Monthly Archives: 11月 2016

備えあっても憂い…

11月22日午前5時59分に発生した福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震。
青森県内では幸い被害はありませんでしたが、6時過ぎに発令された津波警報、津波注意報の警報音がテレビから流れた時は、ちょっと焦りました。
頭をよぎったのは、東日本大震災はもちろん、熊本地震のことでした。
変な話ですがこの地震が前震、本震なんてことにならないことを、祈るばかりです。

津波の高さ30センチ?全然大したことないじゃん、と思うのは大間違い。文字通り足下を掬われますよ…。

よくテレビで、白波を見ながら「画面からは、津波の様子は確認できません」なんてことをほざいていますが、津波がそんなものじゃないということは、東日本大震災で織り込み済ですよね。…ですよね?

津波というのは寄せては返す波ではなくて、海面全体が盛り上がったり下がったりします。しかも、チャポンチャポンという(波長の短い)波じゃなくて、建物も立木も根こそぎ持ち上げるのが、(波長の長い)津波。人が泳ぐとかそんなレベルじゃないんですね。家も車も立木も、人間よりも大きな塊が一緒になって流されるわけですよ。そんな中で泳いで逃げるなんて、できっこないのです。

大雨の後に河川の水かさが増したり、それが氾濫する光景は比較的間近で見たこともあると思いますが、感覚としてはああいった感じで大海原から海水が押し寄せてくる、と考えた方が近いのかも知れません。

この記事、視覚的にわかりやすいです。津波って、こんな感じなんだと思います。

津波の高さ30センチとか言っても、30センチの白波が自分の足下をサッと流れるというレベルじゃないんです。1メートルなんてことになったら、ひとたまりもありません。
最近では、津波警報や注意報が発令された直後から、テレビ等で声高に「高台へ避難して下さい!今すぐ海岸から離れて下さい!」と強い口調で連呼しているのを見て、「何をそんなに大げさな…。」と思われた方もいたかも知れません。

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でも、「命を守る行動」という点において、あれが決して大げさではない注意喚起だということは、沿岸地域から遠く離れた地域に住む(私も含めた)皆さんも理解しなければならないことではないかと思います。

現に今回、太平洋沿岸地域の方の中には急いで沿岸から離れ、高台へ避難をしていたという事実もあります。ちなみに青森県内でも、最大で270名を超える方が避難していました。もっとも、この人数が多いか少ないかを判断するのは、正直ちょっと難しいところがありますが…。

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昭和58(1983)年5月、秋田県能代市西方沖を震源とするマグニチュード7.7の「日本海中部地震」が発生、この時は10メートルを超える津波がわずか3分で到達、100人の方々が津波の犠牲となりました。このうち、日本海から程遠い内陸地域にある母の出身地、北秋田郡合川町(現・北秋田市)の合川南小学校から男鹿半島へ遠足にやってきた児童43人と引率教諭が津波に襲われ、うち児童13人が犠牲となりました。

青森県内でも犠牲者が出ましたが、幸いにして難を逃れたケースも。
私が在学していた弘前市立第四中学校(当時私は1年生)の3年生が、西津軽郡深浦町へ写生遠足へ出かけていたところを、この地震に見舞われました。その際にバスの運転手が機転を利かせ、画材を置いたまま高台へ避難するよう指示、地震の発生から約15分後、生徒全員が高台へ避難した直後に約65センチの押し波が襲来し、堤防に置いたままにしていたみんなの画材類が洗いざらい海に飲み込まれた、ということがありました。

そして、東日本大震災が発生するちょうと1年前、2010年3月に同じような内容を投稿していることに気づきました。

大津波警報

災害は忘れた頃じゃなくてもやってくるのですよ。喉元過ぎても熱さを忘れてはならないのですよ。
今回も、警報や注意報発令後にも関わらず海岸線の道路を走るたくさんの車や、海岸線のすぐ近くにある、ほんのわずかな高台に車を停めて海を見つめる人々の姿がテレビで放映されていました。

同じことを何度も何度も繰り返し経験しているはずなのに、人間っていう生き物は…。

最後は、気持ちだけで。 - 第2回さいたま国際マラソン(後編)

さいたま国際マラソンの模様、最終回です。最終回は、長いです。ドラマは36キロ付近に待ち構えていました。そしてテレ玉、最高です。30キロ手前からゴール、そして終わった後のプハーも含めて。

→中編はこちら。

マラソンは同じゴールを目指してたくさんの人が走りますが、基本的には一人旅です。そこで全幅の信頼を寄せることができるのは自分であり、信用できなくなるのも自分です。それをどうコントロールするかが、42.195キロの中で試されます。

28キロ付近から細かなアップダウンが再び始まり、だいぶ歩く人が増えてきました。そこを何とかしのいで、29キロ付近から再び有料道路区間に入り、間もなく30キロというところで、背後から声を掛けられました。
「頑張りましょう!」「ん!?」「オラも青森、津軽だはんで!」「おお!たげ嬉しい!ありがとう!」
緑色のシャツに身を纏った彼。いいペースで僕の横を通りながら、そう言い残して颯爽と前へ飛び出していきました。萎えかけていた気持ちに、力水を入れてもらったような、そんな感じ。本当に嬉しかった!

