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公共交通機関としての路線バスを考える

今日は、ちょっとだけ真面目ぶったお話。
突然ですが皆さん、最近いつ路線バスを利用したか、覚えていますか。
僕もかれこれ2か月ぐらい利用した記憶がありませんが、実のところ僕の身近なところでは、多くの方が「いつ利用した記憶がない」ぐらい路線バスを利用されていないのではないかと思います。

「路線バス」と聞けば僕はまず、太川陽介と蛭子能収のゴールデンコンビがパッと目に浮かぶわけですが、あの番組を見ていても、とりわけ地方の山間部や県境付近に行けば行くほど路線が繋がっていなかったり、運行時間がとんでもなく間延びしていたり、民間主体の路線バスではなく行政主体のコミュニティバスが運営されていたりするのが実態で、かなり苦労しながら旅を続ける姿が放映されていますよね。(…って、皆さんあの番組をご存じだろうか。)

車社会と言われて久しい昨今、道路がどんどん整備され、マイカーでの通勤はごく当たり前のこととなり、ご子息の通学の送迎、そして夜の塾の送り迎えにもマイカーを用いる、そういう方が多くなったのではないかと思います。(…うちらの頃は考えられんわ。)

路線バスは公共交通機関の一つではあるとは言うものの、実際のところは人口減少や車社会の発達により、利用者数はどんどん下がっているのが現状。特に地方に行けば行くほど苦戦を強いられているようで、青森県内においても先月、南部地方のバス会社が民事再生法適用の申請を行い、岩手県のバス会社に事業譲渡することが明らかとなりました。

同じ公共交通機関でありながら、鉄道とバスが大きく異なるのは、鉄道網の場合は動脈のような役割を担う一方、路線バスは毛細血管のような役割も担わなければならないということ。
そして、恐らく路線バスを利用しない一番の理由は、その必要性がないから、ということに尽きるのかも知れませんが、前述の毛細血管の末端に行けば行くほど、地元の足として存続させなければならない、という言葉を耳にします。不採算路線であろうとも、じゃあ実際どれだけ利用されているかというと、さて…ということにもなりかねないわけですが、一方で、その末端に近い路線でこそ黒字をはじき出している、ということがあるようです(弘前市内では、そういうデータが過去に示されたことがあります)。なので、郊外の方だからバスに誰も乗らない、というのは大きな誤解であることは、一応付しておきたいと思います。

僕は専門家ではありませんが、一般市民の見地から、これからの路線バスがどうあるべきかを少し考えてみたいと思います。

昨年4月、僕の家のすぐそばを走るバス路線が、事実上廃止されました(朝6時台に弘前駅へ向かう1便のみ運行)。弘前駅を出発し、市中心部の土手町を抜け、大学病院、弘前市役所の前を通り、僕の卒業した中学校の前を通ってから再び弘前駅へと向かう、循環型のバス路線でしたが、特に日中の利用者はほとんどないような状況が続き、とうとう廃止となってしまいました。廃止後は近くを走る路線バスの一部ルートを変更して代替性を保っているようですが、見たところこちらの乗車率も芳しくないようです。しかしながら、前述の通り毛細血管的なルートでもあることから、路線廃止までには至らないようです。

なぜバスが利用されなくなったのかというと、
・そもそも自分が行きたいところまで行かない
・バス停に行くまでが面倒
・時刻どおりに走らないし、渋滞などに巻き込まれ、時間を要する
・料金が高い

などといったことが挙げられると思います。実際、うちの近所を走っていた廃止路線は、市内を遠回りしながら走ることとなるため時間を要しており、僕も路線バスを利用する時は、家から100メートルもない至近距離にあるバス停ではなく、約500メートル離れたバス停まで歩いていました。(実際そちらのバス停を通過する路線の方が本数も多い。)

