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「東北OM親子企画 マタギ体験合宿」に参加してきました

【途中で鶏を捌くというグロッキーな画像が現れますので、閲覧にはくれぐれもご注意ください。】

原稿用紙換算で約11枚ちょっと。今回も長いよ。

7月28日・29日の両日、北秋田市で開催された「東北OM(東北まちづくりオフサイトミーティング)親子企画 マタギ体験合宿」の初日に、5歳の甥っ子と二人で参加してきました。

29日に男鹿市で行われる「日本海メロンマラソン」に出場するため、前日から母の実家である北秋田市(合川)への宿泊を決めていたのですが、この合宿が同日に同市(阿仁前田)で開催されることを知り、「ちょっと顔を出そうかな」と申し出たのがきっかけ。

母に何気なくその話を伝えたところ、甥っ子も一緒に連れて行ってもらえるものだと認識されたようで、急遽先方へ連絡、2名で参加することに。(母か妹も同行する予定でしたが、諸般の事情で僕と甥っ子の2名だけで参加することに。的確な情報を伝えられず、企画・運営の皆さまには本当にご迷惑をお掛けしました。)

マラソンの前日なので、本当に顔を出すぐらいの気持ちでしか考えていなかったのですが、甥っ子が行くとなると事情が少し変わると思い、行程を再検討。
1案は、弘前から阿仁前田の会場まで自家用車で。
2案は、母の実家に車を置いて、秋田内陸線で阿仁前田まで移動。

当日、午前11時頃に甥っ子をお迎え。
助手席に乗り込んだ甥っ子と二人で長時間に渡ってドライブするのは初めてのこと。そして、何時間も親元を離れる甥っ子の監視は、僕が一切の責任を負わなければなりません。
甥っ子の機嫌を損ねぬよう、車中はDVD鑑賞に付き合いますが、これがまたいい感じで睡魔を呼び込むという…。

北秋田市に入った後もなお、ギリギリまで行程に悩んだ結果、甥っ子のリクエストもあり、母の実家へ向かうことに。
母の実家へ到着すると、僕の伯父と従姉が出迎え、甥っ子は喜色満面。よしよし。
しかし、昼ご飯を食べる算段をしていませんでした。というのも、合川駅から阿仁前田駅までは秋田内陸線を利用して移動するのですが、阿仁前田駅周辺の飲食店情報をリサーチしていなかったのです。

ちなみに阿仁前田駅は、温泉施設が併設された珍しい駅。飲食施設もあるはずだとネットで確認、ひとまず合川駅へと徒歩で向かいます。(その距離200mちょっと。)
昭和の頃から変わらない駅舎の待合室で列車の到着を待ちながら、切符を購入。

ホームに向かうと、何とも言えぬ懐かしさがこみ上げてきます。

が、日よけも何もないホーム上、列車到着の3分前とはいえ夏らしい暑さがジワジワと身体を突き刺し、甥っ子が「暑い」とぼやき始めます。駅舎に戻るには時間がないし、どうしよう…と思ったところへ列車到着。なんだかかわいらしい車両だな、おい!ナイス内陸線!

合川駅から阿仁前田駅まで25分ほど、わずか1両のみの気動車には、結構大勢のお客さんが乗車しており、ボックス席ではなくベンチシートに二人で腰掛けました。

どんどん秘境めいた山地へと進む内陸線。

やがて、突如開けたところで阿仁前田駅に到着。
改札を抜けたすぐ左手には、温泉宿泊施設「クウィンス森吉」があります。

既に13時を過ぎていましたが、これから食にありつくまではまだまだ時間がありそう。ということでこの施設の中の食堂で、一杯のかけそば(古っ!)ならぬ一杯のラーメンを甥っ子と分け合います。軽めにしたのは、この後絶対に美味しい物が食べられるはずという確信があったから。

さて、目的地の前田公民館、Googleマップではすぐ近隣とのことでしたが、完全に騙されました。
確か、駅の近くではなくて阿仁川の向こうだって聞いていたんだけど…。
駅前で右往左往の迷子状態になったため、目の前の商店へ飛び込んで場所を聞くと、店の人ではなくお客さんとして来ていた近所のおじさんが懇切丁寧に教えてくれました。
甥っ子の手を引いて外に出ると、そのおじさんが背後から叫んできます。

「川沿い、右手に進んでおっきい橋渡ればすぐだがら~!」

皆さん、本当に優しいです。

目的地の前田公民館に到着したのは、集合時間の14時ちょうど。既に皆さんが集合していました。
初めてお目にかかる方、お久し振りの方が半々といった感じでしょうか。

講堂に集まり、秋田OMの松田さんの進行でセレモニーが行われたあと、いよいよ体験がスタート。

講師(主宰)は、北秋田市根森田地区にある「リバーサイト民宿丸慶」のオーナー、佐藤さん。

(1)やまと豚の燻製焼き体験
外に出てステーキサイズのやまと豚を串刺しにし、塩こしょうを振ったあと、近所を流れる阿仁川の河原へ持参します。

(串刺しにした生肉を手に河原へ向かう我々の姿は、さぞかし奇妙だったことでしょう。)

火の焚かれた薪の中へと肉を立てかけ、しばらく放置。桜の木などを薪として利用しており、いわゆるベーコンのような香りと味わいが出るらしく。

…しかし、立てかけた棒が熱くなるばかりで、一向に火が通る気配がありません。

大丈夫なのかこれ?