暑さはそれほど感じませんでしたが、日差しがずっと照りつけている中、この辺りから脚の痙攣に悶絶する人も増えてきました。30分前にスタートした代表チャレンジャーの部のランナーもちらほら見え始めるようになり、中には泣く泣くリタイアする人の姿も。

36キロまでは、上るか下るかの連続が続きます。痙攣の気配はありませんでしたが、とにかくここは我慢、我慢…。そんな試練の時間帯、33キロ付近を走っていた時に、「アップル!頑張ってー!」と男女2人の方に声を掛けられました。その声援に応えるべく右手を挙げます。どうやら、坂本塾の方だったようです。これもまた嬉しかったなあ。

この間も、どれぐらいのペースで走っていたのかは全くわかりませんが、若干落ちていたことは明らか。それでも何とか持ちこたえようと、じっと痛みをこらえながら走り続けていました。しかし、もはや足裏の痛みは痛みではなくなり、何が何だかよくわからなくなってきました。気持ちを切らさない、それだけで走っていたような感じ。

いよいよこのコース最大の難所、35キロ過ぎの新浦和橋へ差し掛かります。この辺りは舗装も少し荒れていて、ダイレクトに足裏への痛みが伝わってきます。しかし、キツいのは皆さん一緒。先行していた金色宇宙人も、ニンジンも、この辺りで僕に捕らえられることとなりました。これって、足裏が痛いながらも意外と安定した走りなんだろうか?

…ん?

前方に目をやって気がつきました。すっかり見えなくなったはずのAさんの姿を、再び視界に捉えたのです。

最大の難所と言われる新浦和橋は、約10メートルのアップダウン。ダラダラと続く勾配では、歩く人も結構います。そんな中、僕は意外なほどしっかりとした足取りで前に進んでいました。上り坂の途中に設けられた給水所。ハッキリ言って、この位置での給水はかなり辛いです。できれば上りきった後に欲しかった。テーブルの一番手前にあったスポドリをサッと手に取り、パパッと口に含んで紙コップをゴミ箱へ。完全に視界の中にあったAさんの足取りは僕より重そうで、相当辛そうな感じでした。何とか橋を上りきり、下りに入ると、今度は弱いながらも向かい風が吹いてきます。うわぁ…これもキツい。程なく36キロ地点、右側に声援を送るHさんとMさんの姿が見えました。大きく手を振ると、こちらに気づいたようでMさんが声を上げます。Hさんは、ちょうどカバンから何かを取り出そうと、背中を向けていました。あらら…残念。
実は後でメールで知ったのですが、Hさんはこの日のために一人一人の名前のプレートを用意していたのです。でも、後述するとおり3人が団子状態で通過してしまったため、名前のプレートを取り出すのが間に合わなかったんですって。ありがたいのはもちろん、何だか申し訳なくて…。

dsc_0049(クシャクシャになった「弘前公園RC」のパネルが、応援にこもった熱の度合いを感じ出せます。本当にありがとうございます。)

Mさんの声援に応え、Hさんの背中を見やり、ここで再びAさんに追いつき、声を掛けます。「さあ、ラスト6キロ!行きましょう!」
そして、ふと前を見ると、どうやら脚が痙攣したらしく、右側のガードレールにしがみつきながら苦悶の表情を浮かべるSくんの姿があったのです。
思わず大声で叫びます。「S!行くぞ!ガンバガンバ!」

何と、思い思いのペースで一人旅を始めた3人、そして応援に回っていた2人が、36キロ付近で一堂に会するという偶然。2時間以上経ってこんな光景を見るなんて、考えてもいませんでした。これ、端から見るとどんな感じなんだろう、なんてことを考えたら、なぜか思わずニヤけてきました。ちなみにSくんは、36キロのずっと前からかなりヤバかったそうですが、せめて応援に回っていた2人が待つところだけでもちゃんと走らないと、という思いだけで通過したとのこと。もはや気合いと根性だけで乗り切った感じです。
そして僕は、何かスイッチが切り替わったかのように前へ前へと進みます。そのまま2人の前を走ることとなり、結果的には引っ張っていく格好に。でも、後ろは振り返りません。

比較的平坦とはいえ、まだ多少のアップダウンがあります。しかも残りは6キロ弱。果たしてこのまま押し通せるだろうか?やがて37キロ地点を通過、残り5000メートル…とカウントダウンを開始。

