忘れ物を探す旅(前編) #北海道マラソン2019

昨年の北海道マラソンで心身に受けたダメージ(昨年の記事前篇後篇を参照)は相当大きく、その後のレースでは無事に走れるのかという不安を常に抱えることとなり、一気に自信を喪失することとなった。

そして、レースを組み立てるということが全くできなくなり、完全にスランプ状態に陥った。

大概のレースでは足が止まり、走る気力がなくなるということが続き、果たして何のために走っているのだろう、走ることに意味があるんだろうか、という答えのない自問自答を、延々繰り返すということになった。

別に五輪を目指しているわけじゃないんだし、楽しければいいじゃない?その中でささやかな夢を追い続ければ、それで充分だと思う。もしも楽しくないんだったら、その時は…。

そんなことを朧気に考えている最中に、次の試練がやってきた。
左脚アキレス腱の負傷。走るどころか、歩くのもやっとなぐらいの状況で、7月、8月で患部に直接注射を打たなければならないほどの状態だった。

楽しく走るどころか練習すらままならない日々が続いた。思い通りに事が進まないことに憤りながら、ビールを痛飲する日が続いた。走る気力はどんどん失せ、体重だけがどんどん増えていった。

それでも北海道マラソンだけは出場しようと決めていた。
北海道とはいえ猛暑、酷暑を覚悟しなければならない時期。
しかし、昨年の「忘れ物」「落とし物」を見つけに行かなければならない。何としても晴れ晴れとした気持ちで、ゴールを迎えなければならない。
あの時から僕は、完全に何かを忘れ、何かを失ってしまったのだ。

決して気負っているつもりはなかったが、もしも途中で走る気力も楽しみも感じなくなって、レースをやめるようなことになったら、その時は、潔く走ることから足を洗おう。それぐらいの覚悟で臨むつもりだった。そんなことよりもまずは、この脚の状態で本当に走ることできるのか、そもそもスタートラインに立てるのかという不安ばかりが常に渦巻いていた。心技体が完全にバラバラだった。

8月24日土曜日。弘前公園RCの朝練には少し遅れて参加し、6日間完全休養に充てた脚の状態を確認。左脚のアキレス腱の痛みは大分治まったが、今度はそれをかばっていた右脚のアキレス腱に違和感を覚えていた。しかし、今さら気にしてもしょうがない。それもこれも全ては自業自得なのだ。

結局その日の午後には青森空港から機上の人となり、15時頃に札幌の大通公園で受付を済ませた。

北海道は猛暑どころか、既に初秋の雰囲気を漂わせていて、長袖がないとちょっと厳しいぐらいだった。
ホテルにチェックインした後、ベッドの上で横になり脚を揉み解す。数日前からは咳も出始めていて、体調はちっとも万全ではなかったし、そのことが更に気持ちを滅入らせた。

その後は、夕食のためにちょっと外に出た以外、一切ホテルの部屋から出ることもなく、午後8時頃には眠りに就いてしまったらしい。せっかく札幌までやってきたのに…だ。

8月25日日曜日、いよいよ大会当日。
4時過ぎに目が覚めた。窓を開けてみると、路面に水たまりができていた。さらによく見ると、小雨が降っている。何よりも、肌寒い。

テレビをつけると、24時間テレビのマラソンランナーが、もがき苦しむような苦悶の表情を浮かべながら走っていた。

外気を何度も確認しながら、ピンクのランシャツにするかどうするか悩んだ挙句、持ち合わせていた白のTシャツを着ることにした。

約7か月ぶりのフルマラソン。脚に痛みが出て本当に無理だと思ったら、やめる決心も必要と腹を括った。

8時、ホテルのチェックアウトを済ませる。外に出てみるとやはり肌寒い。荷物預けのためのビニール袋で急造した簡易雨具を羽織る。そのまま会場に向かおうと思ったが、肌寒さには勝てず、一度地下街に入ってから集合場所を目指すことにした。

毎年恒例となっている、いつもの場所での記念撮影。この時点での気温は16度。2日前から服用していた胃腸薬が功を奏したらしく、内臓はひとまず大丈夫そうな雰囲気だった。

時折雨がこぼれてくる空を、恨めしげに眺める。
恐らくBブロックからスタートする機会は今回が最後だろう。この2年間、並み居るエリートランナーの中に潜り込ませていただいたことに感謝しなければならないが、この間、まったく結果を残すことができなかった。思えば、Bブロックに入ることができたのも、この北海道マラソンで好タイムを出したからだったのに。
スタート直前に雨は上がり、日も差し込んできた。気温も18度まで上がっていた。

そしていよいよ9時、スタートの号砲が鳴らされた…。

(続く)