Category Archives: 地元の話

チガルのアシフパリ(津軽の足引っ張り)

弘前市長選挙が終わりました。選挙といえば真っ先に「アシフパリ」の存在を思い浮かべてしまう性。

【アシフパリ(ashi-fupari)】(名詞・津軽弁)
1 自分又は周囲より才能や知識の抜きん出た人物の出世、活躍等を妬み、それを妨害しようとする人や行為、風潮。
2 足を引っ張る。芽を摘む。梯子を外す。類義語は「出る杭は打たれる」。出ていない杭も打たれるのが特徴。
3 津軽地方の風土病。治療法や薬は発見されていない。
4 「ケッパリ」「ジョッパリ」と並ぶ津軽地方における三大「パリ」の一つ。ただし、フランスのパリとは異なり、見どころは一つもない。

かつてと比較すればかなり減ったのではないかと思いますが、津軽地方には昔から「アシフパリ」と呼ばれる悪しき慣習が蔓延っています。
僕は元々津軽(弘前)の生まれで、通算すると45年近くをこの地で過ごしていますので、そういう慣習が繰り返されるのを幾度となく目の当たりにしてきましたし、実際に僕の亡父が20年以上前に「アシフパリ」の憂き目に遭ったこともハッキリと覚えています。

しかし、その「アシフパリ」が誰によって主導された行為なのか、また、具体的にどういった行動が取られたのかを特定したり、説明するのは非常に難しいです。いわば、目には見えない理不尽な力というか、変な雰囲気というか。
言葉としては存在するけれど、実際に形やモノとしてそれを見たことがない、つまり、実態を掴むのが難しいのが、このアシフパリではないか、ということです。

ただ、このアシフパリも色んな種類があると思われます。今日は、僕の独断と偏見だけでちょっとそれを類型化してみたいと思います。

  • 陰湿型アシフパリ

狙った人物を徹底的に卑下し、心身ともに追い込んだ挙げ句、奈落の底へと突き落とす、最もメジャーであり、かつ最も質の悪いアシフパリ。その人物に対するネガティヴキャンペーンが繰り広げられた結果、周囲が不穏な空気に包まれるケースがあったり、時によっては差出人不明の怪文書が出回ることもある。これらに対する予防線を張るのは非常に困難であり、かつ首謀者を特定するのも難しい。選挙絡みの場面で現れることが非常に多いが、選挙が終わると何事もなかったかのように消えている。

  • 勧善懲悪型アシフパリ

陰湿型とは逆で、私腹を肥やし、暴利を貪る人を戒めるために現れるタイプ。滅多に遭遇する機会はないが、事情に精通する人やその集団の不満が爆発した結果から発生に至るケースがあるらしい。ただし、「共倒れ型」のアシフパリに派生する場合がある。

  • 自己中心型アシフパリ

我こそが社会の善であり模範であり、社会に対する貢献度も高いと自負する、いわゆる「正義漢」、いや自惚れ屋に多いアシフパリ。自分の「善」を強調するあまり、知らず知らずのうちに周囲に対する批判を展開、それがアシフパリになっていることに気付かず、そのことに気付いた時には既に周囲から総スカンを食らい、自らアシフパリの憂き目に遭っていることが多い。ミイラ取りがミイラになるタイプ。

逆に、アシフパリの対象になりやすい人も、幾つか特徴を持っていると思います。

  1. 優れた才能や抜きん出た知識、経験を持っている人
  2. 著名人や有名人への人脈を有し、ついそれをひけらかしている人
  3. 地元の名士を気取る人
  4. 自己主張やアクの強い人
  5. 口の悪い人
  6. 知ったかぶり
  7. エフリコギ

「ないものねだり」ならぬ「ないもの妬み」。自分にはないものを持っていたり、周囲と比べても明らかに抜きんでた人物に対する嫉妬心を持つ人が、津軽地方には多いのでしょうか。かといって「アシフパリ」に走る人たちが、その「ないもの」を手に入れたいかと聞かれると、恐らく答えはノー。その辺りの行動というか風潮がよく分からないところです。

ただ、ここ最近はこういった「アシフパリ」もあまり見かけなくなったように思われます。今回の選挙でも、そういう話は聞きませんでした。そういえばここ最近は、「無いものねだり」よりも「あるもの生かし」という言葉が出てくるぐらいだし。