39キロ、最後の緩い上り坂を気力だけで上りきります。絶対歩かない。これを上りきれば、あとはほぼ平坦になるはず…。鋭角に近い角度の交差点を左折。ここで無理をしてペースアップして脚を痙攣させては意味がないと、慎重に交差点を通過します。
40キロ通過は、3時間8分台。この時点で、当初描いていた目標の達成が困難になったことを悟りました。がしかし、ここで気持ちを切らしては、これまでの頑張りも水泡に帰するというもの。この後も自分自身を鼓舞しながら、文字通り気力だけで走り続けました。気持ちが折れたら、負け。そう言い聞かせて。

あと2000、1800、1500…。カウントダウンもゆっくりと0へと近づいて行きます。
1秒でも早く!最低でも3時間20分は切ろう!声援を送る観客の姿もだいぶ増えていたような記憶があるのですが、正直、前しか見ていませんでした。いよいよ長い直線を終えて右折すると、42キロの看板。約200メートル先にゴールゲートが見えてきました。
サングラスを外し、懸命に走ります。そして、ついにゴール!電光掲示板は、3時間19分台を指していました。
やった!最後まで走りきった…。
ゴールしてすぐにクルリと反転し、コースに向かって深々と頭を下げると、足下がフラフラになっているのがわかりました。かなり足裏が火照っていることにも気づきました。ボーッとした頭を上げて前方を見ると、そこにはまさにゴールを迎えたAさんの姿が。恐らく20秒と差はなかったと思います。ゴールしたばかりのAさんとハイタッチし、二人で声を絞り出します。「やった、やった…」と。(そしてこのゴールシーンは、テレビ埼玉(通称「テレ玉」)でもバッチリ放映されていたらしいです。ありがとうございます。)

この「やった」の意図するところは、自己ベストの更新には及ばなかったものの、苦しい中で何とか走り切れたことに他なりませんでした。そして、最後の最後まで走りきることができたことで、サブ3.5という壁を完全に突破したような感じです。Aさんからは、「最後、前を走って引っ張ってくれたから20分切れた。ありがとう!」と言われました。いやいや僕に言わせると、逆にAさんが15キロ手前から引っ張ってくれたので、ここまで走ることができたのです。
道路に滴り落ちるぐらい、全身は汗でビッショリでした。目尻には、涙なのか汗なのかもわからない塩が吹き出していました。
前回大会を7分近く上回るタイムでしたが、涙は出ませんでした。だって、正直悔しい気持ちもあったので…。
とはいえ前走に続き、今回も200分切りを達成。万全ではないこの状況の中、しかも意外に難コースと言われるこの大会でのこの結果は、ちょっと自分を褒めてもいいですよね?

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スポーツドリンクを受け取るときも感謝、タオルを受け取るときも感謝、そして、メダルを掛けてもらう時も感謝、不思議と「ありがとうございました。お世話になりました。」という感謝の言葉がどんどん口をついて出てきます。そしてそれは、会場を後にするまで続きました。手荷物を受け取るときも感謝、そして会場を後にする時には、手の空いたスタッフの皆さんが拍手をして下さっているんですね。そんな拍手の中会場を後にするのが何か嬉しくもあり、恥ずかしくもあり、皆さんに感謝の言葉を述べながら、胸にじーんと迫る何かを感じていました。また来年、戻ってくるのかな…どうなのかな…。

さて、2016年のジャパンツアー最終公演、これにて終了です。
できれば3時間15分、あわよくば3時間10分切り、という大きな目標は今回達成することができませんでした。でも、いよいよそれも手に届きそうなところまで来ている、ということを実感していますし、決して過信ではないと思っています。本心を語り始めるとまた長くなるのでやめておきますが、風向きがめまぐるしく変わり、終始日差しが照りつける中、代表チャレンジャーの部の結果を見ても、決してこの日の大会が楽なレース展開を許すものではなかったことを物語っていたような気がします。というかこの結果を見る限りでは、この先何度このコースで選考レースをやろうとも、この大会から日本代表が選出されることはなさそうな気がするのですが、どうでしょう?

走る前、走っている間、そして走り終えた後も、色んな叱咤激励の声を頂きました。皆さんの声を力に変え、道中「機材トラブル」に見舞われながらも、何とか最後まで脚を止めることなく走りきり、真の意味での「完走」を今年も果たすことができました。皆さん、本当にありがとうございました。この場を借りて心から感謝申し上げます。

_20161113_142213(汚い写真ですいません。足裏に、大きな血豆が…。ひとまずワセリンで処置。)

…さて、走り終えた後は1週間ぶりのアルコール投入。まずはデイユース可能な某ホテルで身体を洗い、500缶2本を完飲。そしてチェックアウトの後は、大宮駅東口にある「いづみや」さん、昨年も立ち寄りたかったのですが、時間の都合上寄れなかったので、1年越しに念願成就です。

dsc_1049(ファーストフード店ではありません。)

