Category Archives: 地域社会

奥羽本線全線開通110年

今年は、青森~秋田~山形~福島を結ぶ奥羽本線が全線開通して110年なんだそうです。
ちょうど半年後に生誕45年を迎える私、今は弘前から青森への通勤のため、かれこれ通算で13年以上奥羽本線を利用していますが、奥羽本線にまつわる思い出は幼い頃からたくさんあります。

東北新幹線新青森駅開業に合わせ、沿線自治体からは奥羽本線の青森~弘前間を全線複線化しろと望む声がますます強く上がりましたが、結局それも叶わぬまま、田舎のローカル線にちょっと毛の生えた路線、みたいな感じでしょうか、青森に支社がないからだ!とか言われていましたけど(秋田と盛岡に支社があり、県内の路線の管轄が異なっていた)、何と言ってもね、今でも特急ですら最高速度が95キロに制限されてますからね。

さて、僕が利用している弘前駅は、僕が生まれてから2度建て替えられました。物心ついた頃の駅舎は、今のような自動券売機ではなく、有人販売だった時代。駅舎の中を鳩が飛び、行商と思しき人達が大きな荷物を背負ってホームを行き交う、そんな光景が当たり前だった頃。駅前に降り立つと、眼前にスケベな映画館があったのも特徴的と言えば特徴的。

母親の実家が秋田県の合川町(現・北秋田市)にあり、弘前からだと奥羽本線で鷹ノ巣に向かい、そこから阿仁合線(現・秋田内陸縦貫鉄道)に乗り換えるという鉄路の旅。幼かった頃は、赤い機関車(ED75 700系)に牽引された8両ぐらいの長大な客車の列が午後4時30分過ぎに出発して、その後阿仁合線への乗り換えを経て合川駅に午後7時頃到着するというのんびり旅。そりゃそうです、大館駅で荷物の積み降ろし等のために20分ぐらい停車したり、途中駅で列車交換のために停車したりが当たり前でしたから。あの頃はまだ大館駅のホームでで手売りの駅弁が売られていましたし(もちろん大館名物の「鶏めし弁当」です)、多分大館から盛岡に向かう花輪線を走っていたのかな、蒸気機関車が停まっていたことも、朧気ながら記憶に残っています。
ちなみに、奥羽本線の駅は鷹ノ巣で、秋田内陸縦貫鉄道の駅は鷹巣。知ってました?

この頃は本当に汽車(当時はまだ電車ではありませんでした)が大好きで、何せ母の実家のすぐ背後を阿仁合線が走っているというシチュエーションだったため、踏切の警報機が鳴る音が聞こえようものならすぐに2階に駆け上がり、やってくる3~4両編成の気動車や、ディーゼル機関車(DE10)に引っ張られながら進む、切り出した杉が積まれた貨物列車に心をときめかせていたものでした。

初めて母の実家に一人で向かったのは、小学1年生の時。弘前駅の有人窓口に背伸びしながら「合川まで子ども一枚」と言って硬券を手にしたのが、最初の一人旅でした。全く恐怖心はなく、むしろ一人で汽車に乗って母の実家に行くことができるという楽しみに溢れかえっていました。16時40分頃に弘前を出発する、院内行き(のちのダイヤ改正で酒田行き)の汽車に乗り込みます。…そうそう、あの頃は弘前から大館や秋田といったところじゃなく、酒田(山形県)や前述の院内(秋田県)などに向かう、長距離の鈍行列車が普通に走っていた時代。

茶色や青色の客車(オハとかスハとか書かれてましたね)の手動ドアを開け車内に入り、誰もいないボックス席に腰掛けます。茶色い客車は裸電球みたいな丸い電球、青い客車は長い蛍光灯だったかな?(個人的には茶色い客車の香りが好きでした。)
今の時代では信じられないことかも知れませんが、老若男女、色んな方が興味深そうに声を掛けてきました。
「どこから来たの?どこへ行くの?お父さんお母さんは?え!一人で行くの?」
…今思えば、迷子か何かと間違われていたのかも知れませんが、当の本人はつゆ知らず。冷凍みかんを頂いたり、お菓子を頂いたり、ガタンゴトンと揺られ、ニスの香りが漂う硬い木製のボックス席にちょこんと座り、車窓からの景色を眺めながら、母の実家へ向かうのが楽しくて楽しくて仕方がなかったのでした。

あまりに楽しくてデッキの方に向かおうとしたら、車掌さんに怒られたこともありました。そりゃそうだ、手動のドアが開いたままの状態で走っているんだから、危なくて仕方がない。これも今なら考えられないことですが。