(2)一から作るきりたんぽ体験
ある意味この日のメインイベント。
まずは鶏を自らの手で捌くというもので、大人も子供も戦々恐々としながら鶏を見守ります。

我々が到着した頃にはまだ生きていたようなのですが、この暑さでやられたらしく、鶏は既に息絶えた状態となっていました。合掌

マタギの一二三さんがおもむろに鶏の羽毛を毟りはじめ、みんなに手伝えと声を掛けます。

ちなみに甥っ子、まだ生暖かい鶏に恐る恐る手を触れたと思ったら、何を思ったのかそのまま撫で始めるという…。やはり経験させるにはまだちょっと早かったか、と思いきや、周囲の人たちの見様見真似で毛を毟り始めました。

実は僕も未経験。甥っ子に先を越されてしまった、と苦笑いしながら、命を頂くことへのありがたみを噛み締めつつ、無心で一緒に毛を毟り続けました。まさに「いただきます」。

やがて丸裸にされた鶏は、佐藤さんと一二三さんによって手際よく捌かれていきます。その光景を見ながら、昔のことを思い出していました。


うちの亡父もかつて猟銃片手に山へ向かい、ヤマドリを捕まえてきました。(父は下手すぎて捕まえることはなかったようですが。)
その時も裏庭に段ボール箱を置き、ヤマドリを捌いていたことを思い出しましたが、僕はその光景を一度として見たことはありませんでした。飼い猫が鼻の頭にヤマドリの羽根を付けて戻ってきた時は、ドン引きしたぐらい。

亡父の生家(=いわゆる本家)ではその昔、熊やウサギの肉を食べさせられたこともありました。
が、肉の臭みや固さに顔をしかめ、ほとんど口にすることはありませんでした。

ちなみに父の生まれ故郷は秋田県と青森県に跨がる白神山地のある西目屋村。この村にも、マタギの風習があります。
そして、旧阿仁町にもマタギ文化が色濃く残っています。
そんな奇妙な関係というか繋がりというのを紐解いていくうちに、きっとこの場に僕と甥っ子がやってきたのも、不思議な御縁に導かれてなのだろうな、ということを考えていました。

ひととおり鶏を捌く作業が終わり、再び公民館へ。
いよいよ甥っ子が楽しみにしていた、きりたんぽの製作に取りかかります。
まずは白飯を潰す作業。

お友達となった仁希くんと二人ですりこぎを握り、共同作業とばかりにすり鉢の白飯を潰していきます。
更に大人も加わり、ひたすら白飯を潰し続けます。

潰した米を丸め、きりたんぽを焼く棒に伸ばして成形。

他方、姿の見えない男性陣は外で、鶏肉に串を刺す作業を黙々と続けていました。
鶏の脂で手が滑り、悪戦苦闘の模様。

先ほどこしらえたきりたんぽを焼く作業。炭の熱に四苦八苦しながら、表面を乾かし、焼き目を付けていきます。

そんな作業に明け暮れているところに、マタギの一二三さんが燻製の豚肉を手に登場。その風貌はまるで獲物を抱えて山から下りてきたよう!

(1)の燻製が完成です!

棒が熱いからと軍手を付け、肉を貪る皆さん。これがまた、想像以上に旨いのであります!

更に焼き目のついたきりたんぽには、味噌を付けて食します。

やがてひととおりの準備が終わり、再び講堂へ。そこにあったのは、きりたんぽ鍋の出汁を取り終えた「ガラ」。
これを貪りながら飲むビールがまた旨いのですが、貪ることに夢中で撮影を忘れました。

宴会の準備は着々と進み、ステージの上には見たことのない日本酒の瓶が並び、目の前には先ほど捌いた鶏が、何と刺身として置かれています。

程なく佐藤さんの音頭で乾杯となり、宴会がスタート。

甥っ子に「鶏の刺身、食べてみる?」と聞いたら、恐る恐る「うん」と。
後で聞いたら、甥っ子はほとんど刺身を食べたことがないのだそう。

「美味しい?」と尋ねると「ちょっと辛い」との感想。
刺身醤油の中に一味唐辛子がたくさん入っていたもんね。ごめんね。

そしていよいよ、甥っ子が一番楽しみにしていたきりたんぽ鍋が運ばれてきました。
早速きりたんぽ鍋にありつく甥っ子。
「美味しい?」と聞いたら今度は無言のまま「うん、うん。」と頷きました。
1杯では足りず2杯食べ、相当満足したようです。

一方、お目付役の僕は、秋田OMの奥山さんからの熱視線に真摯に反応、禁断の日本酒へと手を伸ばしていました。
これで勝負あり。明日の日本海メロンマラソンは、出場取りやめも選択肢にしよう。(結局出場したものの、結果は最悪でした。やむを得ない。)

最年少マタギの織山さんが、この地方のマタギ文化について動画を交えて説明してくれました。
・狩猟で得られた獲物は、マタギ全員で均等に分ける。獲物が得られなくても悔しいことはない。
・少数で複数の声を発し、たくさんいるように思わせる。山頂から1人、下から5人ぐらいで追い詰める。

他にも色んなお話をしていたのですが、かなり酔っ払っていたことと甥っ子の動向が気になって、あまりお話を聞けず。

18時40分には公民館を出発し、阿仁前田駅隣接の温泉に入ることを甥っ子と約束していたので、集合写真を撮影したあと、後ろ髪を引かれる思いで泣く泣く会場を後にしました。

考えてみると、弘前を出発してから8時間近くに渡って二人きりで過ごしていたわけですが、この間に甥っ子がお母さん(妹)やお婆ちゃん(母)のことを口にしたのは、公民館に到着した最初の頃まで。
その後はすっかり場の雰囲気に馴染んだようで、泣き言一ついわずに最後までオジちゃんと一緒にいてくれました。