もっとも、「アシフパリ」がいなくなったというよりも、「アシフパリ」に走るほどの周囲に対する興味が薄れてきているといった方がいいような気がします。

以前は自己主張することがどこか恥ずかしい、というか、自己主張自体を躊躇するといった空気が流れていたような気がするのですが、今は自分の意見を堂々と言える人が多くなったと思いますし、それを頭ごなしに否定する人も(一部を除いて)いなくなりつつある、ということでしょうか。逆に「アシフパリ」のように相手を貶す、貶めるといった風潮そのものが嫌われる、そんな世の中になったのかも知れません。

そう考えると「アシフパリ」なんていうのは、陰湿な「大人のイジメ」に限りなく近いんじゃないかとも思うのですが…。

数の中には「アシフパリ」を蹴散らす強者がいたと記憶しています。かといってそういう人が周囲に対する絶対的な求心力を持っていたかといえばそうではなかったと思いますし、どこか腫れ物にでも触れるような扱い方をされていたような気がします。むしろ、裸の王様になっていることに気付いていない、みたいな…。

さて、今日はかなりざっくりとした感じで「アシフパリ」について自分なりの考察をまとめてみました。
自分が「アシフパリ」の根源とならぬよう、そして対象とならぬよう、明日からも地に足をしっかり付けて歩いて行きたいと思います。

何かオチがまとまらなくてすいません。余談ではありますが、「アシフパリ」に遭った人の足が長くなった、という話は聞いたことがありません。

次回は、津軽を代表する最大の闇、「カラポネヤミ」を検証したいと思います。(ウソ)

弘前市新鍛冶町「川崎」 #酒場 #居酒屋

小学生の頃、父や父の友人たちが僕のことを「のりべえ」と呼んでいたのが派生して、「のんべ」というあだ名がつけられました。小学校2~3年の頃だったと思います。それから40年近く経った今もなお、ずっとその「あだ名」で呼ばれ続けております。

高校3年に進級した際、クラスを受け持つこととなった担任は、僕が周囲から「のんべ」と呼ばれている姿を見て、「こいつ、高校生の分際で相当酒を飲むんだな」と本気で信じ込んだらしく、社会人になってからその話を教えてくれました。まあ、これはこれで面白いエピソードではありますし、今もその恩師とは時々酒を酌み交わすようなステキな関係にあるのですが。

学生時代、夜が明けるまで友達と飲み明かしたこと、数度。麻雀のルールも知らないので、ただひたすら飲み続け、話し続けるといった感じでした。

でもその代償は大きく、翌日は夕方まで完全に廃人と化していましたけどね…
三十代も半ばに差し掛かった頃、人間ドックでアルコールに起因した異常が一気に現れました。γ-GTPに中性脂肪、尿酸、善玉悪玉コレステロール、挙げ句の果ては、脂肪肝疑いなどなど…。アルコールに関係するありとあらゆる数値が正常値を超え、かかりつけのお医者さんに相談したところ、「あなたは自分が思っているほどお酒に強くないということを自覚した方がいい」といった趣旨のことをやんわりと言われました。ランニングに目覚めたのはその直後のことでしたが、ランニングに没頭する代わり、前年度異常を示した数値は全て正常値に収まり、今も概ね順調な数値を叩き出すようになりました。

とはいえその頃から今に至るまでなお酒に強くなるということはなく、むしろ加齢とともに弱くなってきているな、ということを実感するようになってきました。いわゆる「午前様」になるまで呑むことがなくなりましたからね。

また、以前はビールばかり呑んでいましたが、最近は結構早い段階で口直し(いわゆるチューハイなど、氷で溶かして薄くなるお酒)に手を出すようになりました。
あまり「休肝日」を設けないのもまずいな、と考えつつも、なかなか設定できないのは、意志が弱いということに尽きるのでしょうね。年が明けたら、ちゃんと考えようと思います。(今からじゃなくて年が明けたら、という時点で既に意思の弱さを露呈しているわけですが。苦笑)

ちなみに今月は、外での飲み会が既に6回も予定されているといった状況。
身も心も財布の紐もしっかり締めないと。

そして今月2回目となる飲み会は、元同僚とのサシ飲み。
弘前市新鍛冶町にある「川崎」にお邪魔しました。

僕が学生時代にアルバイトをしていた総合宴会場では、社員とアルバイトが一堂に会して飲み会を行うということが何度かあったのですが、いつも二次会の場所となっていたのがこの「川崎」でした。元々「川崎」の大将は僕がアルバイトをしていたところに調理師として勤務しており、その後独立して今の店を構えました。僕がバイトを始めた頃には既に独立していたので、直接接する機会はありませんでした。大将のお名前が「川崎さん」だということ以外はよくわからないのですが、開業してから30年ぐらい経つのかな?(この種明かしは後ほど。)

