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あわてない。あせらない。あきらめない。

ランニングの話。
月間走行距離は極力気にしないようにしているのだが、JogNoteやNike+で先達の皆さんがどんどん距離を伸ばしていく姿を目の当たりにすると、正直ちょっと焦る。
晩夏から始まる大きな大会のことを考えると、6月7月は非常に重要な時期。この間の調整がうまくいくかどうかによって、モチベーションを含めた走りの内容に大きな影響が出てくるということを、昨年悟った。

今月に入ってから、昨年まで一切やっていなかった練習方法を取り入れるようになった。所詮は市民ランナーの端くれ、別に何を目指しているというわけではないが、昨年より進化を遂げたい、初めてフルマラソンを走った42歳、そして初めて3時間半を切って走りきった43歳の自分に更なる磨きをかけていきたい、という思いが燻っているからだ。そしてそれは、タイムを縮めたいのはもちろんのこと、走り終えた後に少しでも満足を得られるような走り、つまり漫然と走るのではなくちゃんとPDSAサイクルで次に繋げられるような走りをしたい、という思いに変わりつつある。

6月上旬は仕事の関係で満足に走ることができなかったが、中旬に入り、まるで羽でも生えたかのように、そしてそれは、何かを取り戻すかのような勢いで練習を再開した。
出張先での朝ラン、そして、初めての帰宅ラン。
だが、こうした積み重ねにより、とうとう右脚が大きな悲鳴を上げた。

18日から徐々に痛みを感じるようになり、19日には歩くことにも支障が出るほどの痛みが右脚のくるぶし周辺で断続的に続いた。20日は土曜日ということでクラブの練習日であったが、早朝4時に目が覚めたものの痛みが引かず練習を回避。その日の朝に、慌てて病院に駆け込んだ。これほどの痛みがあるということは、まさか疲労骨折?
イヤな予感が頭をよぎったが、診断の結果、アキレス腱の周囲に炎症を起こしていることがわかった。

思い当たるフシはたくさんあった。
まだそれほど履き慣れない、それも重い革靴で出張したこと、その革靴を履いて月曜火曜だけで1日2万歩以上歩いていたこと、さらに、出張時の朝ランの際に履いたシューズも、実はおろしたてのシューズだったこと、そして極めつけは、疲れも抜けきっていない出張の翌日、帰宅ランと称して3kg以上の荷物を背負って12キロ近くを走ったこと。

これら一つ一つの積み重ねにより、右脚への負担をどんどん重ねていったのだろう。しかもあろうことか、出張後も走り終えた後も、何一つ脚のケアをしていなかった。

結局18日から今日まで、走れない日が続いている。痛み止めと貼り薬を処方してもらったが、完治にはほど遠いといった感じだろうか。28日には上りと下りしかない平川市の「たけのこマラソン」にもエントリーしているが、昨年のように軽やかな足取りで21キロを走りきる自信は、ない。

走ることがままならない中でのささやかな抵抗、というわけではないが、職場にこんなものを持ち込んだ。

バランスディスク

さすがにバランスボールに座って業務をこなすのはあまりなので、バランスディスクを椅子に敷いて座り始めた。
職場の皆さんはこの奇妙なクッションを訝しげに見ていた。最初は「私、痔持ちなんです」と誤魔化そうと思ったけれど、すぐに目的がバレたらしい。まあでも、今のところお咎めはないので、こっそりひっそりと日々インナーマッスルの強化に努めようと思う。

あわてない。あせらない。あきらめない。
何度もこの言葉を頭の中で復唱しているうちに、走ることに対する欲が出てきたというか、あきらめがつかなくなった。28日のたけのこマラソン、ゆっくりでも構わないので、何とか走れないものかと考えるようになってしまったのだ。ううむ。
いや、ここまで来たら、DNFも視野に入れつつ走るしかないのではないかと考えはじめている。

