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敗軍の将は以って勇を言うべからず。- 第30回田沢湖マラソン –

まあ、別に敗軍でもなければ将でもないんですが、今回の田沢湖マラソンを走り終えた直後、こんな言葉が頭をグルグル巡っていました。

空回りしない程度の気合いと、2キロ増の体重を背負って、いざ秋田県は田沢湖へ乗り込んだ…まではよかったのですが、この日まで目まぐるしく変わり続けた天気予報、雨が降らなきゃいいなあ、と思っていたら、降っていたのは明け方までで、スタートの時刻を迎える頃には、見事にピーカンな晴天が我々を待ち受けていました…。ゴール付近の足場は最悪でしたが。

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目標タイムは200分。今回を含めて残り3回しかないフルマラソン、何とか昨年の記録を越えなければと思っていたのですが、まず拍子抜けしたのは、スタート地点が変わっていたことでした。

で、何が困ったかというと、スタート地点が狭い、そして、前回まで陸連登録者は前列からのスタートだったのに、もはやめちゃくちゃ。まあ、そんなの走り出したら関係ないんですけどね。

午前10時。各コース一斉にスタート。スタート時点で20度近くまで気温が上がっていたみたいですが、雨上がりの晴天、ということは蒸し暑いわけですよ。
スタートしてすぐにちょっと坂を上ると、そこから先1キロはずーっと下り坂が続きます。
頭の中を空っぽにして、まずはいけるところまでいってみるかと、かなりのハイペースでレースに入っていきました。
最初の1キロが3分55秒、5キロ通過が約23分、10キロ通過が約46分、15キロ通過が約1時間8分。
ハニーグッドのカズハルさんとタカギくんの姿はあっという間に見えなくなりましたが、5キロ手前でコウシンさんから背中をポンと叩かれ、そのあとはコウシンさんをペースランナーのようにして追うような感じ。コウシンさんだとちょっと早いな、と思ったので、さらにその前を走るアツシ先生の背中を、15キロ過ぎまで遠巻きにずっと追っていました。じりじりと暑さを感じながら、汗が噴き出るのを感じていました。一方で、風も吹いていたので押されたり押し返されたり。
やがて19キロ付近でとうとうアツシ先生の背中を捉えました。ところが、このあたりで既に足裏に違和感があったんですね。

でも気にしない。あきらめたら終わり。そこですべて終わり。

ずーっと頭の中でその言葉を反芻しながら、中間地点通過。1時間38分03秒。まあ、想定の範囲内でしたが、前半の飛ばしっぷりを考えるとペースが落ち始めているのは明らかでした。
そして22キロ手前、ハニーグッドのマコトさんからの声援に応えます。いよいよ田沢湖畔にやってきました。が、足裏に続いてアキレス腱の辺りにも痛みが出てきました。

ううむ。でもあきらめたら終わり。そこですべて終わり。

何度も何度も繰り返すその言葉。時折田沢湖に目を向けて気を紛らわします。
25キロ過ぎ。給水ポイントを過ぎた直後に、空腹を覚えました。既に補給食は35キロ手前で摂取することにしていたカフェイン入りのゼリーしか残っていません。
気になり始めると、今度はそのことしか考えられなくなってきました。
ところが、27キロを過ぎたあたりで、思考回路が回り始めなくなっていることに気がつきました。
腹が減っているからだろう、と顔を撫でると、とんでもない量の塩が噴き出ていました。

やばい。脱水起こしかけてる。30キロの給水ポイントで水とスポーツドリンクを口にした後で、バナナを一切れ。で、口に頬張って走り始めたときにまた気づきました。あちゃー…バナナを流し込む水がない。
ここで何かがプツンと頭の中で切れました。とうとう脚が止まり、動かなくなりました。脇に寄って呼吸を整えようとしたその時、ポンと背中を叩いたのは、ハニーグッドのナオキくん。何も言えず、「行け!いける!」と手と目で合図。ナオキくんも何も言わず、走っていきます。その後も走って歩いて立ち止まっての繰り返し。
あー、なんでこんなきついんだ。脚は動かないし頭は働かないし。もう、やめるかな…。
そう考え始めたその時、背後から聞き覚えのある声。
「ほら、マカナエさん、行くよ!」
そう言って背中を叩いてくれたのは、先行していたはずのコウシンさん。
どうやら気づかないうちにどこかで抜き返していたようです。
ハッと我に返り、コウシンさんの背中を追います。…が、それも約500メートルまで。またしても脚が止まってしまいました。

