Monthly Archives: 6月 2016

さようなら、ハナ

3分の1の欠落。一度は覚悟を決めていたので、そんなに辛くないハズだと思っていましたが、やはり辛いです。

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我が家で一番の古株だった愛犬ハナ(♀・16歳)が、6日午後9時45分、静かに息を引き取りました。
先日の脱走騒動からちょうど1週間。まあ、最後の最後にやりたいことがやれたんだから、それはそれで良かったのかな…。
彼女の生き様は、脱走に始まり、脱走に終わった、そんな感じです。別に逃げる必要なんてないのに。

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6日の夜、何か胸騒ぎがして20時30分頃に帰宅すると、ハナは既に骨が浮き上がった身体を自分の脚で支えることができず、這いつくばったような格好で、か細くなった声を絞り出し、吠えていました。それは、今まで僕が見たことのないハナの姿でした。既に目の焦点が合っていないような感じで、水も食事も受け付けてくれませんでした。
その日の朝家を出る時には、こんな姿になっているとは想像もしていませんでしたので、あまりの急激な衰えぶりに、少し狼狽してしまいました。人間の年齢に換算すると、犬の場合3年目以降は4歳ずつ年を取るといわれていますが、衰える時も同じスピードで衰えていった、そんな感じです。
その姿を目の当たりにし、僕はいよいよ「その時」が近いことを悟ったものの、それからわずか1時間後、ハナはあまりにもあっけなく旅立ってしまいました。妻が帰宅して程なくのことだったので、それだけがせめてもの救い。多分、帰ってくるのを待っていたんだろうな。

徐々に吠える声が聞こえなくなるとともに呼吸が大きく深くなり、最後はピンと伸ばした四肢から、まるで残された魂の糸が1本ずつ抜き取られるように3度深呼吸、そのまま全身の力が抜け、息を引き取りました…。七転八倒して苦しむようなこともなく、本当に穏やかな最期でした。残された他の2匹も、まるでその時を見守るかのように、静寂な時間が流れていきました。

彼女に変化が現れたのは、今年に入ってからだったかな。普段寝床にしている2階の階段から転げ落ちたのが、一つの転機でした。足腰が徐々に弱くなっている兆候はありましたが、その日以来、階段の上り下りは危ないということで彼女を2階に上げるのをやめ、1階の居間で僕と一緒に寝るようになりました。

土曜日ともなると、ランニングクラブの朝練から帰ってくる僕を待っていて、クールダウンを兼ねて「町内パトロール」と称した散歩に連れ立っていました。時には2キロ以上を平気で歩くので、僕は勝手に「散歩マスター」と呼んでいました。

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しかし、その頻度も徐々に減り、5月中旬にやっと散歩をしたのが最後となりました。
たかが犬。されど、犬。室内犬として飼っていたこともあり、寝食を共にしていたようなものなので(食事の内容はもちろん違いますが)、ペットというよりは家族に近い感じ。飴と鞭を使い分けていたわけじゃないけど、叱る時は叱り、褒める時は褒める、ということを心掛けたつもりではありました、が…。
晩年はどうしても徘徊癖や痴呆の気配が見られて、その姿に声を荒げることが多かったかも知れないです。多分それは、その状況からハナを救い出して上げることができない、自分自身に対する憤りだったのかも知れないし。
こういう言い方は良くないのかも知れないけれど、これからやらなければならないであろう、介護の練習というか心構えを身に付けさせてもらったような感じ。

脱走騒動を起こしたのが5月30日。家に帰ってきたのが、6月1日。それからわずか5日で旅立つなんて、あまりにあっけないというか、ちょっと先を急ぎ過ぎですよね。そりゃないぜ、ハナ…。でも、全員で最期を看取ることができて、正直ホッとしているところもあります。最期までハナらしさを貫いたというか、なんというか。脱走した時点である程度の覚悟もできたので、取り乱すこともなく冷静に最期を受け入れることができました。まあ、ハナにとってそれが本意だったのかどうかは、知る由もないのですが。

