Category Archives: 地元の話

公共交通機関としての路線バスを考える

今日は、ちょっとだけ真面目ぶったお話。
突然ですが皆さん、最近いつ路線バスを利用したか、覚えていますか。
僕もかれこれ2か月ぐらい利用した記憶がありませんが、実のところ僕の身近なところでは、多くの方が「いつ利用した記憶がない」ぐらい路線バスを利用されていないのではないかと思います。

「路線バス」と聞けば僕はまず、太川陽介と蛭子能収のゴールデンコンビがパッと目に浮かぶわけですが、あの番組を見ていても、とりわけ地方の山間部や県境付近に行けば行くほど路線が繋がっていなかったり、運行時間がとんでもなく間延びしていたり、民間主体の路線バスではなく行政主体のコミュニティバスが運営されていたりするのが実態で、かなり苦労しながら旅を続ける姿が放映されていますよね。(…って、皆さんあの番組をご存じだろうか。)

車社会と言われて久しい昨今、道路がどんどん整備され、マイカーでの通勤はごく当たり前のこととなり、ご子息の通学の送迎、そして夜の塾の送り迎えにもマイカーを用いる、そういう方が多くなったのではないかと思います。(…うちらの頃は考えられんわ。)

路線バスは公共交通機関の一つではあるとは言うものの、実際のところは人口減少や車社会の発達により、利用者数はどんどん下がっているのが現状。特に地方に行けば行くほど苦戦を強いられているようで、青森県内においても先月、南部地方のバス会社が民事再生法適用の申請を行い、岩手県のバス会社に事業譲渡することが明らかとなりました。

同じ公共交通機関でありながら、鉄道とバスが大きく異なるのは、鉄道網の場合は動脈のような役割を担う一方、路線バスは毛細血管のような役割も担わなければならないということ。
そして、恐らく路線バスを利用しない一番の理由は、その必要性がないから、ということに尽きるのかも知れませんが、前述の毛細血管の末端に行けば行くほど、地元の足として存続させなければならない、という言葉を耳にします。不採算路線であろうとも、じゃあ実際どれだけ利用されているかというと、さて…ということにもなりかねないわけですが、一方で、その末端に近い路線でこそ黒字をはじき出している、ということがあるようです(弘前市内では、そういうデータが過去に示されたことがあります)。なので、郊外の方だからバスに誰も乗らない、というのは大きな誤解であることは、一応付しておきたいと思います。

僕は専門家ではありませんが、一般市民の見地から、これからの路線バスがどうあるべきかを少し考えてみたいと思います。

昨年4月、僕の家のすぐそばを走るバス路線が、事実上廃止されました(朝6時台に弘前駅へ向かう1便のみ運行)。弘前駅を出発し、市中心部の土手町を抜け、大学病院、弘前市役所の前を通り、僕の卒業した中学校の前を通ってから再び弘前駅へと向かう、循環型のバス路線でしたが、特に日中の利用者はほとんどないような状況が続き、とうとう廃止となってしまいました。廃止後は近くを走る路線バスの一部ルートを変更して代替性を保っているようですが、見たところこちらの乗車率も芳しくないようです。しかしながら、前述の通り毛細血管的なルートでもあることから、路線廃止までには至らないようです。

なぜバスが利用されなくなったのかというと、
・そもそも自分が行きたいところまで行かない
・バス停に行くまでが面倒
・時刻どおりに走らないし、渋滞などに巻き込まれ、時間を要する
・料金が高い

などといったことが挙げられると思います。実際、うちの近所を走っていた廃止路線は、市内を遠回りしながら走ることとなるため時間を要しており、僕も路線バスを利用する時は、家から100メートルもない至近距離にあるバス停ではなく、約500メートル離れたバス停まで歩いていました。(実際そちらのバス停を通過する路線の方が本数も多い。)

ちなみに。
弘前駅を出発して、僕の家から500メートル離れたバス停を通るバスの最終便は、21時35分発。20時42分に青森を出発する電車に乗車すると、このバスにちょうど間に合うという計算になりますが、実際のところ最近では、よほど悪天候の時以外はほとんど乗車することがなくなりました。なぜなら、弘前駅に電車が到着した直後に歩いて家に向かうと、大体このバスに追い越されるのが、僕が下車するバス停のすぐ手前だからです。直線距離にして約2キロ、弘前駅からこのバス停までは210円。回数券も持っていますので、バスに乗ってくればいいじゃない?と自分でも思うのですが、酔い醒ましも兼ねて歩く、ということに慣れてしまうと、バスに乗車するきっかけって減ってしまうものなのです(…というバスに乗らない言い訳)。一時期22時台のバスが運行されていたことがあり、そちらは青森市内での飲み会の後でちょこちょこ利用していましたし、乗客数もそれなりにいたように見受けられたのですが、あっという間に廃止されてしまいました。まあ、運転手の負担や採算を考えた上での廃止だとは思いましたが、タクシーのように割増料金を取っても運行して欲しかったなあ、と思うことがあります。(ちなみに駅から家までタクシー利用だと1,100~1,300円程度)