ちなみにこのお店に足を運んだことはこれまで数度しかなく、しかもその半数は、既に酩酊状態で記憶が朧気となっている中での訪問だったため、店の雰囲気こそ頭に入っているものの、どういった料理が提供されていたかなどについては、情けないことにほとんど覚えていないのであります。

ということで今回は、その確認の意味も込めての来店となりました。
ちなみにこのお店、弘前市出身の俳優・新井浩文がBSフジでナビゲーターを務める「美しき酒呑みたち」(吉田類の出演するそれに似ている番組)で訪問し、紹介したことでもちょっと知られております。

最近よく見かける、個室で仕切られたような、いわゆる小綺麗で洒落た居酒屋ではなく、古き良き「大衆酒場」といった感じでしょうか。まさに吉田類が好んで訪れそうな雰囲気のある「飲み屋」。最近弘前市内では、こういったところが減ってきた気がします。
暖簾をくぐり、中に入ると目に飛び込んでくるのが、長いカウンター席。軽く10人は座れます。
その中で切り盛りしている大将と女将。

座敷席に通されると、既に5名ほどの先客がいましたが、どうやら常連さんではなさそうです。
お客さんの人数が増えると仕切りが外され、倍ぐらいの大きさとなり、立派な座敷になると記憶しています。…いや、確かそこで二次会をやっていたはずなので。
常時置かれているメニュー、肉、魚、卵料理はもちろん、焼き物に揚げ物、鍋、郷土料理、食事メニュー等、何でもありです。

ホワイトボードに板書されたメニューもありますが、こちらには価格の記載がありません。

お通しは子和え。値段は不明。

生ビールはアサヒのジョッキそのものが凍っているので、キンキンに冷えています。
この日、何品注文したのかは忘れましたが、とにかく二人で呑むわ食うわ。

このお店で外しちゃならないと言われているのが「枝豆漬け」なのですが、私、漬け物が苦手でございまして、残念ながら注文しておりません、ハイ…。
サモダシの南蛮漬け。唐辛子がアクセントで利いています。ビールが進むわ。

サッと湯通しされた鱈の白子、いわゆる「タツ刺」。トロッとして美味しかったなあ…。

鯛のコブ〆は、大将自らが捌いた鯛を昆布に寝かせたもの。ぶ厚いホタテの身はぷりぷりでした。

知らず知らずのうちに、鯛の切り身に1本だけ付いたままの棘を、口の中で分別するというテクニックを体得していました。
そして今日のクリーンヒットはこちら!
恐らく口にしたのは20年ぶりぐらいでしょうか。
「八つ目の串焼き」

 

本物のウナギとは全く種類を異にする、グロテスクな川魚「ヤツメウナギ」を串に刺して、焼き鳥のたれで焼いたものです。ちなみにタレ・塩いずれかを選ぶことができます。てっきり身も皮も固いんだろうな、と思ったらその割でもなく、山椒が利いていて、これがまた旨かった!

二人で何杯呑んだだろう、というぐらい次から次へとビールを煽り、美味しい肴で話も弾む、ってものです。
こちらは「なっとうおむれつ」。

なぜかメニューの標記はひらがなですが、なんてことはない「納豆オムレツ」で、最初から味がついており、納豆好きにはたまりません。

この他にもあれやこれやと注文し、次から次へと口に運びます。

女将に聞いてみました。
「お店の営業を始めてからどれぐらい経つんですか?」
「えーっと、どれぐらいかなあ。先代が営業を始めてからだと、60年ぐらいかなぁ。」
「えっ!そんなに長い期間営業しているんですか?」
「うん、今の代になってから30年ぐらい経つからねぇ…。」

実は凄く歴史のある大衆酒場だったんですね。建物の構えは僕が知っている頃から変わっていないので、それなりに古いという認識はありましたが、半世紀を超えているとはビックリしました。以前、「津軽百年食堂」がちょっとした話題になりましたが、ここは「津軽五十年酒場」ですね。50年以上続く酒場って、どれぐらいあるのかなあ。