この店をチョイスし、先に場所を陣取っていてくれたNさん夫妻とIさんに感謝!朝10時から開いているというこのお店、まだ午後3時前にも関わらず本店は満員で、2号支店に入店。

15064140_1197727396984178_1268849819_o(16キロ付近で応援してくれたIさんとNさん。私が持っているのは大ジョッキ。)

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もう、予想通り、期待を外さない大衆酒場でした。種々雑多なメニュー、自分たちの間合いを絶対に曲げることのない適当な注文取り、店員同士の些細な言い争い、下町風情すら漂う客層、そして安価な会計…どれを取ってもツボ。

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短い時間だったけれど、ホント楽しかったなあ。ここではグラスでビール数杯、そして大ジョッキ1杯と、煮込みをチョイス。

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15027739_1197754853648099_3362436930203135579_n(右から3番目のオジサン、すっかり我々の輪の中に溶け込んでいますが、全く知らない無関係の人です。笑)

お一人様@1,500円という格安料金、それ以上の面白さがあった!辛い気分や悔しい気持ちも愉快に変えてくれる、そんな楽しいお店でした。来年もまたここに戻って来たいなあ…って、え?懲りずに来年また走るのか!?

(おわり)

「違和感」との戦い - 第2回さいたま国際マラソン(中編)

前編に引き続き、第2回さいたま国際マラソンの模様をお届けします。何と今日が「中編」ということで、三部作決定。今日はスタートから30キロ手前ぐらいあたりまでのお話。いやはや、参った。

→前編はこちら。

dsc_1038(ここから一つ先にある跨道橋の下まで移動しました。ゲートはその向こうにあります)

9時40分、いよいよスタートの号砲が打ち鳴らされました。予想通り30秒にも満たないロスタイムでゲートをくぐり、いよいよ42.195キロの旅が始まりました。テレビ中継では一般マラソンの部のスタートシーンも放映されたらしく、画面に我々の姿もしっかり映っていたようです。

実は今回初めて、スタートからゴールまで一切自分の時計を見ずに走ったので、どの程度のペースで走っていたのかは後で確認しようと思ったのですが、どうやら腕に巻いていたGARMINが誤作動(3キロ毎のラップを確認する予定だったのに、反応したのが4キロ地点だった他、走行ルートも反映されず。)を起こしていたようです。ただ、スタートから一気に飛び出すのかと思いきやそうでもなく、皆さん比較的慎重でした。最初の3キロは周囲に流されながら、1キロ5分程度のかなりゆっくりとしたペースで始まったような感じ、しかもそれが、旧中山道に別れを告げる6キロ地点の左折まで延々と続いたことは走りながら感じていました。5キロの給水を難なく終え(コップが明らかに足りないといったような前回のようなストレスは全くありませんでした。)、6キロ地点、旧中山道を左折するとすぐに待っていたのは、やむを得ぬ事情により今回DNSとなったMさんの姿。No AppleのTシャツを高く掲げ、太鼓を叩きながら声援を送っています。すぐにその姿に気づき手を挙げると、「36キロで待っているから!」と声を掛けられます。
36キロ地点では、妹がお世話になったHさんも手製の看板を掲げて応援してくださるとのこと。よし!頑張るぞ!

気合いを漲らせ、ここからじわりじわりとペースアップを図っていたのですが、実はスタートした直後から、僕はある「違和感」に気がついていたのです。

今回のシューズは、adidasの「takumi ren boost2」。前回の田沢湖(フル)、その後のきみまち二ツ井(ハーフ)でも結果を出したシューズですが、底がかなりすり減ってしまったため、同じモデルの色違いを履きました。何度か試走してみて、一番違和感がなかったからです。

img_20161113_060601(ピンクで揃えてみました。)

ところが、走り出してすぐに気づいた違和感。それは、やたらと足音がうるさい、ということでした。どうやら、前日にシューズの紐を少し緩めすぎたようで、靴の中で両足が少し遊んでいる感じなのです。というのも、以前NAHAマラソンに出場したとき、シューズの紐をきつく締めすぎて、足の甲を痛めて走るのもままならなくなった、という苦い経験があったため、ほんの気持ち程度にシューズの紐を緩めたのです。が、結果としてそれが仇となりました。

足音を聞きながら、もしかして足だけで走ってるのかなあと思い、フォームをチェックしながら走りますが、最初はパタパタと聞こえていた音が、やがてバタバタに変わっていきます。シューズの中で足が踊っている、といえば大げさかも知れません。サイズはぴったりのはずなのですが、どうやら履き下ろしから脚にしっくりとなじむまでの試走が不足していたようです。シューズとソックスが噛み合わないまま小刻みなズレを引き起こしている、そんな感覚でした。10キロを通過、この時点でタイムは45分台。
まずまず想定内ではあったものの、この頃から既に足裏に痛みが生じ始めていることを感じていました。水ぶくれか血豆ができはじめているサイン。まだ10キロしか進んでいないのに?先は長いぞ!けどなあ…ううむ、これはちょっとヤバいかも。…ほんの少しだけペースを落とすと、あっという間に後続のランナーが次から次へと僕を追い越していきます。その中には、金色の全身タイツに身を包んだ人や、にんじんの被り物をした人なども。すげぇ…オレ、宇宙人とかニンジンに負けちゃうんだ…。