信号や道路事情など、様々な要因で遅れてしまう。それが路線バスの常であります。
他方、鉄道路線の廃止が取り沙汰され、その代替案としてバス運行を提案しても、地域住民は頑なに鉄路にこだわろうとします。

東日本大震災で大きな被害を受けたJR大船渡線や気仙沼線では、一部区間においてBRT(Bus Rapid Transit, バス高速輸送システム)による「仮復旧」を行っています。鉄路としての復旧には莫大な経費がかかることを鑑みると、恐らく現状では「仮復旧」が「本復旧」になるのではないかと思います。

それでもなお鉄路にこだわるのは、恐らく周辺の大きな都市との「繋がり」を鉄道で保ちたいからなのだろうな、という気がします。そして、鉄道があるから優位だとか、そういうことではないとは思うのですが、廃線=地域そのものが寂れているか廃れているという誤解や、一気に寂れてしまうか廃れてしまうという懸念・認識を与えるということも、廃線に対する抵抗が根強い理由の一つなのではないかと思います。

さてさて。鉄路の話をしたからでしょうか、話がちょっと脱線してしまったので、軌道修正。

どうしたら公共交通機関としての路線バスをうまく存続することができるか、ということをふと考えてみたわけですが、車社会の到来が足かせになっていることを認めつつも、一番大きな問題は、ダイヤの見直しはしても、路線の見直しを行っていないからじゃないか、と思うことがあります。
路線バスがどこから発着するかというと、大概が駅やバスターミナルを起点とし、そこから路線は放射線状に広がったものになっています。
確かに交通の要衝(動脈)である鉄道の駅を起点として、放射線状に路線(毛細血管)を張り巡らせるというのは、ごくごく当たり前の考え方だとは思うのですが、現実問題として、駅が一番混雑するのは朝と夕方ではないでしょうか。私も毎朝駅を利用していますが、各地から駅を目指してやってくる朝の路線バスには結構な数の乗客がおり、この時間帯だけを見る限りでは、決してバスが閑散としているという印象は受けません。
しかしながら、それ以外の時間帯に駅を利用する人というのは、なかなか限られてくるような気がするのです。
弘前市の場合、市役所や病院を迂回して運行されている路線バスが相当数ありますが、実際そこを利用したいと思って乗車している人はどれぐらいいるのでしょうか?
路線バスの終点、すなわち毛細血管の末端の地域にいる人たちが目指したいのは、本当はどこなのか。これは一概に一か所だけを指すことは難しい問題ですよね。最小公倍数の世界で、目指すところは通したい、と思うからああいう複雑なルートを辿るバス路線があるわけで。
ただ、数の中には明らかにこの時間帯でここを通る必要はないだろう、と思う路線もあるような気がするのです。放射線の上にかぶせた網目といえばいいのでしょうか、縦と横の組み合わせといえばいいのでしょうか、鉄道と異なり、乗り継ぎ等の利便性に乏しいというのも、路線バスを利用しない理由の一つなのかも知れません。
奇をてらったところで例えば、飲み屋街のすぐ横から出発する夜だけのバス、とか。…あ、でもこれは車内が汚される可能性が高いから危険か。

弘前市には市営バスがなく、路線バスは民間事業者一社のみによる運行ですが、地域の足を支えるという点からも、行政の力添えなくして運行を継続するのは非常に難しい時期に差し掛かっているのだと思います。路線バスのライバルはタクシーではなく、マイカー。そしてそれはもはや、太刀打ちできないほどに増え続けているのが実情。

人口減少も進む中、利用者が減っている事業者にしてみれば、一刻も早く廃止したい不採算路線がたくさんあることと思います。住民サービスの一つとして行政主体のコミュニティバスなどに切り替えている例もたくさんあるようですし、実際弘前市内でも、駅を起点とした循環バスを運行しており、観光客も含めた利用が見受けられます。今はまだ議論にはなっていませんが、仮にそれ以外の毛細血管に血が行き渡らなくなった時にどういう事態を引き起こすかは、言うまでもないと思います。

