Monthly Archives: 10月 2016

プリンスの言葉 Words of Prince #wordsofprince

久しぶりに、プリンスの話をしましょうか。
早いもので、プリンスが旅立ってからまもなく半年となります。
僕自身は、恐らく自分の身近なところで起こった「死」も含め、これまで色んな「それ」を見てきたので、その現実を意外とすんなり受け入れることができたのですが、未だ深い悲しみから立ち直るきっかけを見いだせず、苦しんでいるファンも数多くいるようです。

何せその訃報は某国営放送のニュースでも取り上げられるほどショッキングなものでしたし、これまであまりプリンスに対して見向きしなかった人たちですら、そのニュースに驚き、改めて評価するという場面もたくさんあったように思います。その一つとして、デジタル媒体やCDといった彼の音楽作品を購入する人たちの急増、という形があったのではないでしょうか。

もっとも、他界された後の再評価という流れ、これはプリンスに始まったことではないのでしょうけれど、プリンスの場合はこれまで発表された音楽作品のボリュームが桁違い。亡き後に数々のチャートをプリンスの作品が席巻する、という事態を招いた一方で、既に廃盤となっている数々の作品にも改めてスポットライトが当てられることとなりました。

再評価に関しては、音楽作品に限ったことではなく、国内外問わず数々の追悼本も出版されました。丸ごとプリンスを特集したムック本、雑誌の特別編集など、ピンからキリまで本当にたくさんの種類の書籍・雑誌が発売され、僕自身、実は未だ全て読み切っていないというのが事実です。

さて。
亡くなってからも話題に事欠かないプリンスですが、前述のとおり、たくさんの追悼本が出版され、きっとファンの皆さんもたくさん購入されたと思いますが、ファンじゃない人からすると、ほとんど興味の沸かない話ですよね。

そんなファンじゃない人にもプリンスのことを知って頂きたい、ファンの人にはもっともっと知って頂きたい、という思いが詰まった書籍 『プリンスの言葉 Words of Prince』 が、10月14日に秀和システムから発刊されました。

これまで発売された追悼本は、プリンス自身の作品のレビューやライブ評、更には彼が手がけた数々の作品を改めて紹介しているもの、国内の著名なファンに対するインタビューや対談などが掲載されたものが多く、どちらかというと彼にまつわる数々の逸話や発表された作品(アルバム)などを振り返りながら、文字通り「追悼」する、といった内容のものが多いと思うのですが、この 『プリンスの言葉 Words of Prince』 は、これまでの追悼本とはちょっと一線を画した内容になっています。

書籍の概要(「秀和システム」より)
アメリカ大統領をして「誰よりも強く大胆でクリエイティブ」といわしめた孤高の天才・プリンス。本書は、現代に生きた真の芸術家として今なお評価が高まり続けるプリンスの哲学や考え方に迫ります。プリンスが残した貴重な言葉の数々、共演したポール・ピーターソンやミスター・ヘイズ、グレッグ・ボイヤーらのインタビューも交えながら“音楽の革命家”のスピリットに触れます。ファンでも知らない意外なエピソードが満載です!

まず手に取ると、その分厚さに驚かされます。何と450ページ近くもあり、イラストなどが掲載されたカラーのページも含まれています。でも、そんなに重くはありません。鞄に入れても大丈夫。

もう一つ驚かされるのが、その価格。税抜きの本体価格が1999円ですって。2000円じゃなくて1999円?はい、プリンスファンなら説明するまでもありませんが、プリンスの代表作の一つである「1999」を意識した価格設定となっています。個人的には出版元のこの英断に、拍手を送りたいです。

では、何が他の追悼本と一線を画しているかといいますと…

(1)プリンスと共演したことのある複数のアーティストのインタビューが掲載。
これだけ複数のアーティストにインタビューするというのも凄いと思うのですが、その内容からも、プリンスがどれだけ音楽に対して真摯に向き合っていたか、そして、どれだけプリンスが愛されていたかを垣間見ることができます。

(2)「プリンスの言葉」というタイトルが持つ意味が、深い。
わかりやすく一言で言うならば、マクロとミクロ、総論と各論の違い。これまでの追悼本では、前述のとおりプリンスが作り出した作品、すなわちアルバムにスポットを当て、改めてレビューするという内容が多い中、本書では、アルバムの中の楽曲そのものに光を当てています。プリンスの歌詞は非常に奥深く、特に対訳がない楽曲も多数あります。そんな楽曲も含め、インタビューやテレビでの発言など、色んな角度からプリンスの「言葉を洗う」ことにより、彼の発した言葉が持つ意味、背景、そして、プリンスが抱いていた世界観を探る内容となっています。

(3)ファンによる、ファンのための、いや、ファン以外の人たちのための…
4月21日の訃報から約半年が経とうとしています。書籍に記された発行日は「10月20日」なので、奇しくもちょうど半年後に発刊されるということになります(実際は14日から発売されていますが)。
しかしたったこの半年で、悲しみに暮れるファンがチームを結成し、英知を出し合い、こんな内容の濃い重厚な書籍を発刊するなんて、誰が想像していたでしょうか。

著者は「New Breed with Takki」。
Takkiさんといえば、プリンスファンの間で知らない人はいないぐらい有名な方。国内外でのプリンスのライブを数多くご覧になっているほか、訃報の直後にいち早くミネアポリスへ渡航するなどの行動力に溢れ、また、数多くの海外アーティストが来日した際のツアードクターを長年務めるなど、関係者はもちろんファンからも絶大な信頼を寄せられている方です。実は私も2002年の仙台公演の際に、Takkiさんと初めてお目にかかっています。でもその時は、Takkiさんの凄さを全く知らなかったという…。

そして、そのTakkiさんが中心となり、さまざまな分野で活躍されている方々で構成されたチーム「New Breed」による一つの結晶が、まさにこの作品。ただし、単なるファンによるファンのための…的な内容になっていないのが本書の特徴で、さまざまなアプローチからプリンスの多彩な人物像を引き出し、プリンスの素晴らしさを今のこの時代、いや、後世に伝えていく内容となっています。
本書の構成や内容は、プリンスのことを本当に愛してやまないファンの方々が結集したからこそできた業だと思いますし、それは決して内輪向けの同人誌のような内容だとか、単なる自画自賛にとどまるものではありません。
そこには、プリンスファンによるプリンスの再評価ということだけではなく、プリンスを知らない、あるいは聞いたことがないという皆さんに是非プリンスを知って頂きたい、そんな願いが込められています。
…といいつつ、実は僕もまだざっくりとしか拝読していないのですが、とにかく皆さんにいち早くこの書籍を紹介したい、という思いに強く駆られ、今日の投稿に至っています。その点は何とぞご了承ください。

そして、実は僭越ながら私も、このチームに参加させて頂きました。…が、蓋を開けてみると、自分がいかに薄っぺらなファンであるかをつぶさに知ることとなり、かなり自己嫌悪に陥ったという…(苦笑)。
でも、そんな自分を発見する機会を頂いたのも、そして、チームの皆さんのやりとりによって僕がこれまで知らなかったたくさんのプリンスを知ることができたのも、このチームに参加したからこそ。