まあ、そんな感じで鷹ノ巣に到着するのが午後6時30分頃。大体2時間近く要していたんですね。更にここで阿仁合線に乗り換え、3駅先が合川。
阿仁合線の乗車時間は20分ぐらいでしょうか、合川駅に到着すると、祖母や従姉が待っていました。今となっては無人の閑散とした駅になってしまいましたが、当時は売店もあったそれなりに活気のある駅だったんですけどね。

そして、たまに乗ることのできた帰りの「急行」が楽しみで仕方なかったのです。秋田からは「むつ」、上野からだと「津軽」や「きたぐに」が運行されていた時代。さらに、金沢と青森を結ぶ「しらゆき」、山形と青森を結ぶ「こまくさ」…6~7両のディーゼル気動車に、グリーン車まで連結されていた時代ですよ。嗚呼、懐かしい。

で、何が楽しみだったかというと、車内販売のアイスクリーム。ちょっと高額ではありましたが、1度その味を知ってしまってからはもう大変。たまに妹と二人で母の実家に遊びに行ったこともありましたが、帰りの「急行」で頬ばるアイスクリーム、ホント美味しかった。
最近は新幹線でしか車内販売の姿を見なくなりましたが(津軽海峡線の特急でも車内販売はありますけどね)、あの時食べたアイスクリーム、もう一度食べたいなあ。

9月にはイベント列車も運行されるとか。でも、まだ結構走っているのを見かける国鉄色の特急型車両の運行ですって。どうせなら新旧客車を連ねた長大な「汽車」を運行してもらった方が楽しいのに、とか思ったり。

しかし現実的な話をすると、青森と福島を結ぶ奥羽本線は、山形新幹線の開業によって線路の規格(幅)が異なるレールが敷かれたため、一本の鉄路では結ばれていないわけで。だから、秋田~新庄と青森~湯沢で区間を区切って運行されるんだそうです。新庄~福島は山形新幹線が走っているということで無理なのね…何か切ないわ。

_20150730_065350

全線開通110年のラッピングされた車両にたまたま乗り込んで、懐古的かつ感傷的な気分にちょっと浸っていたという、今朝の出来事でした。

このラッピング電車の運行をはじめ、奥羽本線全線開通110年を記念した色んな企画も始まっているみたいです。

たすきと心を繋ぐリレーが始まった。

この4月から震災復興関連の部局に人事異動となったことは、多分たまたまではなく、僕にとっては必然的な異動だったのだろうと考えている。異動から既に4か月が経とうとしている中、相変わらず仕事の内容の全貌を掌握するまでには至っていないが、いろんな形で「復興」に携われていることに、個人的にはちょっとした喜びすら感じている。

さて、他の部局の友人から参加要請があった「未来(あした)への道1000km縦断リレー」。
何の躊躇もなく申込み、職場内の了解もすぐ得られた。いや、むしろ仕事の一環として行けばいいのではないか?他の同僚も参加しないか?そんな前向きな言葉が聞かれる職場に配属になったことに、心から感謝した。

東日本大震災から4年4か月。震災に対する意識の低下や風化が叫ばれつつある中、被災三県と呼ばれる東北地方の岩手、宮城、福島の各県をはじめ、隣接する青森県や茨城県など、まだまだ復興の道半ばという地域は多い。いや、むしろマイナスからスタートした復旧がようやく終わり、ゼロの位置から復興が始まる、というところも相当あるはずだ。

7月24日金曜日。そんな中で行われた「未来(あした)への道1000km縦断リレー」のグランドスタートのセレモニー。職場に隣接する青い森公園からスタートするということも、参加を後押ししてくれた要因の一つだ。

この日は折しも2020年東京五輪のちょうど5年前という記念すべき日だそうだ。セレモニーが始まり、アンバサダーであるシドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子さん、元AKB48の秋元才加さん、長野パラ バイアスロン競技銀メダリストで青森県在住の野澤英二さん、車椅子バスケットボール選手の藤本怜央さん、三代目 J Soul BrothersのELLYさん、更にはELLYさんの弟でTHE RAMPAGE from EXILE TRIBEのパフォーマーLIKIYAさんもゲストランナーとして登場し、会場は黄色い声援が飛び交いました、とさ(仕方ないこととはいえ、実はこの時点で結構興醒めしていました。ハハハ)。
まあ、これから僅か1.4キロとはいえ、この方々と一緒に走るというだけでも凄いことだと思いませんか。興醒めしつつも、かなり気分が高揚していた、というわけだ。

…実は気分が高揚していたのには、もう一つ大きな理由があった。
今回、弘前公園ランニングクラブのメンバーにも声かけをしたところ、3名が参加してくれることとなった。そして、タスキを繋いだあとの青森第2区では、ランニング仲間のSさんファミリーが参加することが決まっていた。ということで、せっかくだから皆さんで集合写真を…と集まっていたところに、スタッフの方が申し訳なさそうに近づいてきた。
image