12キロ付近、4キロあたりで一度追い抜いたAさんが、今度は「ハッ」と気合いの一声を発して僕の横を追い抜いて行きました。ここはひとまずAさんの背中を見ながら走ろう。既に先行するSくんの背中は小さく遙か彼方にあり、とても追いつける距離ではなくなりつつありました。しかしこの後、何とも数奇な展開が待ち受けているとは、この時誰にも想像できなかったことでしょう。(この話は、また改めて。)

太陽の日差しを遮るものがなく、かなり発汗していたこともわかっていました。ただし、給水は順調だし、10キロから開始した補給も順調。足裏だけが想定外…。
東進する国道の反対車線には、30分前にスタートした代表チャレンジャーの部の先頭を走る選手が3度の折り返しを終えてやってきました。その後も、黒人選手を3名確認しましたが、我々は小刻みなアップダウンを終えて平坦となった15キロ手前で左折したため、後続がどうなったのかはわからずじまいでした。そしてここからいよいよ、右折左折を繰り返しながら2度の折り返しを迎えるエリアへと突入。この時点で、Aさんの背中は約10メートル先にありました。つかず離れずの距離感を保ちながらも、正直ついていくのがやっとなぐらい、左の足裏にズキンズキンと痛みを感じていました。足の痛みに気を取られていた16キロ手前では、この日応援に来てくれていたIさんとNさんの姿に気づかず、「マカナエさん、頑張って!」の声でようやく気づく始末。それでも比較的フォームはまだ崩れていない感じ。

15056469_958673317570860_7219598525083171914_n(前を通り過ぎてから気がつき、手を挙げました。前方には、Aさんの姿も。)

17.5キロ過ぎ、最初の折り返し。ほとんどAさんと差がなく折り返しましたが、ここからAさんがペースを上げたことは明白でした。徐々に遠くなっていくAさんの背中。
18キロの辺りで、BブロックからスタートしたOさんとすれ違います。「A、頑張れ!」という声援にAさんは反応せず、直後に僕がOさんに声をかけたので、Oさんはちょっとビックリしたようです。このやり取りでAさんも僕が背後にいることに気づいたようで、さらにペースアップ。
そして、どんどん痛みが広がる足裏。そしてそれは、左だけではなく、右も…。

「あーあ。もはやこれまでか…」と思ったときに、ふと昨年耳にした女の子の応援を思い出しました。
「あきらめないで!」
そう、諦めたら終わり。両足が痛くなったんだったら、バランスが取れてちょうどいいじゃないか。このまま粘って押していこう。薄ら笑いを浮かべながら走ると、不思議と痛みが徐々に分散されていくような感覚。この後も、キツい、辛いと思ったところでは、薄ら笑いを浮かべて凌ぎました。多分、端から見るととても気味の悪いオッサンだったと思います。どうもすいません。

20キロ過ぎ、第2折り返しを通過。電光掲示板は1時間31分台を指していました。
足裏が痛いといいながらも、まずまずじゃないか。うん、これでいいんだ、これで。
ぶつぶつ口の中で呟きながら、歩を進めます。中間地点を過ぎ、再び国道に入り、越谷方面へ東進。前回それほど応援の人がいないと感じたエリアですが、今年は声援が途切れません。もはやそれだけを頼みの綱として走っている、そんな感じでした。

24キロ過ぎの第3折り返し、30メートルほど離れて先を走るAさんが僕に気合いと鼓舞のガッツポーズ。しかし僕はそれに対して、指で×のサインを作り、脚を指します。何のことなのか察知して頂いたかどうかわかりませんが、一瞬Aさんの表情が曇ったことだけはわかりました。

そしてそこから、Aさんの背中は更に遠くなり、やがて目視することもできなくなってしまいました。嗚呼…。

25キロ地点を通過。時間は見ていません。次に目指すポイントは36キロ。妹がお世話になったHさんと、6キロ地点で声援を送ってくれたMさんが待っているポイントです。まずはそこまで頑張ろう。中間地点まで5キロ毎、その後2.5キロ毎に現れる給水、そして10キロ毎にと計画していた補給は順調でしたが、足裏の痛みは本当に計算外でした。しかも、28キロ過ぎから、またイヤらしいアップダウンが続きます。そしていよいよこの辺りから、歩き始める人が増えてきました。なるべくその「流れ」に引き寄せられないよう、視界に入れないようにしながら、辛いながらも淡々と走り続けます。とにかくここは、我慢…我慢。ここで諦めたら、それで終わり。今日は何が何でも最後まで走りきるって、決めたじゃない?頑張らないけど諦めない、の姿勢でいいじゃん。と、ぶつぶつ独り言を繰り返し、また例のごとく薄ら笑いを浮かべながら走ります。さて、僕の脚は最後まで持ちこたえることができるのでしょうか…。
(つづく)