チーム結成から書籍という形になってこの世に出るまで、本当にあっという間でした。この間のTakkiさんの精力的過ぎる動きがあまりにも速すぎて、正直言って追いかけることすらできませんでした。でも、こういうスピード感が大切なんだと思いますし、その中にあっての張り詰めたような緊張感といったら…。とりわけ、中心となって作業された皆さんが酷使したエネルギーを思うと、もう…。

今回の発刊に当たって、僕は100のうち0.01もお役に立つことができませんでしたが、こんな僕を最後まで見捨てずにチームに加えて頂き、かつ書籍に名前まで掲載してくださったTakkiさんには、全く頭が上がりません。
二重作さん、本当にお疲れ様でした。僕もこのチームに加えて頂いて、ありがとうございました。この場をお借りして、深く深く感謝申し上げます。

…ということで、皆さんにもお願いがあります。書店に行ってこの書籍を見かけたら、是非手に取ってご覧ください。願わくば、財布の中身と相談しながらそのままご購入頂ければ、これ幸いです。

そしてもう一つ。なんと言ってもこの書籍は、装丁・カバーが秀逸です。何となくかわいらしいですし、色合いも目を引きます。CDのジャケットが素晴らしく思わず衝動買いしてしまうことを「ジャケ買い」と言いますが、そういう点ではこの書籍、「カバー買い」するに充分なぐらいの外見、内容となっています。

ですから書店で「カバーおかけしますか?」と聞かれても、「いや、結構です。」と丁重にお断りください。そして、書籍を大事にしたいという思いも充分理解できるのですが、できれば皆さんがお持ちのブックカバーも掛けないでご覧になってください。

できれば、公衆の面前…例えば電車内、あるいはカフェ、ちょっとした待合場所や公園のベンチでもいいでしょう。雨に濡れない場所で、正々堂々とご覧になってください。読書の秋にぴったりの一冊となることでしょう。

Amazonの売れ筋ランキングでは、発売直後から10月18日現在において「海外のロック・ポップス」部門で、ボブ・ディランに関する書籍を抑えて堂々の1位を獲得。

プリンスは過去の人なんかじゃないんです。今もなお時代を駆け巡る、トップアーティストなのです。
見た目だけで評価されることが多く、いわゆる「食わず嫌い」の方も多いプリンスですが、この書籍を通じて是非その内面や多彩かつ繊細な一面に触れ、彼に対する興味を抱いて頂ければ、ファンの一人としてとても嬉しいです。
特に、プリンスというだけで嫌悪感を示す人たちや、プリンスといえば「パープル・レイン」、という印象を未だに抱いている方々には、是非とも手に取って頂きたいと思います。プリンスに対する印象が、180度とは言わなくとも、135度ぐらいは変わるかも知れませんよ。

[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

プリンスの言葉 [ New Breed with Takki ]

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記憶と記録が刻まれた日 -第22回きみまち二ツ井マラソン-

4月の「イーハトーブ花巻ハーフマラソン」から始まった今年のジャパンツアーも、残すところあと2レースとなりました。
気がつくとラン歴も今年で7年。さらなる高みを目指したい、昨年より進化したいという欲を引っ込めることができず、今年は4月にハーフマラソンでいきなり90分切りを達成、9月にはフルマラソンで念願の200分切りを達成と、今年に入ってから着実に記録を縮めてきました。

今年の最終レースは11月に開催される「さいたま国際マラソン」。一応ターゲットはここに絞っているとはいうものの、既に今年の目標を達成しただけに、何となくモチベーションを維持できているのかな?という不安がありました。
そんな中、秋田県能代市(旧二ツ井町)で開催された「第22回きみまち二ツ井マラソン」に出場してきました。実はこの大会、うちの母親の実家から車で約15分という至近距離で開催されるにもかかわらず、これまで一度も出場したことがありませんでした。

…前日の弘前公園ランニングクラブの朝練後、こんな会話が交わされていました。
「マカナエさん、明日のハーフはどれぐらいで走るの?」
「うーん、キロ4分15秒から20秒、ペース走ができればいいですかねえ。」
「…明日、引っ張ってよ。」
「あ、いいですよ。大体1時間33分前後を目安に。でも、コースわからないからなあ…。」
「ほぼフラットだから。結構記録が出やすいと思うよ。」

…今回のレースはあくまで練習の一環という位置づけであったため、記録を狙うつもりはありませんでした。公認コースではないということも、その要因の一つであったことは否定しません。

大会当日、会場までは約1時間40分かけて独り自家用車で向かいました。大会終了後に母の実家へ立ち寄って、お盆に手向けられなかった非礼を詫びるためです。(実はもう一つ用事があったのですが、それは改めて。)
ハーフマラソンのスタート時刻は11時。にもかかわらず、当日エントリーのために9時30分まで会場入りしなければならず、しかも周辺駐車場が結構混雑するという話を直前になって耳にしていたので、8時30分過ぎに会場に到着。受付を済ませて体育館に行くと、既に弘前公園RCの仲間たちが場所を確保していました。

ここでも昨日と全く同じ会話。
・今日は4分15秒から20秒のペース走を狙う。
・ターゲットは、1時間33分前後。

今日出場するメンバーは、比較的持ちタイムが近いメンバー。スタートした後はそれぞれが引っ張り合いながらも、ひとまず淡々とペースを刻んで行けばいいのかな、と考えていたのですが…。

退屈な時間を過ごすはずだったのが、仲間のみんながいたおかげであっという間に時間が過ぎ、いよいよスタート時刻が迫ってきました。体育館の外に出ると、うわっ!寒っ!一帯を包んでいた霧が晴れ、青空と雲が空一面に広がっているものの、気温は全く上がっていない感じでした。午前10時の時点で気温は11度だったそうです。
しかし、この状態に騙されてはいけない、と。経験上、大体この天気は気温が一気に上がることが多いからです。

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(IさんのiPhoneで撮影。実は走り出すまで足が痛かったのを隠した。)

ハーフマラソンの参加者は350名ぐらいだったようです。狭い路地にスタート地点がありますが、スタート直後にばらけそうな雰囲気なので、スタート時のストレスはなさそうです。先日、二ツ井町商工会と青森県の横浜町商工会が姉妹商工会の提携を結んだとのこと、そのご縁なのでしょう、この日のスターターは青森県横浜町の町長でした。

11時、号砲。一斉にランナーが飛び出します。予想通り、スタート時のストレスはほとんどなし。綺麗にばらけたと思ったら、いきなり左折、右折と二ツ井町内を駆け回る感じ。北寄りの風がちょっと気になったものの、入りの1キロは4分15秒。うん、ほぼ設定通り。
…がしかし、昨日「引っ張って。」と言っていたSさん。当の本人が、僕よりずっと前を走っているではありませんか(苦笑)。
いや、いいんです。だからといって別に自分のペースを乱す必要はないのです。
何だかクネクネと左折右折を繰り返したような気がしますが、程なく米代川の河川堤防に出ました。どうやらここでしばらく直線になるようです。ふと、僕の横についたのはKさん。
呼吸を落ち着かせながら2キロを通過した際、キロ4分5秒までペースが上がっていました。
「ちょっとペースが速すぎますね。」
気持ちちょっと、ほんの少しだけペースを落とす感覚で。

