地球の過渡期

「地球温暖化」が叫ばれて以降、個人の自然環境に対する意識啓発や企業の取組に注目が集まっている。
そういう中でリサイクルだとか環境保全だとか、傍目から見ると「いいことしてるんだよ」という取組が、一種のステイタスになっている風潮がある。企業側からすれば、環境問題に真摯に取り組んでいる(ということを社会に見せる)ことが、企業戦略の一環になっているのだろう。

先日発覚した製紙会社の古紙混入率偽装の問題にだって、元を辿れば環境問題への取組みが根底にある訳で、資源再利用等を進め、環境保全に努めているんだ、というアピールが先行した結果、最初から無理とわかっていながら古紙配合率100%などという、虚偽の誇大広告を打ち出してしまったのだろう。

もっともこの件については、企業側に全責任を負わせ、一概に責めることもできないだろう。官製主導で進められて来た環境問題への取組が、こういった事態を引き起こしたとも言える可能性があるからだ。

食の偽装に関してだと、自分自身の健康を脅かす問題にもなりかねないということで市民の反応(批判)も激しかった一方、今回の製紙会社の件のように、直接的に自分の身を脅かすことがないようなことに対しては、市民の反応というのは今ひとつのような気がする。

法令遵守違反という点では同じ土俵に乗っているような気がするのだが、結局のところ、食の時ほど関心が寄せられていないということは、我々一般市民の環境問題への意識が、まだ成熟のレベルまで達していないということなのかも知れない。

妻の会社では、古紙混合用紙の販売自粛が始まったそうだ。
ふと僕自分の名刺を見てみると、左下に小さく「R100」の文字が躍っている。R100とは、古紙パルプ配合率100%の用紙(要するに再生紙)を使ったということだが、これも恐らく「偽装製品」なのだろう。

環境ISOとして知られているISO14000シリーズは、企業戦略の一環として認証を取得する企業が相当数に上っているはずだ。しかし、例えば消耗品としてリサイクル品を使っているから環境問題に取り組んでいる、といいながらも、使っているリサイクル品が実はリサイクル品ではなかったということになると、 もはや本末転倒どころの話でなくなってしまうような気がする。こうなると、みんな一度認証を返上しなければならなくなるのではないか。


一向に進められている気配のない京都議定書の削減目標も同様で、考えれば考えるほど、何が一体環境対策なのかがよくわからなくなってくる。結局のところ「環境対策」というのは、現実問題としては実現不可能な「理念」レベルの話なのだろうか。

とてつもなく大きな話をするのであれば、地球温暖化や自然破壊、環境問題は、人間だけの問題ではない。そして、実は自分の生命云々といった小さな単位ではなく、全世界的に人類や動植物が危機に晒されているといってもいいだろう。

僕は、地球温暖化や異常気象の報道が流れるたびに思うことがある。地球は今、地質時代の過渡期にあるのではないかということだ。

地球は、先カンブリア時代に始まり、氷河期やジュラ紀、三葉紀等、長いスパンに渡る地質時代を経て、約1万年前から今の状態に至っているという。
その過程においては動植物が絶滅したり、逆に新種が現れたりしている。例えば、ジュラ紀に栄えたのは恐竜であったが、白亜紀になると徐々に恐竜の数が減っていき、やがて絶滅していった(恐竜の絶滅については実に種々論じられているので割愛)。
その一方で、鳥類やほ乳類が誕生し、そして人類が誕生している。
ちなみに人類が誕生したのは約500万年前といわれているが、人類も徐々に進化を遂げていることは、学校で習ったことなので誰でも知っているだろう。

もちろん、今すぐに人間が絶滅するということはあり得ないだろうけれど、動植物が淘汰され、あるいは進化・変異を遂げていることを考えると、人類も何らかの「進化・変異」が始まる(始まっている?)可能性だって十二分にあり得る。

我々が地球温暖化を憂い、この先地球がどうなっていくかを危惧することは、もちろん無駄なことではない。
しかしながら、その原因を生み出した一番の要因は、間違いなく人間である。
あたかも人類が今日の地球を作り上げ、人類が地球を滅ぼしてしまうような話題を見聞することがあるけれど、滅びるのではなく地球ではなく人類なのではないだろうか。つまり、人間の行為は全て自分自身に帰着する、自業自得に過ぎないのだと思う。

そんなことを考えると人類の行く末は案外、恐竜と同じなのかも知れない。

2 thoughts on “地球の過渡期

  1. D&P

    昔、本で、恐竜の絶滅理由の可能性の一つとして、排泄物の多さによる、メタンガスの増加、という説を読んだ記憶があります。
    その時は、自分の排泄物で死ぬのかwと笑ったのですが、現在の人類は、まさにそうなのだと実感する昨今です。
    私たちが子供の時から、「子供に未来を残そう」って言われていた。
    今更子供に未来をっていう時代じゃなくなってしまった。自分に未来はあるのか?そういうレベルだと思います。
    で、さて、じゃ、私たち、なにすればいいんでしょう?

    Reply
  2. nonvey

    偉そうに問題提起しておきながら、次のステップとして一体我々はどうしたらいいのかということについては、自分自身でもよくわかっていないんです。すいません。
    モノって、壊すのは簡単だけど、それを再生するのはホント難しいことなんですけどね…。
    自然相手にケンカする訳にはいかないだろうし、かといって世界全体が手を取り合って地球を守ろう、なんて仲良しこよしになることも考えにくいだろうし。
    というか、天の邪鬼な発想かも知れないけれど、地球を守ろうなんていう発想自体が何か変な気もするんですよね。地球を守るんじゃなくて、地球に守られてるんだろ?って。
    実は僕は、地球の環境問題に関してはむしろ諦めの境地に近いところもあって、なるようになればいいじゃん、みたいな思考になってしまっているところもありまして。
    資源ゴミだリサイクルだってミニマム単位で一生懸命取り組んでも、その根幹からそもそも「ゴメン全部ウソでした」っていわれたら、一体我々は何を信じて何をすればいいんだろう…って。
    環境問題については全世界、地球全体を巻き込んだレベルの問題だと思うので、僕みたいに一個人が問題提起したところでどうにかなるレベルではないのかも知れません(←実はこの発想こそが、一番拙い考え方なのではないかと思っていますが…)。
    ホント、どうすりゃいいんでしょうね…。

    Reply

Leave a Reply