「すいません…ファミリーの方ですか?」
「いや、全員がファミリーじゃないんですけど、仲間です。」
「あの…選手宣誓お願いできませんか?」

あまりの唐突なお願いに唖然とする一同。
「やる!やる!」とはしゃぐ子ども達。
「いやいやいや…」と拒絶する親御達。
ええい、仲裁じゃ。
「…わかりました。受けましょう。ただし、この全員で。」
「わかりました。ありがとうございます。」

いいんです。せっかくこういう場に居合わせてそういう機会を頂くだけでも、ラッキーと思わなきゃ。どうせ出るなら楽しもうよ!

…と軽い気持ちで引き受けたはいいのだが、セレモニーが進み、いざその時間が近づくと、皆無口に。
しかも運悪く、2区を走るSさんファミリー3名に招集がかかり、結局残された4人で宣誓しなければならなくなったことも、更に緊張感を高めていた。

ゲストランナーから一般ランナーへのタスキの受け渡しが終わり、いよいよ出番。出されたカンペを読めばいいだけだから…と軽い気持ちで受けてはみたものの、いざ壇上に上がると、緊張感がマックスに。

ひとまず言葉を噛むこともなく宣誓を終えたが、終わって周囲を見渡した途端、とんでもない場所に立っていることに改めて気づき、足がガクガク震えていたことを今だから明かそう。ちなみに、宣誓のセリフは一言も覚えてないっす。

集合写真の撮影など、諸々のセレモニーが終わり、スタート地点への移動が始まった。100名のふれあいランニング区間の参加者、恐らく半数以上のお目当ては、ELLYさん兄弟なのだろう。三村申吾青森県知事がスタートの号砲を打ち鳴らすと同時に、隊列がワッと崩れてランニングが始まった。
しかし、よくみると歩道を走っているギャラリーの方が速く前に進んでいる。つまり僕らは、歩くスピードかそれ以下のスピードで走っているのだ。
今回は青森県警の協力もあり、1.4キロ先の青森市立橋本小学校までの区間は交通規制が敷かれ、車道を横一杯使って走っている。しかし、前述の通りお目当てのゲストランナーに少しでも近づこうとしているのか、向かって左側が大行列をなし、逆に僕が走っている右側はかなり余裕があったため、気がついたらゲストランナーのすぐ背後を走っていた。(ちなみに前を走っていたのは車椅子のお二人。そのすぐ後ろを、恐らく東京都議会議員の方が走っていて、僕らはその後ろを走っていた。)

たかが1.4キロ、されど1.4キロ。ここから東京までの1000kmのリレー(実際は1200キロを超えるらしいが)が始まる。

15分もかけて走ったということは、ハッキリ言って歩くスピードよりも遅い。
にもかかわらず、ふれあいマラソン区間のゴール地点である青森市立橋本小学校に到着する頃には、気持ちいいほど汗が噴き出ていた。暑さだけではなく、何か胸にこみ上げた違う熱さのせいもあったかも知れない。

先方には、Sさんファミリーの姿が見えてきた。
1区の約100名はダラダラと走っていたが、2区は5名?7名?しかいないらしい。

image

ゲストランナーからたすきを受け取る。この辺りの段取り、進行も実は結構グダグダで(というかマスコミ向けのパフォーマンスが多すぎて)、何度もたすきを受け渡していたのが印象的だった。

更に、よくみると100人のランナー以外の一般客も入り乱れていて、もはや収拾がつかないぐらいグチャグチャ。あれだとELLYさんもかわいそうだし、他のゲストランナーにも失礼だな、と思ってしまった。

まあでも、少なくともゲストランナーの皆さんは震災からの復興に対する同じ思いを持って走っていたと信じたいし、たすきを受けて走り出したSさんファミリーやその後たすきを受け取った自転車の方々も、きっと復興に対する何らかの思いを持ってこのイベントに参加しているのだろうと、受け止めた。(もちろん僕も。)

職場に戻り、沈思黙考。
今日一日で、かけがえのないとてもいい経験をさせてもらったと思う。さて、この先も僕は、震災の復興に向けて少しでもその一助となれるよう力を出すしかないね。頑張ろうっと……なーんて難しく考えるの、今日はやーめた。あー、楽しかった!