既に有識者による路線バスをはじめとする公共交通機関のあり方は多くの地域で議論され、行政をはじめとする手厚い支援もされているようですが、南部地方のバス会社による民事再生法適用の申請は、決して対岸の火事ではないと考えた方がいいと思います。金融機関が県を跨いで連携を始めつつある中、いよいよバス業界にも、そういった波が押し寄せているのだろうか…こういうのを皮切りに業界再編が本格的に始まるんじゃないか…なんてことをふと考えた次第です。

でも、関係ないんですけどこれはダメでしょ。

路線バスではなくて貸切バスなのですが、忘年会の送迎で来たようです。完全に横断歩道塞いでます。降りてきたガイドと運転手を睨んだら、思いっきり睨み返されました。交差点内って、そもそも駐停車禁止じゃないんでしたっけ?バスもタクシーも、交通ルールを都合のいいように自己解釈し過ぎだと思います。実はこういうのが嫌で、公共交通機関を利用しないというのは、僕だけなのかな。

7月30日、あおつなトークショー in 青森

人口減が続く青森県にあって、県外から青森へのUターン(あるいはJターン、Iターンなど)を考えている人にとって重要となる一つが「仕事」のこと。
7月30日に、これまで東京でイベントを開催してきた「あおつな」による、青森での初イベントが開催されました。その名も、「あおつなトークショーin青森」。
テーマは「青森での仕事、あなたはどんな働き方を選びますか」。

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トークショーの前のイントロダクションでは、青森県内で人口減少が続いていることの他、青森で働くということについて、以下の4つの類型が示されました。
(1)就社(タイミングが合えばというメリット、収入の問題、真にやりたい仕事なのかというデメリット)
(2)家業継承(順応性が高いというメリット、将来への不安や真にやりたい仕事なのかというデメリット)
(3)起業(やりたい仕事、格好良いというメリット、ゼロからのスタートというデメリット)
(4)個人M&A(ベースがあり、自分の成長が企業の成長に繋がるというメリット、マッチングがうまくいくかというデメリット)

そして、これを踏まえて、青森で働くこと、心構えなどについて、4人の「よげしゃべリスト」、いわゆるパネリストの皆さんがそれぞれの持論を披露しました。

「よげしゃべリスト」は、青森市に本社を置く(株)ページワンCEOの木村譲さん、東津軽郡外ヶ浜町にあるホテル竜飛常務取締役の杣谷徹也さん、下北郡風間浦村にある(有)村口産業代表取締役社長の村口要太郎さん、そして東津軽郡今別町にある(有)袰月海宝代表の小倉龍毅さん。
進行は、あおつな実行委員会代表の神直文さん。

話を聞きながらバーッとメモを書いていたのですが、途中から話を聞くことに夢中になってしまい、メモがおざなりになってしまいました。すいません。以下、殴り書きメモ。

・辺境であろうとも魅力があれば、若い人でも住み着く。(うるさい人がいなければ、という条件付きで。)
・神奈川県横須賀市の例。人口減少が激しく、限界集落もできはじめている。(横須賀でも、という驚き。)
・普通にコミュニケーションが取れれば、そんなに失敗はしないはず。失敗するのは目線が下がり、エスケープゾーンを作る時。(自信がないことの現れ?)
・最近は、「知識」が「情報」とすり替わっている。(「知識」は自ら学び得るもの、「情報」は学ばずとも外から得られるものという意。知識を身に付ける意識が低下している?)
・他人から指図を受けて動くのではなく、自ら考え、動くこと。楽しいのは明らかに後者。
・首都圏をはじめとする都市部と青森との決定的な違いは、時間軸、サイクルの違い。(首都圏は早く、青森は遅い。青森の人は最初、サイクルの速さについて行けない。)
・時間の有効活用。(仕事のオン・オフの切り替えで家族も幸せになる。)
・地元に戻った時に何でも相談できる友人、知人が絶対に必要。
・地元に戻って自分がどうしたいのか、何をしたいのか(しなければならないのか)という立ち位置を考える。
・地元を守るという意識を持っているか。(地元というよりも、田舎に行けば行くほど、「墓」に対する意識が強く、「墓を守る」ことが求められる、という意)
・地縁や血縁、知人からの紹介で中途採用する人は、大体結果を残せない。(結局ドロップアウトする人も多いらしい)
・親離れした子どもをなびかせたければ、夫婦仲良くすること。
※この他、ハローワークに求人案内を出すかどうかは意見が割れた。