半身創痍 - 第2回さいたま国際マラソン(前編)

いつものごとく大会出場のネタはどうしてもダラダラ長くなってしまうので、今回は幾つかに分割してお届けします。まずは前編、前日から当日のスタート直前まで。


ここまで来ると風邪なのか何なのかわかりませんが、鼻水と咳が多少残っているという、万全の体調には遠く及ばない状況の中で臨んださいたま国際マラソン。「ジャパンツアー 2016」と銘打った、今年のマラソンの最終レースです。

前走となった9月の田沢湖マラソン、最後の4キロで歩いたり走ったりを繰り返しながらも、3時間17分台前半を叩き出したことは、僕にとって一つの自信になっていました。最後は歩いても17分台を出せた、しかも、あのハードなコースで自己ベストを更新できたんだから、もっと狙えるんじゃないか…そんな一つの自信が生み出した、大きな欲。ここまで来たら3時間15分を狙いたい。いや、あわよくば3時間10分も切ってしまいたい…。10月は、フルマラソンの大会が一本もありませんでしたが、走りの内容と何を鍛えるのかということを意識しながら練習に取り組んだ結果、月間走行距離は初めて250キロを突破。中には、同じコースを3往復するというちょっと風変わりな練習も取り入れたり、色々模索しながらも徐々に走りの質を高めていったつもりでした。その結果、4月に続いてハーフマラソンで二度目の90分切りを達成するなど、今年取り組んだ成果が徐々に出始めていると感じていました。しかしながら、簡単ではないとわかっていながらも、野望を抱きながらトレーニングを続けてきた中、最後の仕上げのタイミングで見舞われた厄介な風邪は、底まで落ちた僕の体調を元に近づけるのと引替えに、士気をどんどん削いでいくこととなりました。
少しでも体調を元に近づけたく、1週間のアルコール、炭酸類抜きを敢行。食事の量にも多少気を遣いながら、万全の体制に持っていきたかったのですが、結局それは叶いませんでした。でも、心の中は決まっていました。せめて3時間15分は狙えるはず、いや、やってやろうじゃないか!

screenshot_20161111-071123(イメージはこんな感じだった。)

実は、お守りみたいにしていたものがあって、直近で走った10キロとハーフマラソンの結果を入力して分析したところ、どうやら3時間4分台までは行けそうだと。まあ、いきなりそこまでは無理にせよ、それに少しでも近づいてやろうじゃないか、という野心を密かに抱いていました。

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ところが大会前日の12日、意気揚々と大宮に乗り込むつもりだったのに、今度は原因不明の頭痛に襲われることに。オラの身体、どうなっちゃってんだろ?
同じく大会に出場する弘前公園RCのOさん、Sくんとさいたま新都心駅に集結、いざ、さいたまスーパーアリーナへ。

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例のごとく全くストレスフリーの受付でゼッケンナンバーの引換(今回も本人確認はありませんでした)、サイズが自己申告というPUMA製のオリジナルTシャツの受取りを済ませ、遅めの昼食。しかしこの時も、寄せては返す激しい頭痛を隠しながら、騙し騙し昼食を取りました。
駅でお二人と別れた後は、野暮用を済ますために東京都心へ。某所にて手早く用事を済ませ、この日の宿泊先である浦和駅横の浦和メッツへチェックインしたのが、午後4時30分過ぎでした。

遅めの昼食だったため空腹感もなく、とにかくこの頭痛を何とか取り除かなければならない、と持参した市販薬を服用して横になりますが、全く眠れず。
仕方がないのでホテルの近くで軽めの夕食を済ませ、広めのバスタブにお湯を張り、半身浴。結局20時30分過ぎには布団の中に潜り込み、気がついたらそのまま眠りについていました。
翌朝目が覚めたのは、4時40分。約8時間は眠った計算に。頭痛は治まりましたが、今度は胃の辺りが痛んでいました。ったく、どうなっているんだ!
とはいえ、喰うものは喰わなきゃならないし、ちゃんと食事をしないと、エネルギー切れを起こすことにもなりかねません。
1階のレストランでご飯大盛りと納豆、目玉焼きにウィンナーとベーコンという、野菜感まるでなしの朝食を済ませ(炭酸を控えていたのにうっかりドリンクでカルピスソーダをオーダーしたのは誤算でしたが)、部屋に戻ってからはまた例のごとく切り餅(今回は4個)と更に納豆1パックを頬張り、7時30分にチェックアウト、会場に向かいます。