あ、そうそう。実は私、高橋尚子さんと握手してました。すいません。

東北OM青森メンバー交流会

奇しくも東日本大震災から震災から4年4か月を経過した7月11日。
東北まちづくりオフサイトミーティング(東北OM)の青森県内のメンバーと、山形市役所のGさんを交えての交流会が青森市内で開催された。
単なる飲み会なら参加しないと思っていたけど、Gさんから直々にご連絡を頂いたこともあり、参加してみることにした。
わざわざ山形からやってくるということは、きっと何か目的があるからに違いない。まあ、その目的は何となくわかっているけれど、直接ご本人の口から青森メンバーに伝えてもらわなければならない、そんなことを思った。

Gさんとは弘前駅で合流。碇ヶ関駅でGさんと先に合流し、自家用車に乗せてきたSさんと3人で、0次会と称してしばしコーヒーブレイク。
その後Sさんと別れ、Gさんとともに普通電車で青森を目指した。もちろん電車内ではいろんな話をしたが、それは二人だけの秘密にしておこう(笑)。

青森駅前の居酒屋には、県内に散らばる各市町の職員を中心に約20名が集まり、17時過ぎから談笑が始まった。
今回初めて(というか本人曰く「代理で」)出席したという県立高校の先生とたまたま同席となったのだが、教育現場を巡るいろんな話がとても興味深く、行政職に携わっているうちは絶対に知り得ないだろうと思われる教育現場でのディープな話に、しばらく酔っ払うのを忘れるぐらいだった。ただ、あまりに内容が裏話過ぎて、文字で表現できないことが多数。ゴメンね。

以下、交流会の中で頭に記したメモ。
・人間の身体は常に細胞が入れ替わっている。しかし、アイデンティティは入れ替わらない。
・数値目標を達成したかどうかは、その目標を設定した人の自己満足に過ぎない。
・結果一つだけで○か×かを判断すべきではない。プロセスや満足度も含め、総合的に判断すべき。
・何百分の1に個を薄めてしまうのではなく、1分の1に目を向ける姿勢は大切。
・生徒も住民も、顧客。
etc…

(同席していたHさんがメモ魔のように色々聞き取り書き取りしていたんですけど、あれ、凄く大事ですよね。僕はその習慣を早い段階から身に付けなかったことを、今でも後悔しています。)

似て非なる分野、近くて遠い異業種間交流。役所の人も学校の先生も、知らないところで皆さん色々苦労されているんだな、って…。今回の偶然の出会いで、この近くて遠い方々と、もっと話をしてみたいと思った。もしかしたら愚痴の溢し合いになるかも知れないが、そこから何か化学反応が起こることだってあり得る。
まだ40歳だというその先生の話に、僕は完全に引き込まれていた。
ふと我に帰ってから、40歳代も半ばとなり、自分のこの先を思うに、果たして若者に託していくことができるだけの道筋を、僕はこれまで作ってきているのだろうか。そんなことを思った途端、酔いが一気に回った。

9月には、秋田県の北秋田市(旧鷹巣町)で「地元の学校×行政×まちづくり」をテーマとした東北OMの勉強会が開催される。北秋田といえば母の実家。僕にとっては言わば第2、第3の故郷である。北秋田市内にあった高校もいろいろ事情があったことを知っているし、高校が目と鼻の先にあったうちの母の実家周辺の地域でも、大なり小なり影響が出ていることを聞いている。これは足を運ばない理由はないな、と思った。

「やねだん」リーダー豊重哲郎さんの講演に涙しました。

「やねだん」という言葉を聞いたことがあるだろうか。いや、言葉ではなく、正しくは地名の通称である。
鹿児島県鹿屋市にある、日本全国どこにでもありそうな、高齢化の進む一集落。
この何にもない集落で始まったのは、行政に頼らない「むら」おこし。
鹿屋市串良町の柳谷地区(通称:やねだん)での取組みは、各地区のモデルケースとして大いに役立つところがあるようで、今も県外からの視察が途絶えないという。

そんなやねだんのリーダーでもある豊重哲郎氏の基調講演が行われた。
11月12日、「青森県地域づくりネットワーク推進協議会20周年記念フォーラム」。
場所は青森市のアップルパレス青森。

会場にやってきた方々の顔ぶれを見ると、県や市町村の行政関係者が半数を超えている。その他、NPO関係者や任意団体の方々もちらほらと。
先日の東北OM三沢勉強会やパワフルAOMORI!!創造塾のメンバーの顔も見受けられた。

豊重氏の話では、青森県での講演は、47都道府県で最後となるという。

…そういえば、映画「ふるさとがえり」の上映会も青森県が最後だって言われたっけ。
そういう類の招聘が下手くそなのか、それともそういう類に興味を示したがらないお国柄なのか、あるいはそういう類の行動がまるで必要のない地域なのか…。

それはともかく、まずは汚い字で殴り書きされた基調講演の聴講メモ。(補足あり)

