5月の自己研鑽(3)~あっという間の8日間~

5月14日。
日曜日のこの日は特に予定が入っていなかったので、入校初日に知った高円寺の「気象神社」に足を運び、その足で渋谷に行こうと決めていた。

9時過ぎに吉祥寺へ移動を開始し、中央線で高円寺へ。
気象神社は、南口を出てすぐの場所にある。

氷川神社本殿の隣に小さな祠がある。

気象神社は氷川神社の境内の中にこぢんまりと建立されており、社務所も二つの神社のそれを兼ねているらしい。拝礼を済ませ、職場用の御札と自分用の御守を購入。

神社を後にしたその足で今度は北口へ。高円寺といえばライブハウス「JIROKICHI」がある場所。どういう雰囲気なのかこの目で外観だけでも見てみたいと思い、向かってみた。神社を出て中央線の高架をくぐると、すぐの場所に看板が見えた。こちらも駅から至近距離だった。
先客が一人おり、同じように写真を撮っていた。ある意味ここも「聖地」みたいなものだ。

知る人ぞ知るライブハウス。

さて、ものの30分もしないうちに高円寺での用事が済んでしまった。間もなく11時。朝食も軽めだったので、早めの昼食とすることにした。
前日の夜、吉祥寺駅からバス停に向かう途中、「ここのつけ麺が美味い」というのを聞いていたことを思い出した。
ということで吉祥寺駅南口「つけ麺 えん寺」へ。

吉祥寺駅南口至近にあり。

こ、混んでる!まだ開店直後、11時を過ぎたばかりなのに、行列ができている。まあそれでも6~7人だし、昼にはまだ早いから、ここで待つことにしよう。
約15分後、席に案内された。
程なく運ばれてきたそれは、女性客が多いのも頷ける、大変優しい味でございました。ごちそうさまでした。

ベジポタつけ麺一択。オプションで煮卵をつけた。

井の頭線に乗車し、席に座るなりドッと睡魔が襲ってきた。目が覚めた時には、既に渋谷駅に入線していた。
次の目的地は、渋谷のタワーレコード。山下達郎がラジオで宣伝していた、「CITY POP UP STORE」を覗きに行った。

御夫妻の直筆サイン入りポスター。

レコード・カセットで再販されるジャケット群

一通り眺め、せっかくなのでTシャツを購入し、渋谷界隈を少しだけ歩いたあと、15時過ぎに寮へ戻った。
まだ少し時間があるので、今度こそ自主学習をしなければ。机に向かってテキストを開く。
…しかし、どうやら10分も経たぬうちに、机の上にひれ伏していたようだ。

夕方からは、班員の懇談を更に深めるべく、消防大学校近くの店へ。

この界隈のお店は、大学校に入校している学生が利用する店舗が多く、色々お店側も配慮してくれる。この日訪れたお店も、当初は席だけの予約であったが、急遽2時間飲み放題のコースに変更してくれた。我々6人は毎日顔を合わせ、ほとんど毎晩呑んでいるので、話題も尽きるのかと思えばそんなことはなく、それぞれの仕事のことはもちろん、生活している地域の自慢やこれまでの体験など、話題に事欠くことは一度もなかった。

5月15日~18日。
平日、研修は続く。毎晩繰り広げられる「意見交換会」はさておき、危機管理・国民保護という点においては、青森県は北朝鮮による飛翔体がたびたび日本海に落下し、昨年10月にもJアラートが発動されるなど、他の地域とちょっと様相が異なる。また、これまで過ごしてきた危機管理局での7年間は決して無駄ではなかったし、それらのことは少なからぬ今回のアドバンテージとなった。

頭の中に汗をかいた模擬謝罪会見。

飲んでいるばかりではなく、ちゃんと討論も重ねました。

環境も拠点も全く異なるそれぞれのメンバーのベクトルを、少しでも同じ方向に向けようと密かに意気込んでいたが、全くの杞憂だった。あっという間に意気投合し、一緒に学び、毎晩飲み明かした6人。本当にいいメンバーに恵まれた。

16日の夜は、班としての最後の集いということで、寮から少し離れた「相撲茶屋 金太」へ。

ちゃんこ鍋は3人前。

店主は、元横綱貴乃花の付き人で、力士として弘前を巡業で訪れたことがあるそうだ。多分、亡父も関わっていたあの時だろう。不思議な御縁を感じずにはいられなかった。

店主と一緒に。

1週間が経つのはあっという間で、いよいよ最終日の18日は各班による課題討議の発表。「自治体の有事対応対策について」というタイトルで、短いスパンでそれぞれの知恵やアイディアを出し合い、検討を重ねた内容の発表が終わった途端、なんとも言えない安堵の気持ちが胸に去来した。

午後、主担当の教官は閉講式で目を赤くしていた。
トラブルもなく無事に8日間を乗り切った感、達成感というか安堵の気持ちが沸いてきたのだろう。
それなりに年齢を重ねたいい大人を相手に、確かに色々大変だったことだろう。本当にお疲れさまでした。
今回の受講で様々なことを学んだことはもとより、各地の方々と知り合えたことは、この年齢にして何よりもかけがえのない財産となった。

北は北海道、南は沖縄県から集まった「同志」

最後の集合写真を撮影し、それぞれが地元へ戻る時間がやってきた。長居しているとこちらが泣きそうになる気がして、後ろ髪を引かれる思いではあったが、8日間を過ごした消防大学校を後にした。

今回の研修で学んだことを生かす機会は、ないに越したことはない。しかし、5月26日には千葉県で大きな地震が発生、31日には北朝鮮が「衛星」を発射し、沖縄県にはJアラートが発動された。更に、台風第2号の接近に伴う前線の活発化や相次ぐ線状降水帯の発生などで、西日本から東日本の広い範囲で大きな被害が発生した。修了証を頂いてからまだ1ヶ月も経っていないが、相変わらず国内外では様々なことが起きている。

そういう時にこそ、気をしっかり持って冷静な対応ができるよう、まずは公助の面を磨いていこうと思う。合わせて、自助・共助の面も、自己研鑽の意も込めて高めていこうと、改めて思った次第。

同じコースに参加した同志の皆さんには、改めてこの場を借りて心から感謝します。本当にありがとうございました。引き続きよろしくお願いします。

(おわり)

【※余談ではありますが、自主学習の件。】
帰青直後の21日に受験した防災士資格取得試験、満点じゃなかったのがホントに悔しいけど、ひとまず合格。