僕はこれまでの45年間をずーっと青森県内(しかも40年以上を弘前市)で過ごしているので、一度「外」に出てから「地元」に戻るという感覚がわからないのが実情。しかし、そこに居続けたからこそ知っている「地元」で日々刻々と起きていることを、時々帰郷するみんなに教えてあげられればいいのかな、と思っています。

外から見た青森がどんな感じなのかは、正直言って僕には良くわかりません。「井の中の蛙大海を知らず」といいますが、そういう点では僕は「帰る感覚を知らない蛙」です。ただ、例えそれが「井の中」であろうとも、僕にとっては「ホームグラウンド」であり「都」だと思っています。

トークショーの後の質疑応答で「数年前に久しぶりに地元に戻って、こんなにいいところだったんだ、ということを改めて発信したいけど、どうすればいいでしょうか。」みたいなことを話していた人がいたんだけど、ちょっと違和感を覚えたのです。

外から地元に戻ってきた時に、具体的に何がいいと思ったのか、ということを聞きたかったですね。反論するわけではないですが、人によって価値観が違うので、誰かが「いい」と感じたことが我々にとっては「当たり前」のことなのかも知れないし、逆にこちらが「当たり前」と思っていることがむしろ良くない、足かせになるようなことなのであれば、それはそれで正確に発信しないと、これから本気でUターン、Iターンを考えている人達に対して何か「いいところばかり見せようとして、やましいことを隠している」と捉えられる可能性がありますからね。そういう点では、「いい」ということだけを発信するって、凄く難しい。

「じゃあ青森(地元)の何がいいのよ?」といきなり聞かれても、多分僕、答えがパッと出てこないと思うし。

45歳を超えた我々同世代の中でも、帰郷を考え始めている人達がちらほら出ていることを知っています。地元に残した親御さんのことだったり、いわゆる家業後継のことだったり、それこそ「墓」のことだったり。

都会の良さがある一方で、田舎の良さもあるはず。
でも、その中での一番のネックは、まさに冒頭で出ていた青森で「働く」ということだと思うのです。今の立場をキープしたまま地元に戻れるならば本望ですが、実際はそれを捨てて戻ってくるケースの方が多いのかな。

これまで僕の周りでは、実際にUターンして来て、例えば家業を継いだり、自分の力で起業したり、あるいは資格を取って就社した人がいますし、その中で自分のスケールや影響力をどんどん大きくしていっている人もいます。
今でも帰郷を考えている人から「青森で何か仕事ある?」と聞かれることがたまにありますが、有効求人倍率が1倍をずっと超えた状態が続いていますから、仕事はあるのです。むしろ問題は、仕事の有無ではなく、その仕事に対するご自身の適性や、帰郷することによって失うかも知れない、例えば今の生活環境や社会的立場・水準など、そういった色んな犠牲を受け入れる覚悟なのでしょうかねぇ。
だから、よげしゃべリストの皆さんのお話を聞きながら、青森に帰っても仕事がない、ということではなく、どういう仕事をしたいのか、あるいはどういう仕事であれば自分はやれるのか、それは待遇や労働条件もあるでしょうし、最後は自分自身にどういう折り合いをつけて、どこまで腹をくくって(覚悟を決めて)仕事を見つけるのか、ということに尽きるのかなあ、と思いました。きっと僕らが気づいていないだけで、ビジネスチャンスも実はたくさん転がっているんだろうな。

もっとも、当事者にしてみれば口でああだこうだと論ずるほど簡単なものではなく、もっと深い事情があるのでしょうから、小さい井の中でチャポチャポ泳いでいて、帰る感覚を知らない蛙の僕なんかが気安く言えるような立場じゃないんですけどね…。

2016年、春。弘前さくらまつり

今年は暖冬だったこともあり、弘前公園のさくらの開花は例年より早いと言われていました。そして、亡父の誕生日でもあった4月18日に開花、23日には満開を迎えました。23日の早朝、弘前公園RCの恒例となったお花見ラン。しかし、色々あってとても花見気分にはなれず、結局その日の朝に公園内を軽く走った後は、弘前公園に近寄ることもしませんでした。(もっとも、混雑が嫌いというのも要因の一つではありますが。)

しかし、Facebookをはじめ、友達や知り合いが続々とアップする園内の光景を目にしながら、徐々にその思いは強くなっていきました。
「やっぱり弘前公園のさくらが観たい。」