・立ち位置を相手に置き換えると、見えてくるものがある。
・地域再生のテーマは「文化向上」→やねだんでは、地区内の空き家を改装し、7人(6人?)の若手芸術家に県外から移住してもらった(豊重氏による面談も行われた)。自らの芸術活動の他、学校教育(課外授業?)にも関与してもらう。今のところ、誰もやねだんを離れる人はいない。
・地域の外の人たちを、地域と連携させる。コマが外にいるので、連携がずっと続く。
ex.)やねだん地区で栽培された芋から作った「やねだん焼酎」を3本、地域の人たちに無料で配付。1本は自宅に、残り2本は地域外の方達に送る。送られた地域外の人たちは、「やねだん焼酎」のことを勝手に自慢・宣伝してくれる。→やねだんと地域外の人たちとの連携。
・「感動」と「感謝」。地域づくりは「感動」。感動から、「感謝」が生まれる。
ex.)父の日母の日敬老の日に、地域の外で暮らす子どもから、やねだんで暮らす親に充てたメッセージを地域の高校生が代読。毎戸に設置された有線放送で流している。そのメッセージに親は「感動」し、代読した高校生に「感謝」を伝える。(豊重さんの活動に反目していた長老が、15年間音信不通だった息子さんからのメッセージを聞き、「俺を泣かせたのはお前だけだ。お前には負けた。」と言って泣きながら抱擁、それまでの冷えた関係が氷解した。)
・出口から出ないとアイディアは出てこない。入り口ではなく出口を考える。
・ちなみに、やねだん焼酎の出口は、「通販」。(実際、現在HPで「やねだん焼酎」の通販が行われている。買いたいと思ったのは、僕だけではないはずだ。共同購入しますか。笑)
・地域づくりは、100万円以下のお金では何もできない。
・半径100メートルの人に認められる(納得させる)。そのためには、名前、顔、その人の心を知る。
・地域参加のプロセスは3~5セット。どこか一つでもいいので、参加できるようなポイント(コマ)を作る。
ex.)畑作りに始まり、芋の植え付けから草取り、収穫まで、どこかで、何らかの形で、地域の人を関与させる。(口ではなく行動で)
・地域づくりは1人でするな。100人でしろ。
・地域の人から天狗と思われるような行動は、するな。
・地域づくりの約束事。「急がない、焦らない、近道しない。」→絶対成功する。
・不満に思うことのアンケートを取ってみる。
・黒子に徹するのは最高である。
・韓国との繋がり。たまたま福岡に来ていた韓国のホテルオーナーがテレビを見て感動し、その足で「やねだん」までやってきた。これが民間の行動力。
・「やねだん」の取組に感動し、自ら経営する韓国のホテル内に居酒屋「やねだん」を開業。以後、ホテル以外の場所にも開業。現在韓国のテグやソウルで5店舗を展開。
・関係構築を強固にしていく中で、韓国のとうがらしを栽培するプロジェクトがスタート。「やねだん」の気候と土はとうがらしの栽培に適している。
・収穫したとうがらしは韓国にも輸出。→文字どおり「外貨」の獲得。
・とうがらしは、鳥獣害に遭わない作物。同様の作物を3つ見つければ、行政として大したもの。(ちなみにやねだんでは2品目に取り組んでいるらしい。何かは明かさなかった。)

・反目している人ではなく、無視している人を、どう動かすかが大切。
・リーダーには、度胸と勇気が必要。
・人をその気にさせる方法は、段取りが8割。
・地域づくりは「自己満足」ではなく「他己満足」である。
・地域の年齢分布図を作る。これ、かなり重要。

もっと話を聞きたいと思ったが、かなり端折ってのお話しとなってしまったのがすごく残念だった。(そういう意味では、講演の前半で流したVTR、確かに「やねだん」の活動を知る手っ取り早い方法ではあったが、もっと短くても良かった。)

DSC_1214

僕は別に何か積極的に「地域づくり」に取り組んでいるわけでもないし、何かそういう活動を行おうと考えているわけでもない。
でも、「何かやれそうな気がする」「何かしなければ」とこちらを奮い立たせるような豊重氏の言葉のマジックに、かなり心を揺さぶられた。
壇上にとどまることなく会場内を歩き、時折言葉を詰まらせ、声をうわずらせ、涙声になりながら語りかける豊重氏の熱いメッセージに、胸を打たれ、危うくこちらが落涙しそうになった。