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(Nさん撮影。Kさんと3キロ手前あたり。脇が甘いし腕がダラリ。)

SさんとSさんの二人は相変わらず100メートル以上先を併走しています。
やがて4キロを過ぎて米代川の橋を渡り、今度は対岸へ。
「コースはほぼフラット」と聞いていましたが、この辺りから緩ーい上り基調が続きます。
3キロから8キロ辺りまでは、4分12秒から4分16秒の間で、予定通りほぼイーブンのペースで刻んでいたようです。しかし、3キロ以降は時計を見るのをやめました。身体でタイムを意識する感覚を身につけようと思ったのです。ただし、頭を使うと糖分を無駄に消費してしまうので、あまり考えずに黙々と走っていました。やがてSさんとSさんも離れはじめましたが、徐々に先行するSさんに追いつき、声を掛けます。
「何か緩い上りですね。無理できないっすね。」

水しかない、と聞いていた給水所には、スポーツドリンクとスポンジも置かれていました。ただし、間隔はかなりバラバラでしたが…。そして、8キロ辺りで折り返しを終えた選手がやってきます。速いです。さすがです。程なく9キロを過ぎて折り返し。…あれ?となると、そんなに先頭と差が開いているわけじゃないんだな。ここで僕は二人のSさんの間に前後で挟まれる形で走っていました。折り返した後は下り基調になりますから、当然ペースが上がる可能性があります。ここで脚を使ってしまうと、町内に入ってから最後の直線まで脚力を維持できなくなると思い、不用意にペースを上げることはしませんでしたが、11キロから再び橋を渡る15キロまでは、4分5秒から4分12秒と、ペースが上がっていたようです。ずっと併走していたSさんも、12キロ前後で息遣いと足音が聞こえなくなっていきました。
多分きつくなるのはこの辺からだな、と思っていましたが、後になって確認すると、想定タイムより10秒も速く走っていたわけで…。
17キロを過ぎ、ようやく町内へ。ここから旧国道7号を延々と走るルートが続きます。そしてこの辺りから、駆け引きに巻き込まれることに。

僕は全くペースを変えている意識はないし、そもそも周囲の選手の走りはほとんど気にしていませんでした。が、実は11キロぐらいからずーっと僕(たち)をマークして走っているランナーが一人いることに気づいていました。ちょうどいいペースランナーだと思ったんでしょうね。16キロを過ぎた辺りから、僕が前に出るとそのランナーが前に出てきて、また僕が前に出ると…ということを延々と繰り返してくるのです。

風はほとんど気にならなくなったものの、正直、このランナーの存在が18キロ過ぎからちょっと目障りになってきました。横で前後されるのが何となくうっとうしいというか、何というか。(表現下手ですいません。)

先方も同じことを思っているのかも知れませんが、色々無駄なエネルギーを使うので、こういう駆け引きは正直したくないのです。しかしながら結果的に、18キロ過ぎまではその人を引っ張り、逆に引っ張られる形で4分10秒を切るペースで押していくこととなり、この直線だけで10人近いランナーを抜いたと記憶しています。

やがて、二人の間に割って入ってきたもう一人のランナーにその人がついて行ったため、最後はこのランナーの後塵を拝することになってしまいましたが、この駆け引き(?)により、ペースを落とすことなくゴールまで走ることとなりました。それはそれで、結果として良かったのかな。

そして20キロ過ぎ、勢いのままに僕がスゥッと抜こうとしたランナー。この人も、先ほどと全く同じ走りをしてきました。僕が前に出た途端、その人は「ハァッ!」と大きな声を発しながら僕を追い抜き、またその人が落ちてきて僕が前に出ると、「ハァッ!」…という繰り返しをはじめたのです。「またか…」と思いましたが、最後はこの人より先着する自信がありました。なのでここは、一体何回同じことを繰り返すか見てみよう、と。何回も言いますが、僕はペースをほとんど乱していません。この人が勝手にペースを上げて僕を抜いたと思ったらまたすぐに落ちてくる、それだけの話です。結局同じことを4回やられましたが、最後落ちてきたところを、一気に突き離す感覚でこちらがペースアップ。そんな感じで、気がついたらゴールのゲートが目の前にありました。

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(再びNさん撮影、ゴール手前20メートルのシーン。更に脇が甘くなっていたみたいですね。)
タイムは1時間28分21秒。これまでのベストタイムを約1分30秒縮めました。でも、今までとは違って嬉しさはあまり沸いて来ず、むしろ走り通したという疲労感の方が大きかったです。気温はそれほど高いと感じませんでしたが、文字通りボタボタと大量の汗を垂らしながら、仲間のゴールを待ち構えます。
程なく、他の仲間も続々とゴールし、自己ベストを大幅に更新した人もいたようです。
お互いに握手やハイタッチを交わしながら、談笑。
「90分切った?」
「はい、なんとか!28分でした。」
「お!…そのタイムなら、入賞しているんじゃない?」
「いやいや、まさか。そんなわけない…」
…その時です。思わず自分の耳を疑いました。会場内に流れていた放送で、自分の名前とタイムが読み上げられたのです。
「ほら!やっぱり!」
「…!?」
何が起こったか一瞬事情が飲み込めず、まだゴールしていないメンバーも数名いたのですが、一目散に完走証をもらいに行きました。
受け取った完走証に書かれていたのは、「種目順位 6位」の文字。そんなバカな。何かの間違いでは?この僕が、入賞?

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運動会の徒競走ではいつもビリ、運動は何をやっても全然ダメ、そんな僕がマラソンを始めたことを知り、失笑した親戚がいるぐらい僕の運動音痴っぷりは筋金入り。運動で表彰なんて一生無縁だと思っていた僕が入賞って、誰かなんか騙そうとしているんでしょ?