目がクリッとしていて小型だったので、散歩に行くと、色んな人からよく「可愛い!」って声を掛けてもらいました。しかし、他人から触られることは大人だろうと子どもだろうと絶対ダメ。手を近づけた途端に牙をむき出しにして、警戒心をあらわにし、美人がすっかり台無し。美人なんだけれど、ハッキリ言ってツンデレの性悪女。まさにツンデレラ。臆病なくせに虚勢を張る、気分屋。飼い主に似て、ひねくれ者。

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…でも、憎めないんですよ。いい犬だったんですよ。毛艶も良くて、変な話ですが年齢を感じさせない犬でした。

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実は僕、小さい頃のトラウマがあって、それまでは犬があまり得意じゃなかったんです。だから最初うちでハナを飼うことになった時に、心の底から賛同できませんでした。あの頃は、猫が一緒に住んでいたからね。でも、不思議なぐらい仲良く共存していたハナと猫たち。その後2匹の猫がいなくなると、うちは犬3匹に占拠されることになりましたが、気づいたら僕の犬に対するトラウマも完全に払拭されていました。

何の因果か、初めて写真展に出品した一枚に、彼女の写真を入れておいてよかったな、と思っています。彼女の美形をみんなに見てもらうことができたしね。

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思い出は尽きないけれど、今はただ、安らかに眠って欲しい。それだけです。大丈夫だ、ハナは独りじゃない。虹の橋の向こうで、みんなが待ってるよ。
僕らもハナのことは一生忘れないし、忘れるわけがないから。
約16年間、うちの家族でいてくれて本当にありがとう。楽しかったよ。美人薄命っていうけど、あれウソだね。ハナは美人だったけど、16年も生きられたんだから。

今はまだ、心の中に穴が空いたような感じですが、徐々に埋めていこうと思います。
ハナのことを気に掛けて下さった皆さん、今まで本当にありがとうございました。心から感謝申し上げます。

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まあでも、家族で最期を看取るという、飼い主としての最低限の役割は果たせたのかな、と思っています。ここ1週間はちゃんと眠れなかったこともあり、僕も今は少しゆっくり休みたい、というのが正直な気持ちです。ただ、うちには3分の2、あと2匹要介護犬がいるんだよね。メソメソ寂しがっている場合じゃないんだよな。うん。

【盛会御礼】青森●日の丸扇子隊Presents プリンス追悼会を開催しました。 #Prince #RIPPrince

時々思うことがあります。
同じ日本の中で、青森っていったい、どういうイメージを持たれているんだろう、って。
どちらかと言えばネガティヴな印象の方が強いんですかね。
寒い。遠い。田舎。日本語が通じない。実は円が使えない。そもそも何もない。人間が暗い。テレビがない。ラジオもない。お巡りさんが毎日グールグルしている。
…うん、半分は当たりかな。完全に外れもいくつかあるけどね。
そりゃ都会となんか比較にならないのかも知れないけれど、でも、青森じゃなければ味わえないものだって、たくさんあるんだぜ。

4月21日に衝撃のニュースが世界中を駆け回ってから、日本国内でも追悼に向けた様々な動きがありました。過去の映画の映画館での再上映、プリンス・パーティー(通称「プリパ」)と呼ばれるイベントの開催をはじめとするファンの集いが最たる例。
でも、それだけのために青森から足を運ぶというのは、実は結構大変なのであります。それは、時間的にも金銭的にも。…だったら青森でやればいいべ。うちらには土台があるべ。

なぜ仙台でもなく札幌でもなく、青森なんだろう、と訝しがる声が聞こえてきても不思議ではありません。
所詮は青森、たかが青森で何ができるっていうんだ?
数の中には、そういう見方をされていた人だっていたかも知れません。
MCを置かなければならない?DJがいなければならない?ダンススペースがなければならない?
いやいや、そんなことはないでしょう。その気になれば、誰かの家にファンが集まって彼について語らう。僕はこれでも十分「イベント」として成立していると思うんです。