最近あちらこちらで耳にする「地域づくり」「まちづくり」。
でも本当は、「地域づくり」や「まちづくり」に名を借りて、鍵で閉ざされたような閉塞的な社会からの開放というか、かつて見られたような社会、「ひと」と「ヒト」との繋がりの再構築をすることが根底にあるんじゃないかな、と思った。
やれ「地域づくり」だ「まちづくり」だって一人で声高に叫んだところで、何かが生まれるはずがない。
そこに共感する人が現れ、そこから繋がりが生まれ、その繋がりが…1人が2人、2人が4人、4人が8人、みたいな…。「やねだん」も然り。みんなが(全くではないにせよ)同じ方向を向き始めたことで、まるで強固なベクトルが作用したように大きなうねりを生み出したわけだし。

…あれ?そういえばついこの間、これに似たような話(点と線、線と面)を記事にしていましたね。

基調講演のあとは、あおもりコミュニティビジネスサポートセンターの山田さとみさんによる県内の事例発表。

青森県内で行われた地域づくりの3事例が紹介された。
佐井村、新郷村、黒石市。
地域も文化もまるで異なるこれらの地域で、それぞれ自分たちの地域を良くしたい、何とかしたいと思い始めた人たちが動き出し、それがそれぞれの形となって地域づくりに貢献している、という実例。
ただ、こちらも時間が足りず、結構内容が端折られた感じだった。ちょっと残念。まあ、山田さんとはまた別の機会に違うところで、落花生をつまみながらゆっくりお話しをすることにしよう。

さて、これはFacebookでも述べたことだけど、昨今の地域づくりのツールとして取り上げられているのが、「まちあるき」。
以下、このフォーラムに参加した直後、Facebookに投稿した内容を抜粋してそのまま転載。
賛否両論あるかも知れないけど、僕が感じていることはこれ以上でも、以下でもないので。


「どうもあちこちで「まちあるき」を基調とした地域おこしに取り組んでいるようですが、まちあるきもここまで拡がると、付加価値というか、よほど何か変化球を用意しないと、手掛けた地元の人の「自己満足」に終わってしまうような気がします(少なくとも北海道新幹線が開業する頃には、よほどのネタがないと「まちあるき」も下火になっているような気がするのです)。
「他己満足」に繋げるための次の一手をどうするか。
入口ではなく出口を考えて取り組むことが必要みたいです。

これが今日、僕なりに学んだことです。僕も色んな意味で黒子に徹したいと思いました。」

ここでの投稿の意図は、「まちあるき」に関する複数のネタがあるところであれば、色んなバリエーションでまちあるきを行うことができるけれど、一つしかないと、すぐに飽きられるのではないか、という懸念であり、「まちあるき」そのものを否定しているワケではないので念のため。
「まちあるき」も「地域づくり」も、それを始めることでどうなる、いや、どうなりたいかという出口のビジョンを描かないとうまくいかない、ということだろうか。

自戒を込めて言わせていただくと、これって行政が作る「ハコモノ」にも通じるところがあるんだよね。もしも「地域おこし」や「まちづくり」のシンボルのような形で整備されたハコモノであれば、なおさら恐い。
だって、ランニングコストばかり気にして、中身を入れ替えることに頭が回らないから。

一度見たらおなか一杯という展示物(…という言い方はあくまで誇張です。ホントは端から観る気も失せるようなつまらない展示物だったりします)しか置いてなくて、結局数年後(早ければ数ヶ月後)には閑古鳥が鳴いている状態で、中の展示物に興味を示しているのは、クモの巣を張ったクモだけ、といった有様になるのがオチ。

もっとも、最近の「地域づくり」はハードの整備よりソフトの整備に重点が置かれているし、行政主導よりも地域住民や民間の組織・団体主導にシフトしているので、そんな不安を抱く必要がないのかも知れないけど。

「地域づくり」に話を戻すと、僕の場合、町内会がもっとも身近なコミュニティということになる。
ちなみにうちの町内では、市の中心部に近い場所に位置しながら、高齢化そして過疎化、更には建物の空洞化が急速に進んでいる。

でも、実のところ町内会の集まりには一度も顔を出したことがないし、町内会費が何に使われているかなんて気にしたこともなかった。まあ、回覧板についていた町内会の決算報告で、敬老の日にバス遠足みたいな経費が出ていたのは見たことがあるけど。
豊重さんのお話を伺いながら、偏ったお年寄り(自称「地元の有識者」)しか参加しないようなコミュニティではなく、もっと幅広い年代が参加できるようなコミュニティになるよう、一石を投じてみるのもいいかな、と思ったのも事実。

豊重氏の講演、そして山田さんの発表は、まずは半歩、いや一歩を踏み出す勇気を頂いたような気がした。

「つるたクエスト」を開催!(パワフルAOMORI!!創造塾の実践事業第2弾)