温泉に石鹸などを置き忘れるというオチが付きましたが、20時過ぎに阿仁前田駅から鷹巣駅へ向かう列車に乗り込む直前、温泉施設のロビーで一部の参加者と再会するというおまけもあり、甥っ子も最後まで楽しめたようです。
ちなみに、列車に乗車してから合川駅で下車するまでは、乗客は我々二人きり。

ちょっぴり凜々しくなった甥っ子の表情を見ながら、胸が熱くなりました。

こういう機会に接することもなく、今回は僕自身がいい経験をさせて頂いたと思っているところです。
主催した東北OMの後藤さん、企画を運営された秋田OMの皆さんをはじめ、関係者の方々に心から御礼申し上げます。本当にありがとうございました。

2018沖縄探訪記 【観光編】 ~沖縄で宇宙を探訪する~ #okinawa #jaxa

ちょっと間が空いてしまいましたが、先日の沖縄探訪記、本日は【観光編】と称してあるスポットを紹介します。

沖縄の観光といえば、綺麗な海や首里城をはじめとする世界遺産などたくさんありますが、意外なところに意外な観光スポットが多数点在しています。

今回の旅行で訪問したマニアックなスポットは、こちら。

以前勤務していた出先機関の事務所みたいな建物です。しかも工事中で、観光の色合いまったくなし。
この建物が何かといいますと、はいこれ。

JAXA(宇宙航空研究開発機構)の「沖縄宇宙通信所」です。

この建物で行われているのは「人工衛星の追跡と管制」なのだそうです。打ち上げられた人工衛星からの電波を受信し、人工衛星の位置や姿勢、搭載している電子機器が正しく機能しているかどうかを知り、状況に応じて、人工衛星に対してコマンド(指令)電波を送信するなど、人工衛星を維持管理する役割を果たしています。(JAXAのHPから。)

さて、宇宙マニアでも何でもない僕が、なぜここを訪ねたかというと、「道中に案内看板があったから。」
まさに「たまたま見かけた」スポット、というか以前から案内看板を見るたびにちょっと気にはなっていたのです。それに、JAXAの施設なんてそんなに見る機会がないな、と思ったら、つい足が向いてしまいました。正直、半分ネタ探しみたいなところもあったんですけどね。
…というか皆さん、普通に行ったことあるのか?うちらが今まで行ったことないだけなのか?

国道58号線から交差点を曲がり、看板に導かれるままにレンタカーを走らせていくのですが、ずーっと上り坂が続きます。更に、ホントにこの先に何かがあるのだろうか?というぐらい、どんどん道が狭くなっていきます。(しかも、沖縄宇宙通信所を示す案内看板がある一方で、帰り道は案内がないので、迷う可能性もあり。途中のポイントに設置された看板の位置はチェックした方がいいです。)

やがて視界が開けてきた右手にドーンと現れた、見るからに宇宙チックな構造物。中に立ち入ることは出来ず、フェンスが張り巡らされています。後で知ったのですが、これが宇宙を飛んでいる衛星からの信号をキャッチするアンテナなのだそう。

更に車を進めると現れたのが、先ほどの建物。僕が言うのも変ですが、「いかにも役所」的な建物でした。
恐る恐る中へ入ると、左手に受付簿があり、そこに名前等を記載するよう指示されます。
首からぶら下げる「入場証」のような物を手渡され、スリッパに履き替えて中へ。右手の奥の部屋から、幼稚園児の元気な声が聞こえてきました。

これは、来る場所を誤ったかな…。

反対側の左側にある小部屋、第一展示室だそうですが、そこへ入ると、いきなり目に飛び込んできたのが人工衛星を搭載したロケットの模型。更に、地球の回りをグルグルと回る人工衛星の模型が置かれています。

2台置かれたモニター、一台からは大リーグ中継が、もう一台からは気象衛星ひまわりからの受信映像が流れていました。人工衛星からの信号を受信して流されているリアルタイムのもの。

…で、これで終わり?

と思ったら隣にも部屋が。第二展示室では、6月に地球へ帰還した金井宇宙飛行士の特別展示が行われていました。

さらに園児たちの声が賑やかに響き渡る部屋の向かいには、第三展示室が。

人工衛星の模型などが置かれている他、PCを用いた学習コーナーも。これがまた大人ものめり込むことができそうな結構難しい内容でして、誰もいないのをいいことに、思わず長い時間にわたって独占してしまいました。

いやここ、想像していた以上に面白いぞ。

そして、園児たちの「ありがとうございましたぁ!」という声が建物内に響き渡った直後、静寂が訪れます。
そりゃそうだ、この時点で来場者はうちらしかいないんだから。

園児たちのいなくなった向かいの部屋へ進むと、ビデオルームと体験コーナーがあります。
入り口の横には来場記念の記念撮影ブースがあり、一枚のみですがその場で出力、印刷することができます。

妙な箱が置かれていて、それを覗きながら星形(☆)を描いてみよう、というコーナー。

箱の中を覗くと鏡があり、それを見ながら☆を描く、というものなのですが、自分の思っている方向に鉛筆が進まず、思わず爆笑。久し振りに脳から汗をかきました。

時間の都合でビデオ鑑賞はしませんでしたが、これでビデオも観ていたら、恐らくかなり滞在時間が長くなったのではないかと思います。実際、1時間ほど滞在していましたから。

ちょうど昼前だったこともあってなのか、結局帰るまで誰も来場者はありませんでした。
もう一度呟こう。みんな普通に行ったことあるのか?うちらが今まで行ったことないだけなのか?