もう、何をどうしていいのかもわからず、歩いたり走ったりの繰り返し。
それでも時々例の言葉、そう、あきらめたら終わり。を反芻していたんだから、オレってバカですよね。
で、いよいよ36キロ手前から現れる壁に差し掛かったあたり再び脚が止まって、軽くストレッチしていると、「大丈夫?いける?」と声を掛けてくれたのは、19キロ付近で別れたアツシ先生。
「先生、行ってください。」というと、「いや、俺ももう限界なのよ。」と言いながらゆっくり坂を上っていきます。
とりあえずこの山だけは何とか越えないと、と騙し騙し歩いたり走ったり。
下り坂、37キロの表示。昨年のトラウマとばかりに両足が攣ったあの光景が脳にフラッシュバック!
うう…我慢我慢…。そう言いながらゆっくり山を走り終えます。あとたった5キロなのですが、この5キロの長いこと長いこと。よくもまあ42キロも走ろうなんて考えたものだ、とアツシ先生に近づいては離れ、また近づいては離れを繰り返しているうちに、残り3キロとなったあたりで大声をあげながら逆走してくる女性が。
危ないなあ、と思ってよく見たら…。
「お!77番!がんばれがんばれ!」

なんと、ゲストランナーの高橋尚子さんでした。高橋さんとハイタッチを交わし、再び笑顔を取り戻します。もはや200分どころか3.5時間はもちろん、3時間40分も切れない情勢になっていましたが、アツシ先生と反省の弁を語りながら、最後は再び先生の前へ。ようやくゴールしたのは、スタートから3時間45分23秒後のことでした。

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脚の痙攣はほぼありませんでした。が、それ以前に走る前からあったアキレス腱の痛みを何とかしないと駄目ですね。粉吹き芋のような顔、ふくらはぎのゲーターに浮いた塩のことを考えると、水分も塩分も補給が全然足りていなかったのでしょう。言い訳はしませんが、反省の弁はいくらでも口をついて出てくる、そんな状況です。

北海道マラソンでは、昨年の記録から15分早くゴールしました。そして今回の田沢湖マラソンでは、昨年の記録から17分遅れてゴールしました。借金生活突入です。何とか去年の自分を超えられるよう、もう一度根性叩きなおそうと思います。

普段は伏字にするのですが、今回は敢えて実名を出して投稿させていただきました。
お名前を出させていただいた皆さんには本当に感謝しています。
そして今回の田沢湖マラソン、最初から最後まで同行してくれた畏友のザワ先生、走り終えた後にわざわざ電話を掛けてきてくれたキャプテン、トミタ氏にも多謝!
皆さん、本当にありがとうございました。不甲斐ない走りで、ごめんなさい。

秋の大会が始まるよ。

北海道発のキャラクター「まりもっこり」がちょっとしたブームになった頃、それに続けとばかり発表された秋田県発のキャラクター、その名も「きりちんぽ」。
ストラップ根付や耳かき、更にはチャームなど数種類の「きりちんぽ」グッズが発売される予定だったのですが、その後苦情が殺到し(もちろん苦情の大半はそのネーミングだったようです)、敢えなく発売中止に追い込まれたという幻の逸品です。
モノを見る限りでは、まりもっこりの方が下品にも思えるのです。しかし、名前が災いして、そもそも最初から発売中止に追い込まれてしまったため、残念ながら日の目を見ることなく市場にも出回りませんでした。ネーミングはともかくよく見ると結構かわいらしいなあ、とか思ったり。もう5年以上も前の話なので、あの在庫、その後一体どうなったのかな…と今頃になってふと思ったのでした。

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さて、今年は秋の5連休があるということで、これを機にお出かけになる方もおられると思いますが、私も「ジャパンツアー 2015秋」と称して、明日から明後日にかけて「きりちんぽ」の故郷であるお隣の秋田県に行ってきます。
明日は北秋田市を訪問(関係者の皆さま、先週行けずにすいませんでした)、まずは爺ちゃん婆ちゃん伯母ちゃんの墓参り。そして明後日は、仙北市にある田沢湖を訪問、ちょこっと走ってきます。

