33→34

34歳になりました。青年と呼ぶには遅すぎ、中年と呼ぶには未だ早い。そんな微妙なお年頃です。
というかこの年にもなると、誕生日を迎えたからといってお祝い気分にもなれず、むしろ何の成長もなく無意味に年を重ねていくことに抵抗すら感じるのも事実。気分的にはまだ若いつもりですが、思考と行動は老人並みらしいですから。
確かに、つい数年までは体力的にも大丈夫だと思っていたのが、最近ではすぐに息が上がるようになったり、酒量が格段に落ちたり、髪の毛が何となく細くなったり、電車の中に空いている座席を探したり、「嗚呼、年を取ったんだなぁ」と思うことがよくあります。
34という年齢は、若いのでしょうかそれとも中年の部類なのでしょうか。


ここで話はガラリと変わるのですが、最近自分の中で、「死」を意識する機会が多くなりました。もっとも、一度死にそうな苦痛を経験していますから、それ以降潜在的に「死」は意識の片隅にあったわけですが、そんな自分の体験から、死とはなんと恐ろしく苦痛を伴うもの、と考えていました。自分はおろか他人の「死」さえ受け入れられずに悶々としていたのが、妻の祖母、そして父の大事な友人の相次ぐを目の当たりにし、気がつくと徐々にそれを受け入れられるようになっていました。
とはいえ、別に自殺を考えているとかそういうことではありません。一時期集団自殺が立て続けに起きましたが、ああやって死んでいった彼らは、さながら白虎隊気取りだったのでしょうか。いかなる理由があるにせよ、あんな理不尽で自分勝手な振る舞いだけはしたくないと思っています。
理想の死に方。文藝春秋1月号でも取り上げられていましたが、その中で、ダライ・ラマ14世の言葉が非常に印象的でした。

「死を思うな。考えるな。そして、現実に死が迫ったなら、酒でも飲み、残された時間を楽しめ。やがて人生とともに恐怖も終わる。」

理想の死に方というのは、こういうことを言うのでしょうか。
僕にとっての理想の死に方。それは
眠ったまま人生を終える。
これに限ります。
そして願わくば、万歳三唱であの世に送り出して欲しい。みんなから「ありがとう」と言われながらこの世を去りたい。
34歳。この世に生まれたことを悔いないような人生を、これからも送っていきたいと思います。

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