泣いても笑っても大会は2日後。ま、どうなるのかは見てのお楽しみということで。

【走れメロスマラソン】己の中の暴君ディオニス王をやっつけました。

五所川原市で行われた第4回「走れメロスマラソン」に出場。
五所川原市の立佞武多の館の前を出発し、「走れメロス」の作者、太宰治の故郷でもある五所川原市金木(旧金木町)を目指すハーフマラソンコース。昨年は体調が万全ではないことを仲間に隠して強行出場した結果、完走したあとが大変だったこの大会。
ハーフマラソン参戦4年目となる2015年、ホントは今季3レース目となるはずだったけれど、諸般の事情で2レース目の大会。約1ヶ月間実戦からは離れていたが、いろんな意味でいい休養となった。
5月の月間走行距離は大会出場前までで約140キロ。GWにほとんど走り込みができなかったことを考えれば、僕としてはまあ、平均的な走行距離なのだろうと割り切っていた。
さて大会当日の5月31日日曜日。金曜日からめまぐるしく天気予報が変わるという状況の中、奥羽線と五能線で五所川原へ向かった。五所川原から3つ手前の板柳駅を過ぎた当たりから、車窓に雨粒がこぼれ落ちているのが見えた。
五所川原駅に降り立つと、雨脚は更に増し、しかも強い西からの風が吹き始めた。風はある程度覚悟していたものの、スタート時まで何とか雨だけでも上がってくれないかと、空を睨んだ。

睨みが効いたのか、開会式の時間になると徐々に雨脚が弱くなっていた。
スタート前にクラブのメンバーで集合写真。ゲストランナーの谷川真理さんにも、輪の中に加わっていただいた。
0531start

9時前に、スタート地点に並び始める。公認コースではないため、陸連登録の前列整列などはなく、持ち時間による整列となった。最初は素直に「1時間30分~2時間」の輪の中にいたが、思うところがあってもう一つ前のブロックに並び直した。
Facebookでも表明したが、闇雲にPB(Private Best=自己記録)を目指すのではなく、むしろBP(Best Performance=最高の走り)を目指すことに重きを置くことにしたので、今日はどういった走りをするか、どういったレース展開に持ち込むか、というイメージを密かに描いていた。
雨は止んだが西風が強い。周囲のメンバーも、どういう走りに持ち込もうか、悩んでいるようだった。
正直、左脚にまだ多少の違和感が残っていたし、四十肩の痛みも全く取れていない。事実、出走直前に姿勢を崩し、左肩に激痛が走り悶絶していたことを、今だから明かそう。ということで、まだ本調子ではなかったが、自分を試す絶好の機会だと思った。心の準備はそれ相応にできていた。ということで僕が勝手に決めた今日のレース展望は次のとおり。

・キロ4分20秒(3キロ13分)のペースで刻む。(3キロ13分×7=21キロ91分)
・できればネガティヴスプリット(後半タイムを上げる走り)で。
・上半身を意識する(特に腕の振り)
・吹き付ける風は気にしない。向かい風も方向が変われば追い風になる。
・最初から慌てない。途中で焦らない。最後まで諦めない。

気がつくとスタート10秒前、あっという間に号砲が鳴らされ、いよいよ約21キロの旅がスタートした。
スタート直後は周囲にも流されるため(これは想定通り)、最初の1キロを4分5秒程度で駆け抜けたが、すぐに落ち着きを取り戻し、キロ4分20秒前後のペースに落ち着かせた。
程なく、ゴールする最後まで牽引してもらうこととなったTキャプテンと、並走するゲストランナー谷川真理さんのグループと合流。谷川さんとも言葉を交わす。

「今日はどれぐらいで走るの?」
「キロ4分20秒で考えてます。って今、速すぎですよね?」
「うん、速いよ!で、どこまで行ける?」
「いや、15キロぐらいまでは頑張ります…。」
「その後は?」
「へたれちゃうかも知れません(苦笑)」
「このコースって、折り返しとかあるんだっけ?」
「いや、ないです。ワンウェイです。風が結構大変だと思いますよ。」
「ふーん…そうなんだ。今、完全に追い風だもんね。」