メインはもちろん「ちょこっと走ってくる」ヤツですが、私、8月末の北海道マラソンのあと、20キロ以上の距離を一度も走っていません。というかあれから3週間近く、実は連続して15キロ以上も走っていないんですね。ちなみに今月に入ってからの通算走行距離は今日までで100キロ弱。北海道の後でアキレス腱の痛みが再発したり、風邪をひいたり、色々あったのですよ。まあそれでも、北海道を何とか完走したという自負もありますし、7月8月の走り込みが生きてくるのはきっとこれからだと信じたいので、最後まで折れることなく、諦めずにちょっと無理しながら頑張ってみようかな、と思っています。
何せ諦めたら、その時点で全てが終わっちゃいますからね。←ここ、ちょっと強調したい。
できれば昨年の自分を超えたいなあ。昨年の自分に勝ちたいなあ…。

ちなみに今年の戦績(【 】内は昨年との比較)
花巻イーハトーブ【×】→ 4分遅れ。大会前日の脚の負傷が響きました。
八戸うみねこ【DNS】→ 家庭の事情で出場せず。
五所川原メロス【○】→ 4分縮めてハーフのPB更新。
平川たけのこ【○】→ 注射打って2分縮めた。
日本海メロン【初】→ 今季初の100分超え。敢えて練習。
北海道【○】→ 暑くなかったこともあり15分縮めた。

天気とか怪我とか色んな要因もあったのかも知れませんが、今のところ3勝1敗(1休)。昨年よりは、劇的ではないにせよ今のところそれなりにタイムを伸ばしています。
今年は残すところ田沢湖、10月のアップル、十和田、岩木山ヒルクライム、11月のさいたま国際まで5大会あります。アップルはペースセッターを務めることになっているし、十和田とさいたまは初めて出場する大会ということで比較はできませんが、11月のさいたま国際までは、何とかレース感覚を繋いで行かないと…。

ということで2度目の田沢湖マラソン・フルコースは、虎視眈々と自己ベストを狙っていきます。
もちろん走り終えた後も、しっかりレポートしたいと思います。
まずはともあれ走るぞサブ3.5!頼むから雨降らないで!

北海道の魔物に返り討ちに遭う、の巻 -2015北海道マラソン-

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ジャパンツアー2015夏 ~北の国から
最後の夏の思い出は、北海道で。
人生2度目となった昨年8月の北海道マラソンでは、現時点でのワースト記録を打ち立てました(4時間のペースセッターを務めた弘前・白神アップルマラソンを除く)。

8月下旬とはいえ、北海道は侮れない暑さです。
今年は、昨年のリベンジとばかりに色々対策を講じました。ちなみに昨年のタイムは3時間49分。今年の目標は、(1)最低でもそのタイムを上回ること。(2)更に、3時間30分台でゴールすること。(3)あわよくば、3時間30分を切るタイムでゴールすること。
まあ、言うまでもなく最大の目標は(3)だったワケですが。
暑さ慣れするために、練習を色々アレンジしてみました。27~28度まで気温が上がっている中を敢えて走ってみたり。雨の降る中を走ってみたり。7月の月間走行距離は208キロ、8月は大会前日までで220キロを超えていました。走り込みの足りなかった昨年とは雲泥の差があります。とはいえ、痛めてしまった脚は急に良くなるはずがありませんから、極力疲労を残さないようにしながら、試行錯誤を続けました。

昨年に続いて2度目の北海道マラソン。人生で6度目のフルマラソン。
結論から言うと、「それでもダメなものは、ダメ。」

8月29日から北海道入りし、1年ぶりとなる札幌の街を闊歩。
仲間とともに受付を済ませ、やったるで!と気合いも充分。あとは明日しっかり走りきれば、自ずと結果はついてくるはず。
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(青森空港から一緒だったラン仲間の皆さんと。)

その後ホテルでチェックインを済ませ、明日の準備とばかりにゼッケンナンバーやタグをウェアとシューズに取り付け。なるべく身体を動かさないぞ、とボーッとベッドの上で横になっていました。
夕方からは、今回のもう一つの目的であった中学~高校時代からの畏友の店で、パスタを堪能。