会場の受付では丁寧な手荷物検査が行われていました。キャリーバッグと折りたたみのリュックに入った荷物の確認を済ませてアリーナの中に入ると、通路には溢れんばかりの人、人、人…。前回は参加人数が少なかったこともあり、スタジアムに荷物を置き、そのままレースに参加していたのですが、今回はスタジアムが開放されていないようで、これは一つの誤算でした。仕方がないので空きスペースを見つけ、そこで軽めのストレッチをしながら、おもむろに荷物の整理。周囲を見ても、こんなキャリーバッグ持参で来ている人はほとんどおらず、居心地の悪い恥ずかしさすら覚えたのでした。

しかもスタートの30分前、9時10分までにAブロックにいないと、Cブロックの後ろというかなり後方からのスタートとなってしまうため、肌寒い中を外で待たなければならないという事情があります。ひとまず8時30分頃に、人の流れに沿って移動を開始、手荷物を預けるためスタジアムへ。足を踏み入れて納得…なるほど、スタジアムの座席自体が手荷物置き場になっていたワケね。だから入場させてくれなかったのか。ところが僕の手荷物預かり所はここではなく、更にそこから隣のスペースに更に移動し、A・B・Cブロックのための手荷物預かり所へ。…なんだ、ここって昨日受付をやった会場じゃないか。他の方々と比較しても、大きさ、重量ともに倍はあるデカい荷物。「大きな荷物ですいません。」「いえ!大丈夫です!頑張ってください!」とニコニコ笑顔を浮かべる女子高生。ありがとう、オジサン頑張って行ってくるよ。

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ここで外に出てはまだ肌寒いので、そのスペースでしばし佇むことに。程なく、手荷物を預けるAさんの姿を確認、(個人的には)久し振りの再会に心を弾ませたのでした。

dsc_1037(この先が各ブロックへの入場口、いや出口。)

dsc_1036(僕以外にも何となく佇んでいる人が何人かいました。)

その後、待てども待てどもその他の仲間の姿が一向に見えないため、AさんとともにAブロックへ向かいます。外に出ると、青空が一面に広がっているものの、やはりちょっと肌寒い感じ。ううむ、またトイレに行きたくなるではないか…。(しかし結局この後ゴールするまでトイレには行きませんでした。)

ちなみにこの日、弘前公園RCからは計7名がエントリーしていたようで、Aブロックに4名(Aブロックにはもう一人エントリーしていたMさんがいたのですが、やむなくDNS)、Bブロックに1名、更に後方のブロックから1名が出場しました。いずれもサブ4で走ることのできる皆さんですので、それなりに近いタイムでゴールできるのではないか、と思っていたのですが…(これはまた改めて)。

移動する途中で、脚痙り対策の漢方薬、そして痛み止めを経口補水液のゼリーで服用。実際Aブロックに着いてみると、スタートのゲートがかなり近い位置に見えており、これなら前回(Dブロックからのスタートで3分30秒のロス、最初はスタートゲートすら見えなかった)と違ってスタートロスもさほどなさそうな感じ。
程なく、SくんとNさんが到着。これでAブロックスタートの役者は揃いました。

_20161113_192925(皆さんいい顔をしています。)

とはいえまだスタートまで約40分。程なく、先発の代表チャレンジャーの部がスタート。その後我々のスタートまでの30分間は心と身体の緊張をほぐすため、常に身体を動かしている感じ。他愛のない会話をしながら、皆さん思い思いに作戦を考えているようで、徐々に無口になっていきます。
どうやって最初の5キロを進もうか、しばらく続くアップダウンの後の平坦な区間をいかに「寝て」過ごすか。そして、28キロ付近から再び現れるアップダウンを、どう乗り切るか。色々頭の中でイメージを膨らませます。いや、とにかく今日は最後まで絶対に立ち止まらないし歩かない、そうすれば自ずと結果はついてくる!なんてことを考えていると、いよいよスタートまで5分を切りました。静かに手を合わせ、ゆっくりと目を瞑り、青空を見上げます。
ほんの数秒の間でしたが、静かに目を開けると、あれ?隣にいたはずの仲間がいない?何と、僕が瞑想しているほんのわずかな間に、5メートルぐらい前進したらしく…周囲の皆さん、ボーッとしていてすいません。結局その位置からスタートの号砲を聞くこととなってしまいました。
(つづく)

寝付きの話

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-これは映画でも芝居でもない、だから現実を正視しろ。

…あちらの国で巻き起こった1対1の大立ち回り。
正直、どっちに転がったところで何の期待が持てるというものでもなく、我々が騒いだところでどうにかなるものでもなく。

ただ、薄っぺらな情報の真贋の見極めとか票読みの甘さというのは、どこの国も似たようなものなのだな、と。うわべだけの予想で物事を面白可笑しく取り上げるんじゃなくて、本当に伝えられなきゃならないのは、深く掘り下げた真実。

ワールドワイドに仕立てられたショーに文字通り世界が巻き込まれ、通貨も株価も激しく乱高下。結局ヤツらに翻弄されていたのは自国民じゃなくて、他国民。しかも、筋書き通りじゃない結末は、もはや月9のドラマを越えるレベル。この筋書きを書いた脚本家に、アカデミー賞を!