狐につままれるとは、まさにこのこと。
そんなことがあるわけない。意味がわからず、記録速報が貼り出しされている掲示板に急ぐと、1位から6位までの入賞者が別紙で貼り出され、40歳から49歳までの部、その一番下に僕の名前がありました。し、信じられない。思わず感極まってその場で泣きそうになりました。

といっても実は、これにはからくりがあって、総合順位では355人中40位。そして、参加者が多かった50歳代の部だと、6位の人でも1時間25分台で、僕の記録では入賞圏外。もっともこの日は、青森県内や秋田県内でヒルクライム関係の大会があちらこちらで開催されており、その影響もあって、僕より速い皆さんがこの大会に参加されなかったという強運にも恵まれました。
まさに棚からぼた餅が落ちてきた、そんな感じです。

当初13時30分からと聞いていた表彰式は、14時前からようやくスタート。種目毎に登壇し、賞状を受け取ります。

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こういう結果になったのも、みんなのおかげ。本当にありがとうございました。そう思いながら、ステージ上の僕を見る仲間の顔を、ニヤニヤしながら見渡す僕。しかし、賞状に「ふりがな」が振っていなかったため、授与者が名前を読むことができず、自分の名前を自分で読み上げて賞状を受け取るという、ちょっと奇妙な表彰式となりましたが、頂けるのであれば頂きます。

award

僕にとってこれは、本当に大事件なのです。あまりにも残念すぎる運動音痴として親戚中に知られていたこの僕が、運動で表彰され、賞状を頂いた…。何だかこれで、人生の運を全て使い果たしたような気分です。

なので、タイムを88分台まで乗せることができたことよりも、今回は表彰されたということの方が嬉しくもあり、驚愕でもあったのです。
皆さん、本当にありがとうございました。
運を使い果たした以上、これからは毎日、心して生活したいと思います。

ジョギング日記@沼津市

静岡県沼津市へ3泊4日で出張してまいりました。考えてみると、静岡県ってこれまで東海道新幹線で数回通ったことはあるけれど、一度も下車したことがありません。
というわけで、実は今回が静岡県初上陸。

沼津市には東北オフサイトミーティングを通じて知り合った仲間が一人いまして、事前に「今度沼津へ行くので、なんかおいしいもの教えてください。」とお願いをしたら、「おいしいものの前に、まずはこっちですよね。」とランニングマップのURLを送ってきてくれました。

さすがKさん、よくわかっていらっしゃる!と片膝叩きながら、例のごとく出張用の荷造りで一番最初に収まったのはランニング用のアイテム。ただ、今回はもしも走ることができたら、ぐらいにしか考えていなかったので、そんなに気合いは入っていなかったのであります…が。

10月9日(日)。暦の上では連休の中日ですが、翌10日からの用務に備え、この日の午前から移動を開始。
お昼前に新青森を出発し、東京へ向かう東北新幹線に乗車。日曜日だし、移動日だし、ここは一本プハー…のつもりだったのですが、何となく気乗りせず、東京駅に到着。東海道新幹線は約20分の乗り換えでこだま号に乗車、三島で下車した後は東海道線で沼津へ。
沼津駅に降り立ったのが16時40分前。新青森から約4時間半、思ったより近いところにあるのですね。
宿泊するホテルまで徒歩5分とかからず、チェックイン後、まずは外の明るさをチェック。
気温は思ったほど高くなく、外を歩く人は皆さん長袖を着用。そんな中、おもむろにランパンTシャツに着替えた私、まずは送って頂いたランニングマップを参考に、狩野川沿いをジョギングしてみることにしました。そう、結局のところ走りたくてビールを飲まなかったんです。

ということで、沼津市ランニング日記。

(1)狩野川ランニングコース
沼津駅北口前にあるホテルから駅の南側にあるJR東海道本線の「あまねガード」をくぐり左折、南口へ。駅前を通り抜け、右折。そのまま直進すると、狩野川に架かる三園橋が見えてきます。橋を渡り、狩野川の左岸へと出ると、河岸堤防を利用した、かなり立派な自転車歩行者専用道路(港大橋天神洞線)が通っています。
夕方、だいぶ日の入りの時間が近づいていましたが、多くの市民の方々が散歩していました。その中を、ゆっくりとジョグ。ふと後ろを振り返ると、雲に隠れた富士山のてっぺんが「静岡県にいらっしゃい。」とちょこんと顔を出していました。
dsc_0910この道路の凄いところ、橋梁と道路の交差付近にアンダーパスのようなスロープが設けられており、車の流れを全く気にすることなく走ることができるのです。

距離にして片道2キロ程度でしょうか、河口近くの江川排水機場付近までのコースとなっていますが、何となく物足りないので、そこから階段を降りてもう少し河口に向かって走ってみました。防潮堤の機能を有した河川堤防がずっと続いていて、(本当は立ち入り禁止なのでしょうけれど)釣りを楽しんでいる人の姿も見られました。八幡神社の横をすり抜けると、駿河湾が目の前に。どうせここまで来たなら…と更に防潮堤の上をジョギング、突端近くで折り返し。
それにしてもこの日は、実に夕日が綺麗でした。思いがけず素晴らしい光景に出会うことができました。
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復路の時間になると、だいぶ辺りが暗くなってきました。念のためLEDライトは持っていましたが、何と柵に取り付けられた灯りが点り、視界も確保できることから、危険度はほとんどゼロ。

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しかも、例のスロープ両側には発光体が敷かれており、こちらも安全に走行することができました。いやはや、恐るべし。(ホテルまで往復10.5キロ。)

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(2)千本松原ジョギングコース
Kさんからもう一つ聞いていたのは、沼津市にある千本浜公園から延々と西側に延びる防潮堤。富士川河口まで続いているらしいのですが、一体そこまでが何キロなのかも把握せず、10日の早朝は防潮堤の上を走ってみることにしました。
前日同様「あまねガード」をくぐり、そのまま直進すると、程なく「アーケード名店街」と書かれた商店街が現れます。後に聞いたところでは、中心市街地の空洞化の波が沼津市にも押し寄せているようで、確かに多くの店舗が既に店じまいしたような雰囲気にも見えました。もっとも、早朝だったので、確認したわけではないのですが…。
何となく昭和を思わせる街並みを抜け、千本浜公園へ。公園の横を素通りし、その先にある防潮堤へと足を踏み入れます。

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東海地震に備え、延々と続いている防潮堤は、それほど高さがあるというわけでもありませんでした。駿河湾を望む砂浜では多くの釣り人が獲物を狙って竿を出しているほか、こちらもたくさんの方が散歩やジョギングをしていました。富士山は、一瞬チラッと見えたけど、すぐに見えなくなってしまった。嗚呼、このまま富士山を一度も望むことなく青森に帰らなければならないんだろうか…。

ずっと走っていて思ったこと。左手には駿河湾、右手に松林。この景色が延々続くので、結構退屈です。考えようによっては北海道マラソンの新川通よりも辛いかも知れません。しかも、防潮堤ですから当然のことながら自販機やトイレなどがありません。結局6~7キロ走ったのでしょうか、さすがに飽きてきたので防潮堤を降りて、千本松原が生い茂る中へ。
実はこの中にはジョギングコースが設けられています。0.5キロ毎に道標があるようです。
最初に見つけたのは、6.0キロの道標でした。(「千本ジョギングコース」と書かれています。)

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そこからスタート地点を目指します。路面は踏み固められた土ですが、時々松の根っこが出ているところがあります。かと思えば浮き砂があったり、更には雨の影響で滑るところがあったり、逆に、松の針葉がいい感じでクッションになっているところもあるなど、起伏はほとんどありませんが、不成形のコース、ちょっと面白いです。ジョガーの数も比較的多く、散歩している人も結構います。突然現れる墓地や、伐採された松など(実は松食い虫にやられたらしいです)、一瞬景色に変化が見られるものの、基本的には松林の中を走るということに変わりはないので、楽しいながらも道標はまだか…とついつい考えてしまいます。