その後ランニング仲間と合流してジンギスカンも堪能し、楽しく前夜を過ごしました。昨年と違って、過度の緊張感はほとんどありませんでした。
ホテルに戻ったのが22時頃で、23時前には就寝、翌朝4時30分まで爆睡。

8月30日。起床してから少し熱めのシャワーを浴び、朝食開始。以下、スタート直前まで口に運んだもの。
おにぎり一つと切り餅7個と納豆2パック、調整豆乳200ml、OS-1のゼリーを1本。

8時15分に昨年と同じ場所に集合、弘前公園ランニングクラブと仲間たちが合同で記念撮影。
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(この後、なぜか海外のオッサンランナーが乱入し、一緒に撮影しました。)

昨年同様今回もCブロックからのスタートとなりましたが、建物と建物の狭間での待機となったため、時折吹く空気が冷たく感じられます。とはいえ、気温はジワリジワリと上昇し、スタート直前の時点では21度を超えていました。まあ、それでも昨年の22度に比べたらまだ若干涼しいかな…。

昨年はスタート直後の渋滞に巻き込まれ、5キロ通過まで28分を要したという苦い経験から、今年は10キロまでの給水をぶっ飛ばすことに。代わりに手には経口補水液のゼリーを握りしめ、ポケットには様々な補給アイテムをぶち込み、ゼッケンの裏にはサプリメントをホチキス留めしてぶら下げていました。

大通公園にあるテレビ塔の電光掲示板がカウントダウンを始め、いよいよ午前9時、スタートの号砲が鳴らされました。同じCブロックだった仲間数名とゆっくりスタート。スタートラインを踏むまでの時間が約1分ということで、昨年ほどストレスを感じることなく、順調に前に進んでいます。程なく仲間もバラバラになり、ひとまず先行する仲間の背中を追いましたが、その背中も間もなく見えなくなりました。

あっという間に3キロを通過、ほぼ順調な脚運び。両足首の痛みもあまり感じません。
昨年1度走ったコースということで、脳が大体の位置関係、コースを覚えていました。これだけでもかなり気分が違うものです。
5キロの通過タイムが25分30秒。まずまずといった感じです。じわりと暑さがあるものの、風が心地よく感じられました。やがて2度の右折を繰り返し、南下したコースから今度は北上を開始、緩い坂道を登り切ると、今度はしばらく緩い下りが始まります。
給水2か所をスルーしながら細かな右折左折を繰り返し、8キロを通過、程なく創成トンネルへ。そうそう、昨日パスタを食べた畏友の店はこの近くだったね…なんてことを思い浮かべながら走っていると、この時点で手持ちのゼリーが空っぽになりました。トンネル内で一旦クールダウンしながら、ペースと歩調を整えます。ほぼキロ4分40秒前後で進みながら、創成トンネルを抜けると、再び暑さが。後で聞いたところでは、僕のすぐ背後を仲間が走っていたらしく、僕の発汗量は相当だったようです。ということで、この日のために用意した秘密兵器、経口補水液粉末カプセルの登場!じゃーん!!

…あれ?ない。ないぞ?走りながらあちこちまさぐりますが、カプセルを入れていた袋がありません。どうやら、塩飴を取るときに落としてしまったらしい。ガーン…

しかしこんなことで気落ちしてはどうしようもない。大体にして、まだ10キロも走っていないのであります。気を取り直し、代用のゼリーを1本投入。前回は32キロを過ぎた辺りから、暑さとハンガーノックにやられました。そうならないように、先手を打ったというわけです。
その後も、周囲の声援にほとんど愛想を振りまくこともなく、淡々と走り続けます。ほぼ4分40秒前後のペースをキープし続けています。何かいい感じです。やがて15キロを過ぎ、「新川」の文字が見え始めました。北海道マラソンの最大の難所といわれる、新川通が近づいているサインです。
なぜ新川通が最大の難所といわれているかというと、片道約6.5キロのほぼ直線のコース、声援もあまりなく、景色もほとんど変わらない中、淡々と走り続けなければならないから。精神力が試される、といわれていますが、昨年は25キロで折り返してからちょっとペースを上げた結果、32キロ以降の大失速に繋がりました。

