津軽という地の精神風土

マイミクの某さんから興味深いメッセージをいただきました。ありがとう。私も救われています。
皆さんは青森、とりわけ津軽という土地に、どのようなイメージを持っておられるのでしょう。34年もの間、一度も青森県の外で生活したことのない私にとっては、ちょっと興味深いところでもあります。
リンゴ、ねぶた、三内丸山、白神山地、岩木山、津軽三味線、太宰治、雪国、津軽弁…。
これらはいずれも、どちらかといえば物的イメージとして区別され、見聞によって想像のできるものでもあります。
一方、内面的な部分から見てみると、これがなかなか難しい!津軽の人は無口だといいますが、無口であると同時に、早口です(僕も相当早口です)。そして、寒い気候風土が影響しているからなのか、口を開いて多くを語ろうとはせず、短い単語だけで会話が成立するようになります。
有名なのが
「どさ?(あら、どちらへ?)」
「ゆさ(ええ、ちょっと温泉まで行こうかと)」
これ以外にも…


「か(どうぞ!)」
「ん?(何ですか?)」
「く?(食べます?)」
「ん…(いただきます)」
「け(食べて下さい)」
「ん(ありがとう)」
「め?(おいしいですか?)」
「め(おいしいです)」
言葉が短くても、こんな会話が成立してしまうのです。
こんな津軽の風土精神文化を指すものとして代表的なのが、「じょっぱり」という言葉です。
これは、「強情っぱり」を語源とするといわれていますが、言わば気持ちを内面に秘めた頑固な人、つまり星一徹のような人のことを指す言葉です。でも、最近では「あの人はじょっぱりだなぁ」という人は見かけなくなってきましたし、「じょっぱり」という精神、そして言葉自体も消えつつあるような気がします。
代わりに最近特によく見かける人種。
同じ「パリ」でもこちらのパリはいただけません。
津軽のもう一つの精神風土として忘れてならないのが、「足フパリ」です。「出る杭は打たれる」とは言われますが、打たれるどころではありません。こちらでは出る杭は足下から根こそぎ引っこ抜かれます。もう、浮上できないところまで落とされる人もいます。それが、津軽の「足フパリ」です。ですから、足フパリに遭わないためには、まるで神様のような存在まで自分を高めるか、自分が足フパリになるしかない、そんな感じです。
選挙が行われています。例えば某村では、支持した人が村長にならないと、4年間はメシを喰うのもやっと生活を強いられるとか。特に公共事業に携わっている人にとっては、選挙の結果が死活問題に繋がるといいます。「津軽選挙」と呼ばれる特殊な文化が、根強く残っているのです。
そういうことを露骨にやるのが、津軽の「足フパリ」なのです。
新しい風は、最初もてはやされても、やがてかき消されます(弘前駅前からダイエーが撤退します)。
新しい文化は、興味を持たれても根付くことはなかなかありません(真冬に浴衣を着てねぷたを引っ張るくらいですから)。
その代わり、他人の真似ばかりをするのも、津軽人の気質だと思います(中途半端な屋台村や、よさこいソーランが典型例)。
長い物にはすぐに巻かれます。持論やポリシーなんて、すぐに変質します(多くの政治家を見ているとわかります)。
数の論理に敏感です(赤信号もみんなで渡れば怖くないようです)。
変わり者は弾かれます(NPOが根づきません)。
ゴシップが大好きです(根も葉もない噂がいつも飛び交います)。
ギャンブルも大好きです(農漁業だって、ある意味ギャンブルです)。
そして何よりも、これらのことに気づいていません。そういう意味では、津軽の人たちは、幸せです。
かなりネガティブな視点から津軽を分析しました。ただもう一つ付け加えなければならないのは、みんながみんなこういった精神の持ち主ではないということです。それだけは、誤解しないで下さい。
最後に。
抜本的な解決には至っていないけれど、ヤマは越えました。ヤマを越えたら、ちょっとだけ光が差し込みました。でも、その光だっていつまた消えるかわからない。生きていくって、難しいですね。

2 thoughts on “津軽という地の精神風土

  1. きっこ

    んだっすなぁ、、同感、同感。
    あの、後ろ向きな空気とか閉塞感が嫌で嫌で、仕方なかったわぁ。盛岡に出発の朝、とても晴れ晴れしていたのを覚えています。そして、盛岡にきたら、逆に、あまりにも・・・(ナイショ)で、いぢめてやりたくなりました(笑)それでは、津軽を出た意味が無い!!と反省したけんど。

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  2. nonvey

    正直言うと、南部地方の風土はもっと苦手です(笑)。八戸で暮らした二年間、津軽人としての気質を忘れかけるくらいでした。腹の探り合いをしているみたいで、きつかったぁ。

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