敢えて問おう。日本人よ、株価の乱高下を見て、どう思った?
昨日一昨日まではトラ○プショックだとかいって大きく下落した株価、それが舌の根の乾かぬうちにト○ンプへの期待から株価が上昇って、何かがおかしいと思わないか?

TPPだか.pptだかPPAPだかよくわからないけど、結局のところ踊らされていたのは、あちらの国の人じゃなくて、こちらの国の人だけじゃないのか?人の振り見て我が振り直せ。以上。

…という愚痴を、誰もいない荒廃とした路上で一人延々とこぼす、そんな夢を見ませんでした。見るわけがないのであります。

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今に始まったことではないにせよ、最近特に、寝付きが非常に悪いというか、眠りが浅いのです。朝の起床は午前5時、最低6時間は寝たいので、23時には眠るようにしているのですが、毎日のように変な夢を見ます。うまく言えないけれど、こういう夢見が続くときはあんまりいいことがないんだよね、という内容です。そして大概、意味のわからないことをしています。

例えば、手で穴を掘っていたり、走っている車に追いついたり、屋根伝いに歩いたり、かと思えば、いくら走ろうと思っても脚が全然前に出ず一向に進まなかったり。そんな、普段なら絶対やらないようなこと、やれないことを夢の中でやっています。それも、スタントなしの一発勝負です。

夢の中の主演はほとんど僕ですが、助演としてご存命の方や鬼籍に入られた方、色んな人たちが友情出演してくれます。身近だったりそうじゃなかったりさまざまですが、知らない人はほとんど出演しません。いつもご出演頂き本当にありがとうございます。
でも、友情出演なのでギャラはお支払いしません。

…ううむ。この夢見の悪さは、ここ数日アルコールを抜いているのが良くないのか。それとも、布団が悪いのか枕が悪いのか、はたまた寝ている環境そのものが悪いのか。
代わりといってはあれですが、朝一度起きてからはよく寝ます。と言っても今に始まったことではありません。通勤電車の中はもちろん、昼休みもよく寝ています。電車の中では読書もしますが、途中で寝てしまうために、同じページを何度も読み直していることがあります。何と、いびきまでかいていることがあるようです。そして、突如頭の中に現れるブラックホールのような黒点の中に吸い込まれそうになって、ビクッ!と全身が反応して目が覚めます。皆さんも一度は経験あるでしょ。授業中とか、仕事中とか、運転中とか…(って、全部ダメですから)。
あのビクッ!ってヤツ、「ジャーキング現象」というらしいです。酷い場合は「周期性四肢運動障害」という病気に分類されるのだそう。
そうそう、この間の朝なんかは、頭の中で何かが破裂したような爆音が鳴り響いて目が覚めました。あれは初めてで本当にビックリしました。一瞬頭の中の血管が切れたかと思い、思わず頭を掻きむしっていました。
「頭内爆発音症候群」という、冗談かと思ったら本当にこういう名前の症状があるのだそうです。
ちなみにこれらは、相当疲れているのに我慢しているときとか、過度のストレスが引き金となるらしいです。リラックスして床に就けばいいのですが、最近なかなかリラックスできないことが多くてですね、ははは…。

そんな感じで、最近はあまり質の良い眠りにありつけていないのが現状です。
職場で昼休みに仮眠を取るときは大体自分の机に突っ伏して寝てしまうのですが、電車の中ではそれもできないので、座ったまま眠り始めます。実は最近一番爆睡できるのが、電車の中です。ただ、身体のバランスが悪いんでしょうね、眠ると決まって右側に身体が倒れていくという。
でも時々、僕の右隣に座った人が僕より先に眠り始めちゃって、僕の方に身体を寄せて(もたれかかって)来ることがあります。
(当然のことながら)若いオネエさんの時は、そっとしてあげることが多く、(当然のことながら)オッサンの時は、容赦なく身体を押し返します。でも一番対応(処理)に困るのは、部活に勉強に遊びにと疲労困憊なのか、帰りの電車の中で全身の力が抜けたように身体を寄せてくる男子高校生。押し返しても無反応。もう、重いのなんのって…。

でも先日、帰りの電車で逆をやられました。

どうやら右側に身体が倒れて行ったらしく、明らかにそれを押し返す嫌悪感丸出しの素振りが感じられたのです。あっ!と思って慌てて身体を戻し薄目を開けたら、押し返していたのは、以前オレにもたれかかって爆睡していた、若いオネエさんでした。

妙に虚しかったです。でも、いいんです。日曜日には、いい夢見させてもらいます。じゃあ、みんなもいい夢見ろよ。

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