彼が亡くなってすぐに、プリンスの誕生日の直近の休前日である6月4日の土曜日にこの企画をやろうと思いつきました。僕たちにとってプリンス最後のライブとなった仙台で一緒だった佐藤さんと舘山さんに声を掛けたところ、水面下で話がトントン拍子で進んでいきました。

「プリパとはこうでなければならない」という定義は、所詮あってないようなもの。だから思ったんです。
うちらはうちらがやれる内容、楽しめる範囲でやろう、と。それが「AOMORI Style」なんだ、と。そしてどうせならば、他ではなかなかマネのできない内容にしてやろう、と。

三人寄れば文殊の知恵ですよ。…自分で言うな、ってな。
僕はFacebookにイベントページを立ち上げ、絶対に来ることができないであろう全国のファン(それぞれの発信のツールを持ち、かつプリンスファンの間でも有名な方々)も含めて招待。あれから10年以上の月日が経ち、実は青森県内に熱いファンが潜在的にいることを、僕は知っていました。だから、そういう方々にも是非来ていただこう、と。
佐藤さんはイベント全体の企画と構成に着手。何やら色々仕掛けを考えたようです。
この日会場を貸してくださることになった、青森市安方にある「大衆酒場コンフィ」の店主でもある舘山さんは、当日提供する料理メニューの検討に着手。
僕は、小出しに情報を発信しながら、見ず知らずの人が単独でやってきても楽しめるような雰囲気をどう作り上げればいいかを考えつつ、国内外から追悼本などの入手に着手。

この間、TUNAさんやDr.FことTakkiさんには本当にお世話になりました。この場を借りて御礼申し上げます。

さて、こうしてそれぞれがそれぞれの思惑で作業を進めていった結果、何とか開催日を迎えたわけですが、前述のとおりDJもMCもいないイベントは、果たしてどうなったのでしょう。
では、これが青森なんだよ、というのをご覧いただきましょう。

DSC_0479(壁一面プリンス)
DSC_0480(追悼本など。一部は販売。)
DPP_0005(トイレのディスプレイ)

DPP_0009(ワイングラスと、アフロ)

まず、参加者は13名で全員青森県人。女性3名男性10名という構成でしたが、個人的には女性3名の行動力とバイタリティに圧倒されました。造詣が深すぎます。オレの知らないプリンスをたくさん知っておられた。ちなみに青森県にはもっとディープなファンがいます。でも、なかなかこういう場には出てこないので、こちらから押しかけてやろうと思っていますが。

19時過ぎに佐藤さんが開宴を告げ、僕から今回の経緯と青森●日の丸扇子隊の馴れ初めとこれまでの歩みを簡単に説明した後、村岡さんの発声により、不謹慎ながら声高らかに「献杯!」とグラスを天に掲げ、宴が始まりました。

基本的にはお手製の超(?)大型スクリーン(といっても白い模造紙を張り合わせたもの)に、佐藤さん編集のDVDを投影し、それを観ながら飲んで食べて談笑する、という感じ。無心で汗だくになってダンスすることもなく、まさに彼に対する思いをそれぞれが語らうという場になりました。

そして、これぞ「AOMORI Style」。
舘山さん考案の料理はなんと、全てプリンスの曲名が付いています!ほかの地域の皆さんには申し訳ないけれど、これはなかなか真似ができるものじゃないと思います。ちなみにこの日の会場としてジャックした「大衆酒場コンフィ」は女性客も多い人気店で、なんとこの日の貸切りのせいで、約25名の予約を断ったそうな…本当に申し訳なかったです!
ちなみにこれからその料理をご紹介しますが、そのほとんどがメニューにない料理ばかりだということで、まさにワン・アンド・オンリー!
それでは、舘山さん渾身の料理を、ご本人の解説とともに紹介します。