外観だけではなく建物の中の造りも役所というか学校というか、そんな感じ。
華やかさもありませんし、かなりマニアックな感じですが、展示物そのものは大人から子供まで楽しめるんじゃないかと思います。

帰る際には、入場証と引き換えに「アンテナカード」を頂きました。

百聞は一見にしかず。
例えば、折角沖縄にやってきたのに悪天候で海に行くこともできないし、美ら海水族館も混んでいるだろうし、さて、どこに行こうかなあ、という時の選択肢の一つとして入れても、問題ないと思います。

小学生の自由研究の題材、夏休みの宿題には持ってこいかも知れませんね。
ちなみに今週末の7月21日と22日は、恩納村主催の「第35回 うんなまつり」に合わせて「宇宙展」が開催されるそうですよ!

JAXA 沖縄宇宙通信所
〒904-0402
沖縄県国頭郡恩納村字安富祖金良原1712
TEL 098-967-8211(代表)
開館時間 10:00~17:00
見学は無料です。

2018沖縄探訪記【宿泊編】「オルッサの宿 マチャン・マチャン」にて #okinawa

毎年恒例となった「沖縄突撃無計画ツアー」では、海に面したオーシャンビューのリゾート系のホテルをチョイスしてしまうことが多いのですが、今回はちょっとだけ趣向を変えてみました。

ということで早めの夏季休暇を取得して沖縄を訪問したのは、7月4日から7日まで3泊4日の行程。台風7号が通過した後も沖縄の天気は落ち着かず、到着初日はいきなりの雨模様となってしまいました。


※ちなみに沖縄から九州へと進んだこの台風7号と梅雨前線の影響で、西日本各地において土砂災害等の大規模な被害が発生してしまいました。亡くなられた方のご冥福をお祈りし、被災された皆さまに対して心からお見舞い申し上げるとともに、一日も早く元の生活を取り戻せるよう、御祈念申し上げます。

前日の最終便で青森から羽田へ向かい、この日は蒲田のホテルに宿泊。
翌朝6時20分に羽田を飛び立ち、9時前に那覇空港に降り立ちました。
到着初日はレンタカーであちこちを巡ったあと、午後から沖縄自動車道を利用して北上を開始。ニンニク臭を車内に充満させたレンタカーで、名護市の北にある今帰仁村を目指しました。(なぜニンニク臭なのかは後ほど。)

今回初訪問となった今帰仁村にある「オルッサの宿 マチャン・マチャン」。
各部屋がコテージタイプになっているこの宿は、県道からちょっと離れた場所にあり、何だか隠れ家のような感じです。以前、このすぐそばを車で走ったことがありましたが、こんなところに宿があるのか!というような場所にありました。

入口のゲート横にあるカフェ棟に行くと、オーナーの江本ご夫妻が我々を出迎えてくれました。その空間自体が何だか居心地が良く、とてもいい雰囲気。ウェルカムデザートのような西瓜のシャーベットを頂きながら受付を済ませ、部屋の鍵を受け取ります。

今回宿泊した棟は、駐車場のすく横にある「【虹ルーム】マチャンのとなり。」。

白い壁に挟まれた玄関が、一層隠れ家っぽさを醸し出しています。

その扉には、綺麗なガラスが埋め込まれています。

玄関の扉を開けて建物の中に入ってみると…。右手一面に拡がるガラス窓越しの景色を見て、思わず息を呑みました。

わずかに差し込んだ太陽の光を吸い込んだ水色の海を挟んだ向こう側には、古宇利島が佇んでいます。

部屋の隅にはセミダブルのベッドが二つ置かれ、手前には琉球畳の敷かれた、まるで居間のようなスペース。思わずごろ寝したくなるような、そんな空間です。

窓を開けると、雨上がりの空を飛び交う鳥の鳴き声が聞こえてきます。
この音を聴いているだけでも、正直、この部屋にはテレビはいらないな、と思いました。(実際のところ部屋にテレビはあるし、観たんだけどね。)

社会の喧騒から離れ、自分の中にある雑念を全て脱ぎ捨てたくなるような、そんな空間。
それぐらいゆったりとした時間が流れているようでした。
建物の外、二階に続く階段を上ってみると、その景色は更に美しいものでした。

沖縄は青森と比べると日の出日の入りの時間が1時間ぐらい遅いんですよね。
眼下にはウッパマビーチが拡がり、右手には、古宇利大橋が見えます。この風景を独り占めできる贅沢といったら…。

さて、再び部屋に戻りお風呂チェック。ここもガラス張りになっていて、外の景色を楽しむことができます。

大丈夫、ブラインドもありますが、覗きにやって来るのは虫か鳥か、せいぜいヤモリぐらいでしょう。(ということで部屋にヤモリが出るらしいのですが、残念ながら今回、その姿を拝むことはできませんでした。会いたかったなあ。)

この日の夕食は、沖縄旅行ですっかり常套手段となった「あちこちで購入した地元食材」。
まずは浦添市の「ブエノチキン」。

ニンニクとハーブの効いたローストチキン(若鶏の丸焼き)1/2サイズ。柔らかくてジューシーで、激ウマ。クリスマスの時にはすぐに売り切れるらしいです。(レンタカーに充満していたのはこれでした。)

お次は沖縄市の「チャーリー多幸寿」。こちらはガイドブックにも必ず掲載される超有名店。


タコスのテイクアウトはお一つからOK。
実は初めて沖縄を訪れた22年前、ここのタコスを購入したにも関わらず、諸般の事情で食べ損ねるという失態を犯した、いわくつきの逸品でしたが、今回ようやくリベンジを果たすことができました。


