【共助を考える】共に支え合うのは、誰だ。

3つの観点から防災を考えようと思いついた第三回目。【共助】の今回が最終回。

防災分野と社会福祉分野では、「共助」の取扱、認識が異なるようだ。

社会福祉分野における「共助」は、制度化された相互扶助、社会保険制度などを指し、「互助」とは家族や友人などの助け合い、ボランティア活動、地域住民の活動を位置付けている。

防災分野では、社会福祉分野において「互助」として位置付けている内容を「共助」としており、防災分野で「互助」というワードが出てくることは、あまりない。

ところで。
「持続可能な社会づくり」とはいうが、人力でやれることには限りが出てくる。

これから先、国内各地で人口減少が加速化することで「自助」「共助」「公助」いずれの機能も低下の途を辿ることになるだろう。

人口減少社会において、防災対策そして危機管理対策として何ができるのか、何をすべきなのか、真剣に考えなければならない時期に差し掛かっているものと思われる。

そのような中にあって、恐らく今後の災害対応においては、「共助」が最も重要視されるのではないかと個人的には思っている。

理由は、以下のとおり自助、公助の取組が衰退化していくと思われるからだ。

・「自助」:人口減少や高齢化が進むにつれ、「自分で自分の身を守る」ことができなくなる人たちが増加。結果的に、「自助」に取り組める人と取り組めない人が二分化する。

・「公助」:自助同様に人口減少や高齢化の煽りを受けること必至。現在も定年延長が図られるなか、職員の減少(さらに追い打ちをかけるかのごとく、中途退職者が増えている気がする)により、災害時の対応能力が低下し、その役割を十二分に果たせなくなる可能性が極めて高い。

更に、新たな公の担い手として、NPOをはじめとする様々な機関が登場している昨今、公の行政機関が何でもしてくれるという時代は終焉を迎えつつある。住民や生命や財産を守るため、最大限の努力を払っていることは理解して欲しいが、そろそろ公としてやれること、やれないことは明らかにした方がいいと思うし、やれない部分は民間の力に頼るというのは、当たり前だと思うのだが、どうも公の立場に身を置くと、色々考えさせられる場面がある。

そして、恐らく今後は「共助」の取組が更にクローズアップされていくことだろう。

例えば東日本大震災以降、住民らで組織された自主防災組織の取組が注目されている。町内会での避難訓練や炊き出し訓練、防災資機材の整備など、自主防災組織の取組は枚挙に暇がない。

先日、『SDGs視点で「誰ひとり取り残さない」防災・減災を考えるワークショップ』に参加した。職業も年代も性別もバラバラの4人一組で、SDGsを絡めながら防災・減災対策に向けた課題を考え合うというものだったが、ここでも共助の重要性が話題となった。自主防災組織を設立するのは難しくとも、普段からの近所付き合いは重要になってくる、という方向で議論が盛り上がった。

当日のワークショップで貼り出された付箋紙の数々

最近は、地域のコミュニティが欠如していると言われている。

うちの町内会も、市中心部に近い場所にありながら、空き家が多くなっている。お年寄りの独居世帯が増え、近い将来、限界集落のことを言えないような状況に陥るのではないかと思っている。

かつては子供たちが寺の境内で遊ぶ姿を見かけたが、最近は子供の姿すらほとんど見かけることがない。町内会活動はお年寄りの娯楽の場となり、若い人たちは見向きもしなくなった。

…などとエラそうな話をしているが、かくいう自分も、町内会の活動にはほとんど参加したことがないし、子供がいないからPTA活動もどんなものなのか知らない。

2019年8月、西目屋村で開催された総合防災訓練

こういうコミュニティがきっかけとなって、縦横の繋がりが広がっていくのかも知れないが、そういう点では、僕は「共助」に取り組むための「同志」がいないのかも知れない。

せめてもの救いは、隣数軒の家にはどういう人が住んでいるか把握していること、いざという時にはその家に駆け込むことができる(ぐらいの関係性は築かれている)と思っている。

実際、平成3年に青森県を襲った台風第19号(いわゆる「りんご台風」)の際には、暴風で屋根が吹き飛ばされてしまった隣の家に、独り暮らしのおばあちゃんを救出しにいったことがあるぐらいなので、その気になれば本能的に「共助」の動きを取ることはできるかも知れない。

とはいえ。

「自分で自分の身を守る」ことができなくなりつつある人たちが集まったところで、「共助」に取り組むのも至難の業ではないかと思う。消防団然り自主防災組織然り、高齢化は一つの課題となっている。

こうなると頼らざるを得なくなるのは、少しでも若い年代の力、ということになる。10~20代の力がとても大切になる、ということだ。

とりわけお年寄りは、(いつも怒ってばかりの)子供の言うことは聞かなくとも、(慕ってくる)孫の言うことは聞く、という傾向にあるような気がする。そういう意味でも、若年層がお年寄りの動きを変える、ということはあるかも知れない。いずれにせよ、これからは防災に対する備え、心構えをより一層強固にしながら、まずは自分でできることをしっかりとやれるようにすることが重要になることだろう。

当たり前のことだが、「共助」とは、「自助」に取り組むことのできる個の集合により成立することを改めて認識しておきたい。そして、「自助」に取り組む(我々も含めた)個々人が、平等に年を重ねていることは、「共助」の取組を進めるうえでの大きな壁となることは、強調しておこうと思う。

そしてこれからは、自助と共助と公助がそれぞれ連携し合う、新たな「互助」という視点も重要となってくるのかも知れない。

防災ヘリ「しらかみ」によるホイスト(つり上げ)訓練