ちなみに。
弘前駅を出発して、僕の家から500メートル離れたバス停を通るバスの最終便は、21時35分発。20時42分に青森を出発する電車に乗車すると、このバスにちょうど間に合うという計算になりますが、実際のところ最近では、よほど悪天候の時以外はほとんど乗車することがなくなりました。なぜなら、弘前駅に電車が到着した直後に歩いて家に向かうと、大体このバスに追い越されるのが、僕が下車するバス停のすぐ手前だからです。直線距離にして約2キロ、弘前駅からこのバス停までは210円。回数券も持っていますので、バスに乗ってくればいいじゃない?と自分でも思うのですが、酔い醒ましも兼ねて歩く、ということに慣れてしまうと、バスに乗車するきっかけって減ってしまうものなのです(…というバスに乗らない言い訳)。一時期22時台のバスが運行されていたことがあり、そちらは青森市内での飲み会の後でちょこちょこ利用していましたし、乗客数もそれなりにいたように見受けられたのですが、あっという間に廃止されてしまいました。まあ、運転手の負担や採算を考えた上での廃止だとは思いましたが、タクシーのように割増料金を取っても運行して欲しかったなあ、と思うことがあります。(ちなみに駅から家までタクシー利用だと1,100~1,300円程度)

信号や道路事情など、様々な要因で遅れてしまう。それが路線バスの常であります。
他方、鉄道路線の廃止が取り沙汰され、その代替案としてバス運行を提案しても、地域住民は頑なに鉄路にこだわろうとします。

東日本大震災で大きな被害を受けたJR大船渡線や気仙沼線では、一部区間においてBRT(Bus Rapid Transit, バス高速輸送システム)による「仮復旧」を行っています。鉄路としての復旧には莫大な経費がかかることを鑑みると、恐らく現状では「仮復旧」が「本復旧」になるのではないかと思います。

それでもなお鉄路にこだわるのは、恐らく周辺の大きな都市との「繋がり」を鉄道で保ちたいからなのだろうな、という気がします。そして、鉄道があるから優位だとか、そういうことではないとは思うのですが、廃線=地域そのものが寂れているか廃れているという誤解や、一気に寂れてしまうか廃れてしまうという懸念・認識を与えるということも、廃線に対する抵抗が根強い理由の一つなのではないかと思います。

さてさて。鉄路の話をしたからでしょうか、話がちょっと脱線してしまったので、軌道修正。

どうしたら公共交通機関としての路線バスをうまく存続することができるか、ということをふと考えてみたわけですが、車社会の到来が足かせになっていることを認めつつも、一番大きな問題は、ダイヤの見直しはしても、路線の見直しを行っていないからじゃないか、と思うことがあります。
路線バスがどこから発着するかというと、大概が駅やバスターミナルを起点とし、そこから路線は放射線状に広がったものになっています。
確かに交通の要衝(動脈)である鉄道の駅を起点として、放射線状に路線(毛細血管)を張り巡らせるというのは、ごくごく当たり前の考え方だとは思うのですが、現実問題として、駅が一番混雑するのは朝と夕方ではないでしょうか。私も毎朝駅を利用していますが、各地から駅を目指してやってくる朝の路線バスには結構な数の乗客がおり、この時間帯だけを見る限りでは、決してバスが閑散としているという印象は受けません。
しかしながら、それ以外の時間帯に駅を利用する人というのは、なかなか限られてくるような気がするのです。
弘前市の場合、市役所や病院を迂回して運行されている路線バスが相当数ありますが、実際そこを利用したいと思って乗車している人はどれぐらいいるのでしょうか?
路線バスの終点、すなわち毛細血管の末端の地域にいる人たちが目指したいのは、本当はどこなのか。これは一概に一か所だけを指すことは難しい問題ですよね。最小公倍数の世界で、目指すところは通したい、と思うからああいう複雑なルートを辿るバス路線があるわけで。
ただ、数の中には明らかにこの時間帯でここを通る必要はないだろう、と思う路線もあるような気がするのです。放射線の上にかぶせた網目といえばいいのでしょうか、縦と横の組み合わせといえばいいのでしょうか、鉄道と異なり、乗り継ぎ等の利便性に乏しいというのも、路線バスを利用しない理由の一つなのかも知れません。
奇をてらったところで例えば、飲み屋街のすぐ横から出発する夜だけのバス、とか。…あ、でもこれは車内が汚される可能性が高いから危険か。

弘前市には市営バスがなく、路線バスは民間事業者一社のみによる運行ですが、地域の足を支えるという点からも、行政の力添えなくして運行を継続するのは非常に難しい時期に差し掛かっているのだと思います。路線バスのライバルはタクシーではなく、マイカー。そしてそれはもはや、太刀打ちできないほどに増え続けているのが実情。