口に運んでみて、今でも人気を誇っているのに納得。

名護市のイ○ンで購入したジーマーミ豆腐(ジーマミー豆腐だっけ?どっちだ?)、沖縄近海で獲れたマグロの刺身等々を並べ、これにオリオンビールを添えれば、沖縄食材の晩餐が出来上がり。

ゴミをたくさん出してしまうことが心苦しいところではありましたが、オーナーご夫妻に対する申し訳ない気持ちに苛まれながらも食材を貪り、初日の夜は帳を下ろしたのでした。

翌朝、目が覚めるとまたしても雨が降っていました。晴れていれば、古宇利島から昇る太陽を拝むことができたらしいのですが、こればかりは仕方がない。
ホントは古宇利大橋の近くまで車で向かい、古宇利大橋をゆっくりジョギングするというプランも立てていましたが、次回までお預けということに。

そんな雨模様を忘れさせるようなお楽しみの朝食は、カフェ棟にて。
洋食なのか和食なのかは行ってからのお楽しみなのですが、これがまた凄いのです。

この日は和食メニュー。沖縄県産の野菜をふんだんに使った、見た目にも豪華なメニュー。こういう食材を毎日食べることが、健康体への近道なのかも。ちょっと疲弊しかけていた胃袋から腸が、ゆっくりとリセットされていく感じ。それにしてもゆし豆腐の味噌汁、ホント美味しかったわぁ…。

リゾートホテルでアホみたいにビュッフェを食い漁っていた自分が恥ずかしくなります。(といいつつ3日目、4日目の朝は…以下略)

身体に優しい贅沢な朝食を堪能しながら、お隣のご夫婦とオーナーご夫婦との会話に耳を傾けます。
この宿は、リピーターさんが多いんだな、と。そしてそれは、この宿の素晴らしさだけではなく、オーナーご夫婦の人柄に惚れ込んでやって来るからなんだろうな、と確信。
うちらもリピーターを目指したいものだ、なんて思ってしまいました。

部屋に戻り、帰り支度。まだ雨は降り続いていましたが、一日中この部屋でのんびり過ごしてもいいな、と思うぐらい本当に居心地が良かった!

…しかし、人との御縁というのはいつどこに転がっているかわからないものです。
精算の際、江本さんの奥さまが「弘前からいらしたんですね…。弘前の桔梗野って、ご存じですか。」と、唐突に我々に尋ねてきました。何を隠そう私、桔梗野小学校の卒業生。「はい!桔梗野はうちの隣の地区で、歩いてすぐのところにありますよ。どなたかお知り合いでも?」
「ええ…。○○さんって、ご存じですか。」
「!!!○○さん!いやいや、知っているも何も、妹が小さい頃にガールスカウトに所属していて、その時お世話になりましたし、当時は僕もボーイスカウトに入隊していて、○○さんには兄妹でお世話になったんです。で、どうして○○さんをご存じなんですか!?」
…その後、色々お話を伺いました。お話を伺いながら、本当に身震いするぐらい感激してしまいました。奥さんもびっくりされたようです。まさか沖縄で地元・弘前の話に花が咲くとは!何度も言いますが、人の御縁って、どこでどう繋がるのか本当にわかりません。凄い!
あまりにビックリして、何と部屋の鍵を返し忘れて宿を出発するというオチが付きましたけどね。(ご主人から電話をもらい、慌てて引き返して鍵を返却。奥さんから「またお会いできて嬉しいです」と笑われました。)

今までにはなかった旅のスタートは、天気はさておき残り3日間を本当に有意義なものにしてくれました。ちなみにチェックアウトした日のランチは、ご夫婦から紹介していただいたお店へ。
このお話は、また日を改めて。
(多分つづく)

JOY-POPS 35th Anniversary Tour ”Wrecking Ball” @青森QUATER #joypops #thestreetsliders

【注意:ネタばれあります。】

心地よい脱力感。
ライブを観た後に骨を抜かれたような気分になったのは、久し振りだった。

80年代、空前のバンドブームの中でも孤高の存在として異彩を放ち続けたThe Street Sliders(以下「スライダーズ」という)。
2000年の解散以降、4人のメンバーはそれぞれ活動していたが、ボーカルとギターを担当していた村越弘明(ハリー)の公式サイトで発表された内容を見て、自分の目を疑った。
スライダーズのデビュー35周年として、フロントマンだった村越と土屋公平(蘭丸)によるユニットJOY-POPSが全国ツアーを行うというのだ。
しかも、ツアーの最終日が青森公演だった。

スライダーズを観たのは25年以上前に青森市で1度きり。
ハリーを観たのは、Epicソニー25周年の記念ライブで、ギター片手にステージに現れた時のみ。

しかも、スライダーズを観た青森市でのライブは、身体も心もふわふわと浮ついていて、情けない話だけれどハリーがライブの冒頭で「ハロゥ」と叫んだことしか覚えていないのだ。(以前投稿した「JOY-POPSのこと」で、当時のことに少し触れています。)

それはともかく、あの日の苦々しい思い出を自分の中で精算するためにも、このライブだけは何が何でも絶対に行かなければならない。
身震いするような気持ちで、公式サイトからの先行予約に申込んだ。

ちなみに、公式サイトにはツアーの日程とともに次の英文が掲載されていた。

One Night Only GIG!! There is no next time to miss.