そしていよいよ新川通にさしかかった時に、背中を後押ししていた追い風が少し強くなっていることに気がつきました。

追い風も 逆を向けば 向かい風

前日、札幌市内で南東の風が少し強く吹いていたことが気にはなっていましたが、どうやらこの日もその状況は変わらないようで。これはちょっとやばいなあ、と思いながら、なおも淡々と歩を進めます。

ちなみに、個人的にはこの新川通、さほど苦しいとは感じません。紅白の鉄塔や白い橋脚など、目印にするものはそれなりにありますし、何よりもランナーが大勢いますから、それを見ているだけでも飽きないのであります。むしろ、この新川通を抜けた32キロ以降が怖いわけでして、ハイ。
20キロ付近で取ったコップの水が、思い切り左脚にかかりました。シューズの中がまたチャポチャポと音を立て始めます。
気にすればキリがないと思い、意識をそこに向けないようにしました。先頭を走るランナーが反対方向から走ってきます。後続のランナーも、続々とやってきます。27キロ付近を駆け抜けているのは、並々ならぬ決意で走る同じクラブのKくん。まっすぐ正面を見据え、こちらにはまるで気づきません。といいつつこの日は、誰をどこで追い抜き、誰にどこで抜かれたのかはほとんどわかりませんでした。強いて挙げるならば、3キロぐらいでYさんと今日のレース展開について話したことと、新川通を走っているときに、先行で折り返し、辛そうに走っているSさんの姿を見かけたのと、同じく反対車線を走るTキャプテンと手を挙げて呼応したこと、37キロぐらいでS先生に追い抜かれ、声を掛けられたこと。これぐらいでした。

25キロを過ぎ、折り返し地点を通過。ふと気がついたら、足のチャポチャポ音は消えていました。走っているうちに乾いたようです。しかし、札幌市内に身体を向けた途端、やはり若干強い向かい風が身体を押し返そうとします。風除けとなるランナーがいないか探しながら走りますが、手頃なランナーを見つけることもできぬまま、淡々と走り続けます。
28キロ付近でしょうか、Sさん母娘が弘前公園ランニングクラブの幟を手に応援していました。不思議なもので、あの応援一つで本当に力が入るんですね。一瞬ではありましたが、落ちかけていたペースが再び回復。しかしそう思ったのも束の間、新川通を走り終え、32キロを過ぎた辺りから、キロ5分台にペースが落ち始めました。33キロ通過。ああ、そういえば前回はこの辺で足裏が痛くなり、完全に気力が萎えて歩き始めたんだな…ふと昨年のイヤな思い出が蘇ります。
…あれ?Sさんだ。僕が折り返す前に先行していたSさん。その走り方を見て、明らかに何か異変があったんだろうな、と思いましたが、34キロ付近でとうとうその背中を捉えました。

「もう少し!頑張って!」「はい、ありがとうございます!」

Sさんの前に出るときに、こちらが応援しなければならないのに、なぜか声援を受ける始末。
しかし、いよいよこの辺りでかなり脚がいうことを聞かなくなってきました。35キロの給水でとうとう歩きながら水を受け取り、何杯も水を飲み干し、脚にも水をかけます。
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(35キロ付近。この後の給水で脚が止まりました。完全に失速です。)

しかし、ここで腐っては昨年と一緒、元も子もないと再び走り始め、何とか37キロ通過。残り5キロということで思わず時計に目をやってしまいました。まだ2時間57分。このままのペースで耐えきれば、3時間30分を切れるかも知れない!ふと、3時間20分台でゴールする姿を思い浮かべます。

…嗚呼、僕はまたしても色気を出してしまったのであります!