大分良い感じで酔っ払ったので、そろそろお会計しましょうか。
「すいません、お会計をお願いします。」
「はーい。ありがとうございます。」
程なく女将がピンクの紙切れ一枚を持ってきました。

いいですね、レシートもないこのザックリした「明朗会計システム」(笑)。個人的には嫌いじゃないです。でも、2人で1万越えは飲み過ぎ食べ過ぎはしゃぎ過ぎです。

会計を済ませ、大将と女将に礼を伝えつつ、「実は…」とおもむろに切り出します。
以前、大将が勤務していたところで僕もアルバイトをしていたこと、大将とは入れ替わりで一緒に仕事をしたことはないけれど、あの人とかあの人とか、共通の知り合いがたくさんいること、そして、その中の何人かが鬼籍に入られたこと…。

驚きながらも懐かしそうに目を細める大将と女将の顔を見ながら、今日はこの店をチョイスしてよかったな、と思ったのでした。
また来たいと思います。ご馳走様でした。

川崎

ジャンル:居酒屋
アクセス:弘南鉄道大鰐線中央弘前駅 徒歩3分
住所:〒036-8193 青森県弘前市大字新鍛冶町22(地図
周辺のお店:ぐるなびぐるなび 弘前×居酒屋

情報掲載日:2017年12月7日

岩木山一周ファンライドのスタート支援からの単独走

3年前のことだと記憶しているのですが、早朝独りで岩木山方面へ向かい、ランニングの練習(当時はコソ練と言っていた)を終えて帰宅する途中、最後の長い橋を上ると、たくさんの自転車の列が連なっていました。
そこにいたのは、同学年のIさん。「おお!帰るところ?ちょっとちょっと!」と呼ばれ、何事かと思ったら、これから始まる「岩木山一周ファンライドのスターター」をやってくれ、とのこと。
急遽スタートの板を持ち、信号が青になると同時に板を掲げる、というお手伝いをしました。100人ほどもいたのでしょうか、小学生から比較的年配の方々まで、幅広い世代の方々に手を振りながら見送った記憶があります。
しかし、2年前はスタートに間に合わず、昨年度はスタート地点へも行けず…。

今年も看板は見かけていたのですが、行けるかどうかわからない(朝ではなくお昼の時間にランの練習に取り組む可能性が高かった)ため、ひとまず様子見を決め込んでいたところに、Hさんからメッセージが。

「今年もスタート地点に顔を出しますか。もし、可能でしたら、スタート地点とかの写真を撮っていただければ。」とのこと。

Hさんからのお願いを断るはずもなく、二つ返事でOK。
この方が知る人ぞ知る、Hさん。

以前写真展への出展を勧めてくださったのもこの方。写真の腕前はプロ級だし、最近はその写真もふんだんに掲載されたブログがとても面白いです。
>>> FEROKIE BLOG

岩木山や弘前を舞台にした自転車やランニングのイベントはとても活発で、それを仕掛ける人がちゃんといて、それをサポートする周囲の人たちもいて、かといって全員がプロのイベント集団ではないのが凄いと思うのであります。

(仕掛ける人、その1)

僕は自転車はまったくやらないのでド素人の端くれなんですけど、自転車を乗る人の中にはランニングに取り組む人もいますし、その逆も然り。デュアスロンやトライアスロンといった競技に出場する人もいますしね。

かといって僕みたいにランニングしかやらない人が自転車のイベントのお手伝いに行った時に、その場で浮いてしまうかというとそんなこともなく、ちゃんと受け入れてくれます。

さて、今まではスタート地点や途中で「いってらっしゃーい!」と手を振り見送るところ、今回は開会式から拝見させていただきました。

正直、自転車に乗る方が100人近くも集まると、圧巻。それを引っ張る皆さんも格好いいし、そこに置かれている一つ一つの物すら格好いい。

スタート前のオリエンテーション、Iさんの注意に笑ってしまいました。
「熊が出たら、チャリで走って逃げてください。猿が出たら、吠えてください。」

(仕掛ける人、その2)

オリエンテーションが終わり、スタート地点へ小走りで移動します。何せ自転車には乗らない人なので、自分の脚で走るしかないし。

岩木山一周でトータル70キロぐらい、早い人はお昼前後にゴールするそうですが、そもそもタイムトライアルではなくファンライドなので、差し迫った緊張感もそんなにありません。