二人が揃ってステージに立つのは18年ぶりだそうだ。
ひょっとしたら英文のとおり、彼ら2人がステージに揃うのは最初で最後なのかも知れない。
そんな伝説のライブを目の当たりにできるのだと思ったら、今度は心が震えるような気分になった。

2018年7月8日。
青森駅から会場の青森QUATERまでは徒歩だと10分以上かかる。弘前からの電車が到着したのは16時19分なので、開場の時刻である16時30分に間に合うかどうか、といったところだった。結局、青森駅から猛ダッシュし、開場5分前というギリギリに会場に到着。既に入場を待つたくさんの人が列をなしていた。ざっと客層を見た感じでは、ほぼ自分と同世代の男女が大半を占めている感じだが、その中に混じって若年層の姿も見受けられた。

会場に入り、センターからやや左側に陣取る。前から5~6列目といったところだろうか、ステージの視界は概ね良好だ。
ステージを凝視すると、2本のスタンドマイクとともに、蘭丸の使用するギターが所狭しと並んでいる。
この日の会場は350人の満員で、チケットはソールドアウト。先に入った観客に対してもっと前に詰めて欲しいというアナウンスが2度3度と繰り返される。
17時過ぎ、観客のボルテージも一気に上がったところに、いよいよ両名が登場。黄色い声と野太い声が飛び交う。

ステージ上のハリーは終始穏やかな表情で、時折笑顔すら窺える。薄黒のサングラスをかけた蘭丸は、一見すると無表情だけれど、ハリーに目を配り、時折会場に目を向け、笑みを浮かべる。

そして、二人が繰り広げるステージはまさに阿吽の呼吸。圧巻という言葉がピッタリだった。

新旧織り交ぜた…というよりも、既にスライダーズが解散してから20年近く経っているので、古い曲しかないといえばそれまでだが、デビューから解散までのスライダーズナンバーがてんこ盛り。もちろんJOY-POPSのナンバーも。これでもかと言わんばかりに2本のギターが観客を煽る。

ハイライトは、いきなりやってきた。二人が手にしていたアコースティックギターからそれぞれテレキャスとSGに持ち替えて始まった大音量での「カメレオン」。一気に会場の空気が変わった。

そしてもう一つのハイライトは、それぞれが作ったという新曲「新しい風」(ハリー作)、「デルタのスー」(蘭丸作)。
どっちもめちゃめちゃ格好いいんですけど!!

それにしても不思議だったのは、ベースもドラムも不在の中、2人のギターがリズムやビートを刻みながらしっかりとグルーブ感を生み出し、我々観客を踊り狂わせていることだった。僕は楽器演奏は全くできないけれど、ギターだけでこういう音を出せるのは、2人だからこそ為せる業なんだろうな、と感動した。
昔からの曲、アレンジを変えた曲、未発表の曲、新曲、どれを切り取ってみても「過去のスライダーズ」ではなく、「現在のJOY-POPS」の音だった。

ハリーは年が明けると還暦を迎え、蘭丸ももうすぐ58歳。齢を重ねるとともに人間は丸くなるというけれど、この日のステージ上の二人は、少なくとも僕が知っているスライダーズ時代のイメージからは遠くかけ離れ、いい意味で丸くなっていて、何かを達観したような円熟味を増した穏やかな表情だった。

そのことが、かつて感じた殺伐とした雰囲気を一切取り払い、過去の彼らには似つかわしい言葉ではないのかも知れないけれど、愛に満ちた温かい雰囲気に満ちあふれていた。

個人的には恐らく初めて耳にする彼らのMC。
観客大歓声。
ハリーって、こんなに喋るんだ…。蘭丸って、こんなにお茶目なんだ…。

曲間の観客からの声援に、ちょっとはにかみながら応えるハリーと蘭丸。

ハリーが語る二人の馴れ初め。79年、俺は20歳で公平は19歳。二人でセッションとか曲作りとかしてたんだけど、年を重ねてこんな風になりました。(会場笑いと拍手)
蘭丸が語るツアーの経緯。2~3年前にハリーから蘭丸に電話が来たのがきっかけ。おお、ハリーじゃん。スゲエ。と連絡を取ったのがきっかけで、どんどん話が進んでこのツアーに繋がったんだ。LINEじゃなくて、携帯電話だぜ。格好いいだろう?(確かにクールだと思った。)

ハリー作の新曲の紹介は蘭丸から。ハリーに「新曲作らない?作ってよ。」「…うーん」というやり取りがあった後、しっかりと曲を完成させてきたというエピソード。
続いて蘭丸作の新曲はハリーから。「そんな公平は、俺よりとっくの昔に新曲を作ってきたんだぜ。みんな聴きたいでしょ?」
蘭丸「聴きたいでしょ、って。笑」
ハリー「…聴きたいだろ?」

アンコールのMCでは、蘭丸とハリーがツアーグッズ(Tシャツとマフラー)を紹介するという光景が。
蘭丸「このTシャツ、いいだろう。スタンドマイクに絡む、ハリーとジェームス!…あ、俺か。(会場大笑い)…おっと、ハリー!それは何だい?」
ハリー「マフラータオル、結構いいよ。帰りに一人1本、どう?スカーフだとちょっと暑いけどね。」
…と蘭丸から無茶ぶりをされたハリーが、観客にマフラータオルを紹介。
その直後、蘭丸がハリーに「無茶ぶりしてごめん。」と謝り、会場から更に笑いが起こる。
こういったやり取りだけでも、どれだけ会場がハートフルな雰囲気だったかおわかり頂けるんじゃないかな。

いよいよアンコール最後の演奏も終わり、二人がステージ前に立ち、ともに手を上げた瞬間、涙が溢れてきた。そしてそれは、僕だけじゃなかった。僕の近くにいた男性も女性も、みんな涙を拭いていた。