やがて38キロ手前で、とうとう脚がいうことを聞かなくなり、歩き始めてしまいました。くそー、ここまで我慢すればもう少しなのに…。脚が動かないのは、脳が楽をしたがっているから。必死に脳のスイッチを切り替えるべく、無心になろうとするのですが、呼吸も荒くなり、頭がボーッとしています。程なく後ろからヒタヒタと迫ってきた(というかスタート時には先行していたはずの)S先生に声を掛けられ先行を許しますが、追随する元気というか脚がありません。走っては歩き、走っては歩きの繰り返し。まあ、ここからの4キロが長いこと長いこと。
北大キャンパスに入ってからも、歩いて走って、また歩いて。「弘前公園、頑張って!」と声援を受けますが、それに応える余力もなし。

そして40キロを通過した時点で3時間20分。この時点で、手中からサブ3.5がスルリと逃げたことを確信しました。
頭がボーッとしています。何だか足許も覚束ない感じ。まあでも、最後まで諦めたらダメだよね、ということで、せめて人生初のフルマラソンのタイム(3時間34分50秒)はクリアしようと、ひたすら歩を進めます。歩いて、走って、また歩いて、走って。
残り約1キロ、北海道庁赤レンガ庁舎前。選手の応援に回っていた川内優輝選手(…だと思っていたら、川内選手はパースマラソンに出場中で、どうやらそっくり芸人だったらしい。爆笑)とハイタッチ。これでまた元気が少しだけ出ましたが、ここからがまだ長いんだわ。

それなりに走り込んで脚を作ったつもりでいましたが、まだまだ中身が備わっていませんでしたね。
道庁を抜けた後は遅いなりにも取りあえず走り続け、最後はペースを上げることなくゆっくりと手を広げてゴール。

記録は、3時間33分29秒。

悔しいんだけど、これが今の実力なんだなあ、と妙に納得してしまう自分がそこにはいました。涙の一つも出てきません。
程なく、後ろから同じクラブの仲間が一人二人とゴール。なんと、虎視眈々と記録を狙っていたみんなが、ほぼ同じぐらいのゴールタイムだったんです。
笑いながら「あれえ?お疲れさま!」と声を掛け合います。
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(笑っていますがサブ3.5を逃した悔しさがじわじわと。)

完走証を受け取ると、先にゴールしていたメンバーも含め、仲間数名が集まっていました。
しかし、その表情に笑顔はありませんでした。その場に居合わせた仲間全員がこう思っていたはず。

「いやあ、やっちまったわ!」
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(ニコニコしている前の二人は結果を出し、あとのメンバーは全員撃沈。)

2015年の道マラ挑戦が終わりました。目標にあと一歩届かず。まあ、終わってしまったものは仕方がありません。
悔しさをかみ殺しつつ、お互いの健闘をたたえ合いながらレースを振り返ります。暑かった?いや、昨年に比べれば全然楽だったんです。でも、このコースを攻めることの難しさに、またしてもやられた!というまさに「撃沈」の心境が、みんなの胸に去来していたはずです。悔しさをひた隠し、安堵の表情を浮かべつつ、「自分だけじゃなくて、みんな辛かったんだよね。今日はみんな撃沈だったんだね。」と、こうなると完全に傷の舐め合いですな。

もっとも、この過酷な状況下にあっても自己ベストを更新するなど、しっかりと結果を出した仲間もいたわけで、たまたま3時間切りを目指して走った数名と3時間30分を切れずにゴールした数名が、「失敗ラン」だったというだけの話。
いや、失敗だったわけじゃないんですよね。それぞれに皆さん練習もしっかりしたし、脚も作った。でも、そうなるべくしてなった、何らかの「理由」や「原因」があるわけですよ。
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僕の場合は走り込み、特に30キロ走をもっと増やしておくべきでした。35キロまで耐えたけど、そこから脚が出なくなったということは、ペース配分もちょっと誤ったのかも知れません。でも恐らく、前半であれぐらい突っ込まなければこの結果には多分繋がらなかったことでしょう。これにスピードの上乗せができるようになれば完璧ですが、そんなに上手くいくはずがなく。

それでも、昨年のタイムより15分縮まったということ、そしてこの時期にこれぐらいのタイムを出すことができたということは、まだ可能性が残っているということなのでしょうか。
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(前半で少し突っ込み過ぎたかな。走る上では苦にならなかったんだけど。)

9月以降も大会は続きますが、次に繋げられるよう、まずはしっかりフォローとケアをしていきたいと思います。
夏の北海道には魔物が棲んでいます。次回は魔除け持参で臨みます。…さて、その魔除けはどこで手に入るかな?