今年1月、弘前市駅前にある「ヒロロスクエア」において、パワフルAOMORI!!創造塾の実践事業として、「津軽クエスト in ヒロロスクエア」を開催したところ、こちらが予想していなかった以上の大きな反響を頂きました。
パワフルAOMORI!!創造塾というのは、地域をもっと活気あふれる場所にしたいという想いをもった人たちが、年間を通して理論学習や活動実践等の研修を行い、同じ想いをもった方の仲間づくりとつながりの強化、そして地域活動の活性化を図ることを目的として県総合社会教育センターが実施している事業です。

その中で昨年度開催した「津軽クエスト」を足がかりに、2年目となる今年度も同じような内容で取り組もう、ということにしていたのですが、1月の「津軽クエスト」を大成功に導いたことにすっかり満足してしまったのか、塾生の足並みが全く揃わなくなってしまいました。(まあ、皆さん多忙を極めていたとか色々他の要因もありますが。)

私、別に取り仕切り役でも何でもないのですが、6月頃になって事業2年目のスタートの合図を塾生にお知らせしたところ、数名の塾生が反応、そこから一気呵成に「つるたクエスト」の開催が決まっていきました。

当初は弘前市でもう一度「津軽クエスト」を、という声もあったのですが、実は「津軽クエスト」を行った際に、次は弘前市ではなくどこか違う地域で、という話をしていました。

その中で白羽の矢が立ったのが、北津軽郡鶴田町。
塾生が2人いることや、その繋がりから、比較的関係者の協力を得られやすそうなことが、その理由でした。

8月になると、鶴田町の塾生メンバーから「11月に行われる子どもの祭典において、是非クエストを開催しよう」という打診があり、将来を担う中学生や高校生といった鶴田町のジュニアリーダー(JL)の協力を得ることとなりました。

「津軽」ではなく「つるた」という限られた地域となるため、クエストで使用するクイズは、JLが中心となって「鶴田町に関するいろんなもの」を題材とした問題を考えてもらうこととなり、我々塾生はアトラクションを考えることに。

とはいえ、小学生以下の参加者約200名を、たった1時間30分で全て捌ききるという難題にどう対処するか、我々としては大きな課題を突きつけられることとなりました。

そこで考えたのは、200名を4つのパーティーに分け、1チーム5人×10組とした上で、JLのOB・OGの他、鶴田町以外のJL、更には関係者にも協力を頂きながら、チームリーダーとして性別も年齢もバラバラの小学生チームをまとめてもらうこと(そこに我々塾生は参加しません)、時間差でクエストを設置した体育館とアトラクションを行う会場(鶴遊館)を行き来してもらうこと、更にアトラクションは、2つのパーティー(つまり100人!)が同時に参加できるようなゲームを行う、というものでした。

しかしこの過程において、ちょっと考えさせられることもありました。
パワフルAOMORI!!創造塾の二期生については、津軽地方の職種も年齢も性別もバラバラな方々が20名以上揃っていたはずなのですが、当初から事業への参画度合いに濃淡がありました。
今に始まったことではなく、1月の「津軽スクエア in ヒロロスクエア」の時点でも、既に全く参画していない塾生がおり、その際も他の団体やお知り合いの方々にボランティアをお願いするという有様だったのですが、今年度に入ってからその度合いが、顕著に二分化されるようになりました。

まあ、こればかりは塾生それぞれ色んな事情があることなので、仕方ないと割り切っていましたが、なかなか一枚岩では行かないものだな、と苦笑するしかありませんでした。
…でも正直言って、打合せの出欠など最低限の確認事項には何らかの反応が欲しかったなあ。別に参加できないことを咎めるつもりもないんだし。でも、果たして我々が腰を上げ、動き出さなければ、この先どうなっていたのだろうか、そんなことを考えさせられることとなりました。(あ、別に「やらされた」感を抱いているわけではありません。)

ということで、「つるたクエスト」への関与の仕方も塾生によって濃淡が出ることとなりましたが、数度の打合せを重ね、概ねの骨子ができあがりました。

とはいえ僕も、開催前日の準備に参加した以外は、一度しか打合せに参加することができませんでした。その中で、アトラクションのクイズのネタを考えるなど、多少なりともできる限りの協力をさせてもらった、つもりでした。

本番前日は15時に集合、体育館内で会場設営を行いました。
その後は、JLの皆さんに手伝ってもらいながら、アトラクションの準備。
今回のアトラクションは、封筒に入った15枚のカードを、チームリーダーと協力しながら「あいうえお順」に並び替える、というもの。二つにグルーピングし、一つは青森県の市町村名と鶴田町の地名が書かれたカードがランダムに15枚入った封筒を10組(つまり、全て答えが異なります)。もう一つは、青森県の○○、鶴田町の○○という内容で、こちらも10組いずれも異なる内容の封筒を用意しました。簡単な問題もあれば難易度の高い問題もあり、そこは、封筒を選ぶチームリーダーの運任せ、ということにもなります。

