なので、例えばレース中に起きたトラブルやレースの後の心境など、まさに「あーわかるわかる!」といった内容で、「ランナーたるものこうするべき。ああするべき。」といった、いわば「先駆者」による指南書的な内容とは全く異なる。

惜しむらくは、無駄に画像が多いこと。しかもたった1行で改頁された後にその画像が出てくるものだから、ちょっとゲンナリしてくる。更によく見ると、何度も同じ画像を使い回しているようにも見える。

それでも、著者が国内外のマラソン大会、更には100キロマラソンに出場した際のことなど、記述されている内容はまさに「ランナーあるある」といったものなので、内容が気になる方は、まずはWeb上から「ランナー集まれ」で検索、日本経済新聞のコラムを読まれることをお勧めします。というか、それを読み続けていれば、別に電子書籍を購入する必要はないと思うんだけどね…。

ということで、明日の移動の新幹線でのお供が決定しました。

ランナー集まれ 40代記者、マラソンに挑む

【あと3日】今更バタバタしても仕方がない。

ええと、先日の続報になるのですが、私、エントリーの時にちゃんとタイムとか記載していたみたいです。ただ、ハーフマラソンの欄に記載がありませんでした。

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…え?ひょっとしてこの記載漏れが理由なのかしら?(でもフルマラソンしか走ったことないっていう人、いますよね…。)

それとも、3時間35分なんて謙虚な…いや、大それた目標設定をしたからかしら?
まあ、これ以上グチグチ言うつもりはありませんが、頼むよホントに。

さて、ジャパンツアー2015 最終公演(さいたま国際マラソン)まであと3日。昨日から完全に休足モードに突入。あとは、土曜日の朝に軽くジョグをする程度にとどめようかと思っています。しかし、一つの大会のためにこんなに何度もブログに投稿するのは久しぶりかも知れません。それは、気合いが入りすぎているのか、それとも、はやる気持ちを抑えられないのか…。

こういう時、同じ大会に出場する他の皆さんは、どんな心境なんだろうか、とふと思います。
気合い充分で今すぐにでも走りたいという心境なのか、あるいは、不安の方が大きいのか、と。

僕はどちらかといえば後者の心境に近いかも知れません。でもまあ、今回初めて開催される大会なのだから、置かれた状況はみんな同じ。
ここまで来ると、今更何をしたところでどうにもならない…とまでは行かないにせよ、下手に訳のわからない練習をして怪我をするぐらいなら、大人しくていた方がマシ。ということでこれまでの反省を踏まえ、昨日から脚休めに努めることにしました。そしてまた、例のごとく机上でのイメトレに没頭。ちなみにこのトレーニングが結果に繋がったことは…ありません。

…ええとまずは、これまで出場した大会のうち、6つのレース結果をExcelの表にまとめて並べてみました。いわゆる「過去問」の分析みたいなものです。

前にもお話ししましたが、一番安定した走りっぷりだったのが、人生初のマラソン挑戦となった2年前の弘前・白神アップルマラソン。復路で緩い下りになるとは言え、35キロ以降もほぼ崩れることなく、まさに「刻む」を実践したような内容。その後7度マラソンに挑戦していますが(うち2度はペースランナーを務めた)、最初のマラソンの時ほど走り終えて爽快感を味わったマラソンはありませんでした。ですから、僕の中でこれまで唯一納得の走りができたのが、実は初マラソンだったわけです。あの時は1週間ぐらいアドレナリンが出まくっていて、ずっと興奮していたっけなぁ。
一方、今まで一番の失敗に終わった(=遅かった)昨年の北海道は、2度目のフルマラソンでした。陸連公認の大きな大会に初めて出場するという緊張感、そして絶対に3時間30分を切ってやる、という気負いが裏目に出て、スタート直後の流れに乗れぬまま、30キロまで全くペースを上げることができませんでした。しかも、シューズとソックスのトラブルで走るどころか歩くのも辛いぐらいの痛みを足裏に発症し、もがき苦しんでゴールしたという苦々しい思い出が残っています(両足裏の広い範囲に水ぶくれができるという苦痛を味わいました)。そして、今年の田沢湖マラソンでも似たような苦痛を味わうことに…。
唯一3時間30分を切るタイムでゴールした昨年の田沢湖マラソンは、人生で3度目のマラソン。北海道の失敗を見返すぞとばかりに気合い充分で、初のコースとはいえかなり快調に飛ばしたのですが、36キロ過ぎで両脚の痙攣というアクシデント。それでもここで心折れることはなく、何としても3時間30分以内でゴールしてやるという気合いだけで最後の5キロを駆け抜け、結果3時間29分を切ってゴール。足の痙攣がなければ、もしかして3時間25分ぐらいでゴールできたのかな。まあ、マラソンで「たら・れば」の話をしても仕方ないんですけどね。