最後に。走りながら口に放り込んだもの一覧
・スタート~8キロ OS-1ゼリー(給水2か所を飛ばすため)
・10キロ メダリスト エナジージェル りんご
・12キロ 塩熱サプリ
・15キロ MUSASHI Ni
・20キロ パワーバー パワージェル梅
・22キロ 塩熱サプリ
・25キロ Super VAAM 顆粒
・30キロ MUSASHI Ni
・35キロ サバス ピットインエナジージェル 栄養ドリンク風味
・37キロ 塩熱サプリ

少し食べ過ぎました。

フルマラソン携行品チェックリスト

最近、宮城スタジアムで観たサザンオールスターズの投稿にアクセスが殺到しているようです。理由は知ってます。嵐のコンサートが近いんですよね。

すいません、本日の投稿には嵐もサザンも宮城スタジアムも一切登場しません。

秋が近づき、いよいよ今年もマラソンシーズン到来となります。ホントは秋というより晩秋からがマラソンの本格的なシーズンなんでしょうけれど、青森県という土地柄、冬になってしまうとなかなか外で練習するのも厳しいのであります。ということもあって、多少時差を抱えてのマラソンシーズン本番。…まあ、雪が解けた春の時点で本番はスタートしているんだけど。

今年は既にハーフマラソンの大会で岩手県そして秋田県への遠征を終えておりますが、これから先の4レースは全てフルマラソン。しかも、青森県内で行われるフルマラソンは「弘前・白神アップルマラソン」のみということで、北海道、秋田県、そして埼玉県への遠征があります。
ハーフマラソンであれば、ええい!やってまれ!と何とかなる場合もあるのですが、フルマラソンとなりますと、事前の心構えはもちろん、気象情報とかコースのこととか、いろいろと気にしなければならないことがたくさんあります。
体調管理は当然のことながら万全を期するとともに、もう一つ気をつけなければならないことが、当日絶対に忘れ物をしないということ。一つ忘れ物をしただけで、心理状態に与える影響って相当大きいと思うんですよね。そして、仮にその日のレースが不本意だった場合、きっとその忘れ物一つが大きな原因だと凹むわけですよ(まあ、それ以外の原因も本当はたくさんあるんでしょうけれど)。

特に、遠征したときの忘れ物は精神的に大ダメージとなる可能性があります。
まあ、あちらこちらの大会に遠征しまくっているようなランナー(川内くんとかね)であれば、恐らく普段からの慣れというもあって、何をどうパッキングするか、概ね決まっていることでしょう。
しかしながら、私みたいに昨年初めて遠征したようなランナーだと、何をどう荷物にまとめればいいのか、正直怖いというか、わからないところがあるんです。というか、そもそもフルマラソンの経験値が圧倒的に少ないわけでして。その中で県外への遠征するなんて、年に数回しかないので、不安ばかりが募る、というのが正直なところ。

ということで、普段使いも兼ねたチェックリストを作成したのが昨年の今頃。フルマラソンを走るために初めての遠征となった「北海道マラソン」に合わせて、「フルマラ携行品チェックリスト」なるものを作ったのであります。

参考にはならないとは思いますが、どんなものかご覧になりますか?
ランナーによってそれぞれ携行品や服装は異なりますので、これが全てではない、ということを承知のうえでご覧ください。

フルマラ携行品チェックリスト(Excel)

フルマラ携行品チェックリスト(PDF)

Excel版とPDF版があります。使いたければ御自由にどうぞ、ということでExcel版は、好き勝手加工してもらっても構いません(ただし販売目的での再頒布はしないように。笑)。普通に印刷すると紙が4枚出てきますが、個人的には2×2のサイズで1枚に収めるように印刷しています。

一応フルマラソン用に、とはしているものの、ウェストポーチの有無(又は内容物の変更)によっては、ハーフマラソンや10キロレースでも使えるのかも知れません。まあ、ウルトラマラソンは無理だと思いますが…。

しかし昨年は、ここまで用意周到だったにもかかわらず、遠征レースはことごとく撃沈した記憶が蘇ってきました…(苦笑)。多分、そんなに石橋を叩かなくてもいいんだよ、ということなのかも知れません。今年はもう少しリラックスしてレースに臨みたいものです。別に五輪を目指しているわけじゃないし、これぐらい気楽に構えてもいいんだよね、ホントは。