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ゴール地点、というか本来のスタート地点である千本浜公園が近づくと、スマホ片手の人が急に増えます。どうやらこの周辺はポケモンのスポットらしいです。

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そんな皆さんを横目に公園を出た後は、往路と逆のコースを辿り、ホテルへ着いたのでした。(ホテルまで往復16.8キロ。)

(3)狩野川~沼津港~千本松原
11日も早朝からジョギングすることに。この日は、(1)と(2)をミックスした形で走ってみることにしました。狩野川と千本松原を繋ぐポイントは、港大橋と沼津港。実は前夜に沼津港でKさんと会食をし、頭の中に地図がインプットされていたのであります。
狩野川左岸を河口に向かうコースは、9日と同じ。この日は江川排水機場付近で折り返し、程なく現れる港大橋を渡り、対岸へ。そこに拡がるのが沼津港。早朝、水揚げを終えた漁船が並び、魚市場の中では競りが行われていました。沼津港の入り口に立つ水門「びゅうお」は、万が一の場合、ここから市街地への津波流入を防ぐ役割を果たす他、津波避難施設の役割も担っており、普段は展望台としての機能を備えているそうです。

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この横をすり抜けて防潮堤に上り、前日走った千本浜公園の横をすり抜け、程なく千本松原の中へ。疲れも少し残っているので、疲労抜きも兼ねたジョギングとなりました。10.5キロ。

結局、もしも走ることができたら…なんていいながら滞在4日のうち3日間走ってみました。最終日はさすがに疲れが溜まっていたこと、そして7時30分にホテルを出発することになっていたので、躊躇してやめました。
しかし沼津市、風が吹くと特に沿岸部は大変そうですが、走るにはとてもいい環境ですね。

 

さようなら、モモ

亡父が生前、「今年は毎月喪服着なくちゃダメだ。どうなってるんだ!」と嘆いていたことがありました。
何となく今年は、それに近い感じ。大事なもの、大切な人たちがどんどん僕の周りからいなくなっているというか、何というか。
2月に高校の同級生、4月に敬愛してやまなかったプリンス、6月に愛犬ハナ、9月には愛車を失い、更にこれから色々学ばせて頂こうと思った方までも…。

我が家にとってのお騒がせナンバー1だったハナが、最後の最後まで騒動を起こしてこの世を去ったのが、6月6日。
奇しくもそれからちょうど4か月が経った10月6日の早朝、我が家にとってアイドル的存在だったモモ(推定16歳・ポメラニアン・♀)が静かに息を引き取りました。

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これ、ホントどうでもいいことなのですが、うちの母と妻の母さんが同じ誕生日だったり、うちの妹と妻の亡父さんが同じ誕生日だったり、うちの亡父と妻の妹の旦那さんが同じ誕生日だったりと、なんか凄い偶然なんだよね、という自慢を一時期していたのですが、妻の実家の愛犬が亡くなったのが、ちょうど4年前の10月6日。こういう偶然はいらないから、ホントに!

2年前の9月、いわゆる子宮蓄膿症のため、14歳の高齢ながら子宮の全摘出手術に耐え、動物病院の先生にも感動を与えたモモ。ただしその代償は大きく、それを機に歩くことがままならなくなって、ほぼ寝たきりというか座ったきりの状態になりましたが、食欲だけは亡くなる直前まで旺盛で、朝と夜の食事は欠かしていませんでした。

dsc_0945(手術のあと、抜糸を控え、毛羽立つモモ)

ただ、ここ数日は尿の出が悪く、食欲も急に落ちたので気にしていたところ、昨晩は明らかに様子がおかしくなり、そろそろ山場かなと思っていたら、いつも寝床を一緒にしていた母親と寝ていた夜中2時30分頃に筋弛緩状態に陥り、そのまま回復することなく…。
朝5時に起きると、「モモが動かない…」と母が狼狽していたため、母の寝室に急いで行くと、既に瞳孔は開きかけ、呼吸もないような状態でした。
慌てて抱きかかえると、全身の力は完全に抜けきっていて、まるでぬいぐるみのよう。
最期は母と妻、そして私、更にはもう1匹の愛犬チョコに見守られながら、本当に寝たかのように息を引き取った感じ。なんか、ここ最近ずっと寝ている姿ばかり見ていたので、全く実感がないという…。

うちの犬はみんな波瀾万丈なんだけれど、モモも大変だったんですよ。
2003年頃、某消費者金融のCMに出てくるチワワが人気を博していた時代。母が嬉々として「チワワをもらうことになった♪」と張り切っていたのですが、やってきた犬は、ケージの中に入ったままプルプルと震えを隠すことのできない、何とも貧相な犬。

「これって…チワワじゃないよね。」

口を揃えてみんなからチワワではないと指摘されて「じゃあ、返しに行くわ。」とふてくされた母が手にしていた血統書には、「ポメラニアン」と書かれていました。
何でも、犬好きのおばあちゃんが飼い始めたところ、程なくしておばあちゃんが他界、猫好きの親類宅で預かることになったのですが、何せ猫がいるためにケージから出してもらえなかったのだそうで。
もうこれだけでかわいそう過ぎて、うちにも猫がいたにもかかわらず、飼うことを即決。すぐにモモと呼ばれるようになりました。(血統書の名前は「モモコ」だった。)

最初の頃は本当に臆病で、ケージから出ることすら嫌がっていたのですが、徐々に雰囲気に慣れてくると、既に先にやってきていた同い年の雑種犬ハナ(♀)や老猫2匹(♂・去勢済)と一緒に遊ぶようになりました。

dsc_2077(ハナとモモ。ハナはモモが大好き、モモはハナが大嫌い。)

犬に対して「猫を被っていた」という言い方も変ですが、慣れてくると不思議なもので、誰に対してもしっぽを振って喜ぶ姿が、みんなのハートを鷲づかみ。時々ハナと散歩に出かけると、老若男女問わず誰からも声を掛けられる人気者でした。ホントにアイドルみたいだった。

dsc_2157(カット後は、毛をむしられた鶏みたいだった)

一方で、気性の荒い一面もあって、不機嫌になると牙をむき出しにすることもしばしば。とりわけ、体調が悪くなってからはハナに対して牙をむくことが多くなり、よく母や私に叱られていたものでした。ミニチュアダックスのチョコ(♀)とは仲が良かったはずだったのですが、ここ数日、明らかにチョコを嫌がる素振り。今思えば、相当具合が悪かったのかも。

img_0782(チョコとモモ。相性が良かった。)

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寒いのが苦手、暑いのはもっと苦手。小さく刻んだりんごが大好きで、なんかおばあちゃんみたいでした。(実際、母方の親戚にこういうおばあちゃんがいたんです。)

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元気だった頃はトイレに行きたくなると外に行きたがり、玄関の前や庭先にてくてく出て行って、用を足してくるという…。そのまま県道に出ようとしたことも何度かありましたし、姿が見えないと思ったら県道を挟んだ向かいのお寺にいた、ということもありました。思い出しただけでも恐ろしい…。