午前7時過ぎから城西大橋手前を続々とスタートする皆さんを見送り。カメラを向けながら手を振ると手を振って応えてくれるし、サムアップするとそれにも応えてくれる…些細なことなんでしょうけれど何だか嬉しくて、一応全員撮影した…つもりです。でも写っていなかった方、ごめんなさい。ということで本日のお役目終了。せっかくこちらも元気を頂いたので、来週に向けて最後の調整。道中、岩木小学校6年生のお山参詣と会いました。

秋が近づいてきたなあ…。

今日は1時間10分で16km走ってきました。No AppleのTシャツを着て一人練習すると、いろんな人から声を掛けて頂いてホントありがたかったです。
いよいよ来週は北海道マラソン。ここから1週間で、疲労抜きと痛み抜き。まあ、気張らず気負わず気にせずで頑張ります。

五所川原立佞武多のこと

7月下旬から8月中旬にかけては、青森県内各地でさまざまなお祭りが開催されます。

ユネスコ無形文化遺産に登録された八戸三社大祭、弘前ねぷたまつり、青森ねぶたまつり、五所川原立佞武多、平川ねぷたまつり、黒石よされ…etc

弘前市民の僕としてはやっぱり弘前ねぷたまつりを一推し…と言いたいところなのですが、実はまつりに対する思い入れ、執着がそんなにあるわけではありません。

僕にとって「弘前ねぷた」といって真っ先に思い浮かぶのは亡父のこと。あの頃の思い出をむやみに壊したくない、という思いの方が強いというのが正直なところです。

昔の弘前ねぷたといえば各町内が競ってねぷたを制作し、街を練り歩くといった印象だったのですが、時の流れと社会構造の変化とともに、最近は町内のねぷたよりも有志によるねぷたの方が増えている感があり、亡父が身に纏っていたような帯に浴衣という昔ながらの衣装ではなく、袢纏姿の人たちが凄く多くなったこと、そして、どことなく排他的というか、強い仲間意識(縄張り意識)みたいなものを感じるようになってしまい、あまり観る機会もなくなってしまいました。…なんてことを言うと弘前ねぷたを批判しているようにも受け取られかねないのですが、そういうことではありませんので念のため。

今年は連日天候に恵まれた割には夜になると涼しくなる日が多くて、熱帯夜の中で「もんどりこ」の音を聴きながらようやく眠りに就く、ということがありませんでした。逆にそれが寂しくもあり、更にはまつりが終わるとともにやってくる妙な静寂感、そしてねぷた囃子に取って代わって現れる虫の声が一気に秋を近づけるような気がして、個人的には何とも言えぬ切なさすら感じるような、そんな2017年の夏でした。

一方、今年は甥っ子が弘前ねぷたに初参加。某団体のねぷたに参加し、ヤーヤドーと叫びながら街を練り歩いたそうな。仕事の都合もあって残念ながらその姿を見ることはできませんでしたが、飽きることなく最後まで歩いたのだそうで。

「そんなにねぷたが好きなら、五所川原の立佞武多、観たら喜ぶかな。」

妻の何気ない一言から、あれよあれよと五所川原立佞武多の弾丸観戦ツアーが決定。5日の夕方に五所川原市へ向かい、立佞武多の館のすぐ近く、僕にしてみれば「走れメロスマラソン」のスタート地点と認識している場所で観戦することになりました。例年、マラソンの時に立ち寄る立佞武多の館で、仁王立ちするその姿を観ていましたが、動く姿を観るのは今回が初めて。

日が暮れ、周囲が暗くなり始めた午後7時、打ち上げ花火を合図に運行がスタート。

いきなり現れた婦人会の皆さんのこの姿を見ただけで、一気に引き込まれました。

ちなみにこの祭りに欠かすことができないのが地元出身の吉幾三さんなのですが、この日の出演はなし。聞いたところでは、前日の初日と我々が観た翌日の6日に登場したとのこと。まあ、吉幾三リサイタルを観に来たわけじゃないので…と嘯いても、実はこの方がいるといないとでは盛り上がり方が全然違っていて、観客動員数にも顕著に現れるらしいです。事実、我々が観覧した2日目の土曜日は15万人、初日は33万人との発表でした。