そんな会話を谷川さんやTキャプテン、そして合流してきたSさん(2週間後に100キロマラソン出走予定)と交わしながら3キロを通過。
…ふと、「救護」のゼッケンを背負ったTキャプテンが前に出たのがわかった。でも、焦って追うことはしない。Tキャプテンの走力が爆発的に伸びたことを知っているから、無理にここで追ってしまうと返り討ちに遭うのがオチなのだ。
徐々に離れていくTキャプテンの背中を追いながら、Sさんと並走を続ける。徐々に口数が減り、呼吸が荒くなり始める。会話がなくなっていくのがわかる。
一部コースが変更となり、新しいコースを駆け抜けている。
沿道の大半は田んぼかため池といった状況の中、新しいコースでは集落の中を走るため、沿道の声援がそれなりにあるのだが、「あらあら、ホントにご苦労様です。」とみんなに声をかけるおばあちゃんとか、一つ一つ耳に届いてくる声援が面白い。

給水は約3キロ毎に設けられている。水、スポドリの他、スポンジも数カ所。
残り5キロを除いてほぼ全ての給水所を潰す。でも、実はこれが…。(この話はまた後半で。)
一定のペースを刻んでいたつもりではあったが、風の影響は結構大きかったらしく、あとで確認したら、かなりペースの上げ下げが激しかった。特に、西に向かって走る5キロ過ぎから8キロ手前、そして17キロ過ぎから19キロ過ぎまでが、かなり風の影響を受けていた。(次のテーマはこれかもね。)

10キロを過ぎる。ふと時計に目をやると、44分を切るぐらいのタイム。調子は悪くない。程なく中間地点のマーク。…ん?10キロから中間地点までの間が狭すぎるんじゃないか?Sさんは相変わらず僕の後ろを並走しているようだが、どこで仕掛けられるか内心ビクビクで、後ろを振り返ることができなかった。

13キロ付近でようやく「救護」の背中が見えてきた。Tキャプテンに追いついたのだ。この頃から、時計に目をやるのをやめた。肩の痛みも足の違和感も、忘れていた。そして程なく、サブ3ランナーのSさんの姿を捉える。どうやら足の痛みを再発したらしい。
「無理しちゃダメですよ!」「そうですよ!」
「おう!頑張れ!」
「うわ!のんべ、いたのか!」
「笑」

14キロ付近では、膝に故障を抱えていたNさんを捉える。
「ここで無理しちゃダメだ!」「まだこれから先は長いんだから!」
「あざっす!」

Tキャプテンがつぶやく。
「あれ?前走っているのって、NさんとAさんじゃねえ?」

同じピンク色のTシャツを着たランナーが二人。確かにNさんとAさんだ。「絶倫絶命」の黄色いシャツを着たKさんの姿も見える。
15キロの給水ポイント。ここでTキャプテンがグッと前に出た。というか、ものすごい勢いで給水して立ち去ったのだ。キャプテンの給水の巧さは、昨年のメロスマラソンの模様がニュースで放映されたときに見ていただけに、それを目の当たりにして、食らいつくというかペースを上げようにも、Tキャプテンの瞬発力が遙かに上回っていた。
あとになって話になったのは、Tキャプテンはこの給水で仕掛けたらしく、給水でのロスタイムが結果としてTキャプテンとの14秒の差に繋がっていったことは間違いなかった。確かに僕の場合、給水ポイントの手前でペースがダウンする。この給水をいかにスマートに行うか。これも一つの課題だな、と話を聞いて思った。ただ漫然と勢いだけで走っているだけではなく、マラソンとは奥が深いスポーツなのだ。


そして18キロ過ぎ。強烈な向かい風が吹き付ける中、AさんとNさん、更にはKさんも巻き込んでの駆け引きが始まった。先行するNさん。それを追い越すTキャプテンと僕。地力に勝るNさんが僕らを抜き返す。Kさんの背中、そしてAさんの背中を相次いで捉える。Nさんはまるであざ笑うかのようにペースを落とさず走り続ける。

19キロ手前、誰もいない沿道で、そんな駆け引きの模様を見ながら声援を送っていたのは、Bさん。
その駆け引きの中に自分がいるのが何か楽しくて、風は強く辛いんだけど、思わず笑ってしまった。
19k
(19キロ手前を駆け抜けるTキャプテンと私。なぜか笑っています。)