人口減少も進む中、利用者が減っている事業者にしてみれば、一刻も早く廃止したい不採算路線がたくさんあることと思います。住民サービスの一つとして行政主体のコミュニティバスなどに切り替えている例もたくさんあるようですし、実際弘前市内でも、駅を起点とした循環バスを運行しており、観光客も含めた利用が見受けられます。今はまだ議論にはなっていませんが、仮にそれ以外の毛細血管に血が行き渡らなくなった時にどういう事態を引き起こすかは、言うまでもないと思います。

既に有識者による路線バスをはじめとする公共交通機関のあり方は多くの地域で議論され、行政をはじめとする手厚い支援もされているようですが、南部地方のバス会社による民事再生法適用の申請は、決して対岸の火事ではないと考えた方がいいと思います。金融機関が県を跨いで連携を始めつつある中、いよいよバス業界にも、そういった波が押し寄せているのだろうか…こういうのを皮切りに業界再編が本格的に始まるんじゃないか…なんてことをふと考えた次第です。

でも、関係ないんですけどこれはダメでしょ。

路線バスではなくて貸切バスなのですが、忘年会の送迎で来たようです。完全に横断歩道塞いでます。降りてきたガイドと運転手を睨んだら、思いっきり睨み返されました。交差点内って、そもそも駐停車禁止じゃないんでしたっけ?バスもタクシーも、交通ルールを都合のいいように自己解釈し過ぎだと思います。実はこういうのが嫌で、公共交通機関を利用しないというのは、僕だけなのかな。

密林には時々トラップが仕掛けられている。

安心して下さい、保証ついていますよ。の言葉に騙されました。
時として買い物には失敗がつきまとうものですが、今回は完全に安物買いの銭失い。
…いや、銭は失わずに済んだのか。

怒りに次ぐ怒り、そしてまた怒りで、イカリングが嫌いになりそうです。
頭から湯気が上がりすぎて、のぼせそうです。
顔が紅潮しまくりで、黄色人種から赤色人種へとモデルチェンジしそうです。

Amazonで購入した2つの商品、どちらにも不具合。
発売元のその後の対応にも頭が来て、立て続けに返品しました。

一つは折り畳みの傘、ベストセラー1位なんだって。ふーーーん。
もう一つはBluetoothのスポーツイヤホン。何でカスタマーレビューの評価が高いのか、意味がわからない。

まずは傘!これはちょっと酷かった。
今使っている傘がだいぶヨレヨレになったこともあり、何気なくAmazonを覗いたらタイムセールの商品の中に折り畳みの傘を発見。6,999円が2,000円、更にそこから400円引きという段階でかなり疑ってかかるべきでしたが、評価も高いので結構良いものなのだろうと思ったら、とんでもありませんでした。

2度目の使用で違和感を感じ、帰宅後に傘を開いてみたら、何と骨に歪みを発見。発売元は購入後60日間の無料交換と1年間の保証を謳っていましたので、何の迷いもなく交換を依頼しようとメール送信したのです。もちろん、歪んだ部分の画像と一緒に。

以下、それ以降のやりとりを簡単に。

画像を添付した最初のメールを送信。
→ おかしな日本語にすぐ気づく。 「傘の骨の不良状況について写真を撮っていただけないでしょうか。写真を見れば、すぐ承知になります。これからも、こちらは業務管理にももっと厳しくなります。」
→ 一度送ったのに見ていないのかな、と訝しがりながらも画像を再送。
→ 「不親切なご利用でそんな状態になる可能性もあります。クーポン番号をご提供いたしますため、お客様は自分で商品ページで再注文をして…」
→ 何だこのメール。こちらに非があるといいたげな内容。ちょっとイラッとするんだけど。
→ 示されたAmazonクーポンを入力し、再注文しようとしたところ、「お客様の入力したクーポン番号は使用できません。」と表示。
→ クーポン番号使えないんだけどどうなってるの?
→ 「すみません、クーポン番号は有効期限が過ぎてします。」「谷様の住所アドレスと電話番号を教えていただけないでしょうか。住所アドレスと電話番号を内緒にしておりますので、是非ご安心くださいね。」
→ やかんの湯が沸騰したような勢いで頭から湯気が上るのを確認。ご安心くださいね、じゃねえよ。だいたい、谷様って誰だよ。この時点でアウトだよ。
→ もういいです。返品します。メールにも返信してこないで下さい。
(「 」内は原文ママ。)

