第52回 東北社会学会(その2)

7月31日午前8時。
ホテルのロビーで待ち合わせ。ちなみに弘前大からのエントリーは、教官3名、現役院生1名、僕の計5名。
教官が事前に送ったという荷物を受け取ります。ちなみにこの荷物、当初僕が仙台まで運送する予定でしたが、その重さに愕然。ハンパじゃなく重い!!
教官!こんな重いモノ、持ってこれるわけねぇだろ!無理無理!
…気を取り直し、タクシーで仙台駅まで移動。運転手さんの名前は「願法」さん。あまり人のことは言えませんが、「珍しい名前ですねぇ」と盛り上がり、何か今日はうまくいきそうな予感を覚えながら、タクシーを降りました。軽めに朝食を取ったあと、小さな段ボールを教官と二人で運びます。歩道橋を渡り終え、バス乗り場に降り立ったその時…。


何と、宮教大に向かうバスが、またしても目の前から出発してしまいました!どうも市営バスとの相性が悪いらしい…。15分ほど待って、次のバスに乗り込みましたが、他の場所(のちに仙台国際センターと判明)でも学会があるらしく、バスは大混雑!幸いといいましょうか、端から見ても重そうな荷物を抱えていたため座席を確保してもらい、程なくバスが出発。
大学に到着し、荷物を開封。論文の抜き刷りと参考資料が、ビッシリ収められていました。重いワケだ…この時点で、朝方購入した500mlの水は既に空っぽに。
午前中は、二つの分科会が行われ、僕はD部会「医療福祉」の報告が行われる教室へ。ここでは、医療に携わる方々の報告を聞きました。これで、分科会が大体どういった感じで行われるのか、というのを把握。それにしても、さすが学者ばかりということもあってか、質問や意見が実に厳しいです。もう僕は、ひたすら貝になって皆さんのお話を聞いていました。
発表者は3名。最後の方は現役の大学院生らしく、次々とぶつけられる厳しい質問への受け答えに四苦八苦。その姿に以前の自分を投影し、何だか居たたまれなくなってきました。
この中で興味があったのは、「終末期患者の自己決定を尊重する看護は可能か」という報告。
患者とその家族との希望をどうかなえるか、患者からの治療に対する希望、意志をどう反映させるかという、言わば医療現場で常に付きまとうジレンマのようなお話。挿管や抑制(いわゆるベッドへの緊縛)など、聞いていて辛いお話だったのですが、この患者の最期は、挿管していながら心臓マッサージを施し、しかも既に心肺停止状態で有りながら家族の要望に従いマッサージを続け、管から大量の出血が続いてもなお、家族の要望に従ってマッサージを続けたそうです…。
そういった看護のあと、この患者に接した看護学生が、患者とのやりとりをどういった風に思ったかというのをまとめているのですが、その内容をみると、この治療方法が決して患者が望んだものではないということが伝わってきて、何だか胸が締め付けられるようなものでした。さらに、教官からのコメントが付されているのですが、「この患者さんは、このまま同様の治療を続けてよかったのだろうか」という疑問が呈されており、患者の意志と家族の要望の狭間で悩む医療現場を垣間見ることができます。
そして、結論として、看護師同士の連携、医師への提言を求めるとともに、「看護の自己観察」が必要不可欠である、という締めくくりで終えています。

nonvey所感
僕の論文もそうだったが、一般論として断定的に記述されている点が、実は報告者の思いが強く寄せられているものだったりと、まだ修正する箇所は大いにあると思われる。実務寄りで主観的な記述が、より客観的な記述になると、より興味深い内容になる。また、取り上げられているサンプル数が1つのみであるため、複数サンプルを比較検証する必要はあると思う。

午後12時10分。
昼食の時間となり、会員の集まる控え室に、非会員の僕も潜入。教官達の脇に座り、駅で購入したおにぎりを貪ります。
ふと見ると、K教官が背筋をシャンと伸ばし、既に臨戦態勢に(ちなみに、K教官が最初の発表者)。
「だ、大丈夫ですか?何だか緊張感が伝わってくるんですが…」と聞くと「そ、そんなことないわよっ!」と声が上ずっています。一方、後半の発表となるY教官。「nonveyさん。質問、任したから(笑)」と余裕の表情。
K教官が「トイレ。」と一言残して立ち去ったあとで聞いたのですが、以前の学会でやり込められたという経緯があり、そのことがジレンマとなっているんだそうな。ああ、何とか無事に発表を終わらせたいなぁ…。
(更にまた多分続く)

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