皆さま、ダラダラと申し訳ございません。勝手にこしらえた3部作、これにて完結です。
【中編から続く】
沿道からは、小さな子どもたちがランナーに向かって手を伸ばしている。試しに手を差し出すと、チョンとタッチしてくるのかと思いきや、力強く手を叩いてきた。
それが何だか、「お前さ、もっと頑張れよ。」と言われているような気がして…。
また子どもが「がんばれ、がんばれー」と大声で叫びながら手を出している。
再び手を差し出してみると、やはり力強くポンと手のひらを叩かれた。
この悪天候の中、ランナーのために鼓舞する小さな姿。自分の不甲斐なさと申し訳なさがジワジワこみ上げてきた。
もっとちゃんと走らなきゃ。
もはや気力は完全に失せかけていたが、それならば…と再び駆け出してみる。
面白いように周囲のランナーをごぼう抜きするだけの余力が、まだ有り余っていた。もったいない!
走る距離はたった1km、いや、500mかも知れないが、ダラダラ歩くよりはいいだろう。
35km地点を過ぎたあたり、歩き始めた直後に奇妙な一団が横を通り過ぎていった。関係者二人が付き添うランナー。
沿道からの声援ですぐにそれが誰なのかわかった。
「山中教授、頑張って!」
IPS細胞でノーベル賞を受賞した、山中伸弥教授とその関係者の一団だった。後ろには、コバンザメのように一般ランナーが追随している。
なんと!…でも、ちょっとついて行ってみよう。再びペースを上げて集団の横につく。
ちらりと一瞥すると、教授は辛そうだが、足取りがしっかりしている。少し前に出て時計を見ると、概ねキロ5分のペースで走っているようだ。つかず離れずの距離を保ちながら数キロ、この集団と一緒に走った。…が、37km付近の給水ポイントで姿を見失った。
残り4キロ、いよいよ北大の敷地へと入っていく。もはやタイムなんてどうでも良くなっていた。
「走るのやめて、そっちの芝生に寝転がりたいわ!」
「あはは!あともうちょっとだから頑張ってね!」
沿道の人たちに愛嬌を振りまきながら、ゴールを目指す。
残り1キロ、声援を送るHさんの姿を発見。が、Hさんはこちらに全く気付いていない。
近づいて「どうも!」と声をかけると、「あー!あーっ!撮影間に合わないっ!」と叫ぶ。
思わずその場に立ち止まり、喜色満面でポーズ。
全力を出し切れなかったという消化不良はあるものの、ここまで来たら、とにかくゴールさえできればそれでよかった。
悪天候にもかかわらず、沿道から声援を送ってくれた人たちが背中を押してくれたから、ここまで来られたのだ。今日は、それに尽きる。途中でやめないで、本当によかった。
ゴールラインを踏んだのは、3時間39分を経過してからだった。
帽子を脱ぎ、コースに向かって深々と頭を下げた瞬間、久し振りに色んな思いが去来してきた。
昨年、うなだれながらこのコースを延々と歩いたこと、それでも頑張れー、頑張れー!と沿道から声援を送ってくださった人、私設エイドで様々なものを提供してくれた人、大声で「弘前頑張れ!No Apple頑張れ!」と応援してくれた皆さんの声援や手を振る姿、ファンタグレープを手渡し「まだ終わってないぞ」と檄を飛ばしてくれたおじさん、脚が攣ったのを見かねて慌てて給水場から駆けつけてきたおばちゃん…が頭の中を駆け巡り、思わず嗚咽を漏らしそうになった。
これだ…この感覚。
沿道の人たちへの感謝の気持ちこそが、自分が忘れていた感覚だということに気づいた。忘れ物を、ようやく見つけたような気がした。
グッと涙をこらえながら空を見上げると、すっかり雨も上がり、何食わぬフリをした青空が、広がっていた雨雲を追っ払って顔を覗かせていた。
目まぐるしく変わる天気に翻弄された3時間40分。
首からぶら下げられた完走メダルが、いつになくズシリと重かった。
実は今年をもって出場をやめようと思っていた北海道マラソン。正直、この時期のフルマラソンは相当身体に堪える。でも、悪天候の中のたくさんの声援が、どうやら来年の出場への後押しになりそうな気配だ。
我ながら、この後半の櫛みたいな走りっぷりもなかなか酷いな、と苦笑い。
走り終えた後、2日間我慢したビールを口にした。昨年のような苦々しさはなく、妙に清々しい気分で飲み干した。
多分、心に引っかかっていた棘がはずれ、モヤモヤが晴れたからだろう。
まあ、ここで焦ったところでどうにもならないということもわかっているつもりなので、まずは慎重に、じっくりと次に備えようと思う。
結局のところ、北海道マラソンは僕にとって、色々な意味で因縁深い大会になっているようだ。
北海道の皆さん、そしてともに駆け抜けたランナーの皆さん、本当にありがとうございました。また来年もよろしくお願いします!
(次の大会は10月、「弘前・白神アップルマラソン」のペースランナーです。)