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しかし寄る年波には勝てず、晩年は自分の身体を支えることもできないぐらい足腰が弱ってしまい、かなり苦しそうにする時もあったのですが、それでもハナと同じく約16年生き存えました。我が家に来てからは約13年もの長い時間を一緒に過ごせて、我々も楽しかったしモモもきっと幸せだった、と信じたいです。

本当に、本当に、本当にかわいい犬だった。
多分、犬じゃなくて人間だったら、惚れていたかも知れない。それぐらい、かわいかった。

長い間一緒に過ごしてくれて、ありがとう。
亡父やハナが待つ黄泉の国で、昔のように自由奔放に駆け回ってちょうだいな。

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じゃあ…またね。バイバイ。

合掌

第14回弘前・白神アップルマラソン ~初の伴走体験記~

毎度のことながら、今回も長文駄文になってしまいました。その量、原稿用紙換算で17枚以上。私はいったい何を目指しているのでしょうか…。

dsc_0003(スタート前、弘前公園RCのメンバーを中心に撮影。)

【いきなり総括】

走るも地獄、やめるも地獄。
大会当日の弘前市の10時の気温は22度近く。11時には22度を超え、日差しが強く照りつけていたほか、ほとんど風が感じられなかったため、気温以上に暑さを感じることとなりました。何せ、太陽を遮るものがほとんどないのであります。実際、数名の方が熱中症と思しき症状で倒れていたほか、ゴールに向かう選手の皆さんの顔や手足を見ると、老若男女問わず、汗が乾いて塩が浮き出ているような状況でした。10月なのになんか真夏の大会を彷彿させるというか、8月の北海道マラソンより過酷な大会になってしまったような気が…。
そんな過酷な状況の中、弘前公園ランニングクラブの中で自己ベストを更新した選手は、ほんの一握り。多くの選手は持ちタイムを大幅に下回ることとなり、ゴールした後にガックリとうなだれる姿をたくさん見かけることとなりました。そしてなぜか皆さん、謝るという…。別にいいんですよ、悪いことしていないんだから。
一方で、今回初めてフルマラソンに挑戦したメンバーが全員完走するなど、悔し涙にも嬉し涙にも暮れる、そんな大会となりました。

【初の伴走、いよいよスタート】

さて、私自身7度目となる弘前・白神アップルマラソン。既に先日のブログで投稿したとおり、今回はハーフマラソンで視覚障碍者の伴走を務めることとなりました。これまで練習は幾度か行っていましたが、大会での伴走は初めて。実は、スタート直前まで自分のレース出場以上に緊張していたことを、今だから明かしましょう。だって、怪我をさせてしまっては、元も子もないワケですから。

9時50分のスタート時刻に合わせ、Aさんとともにスタート地点へ。既にたくさんの選手が集まっていましたが、敢えて混雑を避けるため、後方でスタートを待つことにしました。2時間40分のプラカードよりも、さらに後ろ。この日、ご本人は「目標2時間」を掲げていましたが、私個人としては、少しでもそれに近づけるようにアシストすること、そして、周囲に目を配りながらの危険回避と、ご本人の発汗や息づかいといった様子を確認しながらまずは安全第一で走ることしか考えていませんでした。
そのために、事前に渡された「伴走」のゼッケンの上下に赤いマジックで「接近注意」「追抜注意」の文字を書き加えました。あとは、実際走りながら周りに注意しなければならない、それだけでした。

スタート前から既に暑さを感じる天気。晴れてくれるよりも、曇りの方が良かったのに。
67歳という年齢でハーフマラソン2時間切りを狙う。それだけでも十分凄いことだと思いますが、それを伴走するこちらとしては、そのことがプレッシャーになっていたのも事実でした。ふとAさんの顔を見ると、既に発汗の兆しが。それを見て決めました。今日は無理はしないでおこう。ただし、最初の下りで潰れるぐらいなら、慎重に入って後半追い込む。ネガティヴスプリットとは行かなくとも、イーブンに持ち込めれば…そんな感じでした。ただし、タイムに関しては皆目見当がつかなかったので、大体2時間15分ぐらいでいいかな、と考えていました。
程なく号砲が鳴り、ゆっくりとスタート。当然のごとく人、人、人の波に揉まれることとなるため、逆に最初の下りを慎重に入ることができました。ただし、Aさんは我慢できず明らかに先に行きたがっている気配が感じられたため、「ここは我慢しましょう」と諭しながら、最初の1キロは約9分も要して通過。まあ、スタートの混雑を考えるとやむを得ない。
あとは、選手の間を縫うように「11時。1時。」と時計の文字盤になぞらえて進む方向を指示します。

【紐一本で繋がれた信頼関係】

「まだしばらく混雑が続いていますけど、前を走る人を避けるのにちょっと蛇行することになるかも知れません。」
「了解。今日はマカちゃんに任せた。」
…ん?私はふと、Aさんが口にした「任せた。」の意味を噛み締めていました。
Aさんと私を繋ぐのは、Aさんの左手と私の右手に握られた一本の紐の輪だけ。私が手を放してしまったら、Aさんは走り続けることができません。この私に全幅の信頼を寄せ、しかもペース設定まで任せるとは…。
嬉しい半面、これは絶対ゴールまでたどり着かないと…。
Aさんの右側を追い越そうとする人を避ける(Aさん曰く「右側を通る人が気になって仕方がない」)ため、なるべくセンターライン寄りに位置取りします。
岩木川に架かる岩木茜橋を渡りきった2キロ過ぎからキロ6分台前半までペースを上げますが、給水ポイントのある4キロまでは我慢しましょうと、なおも抑え気味。反対側の車線は、10キロを折り返してきたランナーの姿が続々と。
この間、路面の状態がどうだとか、マンホールの蓋があるとか、緩い上りだとか、進むべき方向がどちらだとか、間断なく情報をAさんに伝えていきます。そんな中、3キロ過ぎでは対向車線の歩道にどうやら熱中症で倒れてしまったらしい10キロの選手の姿が。今日のこの暑さはやっぱり辛いよなあ…と走っていると、対面からやってくる救急車両の通過のために道を開けなければならなくなったのですが、ちょうどタイミング良く交差点内を走っていたため、さほど気を遣うこともなく救急車両が脇を通り過ぎていきました。ホッ…

【給水ポイントも難なく…】

4キロの給水地点は、既に先を走るランナーによってたくさんの水と紙コップが路上に捨てられ、路面が水たまり状態に。(苦笑)
ひとまずスピードを緩めながらAさんの希望を聞き、スポーツ飲料、水の順番に手渡しします。Aさんがそれらを口にするその間に、私もサッとスポーツ飲料を一口含み、空になった紙コップをAさんから受け取り、ゴミ箱へ。ここでは、ほぼ脚が止まっていました。
「よし、行こう!」
Aさんの一言で再び走り始めた我々。この辺りは左折、右折が連続する他、道幅が若干狭くなります。9時、3時、9時、10時、緩く1時…と曲がる方向を的確に伝えながら、路面の状況やランナーの混雑具合などを伝えていきます。6キロを過ぎてから9時の方向へ進み橋を渡ると、更に道幅が狭くなります。緩い上りに差し掛かったことを伝えると、Aさん、何かのスイッチが入ったようにペースアップ。