【CREAM】
白レバーのクリームペースト&クリームチーズとアンチョビのディップ。
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【KISS】
紫色のセロリのピクルス。紫キャベツの色素をワインビネガーで抜いてセロリを漬け込みました。
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【7】
7種類の有機野菜とイタリア産プロシュートのサラダ。
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【Endorphinemachine】
覚醒系ガーリックシュリンプ。滋養強壮に良い沖縄の紫芋のお塩を使いました。
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【Mountains】
むつ湾ベビーホタテの瞬間スモーク パープルスティック(紫人参)のマリネと パープルスプラウト添え。
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【Batdance】
骨付きチキンのコンフィ&紫マスタードソース。小悪魔風のソースをカシスマスタードでアレンジ。
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【Raspberry Beret】
洋風モツ煮込み。5種類のトリッパ(モツ)をラズベリーとデミグラスソースで柔らかく煮込みました。
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【Paisley Park】
ガーリックトーストをペイズリー柄に見立てました。
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【Purple Rain】
ドライ紫蘇パウダー、紫玉ねぎ、紫キャベツと紫色に染めた昆布を使った和風パスタ
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今回はエントリー料が5,000円と、他の地域にはないぐらい高めの価格設定だったのですが、なぜ高かったのか、これらの料理の質でお分かりいただけたのではないかと思います。むしろ安いぐらいでしょう?

19時にスタートし、結局23時近くまで騒いでいたんですかね、なぜか普通であればどこかの家で観るような結婚式の余興DVD(でも、これがみんな大爆笑だった)を観た後、最後はTUNAさんから提供されたDVDを観ながら、この日の宴に幕を下ろしました。(…といってもその後、2次会の会場となったソウルバーに10名も押しかけ、午前2時頃まで飲んで語っての大騒ぎでしたが。)
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僕らはイベンターではないし、所詮は素人集団。だからこそ、どちらかと言えば参加した皆さんが和気あいあいと楽しめる環境、場の雰囲気を作り出し、僕らも一緒に楽しみたいと考えていました。お手製のポスターを持参したり、書籍やCD、DVDを持ち寄ったり。最初から手探りの中で始めた今回の企画でしたが、終わってみると参加した皆さんが楽しんでくださったようで、それだけでも十分なんじゃないかな、と思いました。

「青森で何ができるんだ?」と思われた方も、きっと一部にはおられたと思いますが、どうでしたか?いい意味で期待を裏切られたでしょう(笑)。まあ、青森はいつもこんな感じです。きっとこれからも、この姿勢は変えない、変わらないと思いますし、こんな感じでやるんだと思います。しつこいけどもう一回言います。これが青森なんです。It’s AOMORI Style なんです。
次回はいつになるのかわかりませんが、興味がございましたら、是非一度遊びにいらしてくださいね。お待ちしてまーす!

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【いよいよ明日開催】青森●日の丸扇子隊Presents プリンス追悼会

NHKより。

ことし4月に亡くなった歌手、プリンスさんの死因について、アメリカの検視当局は、鎮痛剤などとして使われ、日本では麻薬に指定されている薬物フェンタニルを過剰摂取したことが原因だったと発表しました。

世界的に活躍した歌手のプリンスさんは、ことし4月、アメリカ中西部ミネソタ州の自宅で亡くなっているのが見つかりました。
死因について、地元の検視当局は2日、鎮痛剤などとして使われる薬物フェンタニルを過剰摂取したことが原因だったと発表しました。フェンタニルは、医療現場で鎮痛剤や麻酔薬として使われる薬物で、効き目が強く、日本では麻薬に指定されています。
プリンスさんは亡くなるおよそ1週間前、体調不良を訴えて医療機関に運び込まれ、代理人などは「インフルエンザが原因だった」などと説明していましたが、薬物の過剰摂取を疑う声が上がっていました。
アメリカでは、医療用の麻薬の乱用が大統領選挙に向けた候補者選びでも議論されるなど、大きな社会問題となっていて、今回、プリンスさんが薬物の過剰摂取によって死亡したことが明らかになったことで、薬物の規制を巡る議論にも影響を与えそうです。