…そして27日午後、2時間だけお休みをいただき、気晴らしと散策がてら弘前公園へ。

ちょうど満開を過ぎ、花筏が出来つつあったこのタイミング。弘前市民として、やっぱり足を運んでよかったな、と。

ついでに撮影の練習。

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さくらは毎年咲くけれど、もう逢えない人もいる。
4月はさくらの季節。でも、時々雪だって降る。

出会いと別れ。春って切ないですね。

D’Angelo ft. Princess: Sometimes It Snows in April

弘前さくらまつりは2016年も開催します。

最近ブログの検索ワードで「弘前城 桜 見られない」とあり、ビックリしました。
ご心配なく。「弘前さくらまつり」は、2016年も例年通り4月23日から5月5日までの会期で、弘前公園で開催されます。ただ、例年と異なるのは、弘前城とさくらと赤い橋(下乗橋)のコラボレーションが見られないということです。
御存知の方も多いかも知れませんが、弘前城築城400年を迎えるにあたり、昨年から石垣の修復工事に取りかかり、天守が約70メートル北西方向に曳屋したのであります。

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この関係で、今年は本来あるべきところに天守がないという、ある意味貴重なさくらと赤い橋のコラボレーションを楽しむことができるはずです。園内は雪融けが一気に進んだほか、枝の剪定も始まっており、今年は更に開花が早まりそうな予感です。

ということで、弘前公園内は立入禁止にもなっていなければ、さくらの木もいつもの場所にあります。
代わりに…というわけではありませんが、いつもの場所にない天守は、何と岩木山と一緒に眺めることができます。天守を囲むように咲くシダレザクラと岩木山。これはこれで、きっと見物になるはずです。

弘前さくらまつりの情報や今後の開花予想などは、随時ホームページにて情報更新されていくと思いますので、皆さん是非とも弘前に足を運んで下さい。

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そうそう、いよいよ開業を間近に控える北海道新幹線を利用して、函館まで足を伸ばす、というのも一興かも知れませんね。

ふと思ったことが一つ。
ついつい「弘前の桜」じゃなくて「弘前のさくら」と入力してしまうのですが、これって、僕だけかな…。

TPM第2回写真展「記憶録」に出展して

大皿に盛られた刺身。真鯛やヒラメ、海老に本マグロなどが並ぶその底に敷き詰められた大根のツマと、刺身の間に挟まった、緑色の「ばらん」。そして、花形に切り取られた人参の上に添えられた、ワサビ…。

TSUGARU PHOTO MEETING(TPM)という写真(カメラ)好きの同好会があり、昨年からそちらに参加させてもらっています。
僕がそもそもデジイチ(一眼レフのデジタルカメラ)を手にしたのは約4年前。妹が結婚披露宴を行うことになり、その際、せっかくの晴れ姿なんだから少しいいカメラで撮影してやろうじゃないの、と思い立ったのがきっかけでした。
とはいえカメラに対する知識なんぞまるでなく、「Canon EOS kiss X50」という初心者・入門者向けの廉価版カメラの更にB級品(中古品ではなく、あくまで初期不良の整備品)を発見し、何とレンズ込み約3万円で購入。しかし、結局披露宴ではほぼ全て「オート」モードで撮影するという有様で、全く機能を使いこなすことができませんでした。
程なく、デジイチよりスマホの方が画素数が高いという逆転現象が始まりましたが、それでもなおこの4年間、ずっとX50だけで撮影してきました。僕の知識や技量では、これぐらいのカメラがちょうどいいのだと思います。
この間、ランニングクラブでの撮影頻度がどんどん増えることとなり、やがて標準装備のレンズを売却し、新しいレンズを3本購入。今のところは「沼」に足を踏み入れることなく、ここでとどまっているという状況です。

その後も、スマホで撮影した画像をInstagramに投稿してみたり、通勤途中で色んな被写体を撮影してみたりと、片手間で撮影をする機会を作っていました。

何かを伝えたいというよりも、その時その時ハッと目に留まったものを「切り取る」。そしてそれをFacebook等にアップし、反応を見る。こうして、「ただ漫然と撮る」から「構図を考えて撮る」ことを意識するようになり、撮影を楽しんでいたのですが…。

昨年の9月頃でしょうか、今回の写真展のディレクターを務めたHさんから直々にメッセージがあり、「ところで今度、写真展に出展してみない?」というお誘いを受けました。
カメラの性能もさることながら、大した技量も持たない僕が写真展に出展?いやいや、最初は軽い冗談なんだろうと聞き流していたのですが、どうやらHさんが本気で出展を求めていることに気づくまで、それほど時間はかかりませんでした。