集合直前

もはや故障と上手く付き合うしかない。

14日の金曜日、弘前・白神アップルマラソンの試走ということで、フルマラソンの折り返し地点である西目屋村までの往復ランを敢行してきました。クラブの仲間30名以上が集まったこの試走会、自分自身としてはそれほどペースを上げることもなく、途中何度も休憩を挟んだため、35キロ以降は多少苦しさがあったものの、無事に完走(ただし実走距離は41.6キロ)、翌日15日の定例の朝練でも、疲労抜きと言いながら約10キロを結構いいペースで走りきりました。お盆休みの最終日16日は、当初朝のうちに走ろうかと思っていたのですが、思った以上に疲労感が残っていたため、夕方に近い時間帯にゆっくりと弘前市内をジョグ。途中ひまわり畑やりんご公園、禅林街の中を走り、最後は五重塔の横を通って帰宅。

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夕方に近いとはいえかなり暑さが残っていたこともあって、疲労困憊に近い状態でジョグを終了。シャワーで汗を流しながら、右足首辺りに違和感があるのを察知しました。

…ああ、またしてもアキレス腱周囲炎が再発したな、と確信。
患部を冷やしてみたものの、時間の経過とともに、またじんわりとした鈍い痛み。安静にしているときは全く感じませんが、少し足を動かすと、ズンと痛みが走る、そんな感じでした。
先月今月と無理しない程度を若干越えるぐらいの程度で頑張ってきましたが、そういう無理の積み重ねが災いしたようです。大体普段の月間走行距離が110~150キロ程度だったランナーが、いきなり200キロをオーバーするぐらいのペースで走ったところで、怪我のリスクが多くなるだけ。まさにそれを実証してしまったわけです。
取りあえず冷感湿布を足首のサポーターで固定したところ、右脚の痛みはかなり緩和されました。
ただ、右脚だけならともなく左脚にも多少の違和感。実はこちらの方が怖いのであります…。

クラブに参加して走り始めた最初の頃はふくらはぎの軽い肉離れ、脛や膝の痛みを経て、右足裏の種子骨炎、そして追い打ちを掛けるようにやってきた左の四十肩、更に右脚のアキレス腱周囲炎…。これまでの経過をたどるとよくもまあ次から次へと、といった感じです。舞の海が「技のデパート」と呼ばれるならば、私は「怪我のコンビニ」といったところでしょうか。足の指の爪は両足ともほぼ全てが一度剥がれ落ち、爪としての原形をほとんどとどめていないという…。それも、右脚に痛みを発する頻度が高いということは、多分走るときのバランスや姿勢が悪いということなのでしょう。

2015年はこの先、ほぼ毎月1レース、計4レースのフルマラソンを予定しているところです。しかし、この調子で果たして全て無事に走りきることができるのか、ちょっと不安になってきました。振り返ってみると今年はまだハーフマラソンしか走っていませんが、自己ベストを更新したレースと全く歯が立たなかったレースがハッキリしています。でも、これまで怪我が理由で大会に出場できなかったのは一度だけ、あとはリタイアもなく何とか無事に完走しているわけでして、ハイ。
せっかく生涯付き合えるような趣味、愉しみに出会えたのですから、ここは無理せず慎重に行こうと思います。

ちなみに、今年はバランスディスク一つで体幹を鍛えるという無謀な挑戦をしています。職場の椅子の上にバランスディスクを敷き、背もたれに絶対に寄りかからないと決めてデスクワークに取り組んでいます。少なくとも、腰痛はかなり解消されたような感じ。走っているときも、何となく腹部に疲れを感じなくなったような…。まあ、効果があるのかどうかは、間もなくシーズンインすることで明らかになることでしょう。

フルマラソンを走りきるって、一朝一夕でどうにかなるものじゃないし、まして急に付け刃的な練習をしたところで完走できるかどうかも怪しい。そう考えると、これまでの積み重ねが実を結ぶのが、まさにこれからなんだと信じたいところです。
まあでも、これまでで全てやりきった、とは言い切れないし、そう考えると、マラソンって本当に奥が深いスポーツです。