2023年の回顧録

50歳を迎えてから色々思うところがあり、やりたいことはやれる時にやろう、そんなことを考えるようになった。

この4年間、仕事面だけでみると、新型コロナウイルスや相次ぐ災害への対応を筆頭に、様々な業務に振り回され、とりわけ年度末(3月)は、相当気が滅入っていたのも事実。

正直言うと今の仕事、従事している業務からドロップアウトし、この先何も考えずに過ごすことも幾度となく考えるようになっていた。もしかしたらそれは、「逃げ」を意味するのかも知れないが、このままだと心身の調子を崩してしまうのではないかという恐怖にも苛まれていた。

ひとまずこの状況から脱却する方法として、今年は、とことん自分の好きなことを楽しみ、会いたい人に会うことを選択した。

2023年1月8日。一人で仙台へ向かい、吉川晃司のコンサートに足を運んだ。

東日本大震災後に東京ドームで行われたCOMPLEXのライブにも足を運んだが、ソロコンサートを観るのは約30年振りだった。

想像もつかない出来事信じられない出来事が色々重なり、絶対に忘れることのできないライブとなった。

その翌週、中学時代からの仲間たち、古くは小学校から付き合いのある幼馴染み、いや、そんな言葉で表すのも烏滸がましいぐらい、僕にとってはとても大切な畏友5人と新年会を開催。僕は勝手に「いつものメンバー」と呼んでいるが、このメンバー6人全員が揃うこと自体が久し振りだったので、心の底から楽しむことができた。

畏友たち。

2月。2022年7月から延期となっていた山下達郎のコンサートを岩手県盛岡市にて鑑賞。御年70歳になったばかりなのに、年齢を感じさせないパフォーマンスに圧倒させられた。

3月。久し振りに熊本から帰省してきた高校の同級生を囲んで一献を設け、高校時代の同級生数名と談笑。

高校3年の時の同級生。30年以上経ってもこうやって会えることに感謝。

その2週間後には、3月末で一足先に早期退職することとなった他自治体の仲間・同志を囲んでの「勉強会」にも参加した。

初めてお目にかかる人ばかりだったけど、楽しかったなあ。

仕事面では、昇格しながらも残留が決定。とはいえ業務やら人事やら難局続きで多忙を極めており、ある意味一番疲弊していた時期だった。

4月。年度初め早々に地元の自治体職員や異業種の方、学生も交じえての朝活交流会に参加、人と会う機会を増やしていった。久しく足が遠のいていたランニングクラブの朝練にも参加。

年度初め早々にもかかわらず、たくさんの人が集まりました。

5月。この先も絶対に叶うことはないだろうと思っていたThe Street Slidersが再結成。しばらく会っていなかったランニング仲間と日本武道館でのライブを堪能した後、更にもう1名を加えて談笑。

とても大切なランニング仲間。久し振りに会えて良かった。

翌日にはすぐに帰郷し、先延ばしとなっていた高校の同期会を、なんとか無事に開催することができた。

少数精鋭。僕にとっては大切な人たちばかり。

10日後には、「4度目の正直」となった消防大学校(東京都三鷹市)への入校(8日間)をようやく果たした。他県の同業種の方々と接し、見聞を深め、様々な話題を交わしながら人脈を広げることは、この頃の僕にとって大きな糧となっていた。

7月。職員採用試験の面接官を務めたり、防災ヘリの訓練に参加し、地上から約20mつり上げられたりと、これまでやったことのなかったことを色々経験する機会を得た。

そして、職場内では「意味がない」と散々罵倒されている「防災士」の資格をこっそり取得。「金さえ払えば取得できる」みたいなことまで言われているが、取得までのプロセスは大事。でも、取得した後どうするかが定まらず、今も攻めあぐねているところ。

8月。久し振りにお盆時期を絡めた長期の夏期休暇を得ることができた。この期間を利用して、北海道へ独り旅。といっても、諦めていた山下達郎のチケットのキャンセル待ちを勝ち取ることができたため、北海道胆振東部地震以来数年ぶりに千歳市を訪問したというもの。1年に2度、内容の異なるコンサートを楽めたこともありがたかったが、コンサート会場が当時宿泊したホテルの隣にあり、何だかとても感慨深かった。

9月。とうとう新型コロナウイルス感染症に感染してしまった。直前の飲み会が契機となったのだろう。ちょっとの油断が招いた感染。父の命日なのに菩提寺へ向かうこともできぬまま悶々と過ごしたが、同居する家族らに広がらなかったことだけが、せめてもの救いだった。

10月。地元で開催された弘前・白神アップルマラソンの出場を見送り(というか、そもそもエントリーしなかった)、応援に回った。久し振りに大声で声援を送りながら、走る仲間たちの姿に心を打たれ、もう少し頑張ってみようかと自分を鼓舞。同日夜に開催された慰労会にも参加し、ランニング仲間たちと久し振りに談笑することができた。

来年はみんなと一緒に走りたい。

この月は、北秋田市で開催された東北OMのマタギ体験会にも5年振りに参加。
色々な人と接することってやっぱり大事だな、と痛感させられた。

11月初旬。久し振りに父方の親戚が安比高原に集合し、顔を合わせた。
父が他界して既に15年が経つが、今もこうして普通に接してくれることは、何だかありがたくもある。

11月中旬には仙台へ。これまた久し振りとなる浜田省吾のコンサートに足を運んだ。浜田省吾も御年70歳。一昔前ならば完全に「おじいちゃん」扱いされる人たちが、今も第一線で活躍している。

翻して自分はどうだ?年が明けた頃、自分も仕事を辞めようかな、フリーになろうかな、と現実から目を背けようとしていた。でも、今は違う。だからこそ、手の届きそうなところで唄う「J.Boy」が心を揺さぶり、琴線に響いた。

12月。ようやく念願が叶い、母を連れ立って沖縄を訪問。マラソン大会にも4年振りに出場し、フルマラソンを完走。色々あったけれど、母が楽しかったのであればそれで良いのだ。

更に、人に会うという年始の目標は手を緩めなかった。5年振りとなった異業種の方との小宴(ジョンガル・ナイト)に出席。順不同だが、全部美味しかった。

 仕事面では散々な目にも遭ったが、プライベートはかなり充実していたようだ。

「人に会う」ことを意識し、リアルに「人と会う」ことの大切さを強く感じた2023年。

一人(点)と一人(点)の繋がりが線となり、線と線の繋がりが面となる。
面と面との繋がりや重なりは大きな円となり、それが御縁となる。

これは、父が他界して以降、僕がずっと心の中で意識してきたことだ。

総じて見ると、今年のキーワードは「久し振り」だった。

僕にとって良い年だったかどうかは、「どれだけ人に会うことができたか」ということが、指標の一つとなっているのは間違いないだろう。

来年も、たくさんの人とお目にかかれますように。
来年は、もっと色々なことに挑戦できますように。
そして来年は、今年よりも更に楽しい一年でありますように。