【実は結構凄い走りっぷりだった】

…というかここまで、ほとんど我々を抜いていった人がいないのです。前を走るランナーを、ずっとゴボウ抜き。
本当に、何人の人たちを追い抜いたかわからないぐらい。そしてこの上りでもペースを上げると、前を走っていた若いランナーが「すげぇ…マジかよ。」とポツリ。
それを二人で耳にしながら、「Aさん、いいですね。凄いいい走りしてますよ。その調子で行きましょう。」と、Aさんを奮い立たせるように声を掛けます。この間沿道はもちろん、10キロにエントリーし、中間を折り返したたくさんのランナーから、Aさんに声援を送ってくださいました。…実はAさん、その数を数えていたらしいです。
やがて長く緩い下り坂へ。下りに入るとペースアップするランナーがたくさん現れ、我々の横をすり抜けようとします。経験上、ここでペースアップする人は、後半で大概潰れています。ここは抑えて、抑えてと声を掛けながら、颯爽と追い越していくランナーをさほど気にせず、ただしなるべくAさんの右側をランナーが駆け抜けないように、中央寄りに車道を走り続けます。長い下り、いよいよAさんも飽きてきたらしく、この辺りから「直線?下り?」と頻繁に聞いてきます。
下りを終えた8キロ過ぎ、ようやく2度目の給水。ここでもしっかりと給水を取り、いよいよ折り返し地点を目指します。この辺りでは既に折り返してきたランナーが現れ、反対車線を駆け抜けて行きます。
平坦で単調、更に反対側を駆け抜けるランナーが続々と現れ、道幅が狭くなる区間ではありますが、Aさんになるべく状況を伝えながら走り続けます。合間には他愛のない会話もしながら。やがて9キロ地点の交差点に現れたのは、何とうちの母と甥っ子。
声援に軽く手を振り、Aさんにその旨を伝えると、「折り返した後、絶対教えて。お母さんに挨拶しなければならない。」と、妙に張り切るAさん。

【折り返し地点へ快走】

「折り返しまであと何メートル?」「あと500メートル。」
実際500メートルあるのかはわかりません。ただ、目測でそれぐらいだろうということを言えるのは、これまで何度もこのコースを走っていたからのことでした。
「折り返しが見えてきたら教えて。」「了解。」
折り返しが見えそうで見えてこないのが、このコースのイヤらしいところ。
「あと何メートル?」と、しきりに折り返しを気にするAさん。
「あと200。」といいましたが、実は200メートル以上あったという…。
ようやく折り返しの赤いコーンが見えてきました。
「折り返しまであと10、5、3、折り返します。3時、もう一回3時…。」
転倒することなく着実に折り返すため、的確に指示を伝えます。時計を見るとここまで1時間ちょっと。1キロ平均6分15秒のペース。予定ではここからペースアップ!のはずだったのですが…。

【家族への挨拶、そして失速】

11キロを過ぎ、ここで、フルマラソンのトップを走る選手が我々の横を駆け抜けて行きました。そして再び、先ほどの交差点が近づいてきました。よく見ると、母と甥っ子の他、妹の姿も見えます。
「Aさん、左側におふくろいますよ。…あれ、妹もいた。」
「おお、そうかそうか!嫁さんは?」
「いません。多分、ゴール地点にいるはずです。」
母と妹を前に、Aさんがおもむろに立ち止まります。
「あなたのご主人をお世話し、今は息子さんにお世話になっているAです!ありがとうございます。」
それを聞いた母と妹、苦笑い。
「ささ、行きましょう。」
…ところが、ここで脚を止めてしまったのが影響したのか、少しペースが落ちた感じ。
更に、次の給水は先ほど下ってきた長い上りの手前にあるのですが、Aさん、その給水は必要ない、と言い始めたのです。
ええぇ?マジですか…。

【暑さとの戦い、遠い給水ポイント】

12キロ過ぎにある給水ポイント、結局Aさんは本当に何も摂らず通過しました。(私は念のためスポドリを一口。)
ここから長くダラダラと上り坂が続きます。上りに入るといつもペースアップするAさんですが、上げる気配がありません。表情を見ると、汗を流しながらかなり苦しそうな感じ。
「ペース速いですか。大丈夫ですか。」
「…大丈夫。」
上り坂ですので、多くの会話は求めません。
「しばらく上りです。少し我慢して、ここ踏ん張りどころですから。」
しかし、ボディブローのように続く緩い上り坂。
「…頂上が見えたら、教えて。」
「わかりました。」
Aさんはそのあとも、まだまだ続く上り坂に辟易しながら何度も同じことを聞いてきます。本当に辛そうな感じ。というのも、徐々に左側、つまり私の側に上半身が倒れ始めてきたのです。大丈夫か?
やがて上りの頂点、それは右折してようやく下り基調になるポイントでもあるのですが、それが見えてきました。
「Aさんお疲れさま!上り、あと150メートルで終わりますよ。」
上りの頂点を通過し、3時の方へ。
「ここで少し呼吸を整えましょう。」
「…給水まであとどれぐらいだ。」
「え…いや、2キロぐらいです。」
「何回曲がる。大通りまであと何メートルある。」
どうやら喉が渇いてきたようで、若干苛立っている感じで矢継ぎ早に質問してきます。
それでも、Aさんから次々と発せられる問い掛けに必死に答えながら先へ先へと進みます。
大通りに入るとすぐ、「交差点まであと何メートルだ。」と尋ねてきました。
「500メートルはあります。そこを左に…」
「あぁ?左?」大きな声で間違いを指摘するAさん。
「すいません、右でした。右折です。」
…ううむ。揚げ足を取られるのは本意ではありませんが、こちらが我慢我慢…。
その後も何度も「あと何メートル」を聞いてくるAさん。いよいよ限界も近づいていたらしく…。
にもかかわらず、私設エイドがあると伝えても、それには手を出そうとしないのです。…なぜだ!