ああ、そうですか。だから、何?といった感じ。あまりに痛いのでついつい鎮痛薬をたくさん飲んでしまった、そうしたら命を落としてしまった。…感情のこもっていない言い方かも知れませんが、端的に言えばそういうことですよね。
ここぞとばかりに「日本では麻薬に指定されている」というのをやたらと強調しているのが、凄く気分悪い。プリンスの死をネタに大統領選の議論にするって?ジョーカー…いや、何とか候補には語って欲しくないですな。実に感じが悪いぞ国営放送。

それともあれですかね?
「プリンス=ジャンキー」だというイメージを植え付けたいのかな。
だとしたら違いますよ。

「プリンス=ファンキー」。言葉を取り違えないように。

さて、なぜか青森という地で行われるプリンス追悼イベントが明日に迫りました。主催者の気合いがハンパなく、非常に個性的かつ特徴的なイベントになりそうです。それが青森らしいかどうかは、ともかくとして。

例えばアレとか、ナニとか、××とか、もう言いたくてウズウズしているんですが、明日のイベントが始まるまで絶対言いません。恐らくこういうのは、全国には他に類を見ないんじゃないかと思っています。
「青森、すげえじゃん!」というよりも、「青森のイベント、次は行きたい!」と思わせるような、そんなイベントになることを個人的には願っています。

ちなみに私はといえば、一応主催者の一人に名前を連ねていますが、強いて言えば裏方の文芸部門担当、みたいなものです。_20160524_224112

実のところ、主催者となっている3人はメッセンジャーでしかやり取りをしていないため、一体どんな会場になるのかは、当の本人それぞれの頭にしか入っていません。
なので、とんでもなくショボいものになってしまうのかも知れないし、単なる雑多なものになってしまうのかも知れないし、とんでもなく凄いものになってしまうのかも知れないし。
プリンスを勝手に応援する「青森●日の丸扇子隊」は、今まで内輪で2度集まったことがありますが、実はこういう改まった企画は今回が初めて。いや、改まったと思っているのは私だけかな…。

とにかく蓋を開けてみなければ分からないということで、プリンスの音楽が流れているオシャレな大衆酒場での語らいに期待よりも不安で一杯ではありますが、参加した皆さんに「また集まりたいね!」と感じていただき、そして、参加しなかった皆さんに「参加すれば良かった!」と地団駄を踏んでいただく、そんなイベントになることを期待しつつ。単なる内輪ウケになることだけは避けないと…。

会場:「大衆酒場コンフィ」(青森市安方2-17-8)
時間:19時スタート(予定では3時間程度)
会費:5千円(状況によって追加の可能性あり)

※会場は完全貸切、入場は完全予約制のため、当日突然の参加は御遠慮下さい。どんなものなのか参加してみたいという方は、4日午後12時までコメント又はメッセージ、プリーズ。
メッセージの送信先

ハナの脱走顛末記

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ハナ(雑種・16歳・♀)。我が家に貰われてきてから15年は経つだろうか。まだ小さく耳も立っていない頃はとにかくイタズラが大好きで、床に置いてあるものは何でも噛むという悪いクセの持ち主だった。テレビのリモコンにMDプレーヤーのイヤフォン、スリッパ、携帯電話、新聞など、破壊されたものは数知れず。ただし、人間に歯を剥けないことだけが唯一の救いだった。

走り回るのが大好き、散歩も大好き、でも実は臆病者。トイレのしつけや「お手」「おかわり」「待て」といった一通りの動作を覚えたが、実は従順のかけらもない、気分屋。嫌いなものは、雨と雷と、獣医。
以前、狂犬病の予防接種をした時、まるでこの世の終わりとばかりに絶叫し、周囲を呆れさせたことがある。

うちに貰われて来て早々に脱走事件を起こし、翌日、隣にあった蕎麦屋に「迷い犬」の貼り紙が出されていたのをきっかけに、何度脱走したか分からないぐらい脱走事件を起こした。
印象に残っているのは、脱走した小さい頃に道路の真ん中を疾走し、クラクションを鳴らされまくりながらサンダル履きで追いかけたこと、そしてほぼ1週間丸々脱走を図り、雨に打たれるのがイヤになったのかこっそり帰宅、開けていた玄関から家の中に入り、仏壇の前で何事もなかったかのごとくちゃっかり寝ていたこと。