右折すると、風の影響がなくなった。と同時に、僕のペースも一気に加速した。AさんとKさんをここで引き離し、ひたすら前進あるのみ。残り1,200メートル。残り600メートルでNさんの背中に追いつく。(どうやらこの時、Nさんの足にも異変が起きていたらしく…。)

気がついたら約21キロの旅もそろそろおしまい。終わってみると、何かあっという間だった。左側には「弘前公園RC」の幟を掲げるSさんらの姿が見える。サングラスを外し、笑顔でゴール。先着したばかりのTキャプテンと握手を交わす。
直後にコースに向かい、キャップを脱いで深々と頭を下げた。

我々がゴールして程なく、ゲストランナー谷川真理さんもゴール。もちろん彼女が本気で走れば、こんなものではないのだろうけれど、やはり速い!
…で、実はこのあと谷川さんから色々とお話しを聞かせていただいたのだが、どうも「救護」のゼッケンと「キロ4分20秒」を豪語した輩達の背中をマークしていたらしく…。(要するに我々がペースランナーになっていたらしい。)

その後もゴールに続々とやってきたクラブのメンバーと、お互いの健闘を称え握手を交わす。
決して好条件とは言えない中、心折れずに最後まで走り切れたことができた。自分の思い通りのレース展開に持ち込むことができたという点においては、多分、昨年そして今年の中で一番の走り(BP)ができたのではないかと思う。当たり前のことなのかも知れないけれど、記録を追わずとも、自分の走りがちゃんとできれば、結果はあとからついてくるのだ。(まあ、その「自分の走り」をする、というのが一番大変ではありますが。)

1時間30分46秒は、自己ベスト。約2分短縮した。ただし、皆さんがおっしゃるとおり、距離が400~500メートル足りないと思われます。
0531goal
(僕より14秒先にゴール、ともに自己ベストを更新したTキャプテンと。)

他の選手が続々とゴールする頃には、青空が広がり始めていた。
さあ、ここまで来れば次の目標は決まった。給水、腕振り、雨風にも動じない精神力の鍛錬、そして、47秒…。(1キロ当たりで2.3秒縮めれば、何とかなるんだけどね…。その2.3秒がね…。)

あとは、距離の件だけを次回までに何とかご検討いただければと思う。
帰りは芦野公園駅から津軽鉄道に乗って五所川原まで。この列車の名称が「走れメロス」号だったというのも、また洒落ているよね。

hashiremerostrain

今年のマラソン展望を少しだけ。

僕にとって8年目となる2015年のランニングがスタートした。
一昨年、昨年とフルマラソンに足を踏み入れての3年目は、4月から散々たる結果に見舞われることとなった。2015年の第一戦となった4月26日の「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」は、昨年のハーフマラソンで自己ベストを更新したコース。今年も虎視眈々とベスト更新を狙うも、オーバーワークが祟り、当日も左脚に違和感を覚えながらレースに臨んだ結果、12キロ過ぎで左脚の違和感が現実のものとなり、轟沈(結果は1時間37分25秒)。前半は完全に自己ベストのペースだっただけに、もう少し慎重に走ればよかったと思った。
結局故障を抱えることとなり、しばらく練習もできない状況となったが、大会から10日後に身内に不幸があったため、結果として5月10日に予定していた「八戸うみねこマラソン」はDNSとなった。

2月頃から続いた疲れは、結局ここでリセットされたような感じだった。社会に出てから、ゴールデンウィークを挟んだとはいえ初めての10連休。心身共にボロボロの状態ではあったし、仏事ということで決して楽ではなかったが、結果的にこの期間の休息そして休足は、いい方向に向かったのだと信じたい。
でも、次戦となる31日の「走れメロスマラソン(五所川原市)」は、無理をしない程度に走らなければならないと考えている。