まあ、国外の方が丁寧に対応しているつもりなのだろうとは思いますが、ここまで言っていることが二転三転すると、信用なくなっちゃいますよね。「業務管理にももっと厳しくなります。」なんてよくもまあヌケヌケと言えるものだ。先方は精一杯誠意ある対応をしていると思っているのかも知れませんが、ここまでバカにされると、不誠実極まりないとしか言いようがありません。何だか詐欺にでも遭っているみたいな、イヤな気分に苛まれました。傘はしばらく100円ショップのビニール傘でやり過ごそうと思います。どうせこの先、雪で傘なんて使えなくなるんだから。

もう一つのスポーツイヤホン、実は同じタイミングで購入したもの。
初めての充電を終えて耳に差し込んだ時点で既にノイズが入っているような状態。しかも、電源オフにしてもノイズが入ってくるような状態で、気になって仕方がない。しかもその直後、電源をオフにしてもオフにならない事態が発生。こんなの使い物にならないだろう、とすぐに返品手続き。
あまりに癪なので、発売元にもメール送信。
すると、「新しい商品を送るので使って欲しい。」とのこと。いやいや、こちらは返品手続きしているんですけど?でも、交換して頂けるのであれば、交換して頂けますか?

「では、商品を送ります。到着後、レビューの変更をお願いします。」
…え?

数日後、Amazonから返金の連絡。時同じくして、「代替品」も到着。
…へ?

「商品の返品を確認しました。届いた商品はそのままお使い下さい。使用後のレビューの変更をお願いします。」
…は?

ところが届いた商品、またしても同様にノイズが発生し、今度は充電しても充電できないという事態が発生。
返金&代替品到着という意味のわからない対応の挙げ句、またしても不良発生。ここまで来ると腹が立つのを通り越してただ呆れるばかり、販売元に連絡する気にもなれず、ゴミ箱行き決定。ちなみにこの販売元から届いたメールも、何だかおかしな日本語でした。

それにしても、カスタマーレビューを書き換えろ、つまり代替品を送るので評価を上げろ、というのは、いかがなものかと思ってしまいます。(もちろん二度も不良品を掴まされ、評価が上がるはずもなく。)

確かに最近のカスタマーレビューを見ると、ああ、関係者を巻き込んだ自作自演だな、というレビューが凄く増えている感じ。もちろんちゃんとした商品管理や責任を持って対応しているところがほとんどだと思うのですが、特に家電や日用品でレビューの数がやたらと多い、しかも、高評価が集まっているといった商品はホント要注意ですね。
カスタマーの名前が本名っぽいんだけど、日本では使わない漢字が使われている名前とか、自ら「様」を名乗っているカスタマーとか、文面が明らかにコピペのような内容とか、そもそも日本語がおかしいとか、そんなのがたくさんあるわけですよ。

健康と家族はさすがにラインナップされていないとはいえ、何でもワンクリックで自宅まで届けられる時代となりましたが、さすがは密林、何が転がっているかわかりません。こういうトラップや落とし穴が待ち構えていることに、充分気をつけましょう。
私も氣おつけます…あっ!

2016年、今年の漢字

2016年、今年の漢字が発表されました。大方の予想どおり(?)今年の漢字は「金」。

「金」は2000年、2012年に次いで3回目。五輪の開催された年に選ばれる傾向にあるようです。
2016年今年の漢字

今回選ばれた理由は、

・リオ五輪に沸き、東京五輪に希望を託した「金」(キン)と、政治と「金」(カネ)問題に揺れた年
・スポーツ界に新たな金字塔、マイナス金利初導入、シンガーソングライターの金色衣装などにも注目集まる

というのが大義名分で、実際は

・東京五輪や豊洲市場を舞台とした権益と「金」(カネ)に群がる連中、政治と「金」(カネ)問題に国民が散々振り回された年
・広島カープにおいしいところをみんな持って行かれた阪神タイガース「金」本監督へのエール
・独裁国家を目指す新大統領の髪の色と髪型などにも注目集まる