「テーマはあってないようなものだから、何でも自由でいい」とはいうものの、さて…何をどうしたらいいんだろう。頭を悩ませつつカメラ片手に庭へと出てみます。

あ…。
雨上がりの庭は、まだ濡れていました。その中で見つけたワンシーン、何枚か撮影する中で「これは!」というのを一枚「切り取る」ことができました。いや、実は焦点を合わせるという練習をしている中で撮影されたものなんですけどね。
「黄葉の滴」

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当初は「黄葉の泪」という仮のタイトルを付したこの作品、滴の位置が中心ではなかったのですが、周りの紅葉のおかげで、たまたま引っかかっていた黄葉が光っているような感じに見えたため、出展決定第一号となりました。そしてこの作品、今だから明かしますが実はコントラストを際立たせたくて、少し赤みを強くして出展しました。

もう一枚何かないかな…と思ったときに、ハッと思いついたのが今回の作品展のタイトル「記憶録」でした。
そうか!僕だけじゃなくてみんなの「記憶」として残しておきたいものを投稿すればいいんだ!
…ふと浮かんだのは、昨年曳屋をした弘前城、弘前公園のさくら、ねぷたまつり、そして、建物の中に移動した「Memorial Dog」。
弘前城やさくらのネタは、誰か投稿しそうな気がするし(しかし実際のところ弘前城そのもののネタは皆無でした)、僕の手元には何の面白みもない画像ばかり。それに、ねぷたまつりは当たり障りのない画像しかない….。さて困ったぞ、と路頭に迷いかけたとき、春先にチョコ(ミニチュアダックスフント・♀9歳)を引き連れて、吉野町緑地公園で遊んだことを思い出しました。

チョコが車椅子のお世話になってからちょうど8年が経ちます。僕がカメラを構え、妻が僕の背後から呼ぶという作戦で撮影された一枚。多少ボケているのですが、それも僕の技量なのだと割り切るようにしました。背景にいるMemorial Dogがこの場所に戻ってくることはないようです。そういう意味でも、上半分の光景をみんなの「記憶」にとどめていただきたいという思いから出展を決意しました。(この時点で僕のテーマは、「記憶の共有」に固まりつつありました。)

チョコが元気に走ってくる姿から、タイトルは「躍動」に決定。

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ちなみにチョコが車椅子のお世話になる伏線として、とにかく飛び跳ねることが好きだった、ということが挙げられます。同じ犬種を飼われている皆さんはもちろん、他の犬種を飼われている皆さんも、飼い犬のジャンプには本当に気をつけた方がいいです。

第2回の写真展が開催されるに当たり、今回お手軽なスマホ部門も新設されたというので、そちらにも出展してみることにしました。お手軽といっても、最近のスマホの性能は侮れません。画素数でいえば、イチデジよりスマホの方が能力は上ですから。ということでスマホからの一枚は、こちらもMemorial Dogと一緒に撮影されたハナ(雑種・♀16歳)の写真。朝の散歩の時に、スマホ片手、散歩紐片手に撮影したもの。

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同じ方向を見ていて、まるで何か指示を受けてその方向を向いたようにも見えたので、「先輩と私」というタイトルにしました。これも今となっては撮影することのできない一枚です。いや、ハナがいなくなったんじゃなくて、Memorial Dogがここにいない、ということで。そういう意味ではご覧になられた皆さんの「記憶」にとどめていただくことができるのではないか、と。

もう一枚スマホ画像を出展しようと思っていたのですが、実は悩みました。「黄葉の滴」を撮影した同じ日に撮影した「落葉サラダ」という作品を出展しようと思い、ずっとそのつもりでいたところ、実際に印刷してみてふと気づきました。

地味すぎて画に華がない!
だったらもう少し奇をてらった作品の方が面白いな…と考えたところで思いついたのが、ランニングクラブのみんなで岩木山神社までの長距離ランを行った際に撮影した、シューズの輪。これならクラブの皆さんに対する写真展の宣伝にもうまく使えそうだし、何よりもこの時岩木山神社まで走ったことがみんなの「記憶」として蘇ります。そしてきっと、会場に足を運んでくれる仲間も喜ぶはず!と考え、差し替えることにしました。タイトルは「The Circle of Friendship」、要するに「友だちの輪」ですね。

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出すと決めた以上は腹をくくろう。ということで、一般部門2枚とスマホ部門2枚に出展。
…そしていよいよ、1月21日から4日間、弘前市百石町展示館での展示が始まりました。

TSUGARU PHOTO MEETING 第2回写真展「記憶録」

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平日の日中は青森市での勤務、土曜日午前は違うカメラのお世話にならなければならないというやむを得ない事情(ピロリ菌と胃がん検診のため、胃カメラを挿入していました)で、結局会場に足を運ぶことができたのは23日の夕方でした。玄関をくぐると、TPM代表のNさんが出迎えてくれました。そしてまず目に飛び込んできたのは、スマホ部門の写真。おっ!あるじゃないですか、それも2枚並んでる!