思い返すと昨年の「走れメロスマラソン」は、微熱を抱えたままでの21.1キロだった。強い向かい風に苛まれながらも、1時間35分台でゴールしたことは、まあまあの結果だったといってもいいのだろう。
しかしこの頃から、それまで同じようなペースで走っていた仲間達にどんどん水をあけられることとなり、今日に至っている。

理由は簡単だ。
仲間達は努力をし、僕はその努力を怠った。これに尽きる。

昨年はどこか慢心していたところがあって(多分それは一昨年に初めてフルマラソンを完走したということに安住していたからなんだと思う)、フルマラソンもハーフマラソンも一応自己ベストは更新したけれど、劇的に更新したというわけではなかった。

しかし、焦りはない。他人は他人、自分は自分。誰かと勝負をしようと思ってランニングを続けているわけではない。むしろ戦うべきは、そういう己の中にある慢心や驕りなのだ。そう思ってこの間の日曜日、長めの距離(24キロ)を走ってみたが、朝9時過ぎから気温が25度を超えるという悪条件の中で身体も慣れておらず、17キロ前後から熱中症に似た症状に陥り、帰宅後はトイレで嘔吐を繰り返すという羽目になった。家族からは相当呆れられたが、これも自業自得、むしろ暑さ対策をどうすべきか、いい勉強になったんだとポジティブに考えるようにした。かなりアホである。

さて、今年の日曜日も夏から秋に向けて徐々に大会で埋まり始めた。
5月31日 走れメロスマラソン(五所川原市)★
6月28日 たけのこマラソン(平川市)★
7月5日 AOMORIマラソン(青森市)10
8月2日 日本海メロンマラソン(男鹿市)★
8月30日 北海道マラソン(札幌市)
11月15日 さいたま国際マラソン(さいたま市)

以下予定
9月20日 田沢湖マラソン(仙北市)
9月27日 つがる地球村一周マラソン(つがる市)10
10月4日 弘前・白神アップルマラソン

基本的にハーフマラソン(★)や10キロマラソン(10)は練習の一環。初めて開催される「さいたま国際マラソン」は制限時間が4時間以内。時間に追われる緊張感を味わってみたいな、と。12月のNAHAマラソンは、今年は回避。代わりといっては何だけど、願わくば2月の別府大分毎日マラソンへ行きたいな….。

そうそう、今週末は雨らしいが、恵みの雨になると期待したい。
風のように走ることは無理だが、せめて風邪をひかないようにしたい。
舞うように走ることは無理だが、自惚れに埋没するような走りはしたくない。
こんな無様なヘタレランナーになることだけは、もう二度とゴメンだ。

ああ、でも隊長からまだ了承をもらっていなかったんだった…。

hanamakilast

ランニング関連の書籍の寸評

最近急にアクセス数が増加していたため、何だろうな、と思ってみたら、以前のサザンオールスターズ仙台公演の記事にアクセスが殺到していたようです。

すいません、今年のツアーは観ていません。というか、観に行ける状況じゃなかったんです。

さて、ジョギングを始めて8年目。フルマラソンに参戦して3年目のシーズン。とりわけフルマラソンに初めてエントリーした後から、ランニング関連の書籍(文庫本・新書)を読み漁るようになりました。いくつかの書籍については、このブログでも書評を綴ったことがあるのですが、全く触れていない書籍もいくつかあったため、いつか整理したいと考えていたのです。

そんな中、booklogに登録しながら全く活用していなかったことに気づき、今回そちらに寸評を掲載してみました。もちろん人それぞれ感じるところは違うと思いますので、あくまで僕の主観ということでご容赦下さい。

では私の本棚、こちらからどうぞ

轟沈:第3回イーハトーブ花巻ハーフマラソン

ランナーあるある。
自分の術中にはまったレースというか、自己ベストを更新あるいはそれに限りなく近いタイムをはじき出した時のレースは、その展開を雄弁に語り、逆に失敗レースだと、言い訳ばかりを考える。

4月26日に岩手県花巻市で行われた「第3回イーハトーブ花巻ハーフマラソン」。昨年に引き続きの参戦となったが、ランナーあるあるで言うところ後者のレース展開となった。
数日前からのオーバーワークがたたり、左脚ふくらはぎを実は痛めていたこと、減量しきれなかったこと、疲れが残っていたこと、まあ、どれもこれも自分が招いた結果なので、あとは言い訳しません。