ということのようです。個人的には”理不尽小僧”ことアパッチプロレスの「金」村キンタローが2016年で引退することが結構衝撃的でしたが。いずれにせよ、「金」が3回も今年の漢字に選ばれることは、凄いことなんだと思います。

ちなみに過去10年の漢字は、
2015年「安」 2014年「税」 2013年「輪」 2012年「金」 2011年「絆」 2010年「暑」 2009年「新」 2008年「変」 2007年「偽」
だそうです。流行語大賞と一緒で、全く記憶に残っていませんね。

変わったところでは、2003年「虎」。阪神タイガースが18年ぶりに優勝した年だったんですね。だったら今年は「鯉」でもいいんじゃね?と思いましたが、鯉はランキング外だったようです。「不」と「倫」が続けざまにランクインしていたのには笑ってしまいましたが。となると、乙武、乙女…ということで「乙」でもよかったのか?

この「今年の漢字」、主催する法人はかつてのトップやそのファミリーが私利私欲のままに法人の「金」を食い潰してきたという経緯がありますし、清水寺貫主が揮毫したものを、京都の祇園に建設した「漢字ミュージアム」に飾り、「金」を集めるためだけのパフォーマンスなのかな、という気もしてきます。大体にして同じ漢字が3度も選ばれるとなると、何かこの催しもマンネリ化してるよね、といった感じも否めないという。

そして今回、晴れて3度目の受賞となった「金」は、ベストカンジスト殿堂入りということでいいんじゃないですかね。ということで、何となく予想が付いていただけに、もう少しひねりが欲しいところでした。とはいえこの「今年の漢字」、個人や団体による一般投票なんですね。投票すれば抽選で図書カードなども貰えるらしい…。

ちなみに私にとって今年一年を表す漢字は、「別」。

2月には高校時代の同級生が4年超に渡った闘病生活を終え、4月には敬愛してやまなかったプリンス、そして9月には尊敬していたまちづくりの巨匠が急逝…。6月と10月は立て続けに愛犬の旅立ちを見送り、7月には13年間乗り続けた愛車を手放すなど、大事なもの、大切な人との別れが立て続けにやってくることとなり、しまいには枯れる涙も出なくなった、そんな一年間でした。
実はこの「別」、昨年から結構ずっと引きずっているような感じ。

というのも、一度は出てみたいと思っている「別」府大分毎日マラソン(制限時間3時間30分の高速レース)、結局来年2月も行けないんですが、どうやら再来年も怪しくなってきたのです。理由は、強いて言えば「お家事情」です。

降る雪や別大は遠くなりにけり

嗚呼。ぼちぼち楽しい方向にベクトルを向けたいところですね。いや、今でも結構楽しいといえば楽しいんだけど。

それでは皆さん、良いお年をお迎え…いやいや、まだ早い早い!!

「弘前・白神アップルマラソン」の行く末を 【再度】 考える

前回の投稿で「何かあっても収束する場所、いわゆる逃げ場はここにある」と言っておきながら、気がついたら10日も彷徨っていました。ホントすいません、どうもすいません。

何があったということでもないのですが、彷徨っていた一番の理由は「何もなかった」という、これに尽きるわけです。要するに、ネタがなかっただけという…。

今日はとっておきのネタを持ち合わせているのかといえば、正直言ってネタはないです。ただ、年末も近づいてきたことだし、色々来年に向けた展望やら今年の振り返りやらをする時期に差し掛かっているんだな、と思いまして…。

今年は、ほとんど「まちづくり」や「地域づくり」といった活動・イベントに顔を出していないことに気がつきました。隆盛を極めていたのは「AOMORIパワフル創造塾」に参画していた3年前ですが、それ以降、あまりそういう場に顔を出す機会がなくなってしまいました。

いや、こういう活動に首を突っ込むのも好き嫌いがある話だと思うのですが、いざその輪に加わってみると、意外と楽しいものです。ただ、一度その輪が固まってしまうと、第三者はなかなか入りづらい、ということもあると思います。

