備えあっても憂い…

11月22日午前5時59分に発生した福島県沖を震源とするマグニチュード7.4の地震。
青森県内では幸い被害はありませんでしたが、6時過ぎに発令された津波警報、津波注意報の警報音がテレビから流れた時は、ちょっと焦りました。
頭をよぎったのは、東日本大震災はもちろん、熊本地震のことでした。
変な話ですがこの地震が前震、本震なんてことにならないことを、祈るばかりです。

津波の高さ30センチ?全然大したことないじゃん、と思うのは大間違い。文字通り足下を掬われますよ…。

よくテレビで、白波を見ながら「画面からは、津波の様子は確認できません」なんてことをほざいていますが、津波がそんなものじゃないということは、東日本大震災で織り込み済ですよね。…ですよね?

津波というのは寄せては返す波ではなくて、海面全体が盛り上がったり下がったりします。しかも、チャポンチャポンという(波長の短い)波じゃなくて、建物も立木も根こそぎ持ち上げるのが、(波長の長い)津波。人が泳ぐとかそんなレベルじゃないんですね。家も車も立木も、人間よりも大きな塊が一緒になって流されるわけですよ。そんな中で泳いで逃げるなんて、できっこないのです。

大雨の後に河川の水かさが増したり、それが氾濫する光景は比較的間近で見たこともあると思いますが、感覚としてはああいった感じで大海原から海水が押し寄せてくる、と考えた方が近いのかも知れません。

この記事、視覚的にわかりやすいです。津波って、こんな感じなんだと思います。

津波の高さ30センチとか言っても、30センチの白波が自分の足下をサッと流れるというレベルじゃないんです。1メートルなんてことになったら、ひとたまりもありません。
最近では、津波警報や注意報が発令された直後から、テレビ等で声高に「高台へ避難して下さい!今すぐ海岸から離れて下さい!」と強い口調で連呼しているのを見て、「何をそんなに大げさな…。」と思われた方もいたかも知れません。

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でも、「命を守る行動」という点において、あれが決して大げさではない注意喚起だということは、沿岸地域から遠く離れた地域に住む(私も含めた)皆さんも理解しなければならないことではないかと思います。

現に今回、太平洋沿岸地域の方の中には急いで沿岸から離れ、高台へ避難をしていたという事実もあります。ちなみに青森県内でも、最大で270名を超える方が避難していました。もっとも、この人数が多いか少ないかを判断するのは、正直ちょっと難しいところがありますが…。

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昭和58(1983)年5月、秋田県能代市西方沖を震源とするマグニチュード7.7の「日本海中部地震」が発生、この時は10メートルを超える津波がわずか3分で到達、100人の方々が津波の犠牲となりました。このうち、日本海から程遠い内陸地域にある母の出身地、北秋田郡合川町(現・北秋田市)の合川南小学校から男鹿半島へ遠足にやってきた児童43人と引率教諭が津波に襲われ、うち児童13人が犠牲となりました。

青森県内でも犠牲者が出ましたが、幸いにして難を逃れたケースも。
私が在学していた弘前市立第四中学校(当時私は1年生)の3年生が、西津軽郡深浦町へ写生遠足へ出かけていたところを、この地震に見舞われました。その際にバスの運転手が機転を利かせ、画材を置いたまま高台へ避難するよう指示、地震の発生から約15分後、生徒全員が高台へ避難した直後に約65センチの押し波が襲来し、堤防に置いたままにしていたみんなの画材類が洗いざらい海に飲み込まれた、ということがありました。

そして、東日本大震災が発生するちょうと1年前、2010年3月に同じような内容を投稿していることに気づきました。

大津波警報

災害は忘れた頃じゃなくてもやってくるのですよ。喉元過ぎても熱さを忘れてはならないのですよ。
今回も、警報や注意報発令後にも関わらず海岸線の道路を走るたくさんの車や、海岸線のすぐ近くにある、ほんのわずかな高台に車を停めて海を見つめる人々の姿がテレビで放映されていました。

同じことを何度も何度も繰り返し経験しているはずなのに、人間っていう生き物は…。

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