しかし寄る年波には勝てず、次第に老化が始まり、今年に入ってからは、あれほど好きだった散歩にも行かなくなってしまった。

それに呼応するかのように足腰はどんどん弱まり、やがて耳もほとんど聞こえない状態に。お陰で、大嫌いだった雷鳴が耳に入らなくなったのは、不幸中の幸い。視力も衰え、自分の餌入れや水やりの瓶に足を突っ込むこともしばしば。
そしてそれは、トイレにも影響を及ぼすこととなり、粗相の頻度も増えていった。あちらこちらに頭をぶつけながら歩いたり、夜中に徘徊したり(しかも寝ている僕の顔を踏んづけていくこともある)、もはや完全なる介護犬状態。
食もどんどん細くなり、すっかり痩せこけ、薄い皮膚に骨が浮き出るぐらいになってしまった。
まあ、仕方ない。あとは残り少ない余生を過ごして貰おうと…思っていた矢先に、事件は勃発した。

5月30日。夜に来客があるため、定時で仕事を切り上げ、帰路に就いた。先に帰宅する母にその旨を伝え、応接間の整理をお願いした。
帰宅すると、母が青ざめ、狼狽していた。

「ハナが…。ハナが逃げてしまった…。」
「え?…えーっ!?」

母は、ハナが入って来ないように柵を立てて応接間の整理をし、玄関を開けて空気の入れ換えをしながら、車に置いたままの荷物を取りに行き戻ってきたところ、ほんの僅かな柵の隙間から外に出て行ってしまったらしい。
そして、母が気づいた時にはハナの姿はなく、既に時遅しだった。

慌てて家の外に出て周囲を探してみるが、既に暗くなり始めており、ハナの姿は見えない。聞き耳を立ててみても、物音一つ聞こえない。
さて、どこに行ったんだろう…。名前を呼んでも、耳が聞こえないので声が届くはずもなく、最悪の事態(例えば、フラフラと道路に出て自動車に轢かれてしまうといったこと)も頭をよぎった。
…だが待てよ。あの弱った足腰で、遠出ができるはずがないのだ。

そういえば最近、やたらと狭いところや暗いところを見つけてはそこに行きたがるという一連の行動をふと思い出した。
近所の猫と一緒に、家の軒下にでも潜り込んでしまったのだろうか。
いや、ひょっとして死期を悟って人目のつかないところにでも行ってしまったのだろうか…。

20時頃、僕は何事もなかったかのように来客の対応をしていたが、まさに気もそぞろ、といった状態だった。
来客が帰宅後、母は独り居間で噎び泣いていた。

「私が気をつけていれば、こんなことにはならなかったのに…。ハナに本当に申し訳ない…。」
母は涙と鼻水を流しながら詫びるが、もう起きてしまったことは仕方がないのだ。

「そんなことを言っても仕方がないじゃない…。」
母をなだめるにも、次の言葉が出てこなかった。
来客をこの時間に招いたのは、他ならぬ僕なのだ。だから元を正せば、僕が来客を呼ばなければ、こんな事態にはならなかったのだ。誰も責めることはできない代わりに、母と僕はそれぞれ自分自身を責めていた。

結局その夜は、玄関を少しだけ開けたままにし、ハナがいつでも帰ってこられるようにした。ちょっとした物音で目が覚めた。夜中に何度も目が覚め、玄関を見てみる。しかし、ハナの姿はなかった。
結局朝4時に起床、まさかと思いジョギングがてら周囲を見てみたが、当然ハナの姿を見つけられなかった。電線の上で鳴くカラスの姿に、怯えた。

31日の午後は雨の予報だった。ハナは雨に濡れるのが大嫌いだ。帰ってくるとすれば、このタイミングしかないと思った。予報通り午後から雨が降り出した。しかも、弘前市内はかなり激しい雨脚だったようだ。