二人は、そんな観客席をずっと眺めながら笑顔を浮かべていた。

始まりがあれば終わりがあるのは当然のこと。
ライブが終わってしまうのは寂しいけれど、それ以上にただ、感謝しかなかった。
この場に居合わせ、凄いものを目の当たりにしたことへの感謝。

青森に来てくれて、ありがとう。
二人で来てくれて、ありがとう。
伝説のライブを、ありがとう。
最高のライブを、ありがとう。

何度もありがとう、と呟きながら、そっと涙を拭う。
それはまるで、25年以上前のあの日に観たスライダーズのライブで抱えた、居心地の悪さを全て払拭するかのように。

帰りの電車に間に合わないからと会場を後にし、ハリーが勧めていたマフラータオルの購入を諦め、青森駅へと急いだ。
しかし、1,500円のマフラータオルを購入せずに帰路に就いたことを、電車が動き始めてすぐに後悔した。
帰りの電車はその後もまだ何本かあったけれど、二人に会えるのは今回が最後かも知れないのに。

丸一日経ってもなお、とにかく凄いライブだった、圧巻のライブだった、という感想しか出てこない。
正味約2時間、二人が奏でるグルーブに漂いながら、あの空間にいられたことが何だか夢みたいな感じ。
伝説のライブが観られる、と期待して足を運んだが、期待を遙かに上回る内容で、放心状態に近い。
本当に凄いものを観てしまったという、まさに脱力感。

…と同時に、否応なしに幾つかの期待を抱かざるを得なかった。

彼らの歌詞には「道」という言葉がたくさん出てくるし、ライブでもそんな楽曲が数多く披露された。
これまで歩んできた35年の道、一度はバラバラの道を辿りながら、今こうしてまた一つの道を二人で歩いていることが、妙に感慨深かった。
だからこそこの先、4人が再び同じ道を歩むことを勝手に期待したい。それはつまりスライダーズの再結成を意味するのだけれど…。

もう一つは、今回演奏した新曲(と有名な未発表曲)の正式発表(→CD化なり、デジタル音源なり)。
往年のスライダーズファンはもちろん、新しいファン層が食いついてくるんじゃないか、それぐらい素晴らしい楽曲だった。
更にもう一つ、ツアーの模様の作品化。DVDでもライブCDでもいい、足を運べなかったスライダーズファンの人たちにもこのライブを共有して欲しい、素直にそう思った。

これから追加公演、更には夏フェスへの参加が予定されているとのこと。秋のビルボード含め、既にチケットもソールドアウトになっているみたいですが、足を運べる機会があれば、フェスでも何でもいいので是非あの圧巻のステージを体感して欲しいものです。(敬称略)

ケガと練習不足はごまかしが効かない #AOMORIマラソン

【トイレで読むのにちょうどいい長さ。本日も原稿用紙換算8枚にてお届けします。サッカーのハーフタイムにも、是非。】

第27回AOMORIマラソン。
実を言うと、この大会で40分を切ることが今年の一つの目標だった。

いつまで経っても越えられない40分の壁。この位置にとどまり始めてからもうすぐ2年が経つ。

いい加減この状況から脱しないと、と思っていた矢先のケガ。

自業自得とはいえ、一体この先いつまでもがき苦しめばいいんだろう、という悶々とした思いが、ずっと燻り続けていた。

とはいえ、前日の朝練で途中何度か立ち止まりながらも約10キロを走ったことを鑑みると、10キロぐらいまでならひとまず何とか走れるかな?と思い、左アキレス腱の腱鞘炎が完治していないにもかかわらず、出場を強行した。

万全には程遠い状況の中で、目標を下方修正。狙うは40分切りから45分切りへ。いや、45分はいくら何でもダメだろう。せめて42分台にとどめようよ。

大会当日の朝、足首やアキレス腱周りを入念にマッサージした後に消炎剤を貼り、その上からテーピングを施す。考えてみると、テーピングを施して大会に臨むのは、今回が初めてだった。

ソックスを履いたら、白いテープが露出した。この瞬間、「言い訳の材料」が一つできたと思った。そして、ついそんなことを考えてしまった時点で、今日の結果は望めないことを悟った。

弘前駅からいつもより1本早い電車に乗り込み、途中の浪岡駅でKさんと合流。
実は彼、僕がケガをしたまさにその時に居合わせた人物で、応急処置のためのスプレーを持ってきてくれた。

左足のテーピングを見たKさん、僕のケガを案じて「無理せばマネっす。」と声を掛けてくる。
その言葉に「うん、うん。」と頷くしかできなかった。

8時前に会場に到着。受付を済ませ、弘前公園RCのS藤さんが設置してくれたテントへとお邪魔する。

太陽はほとんど雲に覆われていたけれど、皮膚にまとわりつくようなモワッとした空気が会場内に漂っている。昨年と比較すると風も気温も落ち着いていた代わりに、湿度が相当高いことを感じた。

痛み止めの薬を服用し、アップを開始。ゆっくりと走り出すと、そんなに痛いというワケではない。試しにちょっとペースを上げてみる。

あれ?意外と大丈夫かな?