程なく気付いたのが、観覧する場所を間違えたということ。五所川原市内を反時計回りに周回するため、僕らが観ている位置からだと、肝心の立佞武多が建物から出てきても、背中しか見えない、ということに。しかし、そんなことはともかく程なく現れた姿に、息を呑むことに。

実は予備知識も何もほとんどなく観覧に来てしまったため、何台が出陣し、どれぐらいの時間を要するのか、そしてどこで観るのが一番いいのか、全くわからないという失態。大体にして、どれが一番新しい立佞武多なのかも知らないし…。にしても凄い。倒れることはないにせよ、倒れてきたらひとたまりもありません。

この日運行されたのは、3台の巨大な立佞武多の他に、中型の立佞武多や、青森ねぶたのような組ねぶたが数台。

月すらも蹴散らさんばかりの勢いです。

太鼓を打ち鳴らす皆さんが勇ましく。

キャラクターを題材にしたものも数台。

やがて、大トリとばかりに立佞武多の館からヌゥッと登場した2台の立佞武多に、歓声が沸き上がります。

大物が登場するまでの間、子供たちは健気に待ち続けます。
ヌゥッと大物登場。…背中しか見えないし。

「ガンダム」とも揶揄される2台の背中を見送ると、先方からは最初に現れた立佞武多が周回を終えて戻ってきました。その前方には、最後尾を意味する赤色灯を光らせたパトカー。その姿を確認した周囲の観客が、一斉に撤収を始めます。どうやらこれで終わりらしい…時計を見ると、19時55分。いやいや、まだ少し早いでしょ。

ということで、背中しか見えなかった2台の立佞武多を追いかけることに。予備知識がないとはいえ、朧気ながら運行ルートだけは頭の中に入っていたので、先回りして前から見てやろうという魂胆。しかし、20時44分には弘前行の五能線が出発するため、その前に五所川原駅に向かわなければなりません。色々頭の中で駅までのルートや算段を画策しつつ、2台の立佞武多が現れるのを、時計を見ながら待ち続けます。

そして20時15分、来ました来ました。

立佞武多の前で「ヤッテマレヤッテマレ」と鉦を鳴らしながら練り歩く皆さん。弘前はゆったりと練り歩くスタイル、青森は派手に跳ねまくるスタイル、五所川原はその中間といったところでしょうか。流し踊りにも近い感じなのかな。

2台の立佞武多を見届けた後、賑わう喧騒を離れ、五所川原駅から帰路に就くことができました。意外だったのは、この列車に乗車しているほとんどの方が弘前に向かうんだろうな、と思ったら、途中の陸奥鶴田や鶴泊、板柳駅で下車する人がとても多かったこと。きっと初日の車内は、すし詰め状態みたいになっていたんだろうなあ、と。

五所川原立佞武多の運行が復活してから今年で20年の節目を迎えるそうです。道幅がさほど広くないということもあるからなのでしょう、間近で観る巨大な立佞武多は、ただただ圧巻の一言に尽きます。町内会、そして有志による運行の他、高校を挙げての運行など、青森や弘前とは異なる勢いを感じさせる運行や、他のまつりとは趣を異にする雰囲気が、その場に居合わせた観客を魅了するのでしょうね。

…で、ふと思ったこと。JR東日本及び関係機関は、5日と6日五所川原発弘前行で五所川原立佞武多と弘前ねぷたの駅前運行を(全てではないにせよ)同日に観覧できるんだよ!というプチツアーを考えるべし!

…ということで今度は吉幾三が出演する時に観覧してみよう(笑)

弘前・白神アップルマラソンの参加申込が始まっています! #running #marathon #aomori

(第11回大会、人生初フルマラソンのゴールシーン。)

今年で15回目を迎える弘前・白神アップルマラソン(2017年10月1日(日)開催)の参加申込受付が先月末から始まりました。青森県内で開催される唯一のフルマラソン、そしてハーフマラソン、10km、5km、3kmと種目も多数であることから、ご家族皆さんで参加される方も多いようです。(ちなみにインターネットからの申込はRUNNETへの事前登録が必要。)

今年のゲストランナーは、吉田香織選手と打越忠夫コーチ。吉田選手と言えばもともと実業団選手だったのですが、現在は最強市民女子ランナーとの呼び声も高い選手で、僕自身、北海道やさいたま国際で実際にその走りを目の当たりにしております。(どうでもいいことですが秘かにファンです。笑)
ちなみに吉田選手はフルを、打越コーチは10kmを走る予定だとのこと。

