東日本大震災から10年が経ったが、青森県内ではこの間、幸いにして多くの人命に関わるような大災害は起きていない。
新型コロナウイルス感染症が蔓延る現在にあって、もしも大災害が起きたら…なんてことを考えると、ゾッとする一方で、既にどこで何が起きてもおかしくない状況だということも事実だ。
ここ1年以上、新型コロナウイルスの感染防止対策を万全にするよう呼び掛けているが、天変地異への警戒も怠ることはできない。
最近の天気は気まぐれで、かつ横暴だ。東北地方も19日に梅雨入りしたが、むしろ気をつけなければならないのは、お盆を過ぎた頃、9月~11月の秋雨の時期だろう。いつ起きるかわからない災害は、間近に迫っている。だからこそ日頃から備えて欲しい、と、声高に呼びかけたい。
だって、普段できていないことが、まして有事の際になんて、できるわけないんだから。
青森県内では大災害は起きていない、とはいうものの、これ、単なる偶然。運が良かっただけですから。…という話題提供を、僭越ながら住民向けにお話しする機会が幾度となくある中でお話しさせていただいている。
青森県が大災害に見舞われていないことがどれだけ偶然かというと、上に掲げた日本地図をご覧頂くとわかる。
これまで特別警報が発表された地域が日本にこれだけあることを見れば、一目瞭然ではないだろうか。
繰り返しになるが、既にいつ、どこで、どんな大災害が起きてもおかしくない、ということだけは明白だ。
コロナ禍にあって、「役所ってお願いばかりで何もしてくれないよなあ」という声も聞こえてくる。がしかし、仮に多くの人命に関わるような災害が起きたとき、役所の人間は一刻も早く住民の救助救出に向かうか、と言われれば、答えはノーだ。
なぜならその役割は、消防なり要請を受けた自衛隊なり警察なりが担うからだ。
そして、この役割としてよく目にする言葉が、「自助」「共助」「公助」。皆さんも一度は目にしたことがあるだろう。
「自助」は文字通り自らが助かるために自ら備える、いわゆる「自分の身は自分で守る」というものだ。
「共助」は、ともに助け合う、自主防災組織や消防団などがこれらの役割を担う。
もう一つの「公助」は、公による助け、つまり消防、警察、自衛隊、行政機関がこれに当たる。
ちなみに、1995年に発生した阪神・淡路大震災においては、公助の限界が露呈した。事実、日本火災学会による調査では、発災直後、公助が機能しなかったことが明らかとなっている。
道路が塞がれ、緊急車両が通行できず、電話も繋がりにくい状況に陥り、公による救助の手が回らなかったのだ。このことが、災害ボランティアが定着するきっかけともなった。
前述した「役所ってお願いばかりで、何もしてくれないよなあ。」というのは、確かに事実かも知れない。だが、「何かあった時、最後は役所が何とかしてくれるだろう」というのは残念ながら事実ではない。
しかし、実際に自ら備えているかといえば、平成29年に行われた内閣府の世論調査においても、大地震の発生に備えていない家庭が1割ほどあったという。たかが1割、されど1割。
さて、「共助」を担うのが自主防災組織や消防団など、というお話をしたが、これだけではない。町内会や学校のPTA、もしかしたら会社もこの中に含まれてくるだろうし、学校そのものだってその機能を充分担う可能性がある。
本県は、自主防災組織の組織カバー率が全国で下から2番目の低さだ。大体が町内会単位での組織となっているようだが、地域によってムラがある。普段からの近所付き合いができていれば、いざというときに互いに助け合うこともできるかも知れないが、隣近所がどんな家族構成で誰が住んでいるのかもわからないような状況では、いざという時に助けようと思っても、助けられないことだろう。だって、普段からやっていないことは、いざという時にはできないし、ましてお互いの顔を知らない者同士が助け合おうなんて、そう簡単にできることではないと思いませんか。
それはともかく、実はずっと気になってることが一つある。それは、どうして「きょうじょ」は「協助」じゃなくて「共助」なのだろうか、ということだ。
一見すれば単なる言葉遊び。だが、東京都千代田区が平成23年2月に「協助」の取組を進める、との広報を行っているのだが、翌月に東日本大震災が発生、その後「協助」がどうなったのかはわからない。
ちなみに、「共」と「協」の違いは次のとおり。
共:①ともに。いっしょに。「共栄」「共通」 ②「共産主義」「共産党」の略。「防共」「反共」 ③ども。複数を表す接尾語。「私共」 (出典:漢字ぺディア )
協:①力を合わせる。「協賛」「協同」「協力」 ②かなう。うまく合う。「協奏」「協調」「協和」 ③話し合いをしてまとめる。「協議」「協定」 (出典:漢字ぺディア )
「ともに助ける」「いっしょに助ける」と、「力を合わせて助ける」。
力が発揮できそうなのは、果たしてどっちだろう。
話は戻って、住民向けにお話しする場面。「共助」のことを話す時にこちらに耳を傾けている方々は、似たような世代だったり、男性ばかりだったり、女性ばかりだったり、ということが多い。
老若男女問わずありとあらゆる力を合わせるという意味で、いつかそういう方々が同じ場に会す機会があればいいな、そこで「協助」の理念をぶち上げられたらいいな、なんてことを思っているが、この構想は僕が勝手に抱いている来年度以降のプランなので…なんて考えていること自体が、いかにも役人っぽいですね。