【ようやく給水、そしてサブ3のペースメーカーが…】

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再びくねくねと右折左折を繰り返し、Aさんはもはや倒れる寸前、といった感じではありませんでしたが、疲労困憊は明らか。そしてようやく給水ポイントへ。Aさんはバナナを貪り、スポーツドリンクを2杯飲み、更にレモンを口にし、水をもう1杯。いや、暑いんですよ実際。

どうやらこれでかなり気分的にホッとしたらしく、息を吹き返した感じ。
「よし、ゴー!」の一言で再びゴールを目指します。
このあとも、目的の建物、そして残り2キロの手前にある橋を目指して走って行きますが、ペースはほとんど上がりません。3時間切りを目指すフルマラソンのランナーが続々と横を通り過ぎて行きます。さらには、余力を残していたハーフマラソンのランナーにも抜かれ始めますが、それでもなお、多少ペースが落ちたとはいえ、相変わらず前を走るランナーを次から次へと追い抜くという構図に変わりはありませんでした。
ただし表情は苦しく、汗をかいている様子にも変わりがありませんでした。

やがて岩木川に架かる岩木茜橋を走り終えると、突然背後から声を掛けられました。
そこには、我々の50分前にスタートしたフルマラソンで、今回3時間のペースランナーを務めるMさんの姿が…。
ハッと時計を目視し、この時点で2時間切りが叶わないことを確認。そして、その背後からもう一人、同じペースランナーを務めるNさんも我々に声を掛けて颯爽と走り抜けていきました。
しかし敢えて時間のことは告げず、その後も淡々と走り続けていました。

【最後の給水、そしてゴールへ】

「最後、もう一か所給水ないか。もう少し水が欲しい。ゲップが、出ないんだ…。」
Aさんがポツリと呟きました。ちょうど目の前に私設エイドがありましたので、そこで給水を取ります。1杯目は口に含み、2杯目は自ら頭にぶっかけて。かなり暑いんですよ、やっぱり。黒のNo Apple…のTシャツも、ある意味選択ミスだったかも知れません。事前に黒のTシャツを着用することを聞いていたんだから、シャツの色を変えるよう連絡すれば良かった。
それでもあと約2,000メートル(個人的に「あと○キロ」というのがとてつもなく長い距離に感じられるため、残り10キロ未満は○千メートルと表現するようにしています)を切り、しかもAさんへの沿道の声援もどんどん増えてきました。「ありがとう!」と全ての声援に大声で応え続けるAさん。相変わらずゲップは出てこないようですが、力になるんですよね、こういうのが。
「最後の坂まであと何メートル?」
同じような問答が続きますが、ここは正確に。
「あと200。上りは300。上り切れば残り800。ここ最後踏ん張りましょう!」
そして最後の上り坂の途中で、畏友I先生一家の声援を受けます。ありがとう!

いよいよ弘前市役所裏の最後の直線へと歩を進めました。
「ゴールまであと500メートル。もう少しで終わりますよ!…いや、終わっちゃうのか…。」
終わります、という自ら発した言葉に、一抹の寂しさを覚えました。
そうなんだよな、2時間超に及んだ伴走、もうすぐ終わっちゃうんだよな。

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「あと200で左折、50進んで左折、50でゴールです!」
ハーフで先着していた弘前公園RCのメンバー数名が、我々に声援を送ってくれます。その前を颯爽と…とまでは行かないものの、笑顔を浮かべながら通過。そして、いよいよゴールの追手門広場へ。
たくさんの観衆から声が上がります。
「Aさん、ラスト!」「凄い凄い!」
そんな声援が、Aさんの耳にも私の耳にも届いていました。
「あと10、あと5…ゴール!お疲れ様でした!」
最後はほとんど無言になってしまったAさん、「ありがとう!」と言い放ったあと、無言で握手、そしてハグを求めてきました。
Aさんの肩を叩き、「いやぁ、お疲れ様でした…。」と声を掛けながら思わずウルッとしそうになりましたが、これで私の役目はおしまいではありません。ちゃんとご家族の元へ送り届けるまでが、私の役目なのです。

【記録は…】

「ところで、何分だった?」
「ええと…手元の時計で2時間14分台です。」
「そうか…2時間切れなかったか…。」
今日、2時間を切ったら来年フルマラソンへの再挑戦を宣言する!Aさんはスタート前にそう意気込んでいただけに、14分及ばなかったことに対する悔しさを滲ませているようでした。少しガッカリするその姿を見ながら、もっと時間をちゃんと伝えながらペースコントロールをすれば良かったんだろうか…と私自身も反省。
しかし、今日の暑さではこれがギリギリだったのではないかと思います。しかも御年67歳ですよ。凄いと思いませんか!?

「ペースが速かったり、辛かったらおっしゃってください。」
…この呼びかけに対してAさんは、19キロ手前の岩木茜橋を過ぎるまで、一度も弱音を吐きませんでした。文句は一切なし。もしも我慢を強いていたのであれば伴走失格ですが、どうやらそういうことではなかったようです。
「…あ、ゲップ今出た。笑」
Aさんの完走証を受け取り、Aさんのランニング仲間が待っているはずの場所へ。あれ?誰もいない…。ふと見ると、うちの妻の姿。
「…えっ!もう帰ってきたの?」
何と、ゴール付近で撮影していたと思っていた妻は、今回大会に参加した職場の仲間と談笑し、我々のゴールシーンを撮り損ねるという失態…。(苦笑)
まあ、結果的にAさんにご挨拶できたので、それはそれで良かったんですけどね。
そして、我々の後ろをついてきたAさんのご家族と、サポートをされていた方にあとのお願いをします。
「ありがとうね。」「いえいえ、お疲れ様でした。」
もう一度握手を交わし、今日の私の役割は終わったのでした。

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【最後に】

走るということに、定年はありません。いつでもどこでも気軽に楽しむことができます。しかしそれは、健常者であるが故に言えること。障碍者をはじめ、なかなか気軽に走ることを楽しめない状況にある方々がいるのも事実です。
限られた練習の中で自らを磨き上げ、そして目標に向かって進む。そして、それをサポートすることの重要性。
うまく表現できないんですが、Aさんとともに、時にAさんの目となり時に水先案内人となりながらハーフマラソンを走り終えてみて、私自身の達成感もじわじわと沸いています。
今回、私への完走証はありません。しかし、それ以上のものを頂きました。走っている間の緊張感と走り終えたあとの疲労感、これは、一人で大会に出場して走る時と全く別物でした。これはなかなか経験できることではないと思います。

ただ、別に特別なことをしたという思いは一切ありません。裏を返せば、伴走には何か特別な技術は必要ないということです。強いて言えば一番大事なのは、一緒に走る方との信頼関係をいかに築くか、これに尽きるのではないかと思います。(まあ、これが一番難しいのかもしれないけれど。)

でも、こんな僕でも伴走することができたわけですから、その気があれば皆さんだってできるはず。これを機に、視覚障碍者との距離感というか垣根というか、そういうのがどんどん取り払われていくのであれば、僕にとっては本望です。

それともう一つ。これ、結構大事なことなんですが、伴走を行うと点字ブロックや段差といったものがやたらと気になるようになります。実は当日、会場内でも点字ブロックの上に堂々と敷物を敷いているチームを見かけました(それも、1チームではなく複数)。苦言を呈しかけたところでAさんに「いいからいいから」と諭されましたが、かなりムカッと来たことだけはお伝えしておきたいと思います。あと、普段でも目にするのが点字ブロック上に停められた自転車。これはホント、全部ぶっ倒してしまいたい心境に駆られます。そんな感じで、それまで無意識だったことを意識するきっかけになるのは事実です。

正直今は、来年のことへの考えは及んでいませんが、Aさんからは「11月まで練習に付き合って欲しい」というリクエストがありましたので、そのリクエストになるべく応えていきたいと思います。

最後になりますが今回、皆さんから本当にたくさんの声援を頂きました。
Aさんの分も含め、心から御礼申し上げます。
本当に、本当にありがとうございました!