DSC_1203

DSC_1200

DSC_1206

DSC_1211

そして今回の「つるたクエスト」ではポイント制を採用し、40チームのランク付けもする、ということが決まっていました。そして、1位のチームから順にこちらで用意した景品を選んで貰い、そのまま昼食に向かってもらう(裏を返せば得点が低いチームは昼食にありつけない)という、ちょっと厳しいルールも設けました。

そして11月3日(月)文化の日。
猛烈に発達した低気圧の影響で、朝から強風が吹き荒れ、冬を思わせる寒さと時折雨がたたきつけるというあいにくの天気。
こんな天気でホントに子どもたちが集まるんだろうか、と半信半疑のまま車を走らせ、8時30分頃に鶴田町に到着。
会場の「鶴田町保健福祉センター・鶴遊館(かくゆうかん)」に足を踏み入れると…。

何とそこには、既に100名を越えることも達が、所狭しと駆け回っていました。その後も続々と子どもたちがやってきます。その光景を目の当たりして、僕は唖然とするしかありませんでした。

子どもの祭典チラシ

開会式の時点では、150名を越える子どもたちが集まっていたのでしょうか、いよいよ「第21回鶴田町子どもの祭典」が始まりました。

司会進行は全て鶴田町のJLの皆さん。我々はそれを傍で見ながら、この後の「つるたクエスト」でチームリーダーを務めてもらう他の地域のJLや関係者の皆さんに、今日の進行と段取りを説明します。

そしていよいよ9時50分。「つるたクエスト」がスタートしました。
今回参加した塾生は、鶴田町の2名を含め7名のみ。これに県社教センターの担当者の方にも協力頂き、何とか体裁は整えることができました。
チームを引率するリーダーの数が足りないことが明らかだったため、1パーティー当たり8~9チームとし、1チーム当たり3~6名のチームを編成してもらいました。

僕はアトラクションの担当として、提出された答えをチェックする担当。
正直、始まる前まではどうなることやらと気を揉んでいましたが、いざ始まってみると、チームリーダーに統率された子どもたちは、素直に言うことを聞きながらアトラクションに興じていました。(まあ、一部やんちゃな子ども達もいて、思わず窘めるという場面もありましたが。)

IMG_6033

IMG_6063

気がついたらあっという間に各パーティーが4巡し、ゲーム開始から1時間30分が過ぎていました。ルールの誤解により採点をやり直すというチームも幾つかあったり、最後の最後で景品が足りなくなるというアクシデントにも見舞われましたが、何とか無事に終了。

今回の「つるたクエスト」、子どもたちからの反応も上々だった他、見学にやってきた親御さんからも好評を博したようです。

僕個人としては、鶴田町が取り組む人材育成の素晴らしさに、ただ目を見張るばかりでした。
クエストのクイズはほぼ全てJLが考えてくれたもの。鶴田町のことをたくさん勉強したことでしょう。
そして、そのJLの言うことを素直に聞きながら指示に従う小学生以下の子どもたち。この子どもたちが大きくなれば、次のJLとして次の小学生の育成に関与する、という。更にその人達がやがて大人になり、カップルとなり、子どもが生まれ、同じことが繰り返されていく…。
大人達も大人達なりの活動を行っていて(TSURUTA街プロジェクトなど)、更に年を取れば(限られた集まりではありますが)「ツル多はげます会」という活動があったり、まさに「ゆりかごから墓場まで」鶴田町内だけで色んな活動に参画できるという…。

まあ、やるかやらないかは自分次第ですし、僕もパワフルAOMORI!!創造塾に参画したのは単なる興味本位がきっかけだったわけですから、無理に参加を強要するものでもないでしょうけど。

でも、鶴田町の皆さんが自発的(そして積極的)に色んな活動に取り組んでいる姿を見て、オレももう少し頑張ろう、なんてことを思った次第。こちらもいい勉強になりました。

DSC_1212

13時30分前に全ての後片付けを終え、パワフルAOMORI!!創造塾二期生としての実践事業はこれにて終了となります。あとは1月の公開講座を経て、創造塾の活動そのものも終了。

前述のとおり塾生の間での参画や取組みに対する濃淡、温度差はどうすることもできませんでしたが、ここで得られたヒト、モノ、繋がりは、これからも大事にしていきたいな、と思いました。
それぐらい、いい経験をさせて頂くことができました。
塾生の皆さん、クエストに参加して下さった皆さん、そして、色んな気づきを与えて下さった皆さん、本当にありがとうございました。