この大会に臨むにあたり、同じクラブのサブ3ランナーSさんにお願いをしていた。
是非とも前半の折り返しまでキロ4分10~20秒のペースで引っ張って欲しい、と。
Sさんも「無理はしないので」と快諾して頂き、スタートからピタリとSさんに並走して走るというレース展開となった。
花巻市在住の叔母は今年も給水の手伝いに借り出され、スタートから3キロを過ぎたあたりの第一給水所にいるという話だけは聞いていたのだけれど、まさかスタートして15分も経たぬうちに僕がやってくるとは思ってもいなかったらしく、文字通り鳩が豆鉄砲を食ったような驚きの表情を浮かべながら、「が、頑張って!」という声を背後に聞くしかなかった。ちなみにこの時点での1キロあたりのラップは、4分20秒を切っていた。
4キロを過ぎたあたりで若干ペースが落ちたが、それでも4分25秒前後。5キロが21分31秒、10キロが43分09秒だったので、完全に自己ベストを狙えるペース。しかも、それほど辛いという感覚はなかった。

ただし、折り返し地点までは。

折り返した直後から、気になっていた左脚ふくらはぎの痛みが増してきた。Sさんに付いて行こうにも、左脚が痛くてついて行けない。それでも12キロまでの1キロのペースが4分16秒だったんだから、かなりハイペースだったのかも知れない。
そして、12キロから13キロにかけての難所とも言うべき高低差約20メートルの上り坂に差し掛かった時、遂に左脚が悲鳴を上げた。
痙攣の発症。
いや、今思えばあれは痙攣ではなく、肉離れを起こしたのかも知れない。ガクンとペースが落ち、ついに14キロ地点の救護スペースに駆け込んだ。
攣っているのか肉離れなのかよくわからない状況で、とりあえず軽くマッサージを施してもらう(実はこれは不要だった)。
コールドスプレーを振りかけ、水を飲み干し、リスタート。
「脱水症状気味かも知れませんね。無理しちゃダメですよ!」

わかってる。うん、わかってる。

以前の僕であればここで心がポキリと折れ、歩いては止まり走っては止まりを繰り返していたのだけど、この日は不思議と心が折れなかった。多分それは、並走してもらったSさんへの申し訳ないという気持ちが強かったからなんだと思う。
ゆっくり走っているつもりだったが、ゴールまでの7キロを1キロあたり5分を切るペースで走っていたようだ。
自己ベストどころか、「リタイア」の4文字が何度も頭をよぎる。
多分たくさんの人、ではないけれどそれなりに追い抜かれたようだけど、それもあまり気にはならなかった。文字通り淡々と駆け抜けるだけだった。
沿道にはほとんど声援を送る人はいない。

が、誘導を兼ねた高校生の声援が、本当に心に響いた。
「頑張って下さい!」
「ありがとう!」
声援に応えるだけの余裕が生まれたようだ。

時計には全く目をやっていない。今更時間を気にしたところでどうなるものでもない。恐らくこれまでのハーフマラソンで、一番悪いタイムをはじき出すことは明白だった。

花巻東高校の野球グラウンドでは、練習試合が行われている。その声を聞きながら、いよいよ残り1キロ。最後の緩い上り坂を越えて、競技場へ。先着していたSさんの姿が見えた。思わず「申し訳ありません!」と声を上げ、手を合わせる。

hanamakilast
(目が半分飛んでます。)

結局ゴールタイムは1時間37分25秒だった。

hanamakigoal1
(腕が下がりまくってます)

hanamakigoal2
(あ、コイン発見!)

自己ベストより4分以上遅れたが、それでも100分を切ってゴールできたのはヨシとしよう。
まあ、色々言い訳しようと思えばいくらでも口をついて出てくるけれど、僕の中では収穫も多かった大会だった。この収穫を次に生かすためにも、しばらくは無理せず養生に努めようと思う。

hanamaki