アップルマラソンに関してはこれまで何度もこのブログで色々提言やら苦言を繰り返してきたので、今日はそういうのは一切なしです。

僕にとってはこの大会が今の「原点」であり、この大会があるからこそ今も走り続けている、といっても過言ではありません。走ること自体が大の苦手だったのに、走ることの楽しみを知ったのもこの大会だし、10kmからハーフマラソン、そしてフルマラソンへの挑戦も、いずれもこの大会がきっかけでした。

もっとも、父が生前、弘前市体協の評議員を務めており、その関係でこの大会のお手伝いをしていた、ということも、ずっと参加し続けている一つのきっかけであることは紛れもない事実。

こんな僕でも走れたんだから、みんなも走れるよ!と気軽に参加を呼び掛けたい、そんな大会です。
この大会に参加し続けたおかげで、弘前公園ランニングクラブに参加するご縁があったわけで、そこから県内外に同じ志を持つ仲間との繋がりがどんどん広がっていきました。

変な話ですが、今こうやってランニングにまつわるブログの記事を投稿できるようになったのも、この大会に参加していたからこそといっても過言じゃないんです。

ちなみに、初めてフルマラソンに挑戦したのが2013年、42歳の時。
その時の模様は、これがまた異常に長い記事を投稿しておりましで、お時間がある時、お暇な時にでもご覧頂ければと思います。毎度のことながらホント長くてすいません。

42歳の、初経験(第11回弘前・白神アップルマラソン)

今回が第15回ということは僕自身、アップルマラソンに関しては4度目のフルマラソン、ということに。(昨年はハーフマラソンで視覚障碍者の伴走だったため、フルは走っていないのです。)

(第14回、昨年度の伴走の模様)

僕にとってのアップルマラソンは、いわば「御恩返し」の場。自分が楽しませていただいていることへの感謝はもちろん、生前父がお世話になったことへの感謝、そして、初めてフルマラソンを完走させてもらったことへの感謝、それを伝える機会でもあります。
実は初フルの後、この大会ではペースランナーを2度務めております。初めてフルマラソンを走った翌年、フルマラソンの経験もまだ浅いのに、自身4度目のフルで(大会非公式の)4時間のペースランナー、そして更にその翌年は、大会公認で4時間30分のペースランナーを務めさせていただきました。

(第12回、4時間の非公式ペースランナーの時)

一時期に比べると、マラソンブームもだいぶ落ち着いたような感じもするところ(東京マラソンは別として)、フルマラソンに挑戦してみたい、気持ちよく走ってみたい、という皆さんにとっては、この大会は格好の場ではないかと勝手に思っています。(まあ、昨年は暑さとの戦いでしたけどね。)
どうせならガッツリ走ればいいじゃん、という周囲の声があるのも事実。でも、やっぱりこの大会に限ってわがままを許してもらえるならば、御恩返しの気持ちだけは忘れたくないのです。ですので機会があれば今回も、皆さん方の挑戦を応援したい、最後は背中を押してでも一緒にゴールして、気持ちよく走り切った後の感動を分かち合いたい、そして、そういう形で大会を盛り上げたい。微力ではありますが、少しでもお役に立てたら本望だな、と思っています。

弘前・白神アップルマラソンは日本陸連公認コースを抱える大会ではありませんが、僕だけではなくスポネット弘前や弘前公園ランニングクラブの面々など、大勢の皆さんが、必ずやこの大会を盛り上げるべく今年もきっと奔走するはずです。裏を返せば、公認じゃないからこそできる、我々なりのおもてなしがあるわけでして。

(第13回、4時間半の公式ペースランナーの時)

ちなみに同じ日には同じ東北、宮城県で「東北・みやぎ復興マラソン」や山形市で「山形まるごとマラソン」も開催されます。でも、エントリー料が格段に安価なのは、ちょっと魅力的だと思いませんか?(フルマラソンだけで見ると、宮城のそれが13,000円であるのに対し、アップルマラソンは4,500円!)

紅葉にはまだ早い季節ですが、徐々に色づき始める岩木山や、沿道でたわわに実り始めたりんごを眺めながら、津軽地方の秋を少しだけ楽しんでみませんか?

弘前市内外はもとより、県内外からのたくさんのご参加を、心よりお待ちしております。

(第13回、スタート前の集合写真。微力ではありますが、私たちも大会を盛り上げます!)