夕方、母からの「朗報」を期待したが、結局電話もメールも来なかった。青森市内も19時頃にはそれまで降っていた雨が上がったようだ。
やはり、ハナはもう最期を悟っていなくなってしまったのだろう。もはや万事休す。もう、ハナのことは諦めるしかない。気持ちを早く切り替えよう…。

この日は残業していたのだが、19時50分過ぎにふと、スマートフォンに着信があったことに気がついた。
母ではなく、妻からだった。悪い予感がした。

こちらからかけ直す。いつになく暗い声の妻が電話口に出た。
「やはり、そうだったか…。」
と、こちらから話を切り出す前に、妻が突然切り出した。
「ちょっと!保健所のホームページに、迷い犬でハナが出てる!ハナ、生きてるよ!」
僕が耳にしていたのは、いつになく暗い声ではなく、上ずった声だった。キツネにつままれたような気分だった。

「わ、わかった。すぐ見てみる!」
すぐに電話を切り、動物愛護センターのホームページを見る。「迷子動物」の一番上に、うなだれたハナらしき犬が掲載されていた。
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(画像をコラージュしています。削痩の文字が切ない…。)

「ハ、ハナ…。生きていてくれたか!」
思わず涙が零れ、鼻水も垂れそうになるのをグッとこらえる。

程なく帰路に就き、スマートフォンに出るハナらしき姿を何度も確認する。ハナに間違いない。発見(捕獲)された場所は、家から600メートルほど離れた隣の町内。
そういえば以前ハナと散歩していた時に、「この犬、前にうちに迷い込んできたことがあったよね?」と言っていた家族がいたのを思い出した。その家の隣では、老犬2匹が飼われている。ハナは、散歩で何度も通っていたそこを訪れていたらしい。そして今回も、恐らくハナはそこまで歩いて行ったのだろう。そして、すっかり痩せこけたハナを見かねたその家族の誰かが、保健所に通報してくれたのだろうと考えた。

いずれにしても、妻がそのサイトを見なければ、ハナが保護されたことには誰も気がつかず、ハナは家の軒下かその辺で息絶えた、と決めつけていたはずだ。

先入観というのは、実に恐ろしいものだと思った。
帰宅すると、母がまた目を真っ赤に腫らしていた。妻から母にも情報は届いていたらしい。
「良かった…。本当に良かった。明日、必ず迎えに行く。」

実は一つ、身震いするような情報を目にしていた。

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ここに記述されているとおり、犬を保護した場合、「狂犬病予防法」の規定に基づき、犬を捕獲(保護)した場所を所轄する市町村又は保健所が、2日間のみ公示すること。そして、公示期間満了後1日以内に飼い主が犬を引き取らない場合、処分できることとされていること。
つまり、保健所で保護された後、最短3日で「処分」されてしまう、ということになる。

今回は偶然、妻がホームページを見てハナが保護されていることに気づいたが、もしもこれに気づいていなければ、我々はまだ生きられたはずの命を縮めてしまった、ということになる。

ふと頭をよぎったのは、7日間に渡って彷徨っていた時のこと。あの時は、ハナが家の周辺にいるのを見ていたのであまり気に留めていなかったが、万が一どこかのタイミングで保健所に保護されていたら、ハナはもうこの世にはいなかったかも知れない。

財布や大事なものを紛失した時にはすぐに警察に届けるが、大事なペットが行方不明になった時にはすぐに保健所に届けるべきだということを、強く強く感じた今回の出来事だった。

さて、ハナは無事に帰還し、何事もなかったかのようにまたウロウロし始めている。
これが今の我が家にとって、当たり前の光景なのだということを感じながら、最後までしっかりと看取ってあげようと思う。
それが、動物を飼う者の責務なのだから。


最後に、今回の騒動に巻き込んでしまった皆さん、監督不行き届が招いたこのような事態に、私たちも深く深く反省しています。ハナは何も悪くありません。本当に申し訳ありませんでした。