だからこそ、中立的な立場でその状況を俯瞰する、と言えば生意気かも知れませんが、時には一歩引いた形で置かれている立場を客観視する姿勢も必要なんだと考えます。

さて、そんな持論はともかくとして、きっかけはたくさんあったはずなのに、そういった活動やイベント等に全然参画していないのは何でだろう、と考えてみたわけです。確かに時間の都合が合わなかったこともありました。でも、実のところはマラソンとかランニングとかに精を出して、そっちの方にアンテナを向けていなかった、多分これが一番の理由なんだと思います。
ただ、色んな土地の色んな大会に参加しながら、地元の大会はもちろん地域おこし、まちそだてに何か生かせることはないかなあ、という視点を持っていたのも事実です。

地域おこしやまちおこしのイベントに参画するのは、きっと心の中に何か思うところがあるからだと思っているのですが、参画する機会が減ったということは、そういう心の中のわだかまりが消えたというか、地域づくりやまちづくりに何の異論もないから?いや、そういうことではないんだと思います。

でも、数の中には、理念ばかりを掲げて全く実践に結び付きそうもないようなものもありますよね。
そのような場に居合わせ、自分が「あ、それはちょっと違うと思う。」と気づくだけでも、その場にいた意義はあるのではないかと思うわけです。ただ、あれやこれやといろんなものを吸収しすぎると、さっきのような「理念だらけ」の頭になってしまう可能性も否定できないという。

逆に自分でそういう「場」を設けるきっかけを提供するのも、一つの方法かなと思っているのですが、地域の皆さんと真面目に議論したいと思っていることが一つだけあります。

結局また「そっちかよ!」と言われそうですが、来年以降の「弘前・白神アップルマラソン」は一体どうなるんでしょう。

今年の「弘前・白神アップルマラソン」は季節外れの暑さの中で開催されましたが、14回目にして参加者が初めて減少に転じたようです。
既に4度目の開催となった「山形まるごとマラソン」という、山形市中心部を駆け抜けるマラソン大会は、「弘前・白神アップルマラソン」と同日に開催されており、今年も約5,000人の参加があったそうです(定員100%でした)。
青森県内では「あおもり10市(とし)大祭典」というイベントが県内各市持ち回りで開催されていますが、山形県内各地の祭りを初めて一堂に集めた「まるごと山形祭りだワッショイ」というイベントが大会前日に開催され、約3万人が集まったとのこと。しかもこのイベント、「山形まるごとマラソン」の前日祭という位置づけなのだとか。

八つの祭り集結、観客3万人沸く 山形市内練り歩く /山形

他の地域ではこうやってどんどん手を打ってきているのに、弘前は何やってるんだ…と、地団駄の一つも踏みたくなります。
いや、別にこういうイベントをやって下さい、ということではありません。
ただ、もっとホスピタリティの充実に目を向けないと、来年以降も確実に参加者が減りますよ、という警鐘を鳴らしたいのです。

まず、県内外からたくさんの方々が集まる中、相変わらず歓迎ムードの一つもないというのは、いかがなものかと思ってしまうわけです。弘前駅はもちろん市内のどこを見ても、「歓迎」ムードは皆無。それともあれでしょうか、所詮アップルマラソンに参加する人数なんてたかが知れているんだから、そんなものは必要ないってことでしょうか。
大会のもたらす経済効果がどの程度なのかはわかりません。でも、日曜日の大会に出場した後で、食事するところもない、身体を流せる温泉やお風呂の場所もわからないと、ないないづくしのようでは、正直言って盛り上げようという機運も下がりますし、市外や他県から来られた方々に対して、あまりにも冷遇過ぎませんか。前夜祭をやっているからいい?いや、前夜祭には全員参加していませんよね?