ということで、これまでのレースで抱いた悪いイメージを払拭しつつ、いいイメージだけを切り取って繋いでいく…そうすると、3時間15分ぐらいで走れそうな気分になります(笑)。

安心してください。両脚のアキレス腱がまだ完治していない中、そんなタイムで走れるわけないですから。

マラソンは、楽をしようと思えばいくらでもできますが、それは、ゴールしたときの達成感に如実に現れることとなります。もう一つ言えることは、マラソンは付け刃のトレーニングだけで誤魔化しが効くものではないということ。

こうやってレース結果をトレースして眺めてみると、明らかな弱点が見えてきます。それは、25キロから失速が始まり、35キロ以降大ブレーキとなっているレース展開が多いこと。これは単にレースペースを考慮せず勢いのままに(流れに乗せられて)走ってしまったか、フルマラソンを走りきる脚ができあがっていない、つまりトレーニングが足りていないのに無理をした結果としか言いようがありません。
もっとも、この世の中に楽なマラソンなんてありません。あるとすれば、セグウェイに乗って42.195キロを走る、そんな大会だと思います。そんな大会どこにもありませんが。
ハッキリ言ってマラソンは苦しいです。修行をしているような気分に苛まれます。辛くなればなるほど悪魔のささやきが聞こえてきます。その悪魔って、自分なんですけどね。42.195キロを走りきるって本当に難しいし、何でこんなことをしているんだろうと走りながら思うこともしょっちゅうです。
では、42.195キロで味わうこととなる苦しみをいかに最小限に抑えるか。

要するにマラソンって、引き算のスポーツなんですね。100からスタートして、どのタイミングでどういう引き算をしていくか。その引き算をしていくのは、もちろん自分自身だし、引き算する配分も自分で計算しなければなりません。ゴールした時点で100だったものがどの程度残っているのか。あるいは、ゴールの前に100を使い切ってしまうのか…。

いやあ、そう考えるとマラソンって本当に奥が深いし面白いです。
今回の大会は、身体だけではなく頭もしっかり働かせながら走ろうと思います。思い切って、知力6:走力4ぐらいの力配分で走ってみようかな。

…あれ。もしかして私、とってもナーバスになっているように見えます?
いやいや、初めての国際マラソンですよ!第1回大会ですよ!むしろ、とーーーっても楽しみなんですけど♪
日テレで当日放映されるのは五輪選考を兼ねた女子マラソンですので、私は出ませんからね。ただし、日テレ G+で後日、全選手のゴールシーンを放映するみたいです。
「応援ナビ」「ランナーズアップデート」もあるみたいですね…まあ、正直言って「勝手にオレのプライバシーを侵害するんじゃねえ!」って感じなんですけど(笑)、宣誓書にサインする以上は仕方がない。
http://saitama-international-marathon.jp/service/

生意気なことを言わせて頂くなら、「邪魔も横やりも一切いらないから、とにかく黙って見ていなさい。」…なーんてな!