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しかし、スマホ部門を過ぎて現れる1階に飾られた一般部門の写真の一つ一つがとてつもなく美しくかつ荘厳で、未だに見ることのできない自分の作品(その時点で2階にあることだけは確信しました)が、どれだけショボいかは想像に難くない状況に…。穴があったら入りたい、とはまさにこのことをいうのでしょうか。
恐る恐る階段を登り2階へと進むと、僕を誘ってくれたHさんがいました。自分の作品がどこにあるかは別として、まずは皆さんの作品を一つ一つゆっくり眺めていきます。
何なんだ、この圧倒的な迫力は…。

そして左手に進み、壁伝いに作品を眺めていたところで、見つけましたよ僕の作品を…。

が、柱の角に頭を打ち付けた直後にテーブルの脚に脛をぶつける、みたいな衝撃。
ああっ!ホント恥ずかしい!今すぐここから自分の画像だけ剥がして「ごめんなさい!」って叫んで持ち帰りたいぐらいの気分でした。

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冒頭での刺身の大皿の話、例えていうならば僕の作品は「ばらん」。ヒラメと本マグロの間に挟まれた、言わば喰うに値しないワンクッション、みたいな…。

他のブースでは皆さん足を止めて真剣に画像に見入っているのですが、我々のブース(弘前公園RCのメンバーの画像が3人×2作品並んでいたのです)では、ほとんど誰も足を止めることもなく、ほぼ素通り….。

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まあ、それだけ皆さんの心には響かなかった、ということなのでしょうか。妙に虚しかったけれど、それを打ち消すほどの技量があるわけでもないし。(でも、それは僕の大いなる勘違いだったんですよね。そしてそのことに、翌日気づくことに…。)

やりきれない気持ちを抱えたまま再び1階に足を運び、気になった画像をじっくりと眺めていると、撮影されたSさん(初対面でした)が話しかけて下さいました。どういう撮影シチュエーションだったのか、どんな加工を施したのか、色々お話を聞きながら、なるほどただそのシーンを切り取るだけでもダメなのだな、と思ったのでした。

その後TPMのメンバーによる懇談会にも参加しましたが、「人見知りと変態の集まり」を標榜するだけあって、まあ個性的な方が多いこと多いこと。
でも、色んな話を聞くことができたし、何よりも、思わず落涙してしまうような本当に凄い出会いがあり(この話はまた日を改めて投稿します)、懇親会に行って良かったなあ、何だかんだ言っても出展して良かったなあ、と心の底から思ったのでした。

最終日は自分の用事を諸々済ませ、16時前に展示館に足を運びました。この日は、出展した仲間3人で集合写真を撮影してもらおうという話になっていて、会場を訪れたところ、日曜日の午後とあってか前日とはお客さんの数が全然違っていました。

しかし、相変わらず我々のブースは「通過点」になっていました。

…が、よく見ていると何人かの方が足を止めて僕の撮影した画像を凝視しています。それも、圧倒的に女性が多い。さて、何を見ているんだろうと思ったら気づきました。チョコの車椅子をじーっと見ているんですね。

「その車椅子、2万円ちょっとしたんですよ…。」

居ても立ってもいられなくなり思わずそう話しかけると、振り返った女性の方が僕の話に乗ってきました。
「このワンちゃん、今も車椅子なんですか?」「ええ、もう8年ぐらい車椅子ですけどね。」
で、車椅子のお世話になることとなった経緯をお話しすると、ハッと目を見開き、「あっ!うちの子も…」と驚きます。
「ワンちゃんのジャンプするクセ、気をつけた方がいいと思いますよ、本当に。この子みたいにならないようにするためにも、是非気をつけてください。」

「ありがとうございます。」

…そうか、皆さんが素通りするのは、この画像から伝えたいと思った背景が、撮影者本人の口からちゃんと伝わっていないからなのか。今回全く在廊せずに、他のメンバーの方々のお世話になりっぱなしだったのですが、少しでも在廊して撮影の経緯等をお話しするだけでも、きっと足を運んでくださった皆さんの心のどこかに、この画像を記憶として留めてもらえたのかも知れないなあ、と反省したのでした。