断言します。来年以降、「弘前・白神アップルマラソン」は確実に参加者が減ります。
その最たる理由は、「山形まるごとマラソン」ではありません。来年、「弘前・白神アップルマラソン」と同日(又は一週違い)に宮城県名取市で「東北・みやぎ復興マラソン」という大会が初めて開催される予定となっています。しかもこちらは宮城県初の公認フルマラソンコースを目指し、日本陸上競技連盟に申請予定とのこと。

僕自身、正直申し上げますと、地元で開催される「弘前・白神アップルマラソン」より、そっちの大会に出てみたいという気が起きつつあります。いや、僕だけではないと思います。弘前市はもちろん青森県内、そして、これまで「弘前・白神アップルマラソン」に参加していた北東北三県のランナーでさえ、初めて開催される「東北・みやぎ復興マラソン」に参加してみたいと思うのではないでしょうか。東日本大震災から6年が過ぎてもなお、復興の一助になるのであれば…という思いを抱くランナーも出てくるはず。

ランナー目線からすると、この「公認コース」かそうでないかというのは、結構大きなウェイトを占めています。いわば陸連公認コースかそうでないかは、ランナーを集める一つのツールとなり得る、ということ。公認かどうかなんて、所詮一部のランナーしか気にしていないんだろう?と侮るなかれ。「弘前・白神アップルマラソン」に参加しているランナーなんて、ほんの氷山の一角ですから。

もっとも、これまで「弘前・白神アップルマラソン」には目もくれなかった関東近辺のランナーが、この「東北・みやぎ復興マラソン」に集結する可能性があります。そういう点では、「弘前・白神アップルマラソン」への影響は少ないのかも知れません。しかし口コミの力は恐ろしいものです。それを実証しているのが「山形まるごとマラソン」なのですから。

昨年は初めてペースランナーを導入するということで、我々からも意見を色々聞いていたはずなのですが、結果として何か反映されたものがあるかといえば…さて、どうでしょう?実行委員会だけで物事を決めたところで、同じことになるだけ。だって、大会自体がマンネリ化、実行委員会が形骸化していることに、気づいていないんだから。
PDCAサイクルで言うところの、PDしか実践していないのが現状だと思うのですよ。

本当に最初の頃は周囲に目を配るなんて余裕がなく、「自分が走れればいいや」ぐらいにしか考えていなかったのですが、自分でペースランナーを務めてみたり、弘前公園RCの一員として大会を盛り上げていく中で、どこかバランスが悪くなっているような気がしてならないんですよね。

多分、ランナーばかりが集まってしまうと、ランナーの都合のいいようにしか意見がまとまらないのです。だから、ランナーからばかり意見を聞くのではなく、応援して下さる市民の皆さんやボランティアとして参加された方、さらには、商売をされている方々からも色んな声を聞いてみたいと思いますし、何を期待しているのか、あるいはどんな迷惑を被っているのかも聞いてみたい。
その上で、少し危機感を持って全地域挙げて取り組まないと、大会自体がどんどん尻すぼみしそうな気がします。…いや、地元の方ばかりが参加するような、和気藹々とした雰囲気の大会も「アリ」なんですが、自分の中にあるこのわだかまりが何なのかを追究してみたい、PDCAサイクルで言うところの、CAの部分を探ってみたい、そう思った次第です。

実は2年前にも全く同じような内容を提言しています。ただ、あの頃は何となくでしかなかったので、そんなに深くは考えていませんでした。

「弘前・白神アップルマラソン」ワークショップ開催の提案

が、今度はちょっと深く考えなければならない時期に差し掛かっているような気がしてなりません。どこかのタイミングで合間を縫って、こういうことを考えるきっかけの場を設けることができないか、ちょっと思案してみたいと思います。

◆◆◆イメージ◆◆◆

(1)似たもの同士による話し合い
ランナー(ランナーが多い場合は持ちタイムの近い人たちで固める)、ランナーじゃない方々がそれぞれグループを組み、50分で議論(アップルマラソンの良いところを20分、悪いところを20分で出し合い、10分で整理)。

(2)似てないもの同士による話し合い
(1)で出た内容を持ち寄り、どうすれば良くなるのかを50分で議論(35分議論、15分で意見集約)。

(3)発表・質疑応答
各グループが(2)でまとめた意見集約の内容を発表、他のグループからの質問に答える。(1グループ10分)

(4)提言取りまとめ
各グループの代表(できればさまざまなジャンルの人がいい)は、質疑応答も含めた内容を整理、提言として取りまとめる。

(5)提言の公表
Facebookページなどで提言を公表、実行委員会に提出。

とか。
でも、マカナエはアイディアを出してもその後どうするのかがないんだよね…と言われるのがオチなんですけどね。