伯父との別れ

今回の投稿は完全なる私事ですが、自分のライフヒストリーに掲載する必要があるため、文字起こしすることをご容赦ください。

ちょうど1週間前。8月30日(日)夕方、母方の伯父が永眠した。行年84歳。

今年6月、祖母の命日が近いということで伺った際に、以前より伯父の身体が幾分小さくなり、声も細くなったように見受けられた。まあ、年齢も年齢だし、年老いても行くだろうなあ、とは思ったが、その約2か月後に突然の別れがやってこようとは、誰が想像しただろう。結局、その日に交わした言葉が最後となってしまった。

もっとも、従姉から伯父の病のことを聞いたときは、楽観できる状況ではないな、と、心のどこかで覚悟を決めていたとはいうものの、あまりにも突然過ぎてまさに青天の霹靂だった。

毎年お盆の時期になると母は、自分の実家である北秋田市に行くことが通例となっていた。
が、今年は伯父が入院していることや、秋田県知事が「他県からの来県を控えて欲しい」と言ってしまった手前、こちらから向かうことを諦めるよう説得した。母は渋々その説得に応じたが、では伯父の入院している北秋田市民病院に、いつ見舞いに行ったらよいかと画策を始めていた。

8月29日(土)、母は北秋田市民病院に行く気満々だった。がしかし、伯父の状態があまり芳しくないことを聞いて八王子からやってきたもう一人の従姉が、「東京から来たから」というだけで面会できていないこと、更には、病院そのものが「面会禁止」の措置に踏み切ったことを知らせると、もはや打つ手なし、といった雰囲気で、母はまたしても北秋田市に向かうことを諦めた。

結局、翌日の夕方訃報が飛び込み、母は泣き崩れた。嗚咽を漏らす母を慰めながら僕は、自分が下した判断が正しかったのか、無理にでも行かせるべきだったのかと、ずっと自問自答を繰り返していた。


伯父は、母の姉である伯母とともに、祖父母から引き継ぐ形で理容店を営んでいたが、32年前に伯母が他界し、以来、従姉と二人で理容店を切り盛りをしていた。入院する直前まで客を迎え、散髪をしていたらしい。

一方で、伯父が昔から家族や他人に弱みを見せることを嫌う性格だというのは誰もが知っていたことなので、極力家族に迷惑をかけずにサッと引き際を迎えたのは、いかにも伯父らしい人生の幕引きだったのかも知れない。「病院へ行く」と自ら重い口を開いたのも、本当に身体がきつくなってからのようだったらしい。

それでも恐らく苦しまずに旅立つことができたのだろう、亡骸と対面した際、寝ているような穏やかな顔だったのは、突然の悲しみに暮れる中でのせめてもの救いだった。

喪主を務めることとなった従姉としては、この新型コロナ禍であまり盛大に見送ることはしたくない、できれば質素にかつ静かに送り出したいという思いがあったようで、小ぢんまりとした葬儀を執り行うこととなった。

その中で、伯父に別れの言葉を述べてほしいという依頼が急遽舞い込んだ。
断る理由もなかったが、さすがにその場の思い付きはまずいだろうと思い、納棺を終えた後、北秋田市から弘前の自宅へ舞い戻り、いわゆる「読み原稿」を作成した。

しかし、いざ遺影を前にしてその原稿を読み始めると、いろんな思いが胸に去来し、涙で文字がかすみ、声も終始うわずり、まともに読み終えることができなかった。

その読み原稿の一部を脚色しながら、伯父との思い出に浸りたい。


伯父とのエピソードは、語り尽くしても尽くしきれないくらい、いろいろあるが、僕が今でも感謝していることがある。

もう40年も前の話、僕が小学生だった頃、夏休みになると、弘前から列車に揺られて北秋田市へ来ることが本当に楽しみだった。

(家のすぐ裏を秋田内陸線の線路が走る。国鉄阿仁合線の時代から、この光景を見るのが楽しみだった。)

その年も、夏休みに入るとともに北秋田市へやって来た。おそらく夏休みの大半は、北秋田市で過ごしていた気がする。

朝のラジオ体操に従姉やその友だちと出かけると、女々しかった僕が格好のターゲットとなり、従姉の同学年の男の子たちから、毎日のようにからかわれるようになった。そんなある日、たまたま散髪にやって来たその中の男の子に、伯父は「年少者をあまりからかうんじゃない」と言ってくれたらしく、翌日から、僕がからかわれることは一切なくなった。
一方で伯父は、「もっと男らしくしねばマネんだよ」と諭してくれた。思えば伯父は、僕のブレを見透かしているかのごとく、少ない口数で諭すことが多々あったような気がする。

お盆の時期、親戚が集まっての裏庭でのバーベキュー。伯父はいつも炭興し担当。

今年は新型コロナの影響でみんなが集まることができなかったから、落ち着いたらまたバーベキューを開催できることを楽しみにしようと思っていた矢先の別れ。どんな時も、いつも優しく我々のことを迎えてくれた伯父がもう出迎えてくれないのだと思うと、胸か締め付けられそうになる。

伯父が酔っ払った時に呟いた一言で、僕が胸に刻んでいる言葉がある。

「心、穏やかに。」

今は、この言葉を胸に秘めながら、伯父のことを静かに送り出したい。

最後に、生涯現役の理容師として人生を全うしたことに、甥として、ただただ尊敬の念を抱いている。
微力ではあるが、我々もみんなのことを支えていきますので、安心して旅立ってください。

そして、いつまでも我々のことを優しく見守ってください。
本当に、本当にお疲れさま。ありがとうございました。

合掌