親子連れ
(実際、ご覧になっている方もおられたわけで。Fさんから頂きました。一部加工)

その後、同世代3人(というかランの仲間)揃い踏みで、集合写真を撮影。(「アスリート横綱三人衆」として紹介して頂きましたが、私はせいぜい露払いといったところです、ハイ。しかも、妙に腰が浮いています。)

ちなみに、各人の頭上にある2作品が、それぞれ出展した作品です。ディレクターのHさんには「新しい風を吹き込んだ」とお褒めの言葉を頂きましたが、本人たちの心中やいかに?(3人ともに「勉強になりました…」という言葉が出てきました。)

そろい踏み

そしてこの日、スタッフとしてお手伝いされていた他のメンバーの方々から、撮影に係る裏話や撮影のテクニックなどを色々聞かせていただきました。本当は18時までいたかったところでしたが、別件があったためスタッフの皆さんにお礼を伝えながら、17時過ぎに会場を後にしました。
これが今回初めて写真展に出展した経緯と経過と結果です。

さて、ボツになった(ボツにした)画像が何枚かありまして、せっかくなのでそちらもご紹介したいと思います。いずれもFacebookでは既出のものばかりですが。

(1)碧いタナバタ

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7月の沖縄で撮影した一枚。青い海が眺望できるホテルのロビーに、七夕の笹の葉と短冊が飾られていました。
でも、時期や場所のことを考慮したときに、ここから振り返ることができる「記憶」は僕にしかないな、と思いボツに。

(2)落葉サラダ

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自宅の庭でスマホで撮影した一枚です。画像を一見するとカラフルで面白いなあ、と思っていたのですが、実際に印刷してみたらまあ、地味なこと地味なこと…。多分、下地の緑の色が深すぎたんでしょうね。残念。

(3)鏡

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こちらもスマホで撮影。青森ベイブリッジの橋脚が水たまりに映っていたところを捉えた一枚です。が、何かこれもありきたりというか、響くものがなかった。もう少し水たまりが大きければ…と思いましたが、ボツ。

(4)さくら色の朝

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独り朝練の際に撮影した、弘前公園での一コマ。これを撮影したくて早朝4時に起床、4時30分に練習がてら弘前公園まで走っていったことを「記憶」しています。さくらの写真は前の展示会でのネタだったなあ、と思い、出展をやめました。

(5)Dive into The Sky

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深さ10センチの水遊び場に「NO DIVING(ダイビング禁止)」の文字。でも、水面に映る雲を見ていたら、空にでも飛び込みたくなるよね?と思った一枚は、7月の沖縄で撮影しました。最後まで候補にしていましたが、悩んだ挙げ句こちらも旗を降ろしました。

僕が持っているカメラは、前述のとおり古いし全然大したことのないカメラです。レンズも安物です。いいレンズや高性能の本体、装備があれば、それはそれで素晴らしい作品を生み出すことができることでしょう。(ハッキリ言ってこれ、半分嫉みです。)

…でも、本当にそうなのだろうか、という疑問も湧いてきました。

安価で性能が劣るようなカメラから、思わず息を飲むような画像、色んな人の心を揺さぶるような画像を撮影することができたら、それはそれでどんなに嬉しいことだろう…。今回出展してみて思ったこと、感じたことは、そんなところです。
今回、初めてお目にかかったメンバーの方々から色々なお話しを聞かせていただく中で、機材に頼らなくともいろんな技があることも知りました。今のところカメラに没頭するつもりはありませんが、もっともっと技量を高めないと、次の出展は恥ずかしくてできないと思いました。

ということで次の機会があれば、大皿に盛られた刺身のヒラメや本マグロを目指すのではなく、敢えて「刺身醤油」を狙いたいと思います。その心は、「うまい刺身の引き立て役」。ちなみに大皿は、今回の写真展そのものです。…って、写真展の皿から外れてるじゃん。ダメじゃん。

今回の出展に当たり、懇切丁寧にアドバイスをくださったHさんをはじめTPMのメンバーの皆さん、そして御来場いただいた皆さんに重ねてお礼申し上げます。

こういうきっかけを与えてくださって、本当に本当にありがとうございました。

最後に、「冗談かと思いました」という僕の言葉に対する、Hディレクターからの一言が胸に響いたので紹介します。

本気でやってる人はいつでも本気で言っている。」

(E)na