あとはアドレナリンと痛み止めの力を借りれば、何とかなりそうな気がする。

結局3キロほどジョグした後にテントに戻ると、既に大量の発汗。今日も厳しいレースになりそうだ。
レース用のウェアに着替え、他の仲間たちにも挨拶を済ませる。

9時15分、5キロコースがスタート。10キロコースのスタートは、5分後の9時20分。既に皆さん戦闘態勢は万全のようだ。ひとまず「目標:50分以内」のやや前方に並び、S藤さん、S内さん、S下さんとともに戦術を話し合う。10キロとはいえ給水も複数箇所に用意されている。今日のような蒸し暑い日は、思った以上に発汗量が増えるので、後半は給水をしっかり取ることにした。

9時20分、号砲が鳴った。やや抑え気味にスタートすると、S藤さんが先陣を切って前へ出て行く。背中を見ながら、ひとまずS藤さんをペーサーに見立てて走ってみることにした。4分前後のペースで走っているのだろうか、順調過ぎる滑り出しだ。

ちなみに今日の課題は3つ。

(1)途中で現れるベイブリッジの往復、上りでペースを落とさない。
(2)残り2キロ、堤川に架かる橋を越えたらラストスパート。
(3)最後は笑ってゴール。

スタート後には大きく引き離されたS藤さんの背中がじわりじわりと迫ってくる。

鬼門とも言える3キロ過ぎのベイブリッジ、上りに入ると更にその背中が大きくなる。風があまり感じられないのは幸いだが、海水を含んだようなネットリとした空気が、体内の水分を奪っていく。4キロ付近から下りに入り、S藤さんとの差は15メートルほどとなった。

このまま行けば、どこかでS藤さんに追いつくかも知れない…と思った矢先、まさに5キロの折り返しを過ぎた直後に異変が起きた。

突如アキレス腱に走る鈍痛。痛みが再発したのだ。ちょっと待て、今まで何ともなかったのに、急に何で?
一瞬頭の中が混乱するも、さっきの下りで一気にペースを上げたことが災いしたとすぐに悟った。給水所でペースを落とし、水を頭から被り、スポーツドリンクを一口飲む。

再びS藤さんの背中が遠くなっていく。ペースを上げようにも、痛みと怖さで上げられない。何人もの人が僕の横を駆け抜けていく。そしてその中には、S下さんの姿が。

異変が起きたことを感じたであろうS下さんに一言声を掛ける。

「S藤さんの背中を追って!」

実はこれ、自分自身への気合い入れでもあった。
復路、再びベイブリッジの上りに差し掛かっていた。折り返しを目指す後続のランナー数名から声を掛けられるが、もはや脚に気が向いているため、応答することすらできない。

ようやく橋を上りきったところで落ち着きを取り戻し、意識を集中。再度ペースを上げ始める。そして、最近練習に取り入れていた「あれ」をやってみた。「あれ」というのは、ちょっとしたフォームの改善。今はまだ会得していないので詳しくは言えないが、「あれ」をやってみたら、鈍痛が緩和されていくのがわかった。いいそ、いいぞ。

再びペースを上げてみるが、既に前を走る二人には大きく水をあけられ、とてもではないが追いつけるような距離ではなくなっていた。

残り2キロ。堤川に架かる橋では、大した高低差ではないものの、上りで再び鈍痛がぶり返し、ペースが落ちる。
でも、こんなところで心が折れたら、絶対後悔する。

再びペースを上げ、一度は先行を許したランナーたちをまた捉え始める。

最後の給水、再び頭から水を被る。もはや滴り落ちるのが水なのか汗なのか、わからない。

残り1キロのラストスパート。二人の背中の大きさは変わらないままだったが、残り300メートルでサングラスを外す。最後はとにかく笑ってゴールするんだ。結局、引きつったような卑屈な笑顔を浮かべながら、ゴールラインを越えた。

時計に手をやり、タイムを止める。文字盤を見て驚いた。何と40分30秒台で走りきっていた。
設定より2分も早いゴール。この状態で40分台を叩き出すとは思わなかった。

…でも、何かちょっともったいないことをしたな、という複雑な気持ちが途端に沸き上がった。

こういう時に「たら」「れば」は禁句だが、もしも脚の状態が良ければ、どうだったんだろう。

その場に立ち尽くすと、水たまりができるぐらいの勢いで汗がぼたぼた落ちてくる。
前日の練習も一人で大量の汗をかいて笑われていたが、今日はそれを越える量の汗だった。ついさっき海から上がってきた、と言っても、恐らく疑われないだろう。

完走証を見て、納得した。湿度83%って…ミストサウナの相対湿度が70%ぐらいらしいので、この湿度がいかに尋常でなかったかは、おわかり頂けるだろう。

楽に走れる状況ではなかった(というか、AOMORIマラソンが「楽だ」と感じたことは一度もない)し、脚の不安もかなりあった。昨年から比較すると順位も落としたしタイムも落ちた。課題も、2つしかクリアできなかった。
けれども、これだけ走ることができたということに関しては、胸を張ろうと思う。…その分、代償も大きかったけれど。

たかが10キロ、されど10キロ。こういう経験を積み重ねることが、自分の力になると信じつつ、来年は「たら」「れば」を封印できるようしっかりと準備を整えよう。
大丈夫、次は絶対に目標をクリアしてやるから。

今年も大会でお世話になった皆さん、ともに走った皆さん、そして、一緒に飲んで笑った皆さんにも心から感謝です。
本当にありがとうございました。

【余談】
合浦公園で行われた大会の後の打ち上げに参加した後、青森駅近く(次の打上げ会場)まで移動しようとバス停に向かうと、20分以上も待たなければならないことが判明。待っていられないと走り始め、数か所のバス停で足を止めるも、タクシーが全く捕まらないため、気がついたら何とNTT青森支店前のバス停まで走っていたというオチ。ようやくタクシーに乗車、次の会場へと向かいましたが、結果、酔いばかりがグルグル回り、帰路に就く頃にはかなり記憶が曖昧という最悪の事態に。次回はバスの時刻をちゃんと調べよう。